【コラム】大原雄の『流儀』

日本政治家の行動原理・思惑の政局/思惑の総選挙

大原 雄

11月7日の朝日新聞によると、欧州で再び新型コロナウイルスの感染者数が急増している(略)」という。「ドイツは、希望者全員に3回目のブースター接種をする方針を決めた」と伝えている。日本でも同様の動きがあり、いわゆる「ブースター接種」、つまり、3回目の接種の準備を進めている。接種開始は、来年早々。

一方、日本では、岸田文雄新首相のもと、解散総選挙が実施された。
菅義偉前首相は、1年前、安倍退陣という長期政権崩壊の政局を利用して、長年指定席として独占していた安倍内閣の常住ポスト「官房長官」から、派閥の力関係を利用して一気に総理大臣(首相)というポストへ上り詰めた。陰気な顔つきを武器に、菅義偉という政治家は、現在の政権運営に影響力を保持したい幹部官僚を始め、保守政治家(自民党役員幹部、閣僚ほか各委員会幹部)、保守系野党(日本維新の会など)にまで網を広げた、幅広い「人事管理」術を縦横に操り政界を生き抜いてきた。

ずいぶん強気の展開だな、と思っていたら、安倍時代の「官房長官」というイメージは、張り子の虎だったようで、張子の虎が描かれたアドバルーンが、空気の抜けたまま、まさに急速にしぼむように空中から落下し、タコからクラゲに変化したように、輪郭を曖昧にし、動かなくなってしまった。今では、アンパンのような、丸顔のあの「おっさん」は、誰だっけ、テレビやインターネットの画面でよく見かけた時代があったような気がするが、今では、名前が出てこない。ああ、思い出せない、というのが、嘘でもなく、本音で語られている世の中になってしまった。

こうした中で、10月末の衆議院議員の任期満了に伴う総選挙の時期が近づいてきた。菅前首相は、得意の「人事」(特に、自民党の党役員、組閣=閣僚選び)という「マジック」を仕掛けかけかけたものの、いつものようには軌道に乗らないまま脱輪してしまった。

やがて、コロナ禍対策という国民の生命と暮らしが、戦後最大の危機に直面しているというのに、これに対する適切な政策が取れず、「政策判断ミス」という政治家にとって致命的な不祥事が相次ぐ中で、既述のように「人事」不発が続いて、首相の「専任」事項(運用面では、権利化、特権化されているように見えるが、そうでは、無いであろう、と思う。なぜなら、本来は、国会で野党から突きつけられる内閣不信任案可決の際の、与党側のカウンターパワーとしてのみ、行使されるべきもののはずだったからである)の「解散」・総選挙も操縦不能に陥り、まず、自民党総裁選挙では、立候補表明をしないうちに、不出馬宣言までせざるを得ない党内状況にまで追い込まれていった。

9月29日に実施された自民党の総裁選挙は、1年前の総裁選挙では圧勝したはずの対抗馬・岸田文雄候補に、今度は、戦わずにして、逆に圧勝されてしまう、という、皮肉にも、なんとも悲惨なまでの、無様ぶりを披露することになった。1年前、自民党の派閥が、ほぼ総上げで担ぎ出したはずの菅政権は、砂上の楼閣であり、あっさり幻影の中に消えていってしまったのである。

 ★ マスク「解放事態」宣言(1)

マスクは、いつの間にか、コロナ禍対策では、世界中でワクチンに並ぶ有効な対処法になりましたね。最初は、日本人など、日頃からマスクをつける習慣のある人たちだけの着用だったと思います。その頃電車に乗ると、マスクをつけている人は、車内の何割くらいでしたかね。ところが、最近では、100%マスク族ばかりではないでしょうか。そういう状態が2年も続いたのです。これでは、いずれ迎えるコロナ禍からの解放事態宣言は、どういうタイミングで、どういう風にやれば、混乱なく平常に日常生活に戻れるようになるのでしょうか。

ある朝、目が覚めたら、世の中が変わっていた。新型コロナウイルスの「動き」が抑制的になってから、どのくらい経つのか。ウイルス蔓延の「非常事態」の状態では、日本列島の新たな感染者と、東京を軸とする首都圏の感染者数、重症化した患者数、亡くなった患者数などを、日々の新聞だけでなく、インターネット、テレビ・ラジオなどでも、繰り返し確認していたのが、今や、夢のよう。いや、時空の彼方に流れ過ぎ、1、2ヶ月も経っていない、と思われる(もはや、曖昧。人間なんて、勝手なものだ)時空も、遠い大昔のような気がする。それでいて、一方では、第6波のコロナ来襲を警戒する気持ちも、極めてリアルに持ち続けているから、不思議である。

