【北から南から】

■春節以後の北京事情         谷 洋一

───────────────────────────────────


◆悠長このうえない中国の春節◆


 今年の北京は「冬を忘れたかの如き毎日」である。中国最大の祝賀行事・春節
(旧正月)もまた例年にない温暖な日々だった。参拝者が押し寄せる寺院では獅
子が舞い、市内要所の歩行者天国には延々と露店が並ぶ。その賑わいは「迎春祭
り」かのようである。
 何といっても圧巻は、市内全域に轟く爆竹音である。それも「千連発」型。直
径50cmの「連発打ち上げ」型を、昼夜を問わず団地広場や道路で破裂させる。
最初は新年の熱烈祝賀と思って耐えたが、耳に突き刺す連日の爆竹に「もうたく
さん」と逃げ出したくなる思いであった。

《中国人は縁起担ぎがお好き》
 「毎日、毎日、何が楽しいのか」と思うが、春節に心弾ませる人々は「この音
を聞かなければ春節が実感できない」という。わが集合住宅の住人も「去年の愁
いを吹き飛ばし、新年に福を呼び寄せる“まじない”だよ」と笑っていたが、五
千円、一万円もする大型の爆竹を放つ商売人たちは、さしずめ「千客万来」とい
う事だろう。
新年に先立つ大晦日の一日だけで「北京全体で集積された燃え空のゴミが900
トン」と報道。何事も規模のデカイ国だが、「縁起」担ぎの好きなは、悠久の歴
史による国民性でもあろう。日本人も門松、しめ縄を飾って悪霊を払うのが慣習
だから「動」「静」の違いはあるが、似た者同士である。

《爆竹という名称の由来》
 「爆竹」とは、その昔に竹を燃やして「パン、パン」と破裂させ、新年を楽し
んできた事に由来する。やがて竹筒に火薬が使われるように成り、今では花火型
に包装した大型連発へと変化してきた。華北一帯は、冬の厳しさによる迎春の喜
びが一際、大きいので途絶えることなく春節名物?と成っている。
北京市は首都の平静を保つため一度、爆竹を禁止した。しかし、反対世論に押さ
れて3年ほど前に再び解禁へと譲歩。かつては深夜にも破裂音が轟いたが、それ
が止んだのは市民の側も僅かとはいえ自重が覗える。

《いま何故、旧正月なのか》
 中国は、農民人口が80%を占める農民国家。革命後に元号を廃止して国際社
会に順じた西暦一本化した。が、最大人口の農民に配慮して旧暦の正月を今も踏
襲している。
 中国の四季は、日本より一ヶ月早く循環する。12月~1月に厳寒期が過ぎ、
2月に初春を迎えと農民の種まき準備が始まる時期に標準を合わせているとい
う事である。日本も一昔前まで中国伝来の元号による旧暦に沿って旧正月を祝っ
ていた。新暦に変っても真冬の最中、初春でもないのに年賀状に「賀春」「迎春」
と書くのは、その慣習であろう。
 
春節期間は2月18日~24日の一週間。北京市は、海外企業に対して「春節
は中国人にとっての重要な祝賀行事」である事に理解を求め、「期間中は中国人
を働かせてはいけない」旨の通知を出している。しかし、「一週間」という期間
は、北京市が独自に決めているに過ぎない。全国的に春節期間は、15日間が慣
例で「悠長な事、このうえなし」である。

《日本人口に匹敵する民族移動》
 中国の巨大人口を名実と共に実感するのが、春節を前に一斉に動き出す里帰り
である。列車もバスも鮨詰め状態で、「帰郷者は全国で一億人余」と報道してい
た。その規模は、日本人口に匹敵する人間が一斉に動くに等しく、「大民族移動」
と比喩されるのも過言ではない。
 
大方が内陸各地の農村への帰郷のため、行きも帰りも列車の乗車は20~30
時間が常識。気の遠くなるような長さである。北京の底辺労働やサービス業界は、
その男女で埋め尽くされている。一年ぶりに帰郷する人々は、ゆっくり家族と過
ごし、3月下旬まで戻らない人も多い。
 他方、ホテルや料理店などは少ない従業員で営業。雇主との合意とはいえ、交
代勤務の割り当てで帰郷できずに家族を想い、郷愁の念を抱きながら働き続ける
人も多いのが現状だ。

