【投稿】

有閑随感録(16)


矢口 英佑

 日本も気がつけば、コロナウイルスの感染拡大に直面している。決定的な治療薬も見いだせないまま、目に見えない敵にどう立ち向かうのか、暗中模索状況が続いている。
 しかし、命をも奪っていく敵に戦える手持ちの武器はあまりにも少なく、今のところ「逃げるが勝ち式」がもっとも有効な手段でしかないようである。

 自分がウイルス感染者だと思って行動するのはいいのだが、それは相手も感染者だと思うことであり、おのずと他者との間に距離を置く空気が醸成されてきている。
 それは具体的な行為としてだけでなく、精神的にも距離が置かれ、さらには相手への不信感、忌避感へとつながっていくようである。たとえば、電車内で咳でもしたら必ず白い目の集中砲火を浴びるし、おまけにマスクをしていなかったら、自分の周囲から人がいなくなるのはまちがいない。

 だから「外出自粛」が要請され、テレワークが推奨され、接客業種への休業が要望されることになるのだが、これらに従った人びと、組織に生じるマイナス事態(被害)への対応となると、自分の都合の良いように政治を操ってきた安倍内閣の実態がみごとに露呈してきている。空々しい言葉の羅列と場当たり的施策による垂れ流し姿勢がそれで、これで「私が全責任を負う」とおっしゃられても、その言葉自体がいかに無責任であるかを言っているのに等しいだろう。

 私が長年属していた大学を例にとるなら、2020年7月からオリンピックが開催されるということで、安倍政権(文科省)は今年度の新学期の授業開始時期を早め、オリンピックが開催される前に前学期(春学期)の授業を終了するようにと、大学に要請していたはずである。
 大学の年間カリキュラムは前年度の9月ころから準備が始まるので、文科省からの要請はそれより少なくとも1年ほど前であり、大学側は2年ほど前から2020年度のオリンピック用カリキュラムについての取り組みを始め、教職員、学生にも伝達していたことになる。
 新学期の全学生対象の健康診断、夏休みを利用しての集中講義、課外授業、インターンシップ、海外留学、教員の海外研修等々は大学独自だけでは調整できないものが圧倒的に多い。

 ところがコロナウイルスの感染状況が日増しに厳しくなってきているにもかかわらず、安倍政権がオリンピック開催の1年延期を発表したのは3月24日になってからであった。多くの大学が入学試験を終えて、新入生を迎え入れる準備を始めながら、卒業式実施をあきらめ、入学式を取りやめるかどうか迫られていた時期になっていた。
 そのような時期になっては、大学側はもはやオリンピック用の特別カリキュラムを通常の授業日程に変えることはできない。しかも、たまたまそうなったのか、コロナウイルスの感染者数がオリンピック開催の延期が発表されるや急激に増え始め、入学式を何度か後ろ倒しにし、現時点では5月の連休明け後としている大学がほとんどである。しかも、その開催日時で必ず実施できるのかは不透明のままである。

 これだけでも大学側の金銭的な損失はかなり大きいはずである。たとえば卒業式や入学式を外部のイベント会場に予約していた大学はキャンセル料の支払いが生じ、卒業式や入学式で配布する予定だった大部の印刷物を各学生に送付する送料も重さの関係からかなりの金額になったと思われる。
 何よりも、授業時間数の確保と教育の内容の担保といった教育機関としてはもっとも重視されるべき事柄の対応に対する文科省の金銭的、技術的、その他の支援は、これまでの安倍政権の施策を見ているかぎり、まず期待できない。今回のコロナウイルスで教室での授業ができない代わりに、にわかにメディアで取り上げられ始めた「オンライン授業」なども、授業を始めるまでの準備は器材、施設問題から教員への周知、指導などクリアしなければならないし、学生への指導も実はそう簡単ではないことが予想される。しかし、すべて大学にお任せ状態である。

 大手の大学はそれでも切り抜けることができるかもしれないが、定員割れを起こしているような大学は経済的にかなり苦しい立場に立たされるだろうし、ましてや外国人留学生受け入れでなんとか定員数を補ってきた大学は留学生が来日できないため、窮地に追い込まれるにちがいない。

 現場の末端で働く人びとにまで細かな目配りと配慮ができる指導者であれば、自ずと国民に語りかける言葉も、また施策も、心のかよったものになるはずである。
 しかし、さまざまな要請を重ねながら「補償」などという言葉はそうたやすく使えないという姿勢が見え見えの安倍政権に、何かを期待している大学はおそらくないと思われる。教育は待ったなしで、自力で逆境に立ち向かい、愁眉を開くしかないのである。

 一方、私が現在身を置いている出版界も、今回のコロナウイルスによる自粛要請によって状況はかなり深刻になってきている。
 本を作っても売りさばいてくれる書店が次々に閉店したり、営業時間短縮に追い込まれたりしていて、通常でも売れ行きが芳しくない本なのに、売る場所がなくなってしまっているからである。これでは、制作費だけがかさみ、収入は限りなくゼロに近づくのは当然だろう。毎月の支払いに四苦八苦している中・小・零細出版社が多いだけに、自粛要請解除が長引けば……と考えると、暗澹たる気持ちになる。

 我が社でも、ある政治家の人物伝を制作したものの刊行する段階で、書店の事情だけでなく、自粛要請で出版パーティーなども開けなくなってしまい、倉庫に眠らせておくしかない事態が生じている。

 コロナウイルスの感染をいかに抑え込むか、どのように「自粛要請」による「被害」や「混乱」を治め、人心を安定させるのか、まさに指導者の指導者たる腕の見せ所だろう。
 しかし、此の期に及んでもなお自分の政治生命を第一優先に考えているようなお人に、それを期待するのは無理なのかもしれない。

 (元大学教員)

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