このようにして、ある朝、目が覚めたら、世の中が変わっていたことに気がついたのだ。なぜ気がついたか。朝、目覚めても、定年退職した身には、朝食もそこそこに慌てて出勤服に着替えて、満員電車の乗り込み、都心のオフィースへ出かけなければならないようなことはないが、それでも、朝は、普通に起床し、テレビを見ながら、パンとコーヒー、茹で卵、サラダとスープなどで朝食をとるのが、日課だ。

その「ある朝」は、そういう朝の時間の食事をしながら、目に飛び込んでくるテレビの映像を見ていたら、テレビ画面の様子の、何かが、いつもと違うような「違和感」が、眼球に突き刺さってくるような気がしたのだ。寝ぼけ眼のせいか、と最初は思ったのだが、眠気が薄らいでも、まだ、違和感が残るのである。なんなんだろうか。私の目を射たものとは?

 ★ 東京国際映画祭 ~香港の時代革命~

去年まで、東京・六本木で開かれていた東京国際映画祭が、第34回の今年から、銀座へ進出した。去年までの六本木地区を中心とした会場から日比谷、有楽町、銀座地区へ、新たな展開をしたことになる。映画祭の開催期間は、10月30日から11月8日まで。

東京国際映画祭と並行して開かれた第22回東京フィルメックスでは、香港の民主化運動を記録した『時代革命』(REVOLUTION OF OUR TIMS)が、上映された。香港の周冠威(キウィ・チョウ Kiwi CHOW)監督。2021年作品。152分。長編ドキュメンタリー。以下、東京国際映画祭で公表されたデータをもとに記載する。

2019年、「逃亡犯条例」改正案は、香港を中国の権威主義的支配に対する戦場へと変えた。その法案が提出された後、香港市民たちは、どのような抵抗運動を展開したのか。『時代革命』は、その歴史的背景を踏まえながら、抵抗運動の最前線で闘った若者たちの姿を中心に描いたドキュメンタリー作品。監督のキウィ・チョウ以外の制作スタッフの名前は、身の安全確保のため、明かされていない。2019年以降の抵抗運動は、戦術的に独特の工夫がなされた。「分権化されたリーダーシップ」、柔軟な戦術を意味する「水になる」、領土全体を使った運動を展開する「どこでも開花する」などの特徴や指針を持っていた。映画では、役割やリーダーシップが分権化された運動家たちのうち、いくつかのグループや個人を追いかけ、この抵抗運動の多様な動きから、運動の全体像を捉えようとした。

上映後、満席の有楽町朝日ホールは大きな拍手に包まれた、という(11月8日付朝日新聞記事)。この映画は、香港の周冠威(キウィ・チョウ)監督のドキュメンタリー作品。中国当局による市民の自由への締め付けで自由が削ぎ落とされて行く香港で起きた市民による抵抗運動を映像で記録した作品。映画の上映予定は、前日になって初めて公表された。『時代革命』は、中国当局の情報筋の動きを警戒しつつ、11月7日に映画祭の特別上映作品として披露された。

私も、開催期間前に取材用のプレスパスを受け取りに東京・東銀座の東劇ビルまで行ってきたが、今年は、家族の体調が不安定で、介助に時間を割かなければならないことが多く、なかなか会場まで足を運べない、という残念な年になった。

 ★ 蝉の声 コロナの声

蝉の声が聞こえなくなったと思ったら、いつの間にか、コロナ禍の感染者も減ってきていた。日本医師会の幹部役員(常任理事)である釜萢 敏(かまやち さとし)さんが、確かに言っていたことだと思うが、コロナ禍の急激な沈静化は、謎であるらしい。新聞のインタビュー記事だったと思うが、いま、手元に現物がないので、記憶のまま、概説を書いてみる。彼は、日本医師会の「感染症危機管理対策・予防接種」担当である。

彼の話では、感染者の数で表示されるコロナ感染激少のデータを見ると、小型コロナウイルス感染は、第5波には人類もかなり翻弄され続けているが、このところ日本などでは、かなり急激に減っているようであるが、なぜ、いま、そうなったのかは、確証がつかめないようである。ウイルスの連鎖の輪が、なぜか今回、断ち切られたことは間違いないが、その原因は、まだ、決め手がつかめないらしい。ワクチン接種の進捗も、効果は大きかったろうが、決め手というほどではないらしい。首都圏などの都心部での人の流れ(いわゆる人出)が、ようやく抑制されてきた、ということも大きく影響しているだろう。しかし、何はともあれ、ウイルスの活動が、抑制的になったことには、誰も文句は言うまい。まあ、皆さん、ご同慶の至りであろう。

下げ止まり。東京では、新たな感染者数は、20人台が続いている。しかし、近づく冬の季節を前に、リバウンドなどのコロナ大流行に備えて、行政側は、医師会と協力してブースター接種などの準備を進めている。

だが、これでデルタ株に象徴されるコロナ感染の第5波が、収束したのかどうかは、まだ、判らない。デルタ株が、収束されたとしても、「大原雄の『流儀』」の連載でも取り上げてきたように、デルタ株のさらなる変異株の出現の兆しはあるわけだし、ラムダ株やミュー株などのコロナウイルスの別の変異株の姿も、散らしている、というのが、現況であるらしい。

 ★ コロナ禍、収束? いや、リバウンド要警戒!