【取材メモ】日本の古代史研究によると、門松とは中国唐代の新年風俗だった。
「松と竹は厳寒に耐えて冬にも変色しない」中華思想に基づくが、それを遣唐使
が日本伝え、貴族社会から民衆の慣習へと定着したとされている。
 しめ縄とは、遠き弥生期に稲作に伴って伝来した渡来倭人の古代宗教がルーツ
と考えられている。それを裏付けるように古代に倭人が移住した東南アジアや朝
鮮半島の一部にも「しめ縄や鳥居の習慣が残っている」ようだ。その点は鳥越憲
三郎(大阪教育大教授)著の『中国と倭人』に詳しい。中国では、双方とも歴史
の流れに衰退し、完全消滅している。


◆歴史に培われた北京人の過剰な防犯感覚◆


 北京には、各区に警察署はあるが、日本のような派出所はない。昼夜の警官パ
トロールも殆ど見かけない。温暖な昼さがりに年輩婦人たちが、「治安巡回」の
腕章を巻いて団地周辺を“のんびり歩き”している程度である。それでいて「首
都北京は、治安が良い」というのが定説である。
 そうした現状とは逆に、北京人の住宅の玄関は何処も二重ドアであり、集合団
地1~2階の窓は、決まって鉄格子が張られる厳重さだ。そこに見る微妙な矛盾
を深く考えないまま、直感的に現金やパスポートを盗られてはお手上げなので、
その保管には神経を尖らせてきた。ところが二年近く北京に住んで空き巣の気配
も無ければ、実際に「泥棒に遭遇」した話も耳にしない。財布をすられたとか、
自転車を盗られたとか、他人話のコソドロばかりである。

《過敏症になる要因》
 開放政策による自由化は、「生活向上と引き換えに人心が荒廃」した。加えて
北京には、現金収入を求めて内陸部の農村から出稼ぎの外省人が300万人規模
で押し寄せている。都市に出た彼らは、食住の確保が先決だから食住付きの求人
に“潜り込む”ように就労する。北京に戸籍がある人は、月額6500円程度の
生活保護を受給できるが、戸籍のない出稼ぎ外省人は枠外である。職に就けずに
収入が得られなければ、生きるために乞食か泥棒に走るしかない。日本にも言葉
を話せない外国人が増え、職に就けないまま、生き抜くために泥棒に転落してし
まう事例と同様である。そんな情況下で「日本人は金持ちと思われているから注
意して下さい」などとアドバイスを受ければ、過敏症になるのも仕方ない。しか
し、2年近く北京に住んで「単なる思い込み」に過ぎないのではと、こんな実感
を深めている。

《日中は共に塀好き文化》
 中国の歴史は、遊牧民の侵入や王朝防衛のため万里の長城で国を遮断し、宮城
はもとより都市全体を高い塀で囲んできた。それに習って住居も土壁で囲んで防
備する4000年の長い習性を持つ世界でも特異な国である。
そこに示された伝統的な用心深さが、所得格差の拡大する現代において「備えあ
れば憂いなし」の防犯意識となって、再び市民社会に息を吹き返しているという
ことである。故毛沢東は生前、「制度が変っても旧社会から受け継がれた人の頭
は何も変わっていない」と語っている。現に日本の「塀好き文化」も中国の慣習
が伝来して生まれ、今に引き継がれている。

《偏見が生む用心深さ》
 また、中国の歴代王朝は、周辺国を「文化を持たない蛮人」と見下し、朝貢に
よって属国の認可を与えてきた。その優劣意識は「優れた家電、アニメを作る日
本人を優秀民族?」として接する反面、顔も服も汚い貧しい国内人民を見下す傾
向になって現れている。
 そんな蔑視による偏見が、都市貧民に対して「泥棒しかねない連中」と思い込
んでいる節がある。つまり、旧社会から引き継がれた防備観念と貧民への偏見が
先述した“過剰防犯”の住宅現象となっているというだ。

