【コラム】
ザ・障害者(30)

時間的障壁

堀 利和


 今夏の参議院選挙で見事当選を果たして国会議員になった二人の障害当事者、舩後靖彦さんと木村英子さんの存在を通して、特に舩後さんの存在に焦点を当てて論じてみたい。
 舩後さんはALS患者であって最重度の障害者であるといってよく、コミュニケーションも目の動きにより文字盤を介助者が読み取るという方法をとっている。
 当選後テレビ朝日の羽鳥モーニングショーでスタジオと舩後さんの実況中継の場面が流され、スタジオの羽鳥さんが舩後さんに簡単な質問をした際、これに対して、介助者が文字盤を読み取りながら答えた。正確な時間はわからないが、舩後さんの返事が返ってくるのにおよそ1分ほどが過ぎ、その間、舩後さんと介助者との間で文字盤を通したやりとりがなされ、スタジオに沈黙が流れた。

 本会議場では異例措置として介助者の付き添いが認められた。国会が慣習を変えたという意味では極めて画期的なことであるが、しかしそれは至極当然のことでもある。というのも、そもそも本会議場には議員と限られた参議院職員しか入れず、私の場合は秘書が入れないので入り口から衛司が私を席まで手引きした。
 ちなみに、盲導犬使用者として新潟県長岡市で初当選した藤田さんに、「本会議場に盲導犬なら犬を入れてもいいなら、豚を入れていいのか」と、自宅に電話で市民から苦情があったという。職員では舩後さんに対応できないから、介助者が本会議場に入るのは例外措置といえども当然のことである。法律ではこれを「合理的配慮」というが、つまり既存の規則、手続き、方法の「変更」である。この変更こそが「寛容性」である。

 しかし私にとってもっと関心があり興味深いのは、委員会での質問時間だ。本原稿を書いている今の時点では何とも言えないが、9月下旬から始まる秋の臨時国会での委員会審議である。それまでに国会は、理事会は初めての経験、対応、すなわち重要な変更に迫られるということである。委員会での各会派の質問時間は、通常6時間コース、360分であるから、それを委員の人数で割り、その上で一人当たりの時間を会派の人数に掛け合わせた持ち時間となる。ただ、自民党が持ち分の時間の一部を野党に譲る慣習がある。

 さて、そこで、舩後さんの場合はどうなるか? いずれにしろ、このような公平かつ機械的な質問時間の配分では、私のようにたとえ視覚障害があっても話すことについてはなんら不自由もなく喋ることができるが、舩後さんの場合にはそうはいかない。ただし、私の場合は答弁席の大臣や局長の表情、メモ用紙の受け渡しなどが見えないのは確かにハンディである。

 質問取りといってあらかじめ担当課が質問の骨子を聞きにくるのだが、それは大臣の答弁を作成するためである。また、舩後さんの場合には当日の委員会の質問においてはパソコン等により既に用意してある質問文章の音声化といった方法などもとられるのかもしれないが、それにしてもAの質問にA’という答弁があった際、それで終わりというわけにはいかない。
 何故なら予算委員会のテレビ中継でもわかるように、答弁に対して納得がいかなければ更に再質問するか、あるいは意見を述べるということになる。黙っていては答弁をそのまま認めたことになるからである。委員会での質問はそのように行われる。質問A、答弁A’。それですぐ次に別の質問B、答弁B’に移るというわけにもいかない。少なくとも答弁A’に対してひとことは言う。

 舩後さんの場合にはどうするか? 再質問の時間はどうなるか。まさか答弁をあらかじめ聞いておくなどできるはずもない。答弁A’に対して、その場で再質問A2をするにしても時間がかかる、そのための時間延長の保証はあるのか。
 また、バッジをつけた議員しか質問(発言)できないから、例外措置として舩後さんに代わって介助者の「発言」を認めるのか、現実はそうせざるを得ないであろう。

 既存の委員会運営、こうした想定のすべては不自由なく喋れる議員を前提に出来上がっている。しかし、喋ることに何の不自由もない議員たちを前提にした公平かつ機械的な質問時間の配分、想定内の既存の時間観念などに対しても、舩後さんの存在それ自体が、全てに「変更」を加えるといっても過言ではあるまい。
 6時間コースを、休憩を入れて7時間にするのか。永田町の政治家たちにそんなやさしさ、寛容性、忍耐強さがどこまであるか、見ものである。あるいは、思いも及ばないウルトラCの方法を見出すのか。
 いずれにせよ、これが「時間的障壁」。新しい概念である。

<障害者差別解消法第2条(定義)>
 二  社会的障壁  障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

 「その他一切のものをいう」としても、社会的障壁を「事物、制度、慣行、観念、時間」とすべきではなかろうか。

 たとえば視覚障害者にあっては、40年余り前から、公務員採用や大学受験では試験時間が通常の1.5倍の延長が認められている。試験問題の特殊な様式が点字使用者、点字試験にはかなりハンディがあって、それを他の受験者との実質的な公平性を確保するためには時間延長が必須、今日的に言えば法律上の「合理的配慮」ということになろう。
 時間的障壁に対するこのような合理的配慮がどうなされるのか、秋の臨時国会を前に、私は今大変関心をもって永田町の政治が「革命的」判断をするかどうか楽しみにしている。

 (元参議院議員・共同連代表)

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