感染症の専門家たちは、日本列島を包むコロナ禍への抑制的な「一時期」を相変わらず、警戒している。専門家も断言できない理由で、コロナウイルスの連鎖が断ち切られた結果、たまたま、保たれている状態とでも言えば、良いのだろうか。長めのスパンで見る感染者の棒グラフは、第5波の感染期では、ひときわ大きく高い山が、左右のシンメトリーを描きながら屹立しているが、その先には、今のところ、「幻」の第6波があるのかもしれない。第5波後の過ごし方次第では、日本列島は、より凄まじい第6波が待っているとでもいうのだろうか。コロナ禍は、収束していないのかもしれない。感染症の専門家たちは、リバウンドとしての第6波を警戒している。冒頭触れたように、ヨーロッパでは、すでに、その兆候が出始めている、と欧米のメディアは、伝えている。

 ★ 贅言; 岸田政権誕生を巡るクロニクル

ここで、日本列島の政治状況の素描を挟んでおきたい。
以下、贅言(ついでの、「注」という意味)。

自民党総裁選挙2021:
・告示/9月17日。
・立候補:河野太郎、岸田文雄、高市早苗、野田聖子。
・投票/
 (国会議員):9月29日。
 (会員・会友):事前(9・28締め切り)の郵送による投票。
・開票/全て、9月29日。
 今回は、決選投票(国会議員・党都道府県連代表)となった。
・開票結果/
 総裁選挙は、国会議員票(総数382)と全国の党員・党友による党員票(総数は、110万余票だが、いわゆる「ドント方式」[注]により、382票に按分され、候補者に配分される。

[注]「ドント方式」とは、例えば以下の通り。例示の表は、栃木県選挙管理委員会ホームページより引用。

図版 215_04-6-01 表示  *土居 ↓の 注)は表に付随するものです

画像の説明
 注)【 】の中の数字は、「商」の大きい順(当選順位)を示している。

さて、自民党の総裁選挙。気になる投票結果は?
1回目の投票結果は、次の通り。

 河野太郎候補:255票(議員票 86、党員票169)。
 岸田文雄候補:256票(議員票146、党員票110)。
 高市早苗候補:188票(議員票114、党員票 74)。
 野田聖子候補: 63票(議員票 34、党員票 29)。

有効投票総数764票の過半数(382)を超える得票のあった候補者がいなかった。
そこで、規定により、上位2人の岸田候補、河野候補による決選投票となった。

引き続き行われた決選投票(議員票382、地方の都道府県連票47。総数429)では、過半数は、215となる。
開票の結果は、次の通り。

 岸田候補が257票(議員票249、都道府県連票8)。
 河野候補が170票(議員票131、都道府県連票39)。

この結果、過半数を超えた岸田候補が新総裁に選ばれた。

自民党の岸田文雄新総裁は、10・4の臨時国会での首班指名で、第100代総理大臣(首相)に選ばれた。総選挙後、内閣は、一旦総辞職し、第2次岸田内閣として組閣し直す。岸田文雄は、11・10の特別国会で、101代総理大臣に指名された。内閣は、外務大臣から自民党ナンバー2の幹事長に就任した茂木敏充の後釜として、岸田側近の林芳正を外務大臣とする以外は、みな、再任の閣僚で組閣し直された。

・組閣/自民党総裁になると、議院内閣制度を取っている日本の政界では、新総裁が臨時国会で内閣総理大臣に選ばれた後、組閣に入る。

自民党の党役員人事では、安倍・菅という長期継承政権が続き、首相も在任が長ければ、そのパートナー役の官房長官も長い。二人が長ければ、政治力学(パワーポリティックス)的に、自民党の党内のパワーバランス維持のためにも、総裁に次ぐポストの幹事長も長くなる、ということで、和歌山県の地方議員から党の実力者に這い上がった二階幹事長が居座っていたポストの「首」が、やっと斬られた。
代わりに、先祖に甲州の戦国武将を誇る甘利一族の末裔・甘利幹事長が座った。座ったと思ったら、解散・総選挙では、幹事長自らが小選挙区で落選となってしまったから、さあ、大変。「泥鰌が出てきて、こんにちは」、と大騒ぎ。戦国武将出身の幹事長は、武将らしい戦陣訓も残さずに、早々と退陣表明。
代わりに、国際通の茂木外務大臣が、棚ぼた式に落ちてきた幹事長ポストをぱっくりと、一呑み。このうまいものは何か、と吟味する暇を周りの者に与えずに、取られてたまるかと、一呑みでは、足りないとばかりに、喉を何度も鳴らしながら、記者会見。泥鰌でござんす、記者の皆さん、今後ともよろしく。