《日本人会にも強い偏見》
 その偏見は、現地日本人にも少なからず抱いていると思われる。その典型が一
昨年の日本人会主催の「秋祭り」の事である。
 旧知の中国人家族を誘って出かけたら、会場の日本人学校は門を閉ざし、「会
員の方以外は参加できません」という。押し問答の末、責任者が出て来て「会費
を払って登録すれば入場できますが、中国人は事前の参加登録が無い方はダメで
す」の一点張り。「垣根を造って選別しないと中国人は危ない」とばかりの偏見
である。日中友好を掲げてこの始末である。それでいて「日本人会は北京の情報
源」の言葉が巷に一人歩きしている。
 在米イスラム人に対して「テロをやりかねない人々」と疑惑を抱く米国。反日
デモが報道されて「中国人は反日感情が強い」と短慮に思い込んでしまう日本。
いずれも偏見と蔑視による社会現象である。

《貧民は必死に生きている》
 農村から出てきた彼らに直に接触すれば分る事だが、都市の人間に比べて極め
て素朴で純粋。物欲が少なく、窮乏生活に耐え抜く逞しさを備えている。同郷人
の連帯感も強い。それに北京には、最低1日10元(150円)以下で食える社
会基盤がある。だから北京人は、職がなくても薄給の底辺労働には、面子もあっ
てか、就かないのが実情である。

 外省人の流入を含めると北京の人口は約1500万人。うち底辺の貧民は、最
大に見積もって20%として300万人。仮に「その1%が食えずに泥棒に走る」
としても3万人。あえて女人や就労人口を除けば、せいぜい「数千人ではないか」
と思う。
「甘い」と言われるかも知れない。しかし、各種の建設現場で肉体を駆使して身
体を張り、実際に中国の経済建設を支えているのは、ほかならぬ農村からの出稼
ぎ労働者である。それに貧民たちは毎日、ゴミ集めや街の清掃、家政婦や警備員、
路上の小銭商売など精一杯、生きている。仮に北京で1万人が盗みに動けば被害
が蔓延し、「治安が良い」などとは、とても言えないはずである。

《貧富共存が北京の活力》
 警察も特別な任務でない限り、日本のように銃も警棒も携帯していない。丸腰
の気楽さを見ても「実際は思い込まれているほど泥棒は多くはないのでは...」
とも思える。
 「乞食や盗みの自由があるから貧民も生きていける」と寛容で心優しい北京人
も多い。改革開放から30年、「豊かに成れる者から豊かになってよい」とした
鄧小平の号令によって富裕層・中間層・貧民層が楕円状に浮き出た格好で共存し
ているのが、躍動する北京の活力源でもある。

【取材メモ】紀元前500年の昔に孔子は、「衣食足りて礼節を知る」と名言を
残している。現代の中国においても言い得て妙である。食えなければ礼儀も人々
の偏見も構っておれない。孔子が残した「富める人にも悩みが有る、貧しい人に
も楽しみが有る」との名言も然りである。そこに貧富の差を超えて共存する土俵
を成している。貧民にも等しく人権がある。日本人は自由な市場経済を是とする
なら蔑視、偏見からの脱皮が問われている。


◆中国人の髪?でお洒落する日本女性◆


 北京の古美術文化街「琉璃廠」。そこは日本人観光客も案内される場所だが、
その西街の奥には露天商いをしている人々が多い。いずれも北京の外から来て既
存商店の軒下を借り、道路にはみ出して骨董品や印鑑商売をやっている。
処場代、仕入れを差し引いても月額3万円程度の計上益があるので「勤めに出る
より少しまし」と聞く。貸す側も「処場代で家賃の補充益」になるので共存共栄
というわけだ。

