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有閑随感録(20)

矢口 英佑

 神保町界隈は多くの古書店が立ち並ぶ古書店街だったはずだが、それはもはや昔語りになりつつあるのかもしれない。古書店だった跡地にはたいてい飲食店がオープンするというのもほぼお決まりのコースだった。そう、今年の2月頃までは。
 ところがコロナウイルスの襲来はこうした神保町界隈の様子を大きく変えた。学生らしき若者の姿が古書店から消え、会社員らしき男女の姿が喫茶店から消えてしまった。
 古書店や喫茶店はもちろん、後発の飲食店も青息吐息の様子が手に取るようにわかる。さらに夕方から開店する酒類を提供する飲食店も常連の足さえも遠のきがちらしいことがよくわかる。

 そんな世の中の動きに抵抗するかのように、私が身を寄せている出版社の社長は飲食店の窮状を察してか、コロナ以前と何も変わることなく、夕方になると神保町界隈の店にせっせと足を運んでいく。
 かく言う私も社長のお誘いがあるときには、当然のようにその誘いに乗って、飲食店への出入りを続けている。社員たちからはおそらく〝危ない年寄り〟と見られ、そばに来て欲しくないコロナ感染危険度数最悪人間と見られているに違いない。
 そんな傍目の心配はあまり気にならない社長だが、入った店の客の少なさは大いに気になるらしい。「これでやっていけるのでしょうかね」が、小1時間ほど過ぎて周囲を見て言う、最近の決まり文句となっている。
 確かに入る店、入る店、どこも客の入りは極端に悪い。

 会社の目の前にある収容客50人ほどの落ち着いた大人の店といった雰囲気のある和食屋は昼食時の定食も提供している。コロナ以前は勤め人が店の前に待ち並び、店内も相席が当然で、食後、ゆっくり腰掛けていることなどできなかった。夕方もこちらが入店する頃(開店からそれほど時間は過ぎていない)には先客が2,3組いて、いつのまにか満席になっていた。
 今は昼食時、客足は多少戻ってきているようだが、店の前に客が並ぶ姿はなく、店内も相席しないで食べられる。夜の部ではこちらが引き上げるまで客が1組もないということが数回あって、いつの間にかアルバイト店員もいなくなってしまった。

 コロナ感染の警戒から外食する人が減っているのは歴然としている。神保町界隈にあるいくつかの大手の出版社の出社人員は現在でも抑制されているようで、出版社周辺は閑散としており、それも飲食店の客数減少につながっている。
 会社から5分ほどの中華料理店は歴史もあり、収容客数は200人を下らないと思われる大きな店だが、昼食時には空席待ちも珍しくなく、歓談の声が店内中に渦巻いていたものである。ところが、つい最近久しぶりに昼食を食べに行って衝撃的だったのは、昼食時の真っ只中だというのに、店内はひっそりとしていてテーブルを埋めている客があまりにも少ないことだった。社長の口から「これでやっていけるのでしょうかね」が飛び出したのは言うまでもない。

 社会がまさに変容を始めている。何でもかんでもお金を使うことで何かを手に入れるという行動(経済)様式を良しとしてきた日本だが、コロナウイルス襲来を境に、人と接する行為への恐怖心、警戒心が極端に強まっている。その向こうにあるのは、今ある社会様式、経済様式を忌避しようとする意識の膨張である。その結果、行動そのものが不活発になり、行動の範囲が狭められ、個人の消費経済活動にもブレーキがかかっている。
    
 加えて人間の心の有り様も変容を始めている。再度、飲み屋の話を持ち出せば、コロナウイルス防御のために、どこもアルコール消毒液が置かれているのは言うまでもない。だが、入店時に体温を測る店は私の知る限りだが、半数ほどである。またテーブルの間に透明のアクリル板を置いている店は3割程度で、そのいずれも実施している店となると1軒のみである(社長とよく飲みに行く店という限定付きである)。そのほか各テーブルに小型の消毒ジェルの容器を置いたり、注文した食べ物を取り分けて出してきたりとそれぞれの店なりに防御の工夫は施されている。

 だからと言って、コロナ感染への不安が完全に払拭されるわけではない。アルコールの席での談論風発はむしろ酒席文化の一つだったはずだが、それを抑制しようとする気持ちも強く働くようになっている。どの店も騒がしくないのが、その証明とも言える。また、テーブルに並んだ酒肴に誰彼の唾液が降りかかっているのではないかと不安になれば、楽しくないし、箸も出なくなるのは人情というものだろう。
 遠慮なく飲み合い、遠慮なく語り合い、一時とはいえ楽しい、あるいはストレス発散の場ではなくなったと思い至れば、飲みの一つの魅力は確実に失われていく。

 「これでやっていけるのでしょうかね」という飲食業に対する社長の気がかりだが、コロナウイルス感染状況が沈静化しても元の状態には戻れないと私は見ている。
 その理由は、日本人の心から、コロナウイルス感染への不安は、もはや一掃されることはなく、心のどこかに埋め込まれてしまったからである。不安、恐怖、警戒は忌避につながり、不特定多数が集まる飲食店への足は当然、遠のくからである。

 余計なことを言うようだが、飲食店もこれからは客を迎え入れる経営戦術の転換が必要になるだろう。もっともこのようなこと、私が言うまでもなく、飲食店経営者はとっくに考え始めているにちがいない。

 (元大学教員)

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