1年前の自民党総裁選挙では、一敗地にまみれた(本来のことばの意味は、「二度と立ち上がれないほど大敗してしまう」という)はずが、余力のある岸田文雄氏は、1年前の雪辱を晴らそうと、菅首相に対抗してでも、総裁選挙に出ようと準備していた足回りの良さで、今回は、なんと、多数派閥公認の総裁候補となり、総裁本命を謳われていた河野太郎氏を「派閥の力の論理」という馬車で蹴散らしながら、うまいこと王座を射止めたのである。
この「派閥論理の馬車」は、車輪が素晴らしく、どんな乗客をも厭わず、気に入ったら、とことん面倒を見てくれるらしい。去年の顧客など忘れたかのごとく、機嫌よく、今回は、今宵の客こそ、本命とばかりに走り出してくれて、見事、1年前のお客の恨みを晴らしてくれたのである。

 ★ 今宵は、短くて……岸田内閣の組閣人事

10月4日に発足した岸田内閣名簿は、以下の通り。首相官邸ホームページより転載。後に、外務大臣の茂木敏充は、自民党の幹事長に転身。総選挙後の内閣改造まで、暫定的に、岸田首相が外務大臣を兼任した。外務大臣の新任は、岸田の側近、林芳正。以下、引用。

読売新聞によると、(岸田)首相は茂木氏が幹事長に就任した翌日の5日夕には、さっそく安倍、麻生両氏に電話で林氏の起用案を伝え、理解を求めた。ただ、2人とも林氏が2017年12月から日中友好議員連盟の会長を務めていることなどを問題視し、「対中関係で国際社会に間違ったメッセージを与えかねない」と慎重な意見だった、という。
 それでも岸田首相が譲らなかったのは、岸田派からの重要閣僚抜てきで閣内のバランスをとる狙いがあったとみられる。閣内では、官房長官や財務相を細田派や麻生派から登用している。林氏は首相が率いる岸田派でナンバー2の座長を務め、岸田首相は「気心の知れた頼れる人に閣内にいてほしい」と周囲に漏らしていた。閣僚応接室では、首相右隣の「ナンバー3」の席に座ることになった、という。以上、引用終わり。林外相は、側近を形にする(見える化)布陣か。

 内閣総理大臣:岸田文雄
 外務大臣:茂木敏充/林芳正
 総務大臣:金子恭之
 法務大臣:古川禎久
 財務大臣:鈴木俊一
 文部科学大臣:末松信介
 厚生労働大臣:後藤茂之
 農林水産大臣:金子原二郎
 経済産業大臣:萩生田光一
 国土交通大臣:斉藤鉄夫
 環境大臣:山口壯
 防衛大臣:岸信夫
 内閣官房長官:松野博一
 デジタル大臣:牧島かれん
 復興大臣:西銘恒三郎 
 国家公安委員会委員長:二之湯智
 少子化担当大臣:野田聖子
 経済再生担当大臣:山際大志郎
 経済安全保障担当大臣:小林鷹之
 ワクチン接種担当大臣:堀内詔子
 博覧会担当大臣:若宮健嗣

 ★ 十日後

10・4。時間を巻き戻して、10日後、衆議院は10月14日、午後に解散され、与野党は事実上の選挙戦に入った。

* 衆議院解散/
解散総選挙のシステムでは、解散日から40日以内に衆議院選挙が行われる。今回の総選挙は、「10月19日公示-31日投・開票」の日程で実施することになった。岸田文雄新首相は就任して10日後に解散に踏み切った、訳である。解散から投開票までは17日間ということで、戦後最短の記録になった。

*「解散」とは?/
日本国憲法には、衆議院の解散は、内閣の助言と承認により天皇が行う「国事行為」のひとつと定められている。

*「解散・総選挙」/
公職選挙法では、「解散から四十日以内に」総選挙を行うことが定められている。

*「任期満了・総選挙」/
公職選挙法では、「衆議院議員の任期満了に因る総選挙は、議員の任期が終る日の前三十日以内に行う」、さらに「前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から二十三日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から二十四日以後三十日以内に行う」。