《人間の髪を売買する商売》
 ところが来年の北京五輪に向けてか、市の道路整備に立ち退きを迫られ、何処
となく消えてしまった。昨年、晩秋の事である。
懇意にしていた董建氏(35歳)夫婦は、場所代えを考えたが空きがなく、郷里
の山東省に引き上げた。別れ際に「故郷にカツラを作る仕事が見つかりました。
最近の新ビジネスですが、稼ぎがいいようなので仕事替えです」という。詳しく
聞くと「人間の髪を買い上げ、カツラ加工する仕事」らしい。「夫婦仲良くお元
気で」と握手して別れたものの「人の髪など仕事になるのだろうか」と疑問に思
い続けていた。

《氷解した疑問》
 しばらくして東京の自宅に一時帰国したときだ。学生を謳歌している末娘が、
茶髪の長く奇妙な髪型をしているので「何だよ。その髪は...。うっとうしい
から切りなさい」と言うと笑いながらの返事がこうだ。
「これカツラだよ。今や皆やっている事で最近の流行だよ。髪は中国製らしいけ
どね」。娘によると茶染めの髪は、まさにホンモノ。美容院で自分の髪にうまく
セットしてくれるらしく、肩下まで長く伸びている。「バカ丸出しのお洒落」と
思うのは親父だけ。本人は得意顔でこうも言う。
「髪質によって値段は違うが、セット料含みで約1~2万円。寝る時も外す必要
は無く、洗髪も可能で概ね一ヶ月程度は大丈夫」と。
それより「中国製らしい」という娘の言葉が、北京を離れてカツラの仕事に転換
した夫婦と重なりあって抱いていた疑問が氷解したような気分である。

《自然に近い中国人の髪》
 日本では、今や髪を売る人も買い上げる人も居るはずない?と思う。しかし、
中国では一部地域で「女は20歳に成るまで髪を切らない習慣がある」と聞いて
いるし、チワン族自治区の苗族の女は、膝まで延びた長い髪で有名。小銭商売が
万余と存在する中国なら十分に有り得る話である。
 日本女性の髪は、パーマや染色、毎日のアサシャンで痛んでおり、髪型に金を
掛ける人が少ない中国人の髪の方が自然に近いのであろう。若い日本女性が毎月
ペースで、お洒落の髪を取り替えて売れていくなら「人の髪に需要アリ」である。
まさに山東省のカツラ事業とは案外、わが日本市場に需要があるに違いないと思
う。

《知られていない口紅の秘話》
 それにしても日中貿易は、いまや日本女性の「人間の髪」にまで及んでいるの
か、と一人笑ってしまった。女性は、大方が口紅の原料が何なのか知らないまま
毎日、自分の唇に塗っているように思える。同様に自分のカツラが誰の髪かも無
頓着のまま、頭を飾っているという事だろう。
 ついでながら日本の美容一筋40の年専門家から聞いた口紅に触れておく。旧
友の彼が吐露した話によると「口紅は、羊(マトン)の油に直物色素を加味して
染色加工したもの。羊の油は人間の肌に最も近い」そうである。その原価は安く、
店舗で1万円以上もするのは、「安いと売れない」女心を見込んでの事。化粧品
の大方が、広告宣伝にマインドコントロールされている。

【取材メモ】人類学者の埴原和郎東大教授は、「弥生期千年を通して渡来人の規
模は、縄文人30万人の4倍、120万人以上と推定される」としている。頭部
遺骨や土器の違いをシュミレーション算定したものである。
その仔細はともかく、日本人はコメを主食とし、漢字文化を共有し、古代から中
華文明に吸収してきた民族だ。その意味で日本女性が中国人の髪でお洒落しよう
が楽しければ問題はない。日中両国が歴史的に「帯衣の関係」にあった。それが
時代を経て再現されているに過ぎず、笑う方が古いのかも知れない。
ちなみに世界の化粧品が中国市場に進出するなか、資生堂製品の市場シエアは、
1%程度らしい。
               (筆者は東京北京藝術空間顧問・北京在住)

≪筆者紹介≫1944年三重県生まれ。還暦を契機に単身で北京に移住。中国と
歴史研究を趣味に「知る」を楽しんでいる。原稿に対する疑問、意見があればオ
ルタ編集部か、直接、筆者にメールすれば必ず返信される。メールアドレス:
taniyoji@yahoo.co.jp
                                                 目次へ