* 総選挙公示/
公職選挙法では、「総選挙の期日は、少なくとも十二日前には公示しなければならない」と定められている。

このように解散後の日程は、非常に細かく決められているため、解散が行われるとすぐに選挙に向けての準備が始まる。
岸田首相は、菅前首相とは、「思惑」を異にしていたため、任期満了選挙を選ばず、解散総選挙を選んでいた。短期決戦を制する思惑があったのだろう。

* 今回の解散総選挙/
総選挙は、10月19日公示で、31日投・開票と決められ、19日以降、30日までの12日間の選挙戦に突入した。

 ★ ツワモノどもが夢の跡

夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)。奥州・平泉。奥州藤原氏が繁栄を築いた地。義経逃避行。兄の源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せた。

2021年総選挙の結果は、以下の通り。
NHKのテレビ画面を参考・引用した。
テレビなので、当選者の丸い札は色分けされている。

色分けは、以下の通り。
 自民:赤。公明:若紫。立民:青。共産:紫。維新:オレンジ。
 国民:藍。れ新:薄いピンク。社民:深緑。(以下、略)

    選挙前勢力  今回
 --------------------------
  自民   276   261
  公明    29    32
  立民   109    96
  共産    12    10
  維新    11    41
  国民    8    11
  れ新    1    3
  社民    1    1
  N党    1    0

さて、この表をどう読み解くか。読み解き方で、色々な世界が見えてきそうだが、ここは、大原流で、いくつかポイントを決めて、読んでいくことにしたい。この部分では、党派は、表の表記を優先させて、「自民党」を「自民」、「立憲民主」を「立民」、「国民民主」を「国民」、「れいわ新撰組」を「れ新」などと呼ぶ。

思いつくままに、私なりのポイントをチェックしてみよう。

1)総選挙2021。さて、実は、どの党派が勝ったのか。

まず、私の感性では、自民は、選挙前から比べると、15議席減であるから、いくら自民党の岸田総裁ら幹部が、絶対安定多数を確保したから勝利だとキャンペーン的に強弁しても、それは、屁理屈というものだと、思う。負けた責任論も党内では、出てきていないようだが、これでは、次への進展は望めない。これは、将来性を自ら閉じる行為であって、こういうことを平気でやるようでは、この政党に未来はない。

次に、野党筆頭の立憲民主は、どうか。これも、選挙前から見ると、13議席減だから、やはり敗北である。立憲民主に未来があるのは、負けても、それを率直に認めて、枝野幸男代表が、党内の一部の声を受け止めて、辞意を表明したことである。リアルな認識ができるということは、ものごとを判断する時の基本の「き」だからである。そういう意味で、今回の総選挙では、自民、立民は、ともに「敗北」したのである。共産も、12議席から10議席へと2議席も減じているから、やはり、敗北。しかし、この政党では、責任者の処遇が問題化されることはない。昔からの体質。これが改革されないと、この党も、将来が厳しい。

では、勝利したのは、どこか。というと、政権与党で、毎回独自の組織選挙を仕掛けてくる公明は、29議席を32議席へと、3議席も伸ばしたので、勝利。国民民主は、8議席を11議席へと、3議席伸ばして、勝利。そして、何よりも、躍進したのが、維新である。11議席を41議席へ。およそ4倍の30議席増という躍進ぶりではないか。

2)日本維新の会の「勝利」とは?
大阪の地方政党であり、大阪府構想など大阪独自の政治課題をかがけて、政治活動をしてきた維新が、今回は、なぜ躍進したのか。維新の30議席増の半分の当たる15議席は、実は、地元の大阪の自民票を剥ぎ取ったのである。その結果、衆議院では、自民の15議席を剥ぎ取ったのである。以下、毎日新聞など大阪で取材している新聞社の記事を参照しながら、事情を読んで行きたい。

「衆院選で議席を減らしながらも堅調だった自民党は、日本維新の会が席巻した大阪府内では、候補を擁立した15選挙区で全敗した。同党候補が府内の選挙区で1勝もできなかったのは、1955年の結党以降に行われた計22回の総選挙では初めての事態だった」(毎日新聞から引用)。この、大阪自民党の歴史的惨敗は、全国的な「維新旋風」だけでなく、自民側の事情も大きく影響している、と毎日新聞は、伝える。

以下、引用。
「大阪では大変厳しい結果となった。本当に申し訳ありません」。大阪9区で自民の原田憲治氏(73)は10月31日夜、維新の足立康史氏(56)に敗れ、事務所に集まった支援者に頭を下げた。比例候補に適用される「73歳定年制」の党の内規により比例重複立候補もなく、通算4期務めた議席を失った。自民の府連会長を務める原田氏は「選挙全体の面倒を全く見られなかった」と述べ、会長辞任も表明。府内の選挙結果への受け止めを尋ねる記者団を振り切るように、足早に事務所から立ち去り、ショックの大きさをうかがわせた。

自民と維新はともに、府内全19選挙区のうち、公明党候補がいる4選挙区を除く15選挙区で候補を立てた。15人の候補者の得票総数は、自民は約100万票で、約158万票の維新に大きく水をあけられた。なんと、1.6倍の得票を維新に許したのである。

旧民主党が政権交代を果たした2009年衆院選でさえ、自民は比例復活3人を含めた計4人を当選させたが、今回は比例復活の2人だけだった。以上、引用終わり。

維新は、立民からも13議席を剥ぎ取る。大阪では、立憲民主の有能な「国会質問の女傑」ともいうべき、闘士として豊かな感性を持った女性議員である辻元清美も落選した。維新旋風で水面が上がった当選ラインに負けてしまったのだろう。毎日新聞から、引用。
(辻元)「あほやった、私……」。衆院選で議席を失った立憲民主党副代表の辻元清美さん(61)が東京・永田町を去る日、しみじみと反省を口にした。充血した目にむろん悔しさは色濃くにじんでいたが、自身におごりと過信があった、としきりに振り返るのである。引用終わり。

NHKが準備した大阪の速報板からは、自民の「赤」とともに立民の「青」の丸い表示も全て消えてしまった。画面に残っているのは、維新の「オレンジ」色の15議席と公明の「若紫」色の4議席を表示するもの2色だけであった。この2色だけの配色ぶりは、全国のどこの小選挙区でも、見られなかった奇妙な現象だった。大阪では、維新が自民と入れ替わったことになる。これの意味するところは何か。

維新の「躍進」の背景には、自公の与党と立民を軸とする保革二大政党時代に反発する声が高まっていることを物語っている、という一面もあるだろう。自民党も嫌だが、立憲民主や共産も、肌に合わない、という若い世代が声を上げ始めているのだろう。そこへ、第三極の維新が受け皿を差し出した、という説である。しかし、本当にそうであろうか。
今回の総選挙では、東京で見ていると、維新というより、大阪府の吉村知事のコロナ対応の奮戦ぶりが評価されただけではないのか。維新ブームというより、吉村ブームである。したがって、吉村ブームは、やがてくるコロナ抑制成功の暁には、いずれ消え去るのではないだろうか。それとも、現代日本社会の右傾化を象徴するなら、維新と国民の躍進は、さらなる右傾化の前兆なのだろうか。

3)日本維新の会と国民民主党の議席増。
すでに触れたように、維新と国民を合わせた議席は、選挙前の19議席が、52議席へと、2.7倍の増加である。朝日新聞社は、6日、7日と全国世論調査(電話)を実施したが、これだけ政権運営ぶりが批判されながら、また、問題行動をする所属議員が相次いで出てくる自民党だが、選挙結果は、敗北意識が弱い。それを裏付ける、と思われるデータがある。朝日の世論調査の結果である。特に、2項目の設問への答えが、私には興味深い。

問:「衆院選で自民が過半数を大きく超える議席を獲得したことは、」
答:「よかった」           47%
  「よくなかった」         34%
問:「自民が過半数を大きく超える議席を獲得したのは、」
答:「自公連立政権が評価されたから」 19%
  「野党に期待できないから」    65%

自民支持者を含め、世の中は、新型コロナウイルスに来襲された地球の人類や日本人は、それぞれのアイデンティティに基づき、一体感を深めながら、頼りにならない他者を排除し、身内意識を高め、保守化というか、右傾化を歓迎する機運があるのではないか。

特に、「野党に期待ができない」という状況認識の持ち主たちが、自民党の支持層で69%というのは、そうだろうなと予測もつくが、同じく「野党に期待ができない」という認識が、立憲民主党の支持層で70%もいるということは、きちんと分析する必要がある。維新が第三極のポストを占めたことは、吉村ブームに合わせて、「維新への期待」が、40%、「ほかの政党に期待できない」が、46%もいることに注目しなければならない。

私が気になるのは、世論調査で、岸田内閣のもとで憲法改定をすることに「賛成」という人が40%、反対が36%だった、ということだ。朝日新聞が去年1月、安倍政権下で憲法改定の賛否を聞いたところ、賛成が32%、反対が50%だったという。賛成が増えた。反対が減った。これも、日本国民の保守化、右傾化の度合いを見る貴重なメルクマールになるだろう。

さっそく、維新と国民の連携が始まった。11・9、朝日新聞夕刊記事から引用。日本維新の会と国民民主党の幹事長、国会対策委員長が9日午前、国会内で会談した。憲法改正(ママ)の議論を進めること(略)などの国会運営で協力していくことを確認した。」という。「この日の会談では、憲法改正に向けた衆参両院の憲法審査会を国会開会中は毎週の定例日に開くよう、自民党などに働きかけることに合意した。」という。(議席増となった両党は、)「立憲民主党を中心とする『野党国会対策委員長会議』の枠組みから離脱した。両党と自民党を合わせると、衆院では公明党を除いても憲法改正(ママ)の国会発議に必要な総定数の3分の2(310議席)を超える。引用終わり。

4)自民党の派閥は、再編されるか?
自民党内には、現在、7つの派閥がある。各派閥は、今回の総選挙で所属議員が落選したり、引退したりしたことに伴って、いずれも選挙前と比べて人数が減った。自民党は、昔から派閥の集散融合でエネルギーを蓄え、ほかの政党のように、息絶えることなく、たくましく永らえてきた政党である。

このため各派閥は、勢力の回復を目指していて、目下、党内では、初当選した30人余りの新人の取り込みに懸命である。支援組織などのつながりなどを通じて、入会を促す動きが活発になっている、という。

自民党の議席減を派閥の論理が、食い止めるような力を発揮するのだろう。自民党という政党は。このカラクリに、自民党が長期安定する要因があるように思える。

一方、最大派閥 細田派の会長の細田元幹事長は、大島議長の後釜の新たな衆議院議長への就任が有力視されている(総選挙後の特別国会で、11・10に就任した)ため、派内では、安倍元首相の派閥への復帰を期待する(復帰した)声が強まっている、という。細田派は、「安倍派」になる。

また竹下派は、NHK記者出身で派閥の会長を務めた竹下元総務会長が9月に亡くなったあと、空席のままとなっている会長を決めることにしている。茂木幹事長が派閥の会長代行を務めていることも踏まえて、検討が進められる、という。茂木幹事長は、外務大臣再任から、1ヶ月も経たぬのに人事異動となった。

『外務大臣  茂木敏充    令和3年10月4日~令和3年11月4日』

首相官邸のホームページには、上記のような告知が出た。二階元幹事長を追い出した甘利前幹事長、甘利前幹事長を追い出した茂木幹事長。1ヶ月ほどの政治の動きの一コマ。これが政治の時代の実相なのだろう。

さて、さらに石原派では、会長の石原元幹事長が衆議院選挙小選挙区で落選し、比例区での復活もなかったことから、ほかの派閥との連携も含めて、今後の派閥運営をめぐる議論が始まっている。自民党内では、派閥の再編の気運が高まる気配がある、という。派閥政治こそ、自民政治の真髄である。派閥廃止論が掲げられた時代もあったけれど、結局掛け声ばかりで、派閥政治は無くならない。

5)革新統一候補「再論」か?
すでに触れたように、立憲民主党の枝野代表は、辞任を表明した。枝野代表は、「革新統一候補」路線を推し進めてきた。「革新統一」というイメージは、60年代から70年代前半の日本の政治で使われ始めた選挙戦術で、日本社会党と日本共産党を主軸とする、いわゆる「革新」勢力の候補者を一本化した選挙運動やその体制のことをいう。

先ほどの朝日の世論調査結果では、これをどういう風に見ているのであろうか。

以下、引用。
立憲民主党執行部は枝野幸男代表の辞意表明に伴う代表選日程について「11月19日告示、30日投・開票」とする方針を固めた、という。複数の党関係者が10日、明らかにした。党代表選管理委員会(委員長・難波奨二参院議員)が詳細な代表選日程を調整。12日に臨時常任幹事会を開いて正式決定する、という。以上、引用終わり。

朝日の世論調査の結果。立憲や共産など野党5党が候補者の一本化を進めてきた。来夏の参院選挙では、引き続き「一本化を進めるべきだ」と答えた人は、27%にとどまり、「そうは思わない」という人が、51%だった。革新統一候補論は、共産党の参加と合わせて、もっと十分に分析すべき課題かもしれない。特に、立憲民主党の支持層では、まだ、支持が47%と高めだが、無党派層では、21%と低い。革新統一候補論は、不完全燃焼気味ではないのか。立憲民主党のリーダーが若返るのなら、フレッシュな感覚で、この論点も、議論し直して欲しい。

6)マスメディアの「右傾化」
11・1、産経新聞記事より引用。
見出しは、「統一候補の勝率3割」(11/1(月)19:34配信)。以下、引用。

今回の衆院選で対決パターン別に与野党の勝敗を分析したところ、立憲民主や共産など野党5党が統一候補を擁立した213選挙区のうち、保守系無所属を含む自民または公明のいわゆる与党系候補は、約65%にあたる139選挙区で勝利したことが分かった。これに対し、(革新)統一候補は約28%の59選挙区でしか勝てず、野党共闘の効果が限定的だったことを裏付けた。

213選挙区を地域別にみると、北海道は官公労が強い地域とあって、統一候補を擁立した9選挙区中、自公4勝、立民5勝と野党5党側が勝ち越した。東京では革新系の影響力が残っているが、与党系10勝なのに対し、統一候補は7勝と及ばなかった。

保守地盤が強固な西日本では、日本維新の会が幅を利かす大阪府を除き、中国地方で統一候補は14選挙区中1勝、四国では8選挙区中2勝しかできなかった。九州でも自民16勝なのに対し、統一候補は6勝にとどまるなど、野党が束になって掛かっても、与党側は寄せ付けなかった。

135選挙区に上る事実上の与野党一騎打ちでも、与党系が96勝なのに対し、野党系は39勝と振るわなかった。

一方、野党5党から複数の候補者が出た72選挙区ついては、与党59勝に対し、野党5党側はわずか6勝と無残な結果に終わった。

これらの選挙区については、反自民票が分散したために5野党側が敗北したとは必ずしも言えず、5野党で候補者を一本化した場合の票数を単純計算で足し合わせた場合、与党候補を上回ったのは5選挙区だけだった。与党に太刀打ちできないと判断した選挙区については、あえて候補者調整をせずに、比例票の掘り起こしを優先させた可能性がある。

今回の衆院選結果は、立民が組織票目当てで共産などと組んでも、票の上積みには限界があり、地力に勝る自民を負かすには、旧民主時代から言われ続けてきた、党の足腰となる地方組織の強化が急務であることを改めて突き付けたといえる(坂井広志)。以上、引用終わり。

産経新聞記事を引用したが、表現などに違和感が残った。
産経、フジテレビなど右傾のマスメディアは、革新統一候補批判キャンペーンを始めたらしい、という声が聞こえてきた。狙いは、何なのか? 引き続き、分析して行きたい。

 ★ マスク「解放事態」宣言(2)

私もそうだが、コロナ禍からの自己防衛方法として、「ステイホーム」を実践している人は多いでしょう。家の中に閉じこもっているから、人間は新しい習慣を作り出すことになります。例えば、家庭内感染を恐れれば、マスクを常用するようになる。そうなると、一人で暮らしていても、四六時中、マスクを付けています。家で付けたり外したりしていると、外に出たとき、マスクを付け忘れてしまうことが度々あるからでしょう。私も、マスク不着用に気づき、慌てて引き返したこともあります。それを避けようとすると、マスクは、常時付けたままにしているのが良いだろう、ということになります。新しい発見。いまでは私は、マスクは眠っているときでも付けています。夜、眠っている間でも喉を守り、幼い頃から悩まされてきた扁桃腺が腫れたりするのを防いでくれることが判ったからです。もう、私の生活では、マスクは、すでに顔の一部になってしまった、ようです。

マスクを付けたら、付け外しが面倒になり、私は、ヒゲがマスクの下に隠れてしまうことを利用してめったに髭を剃らなくなった。その結果、ある朝、マスクを外してみたら私の鼻は、男性器のように垂れ下がる器官になり変わっていた。鼻の下の無精髭、顎の周りの無精髭、頬にまで生えた無精髭がマスクの下から現れた。さらに、私の口の周りは、結構毛だらけ、猫灰だらけ。顔の下半分が、隠毛のような髭に囲まれてしまっている。口は、女性器を横にして結んだようになっているではないか。歯の無い口。口の中が肌色に輝き、誠に美しい。マスクの下は、常用するマスクに隠れることをいいように利用して、髭を剃るのを億劫に思うようになり、無精髭を伸ばしに伸ばしてきたから、マスクの中は、まるで下着の中の隠毛群のようになっていたのだ。マスクを付けていたら、顔で通用するのに、マスクを取ると下半身の付け根がむき出しとなったようになってしまう。これからは、顔にはマスクならぬパンツこそ必要だ。マスクをしていると顔にパンツを履くようになる。こうなると、下のパンツは、どうなるのか。パンツ不要論? これぞ、「パンツ」解放事態宣言、いや、「マスク」解放事態宣言だったか、それを発出する政治家が効果的な方法を考えるべきことになるだろうか。

これで、国民みなが、一斉に「マスク解放」をしたら、街中、こういう脱マスク族ばかりが、闊歩するようになるんじゃないですか。いまから、マスク解放事態のことを想定して取るべき対応策を予想すると、ジョークではなく、真面目に心配になる。

 ★ 「思惑」が現代政治のキーワード

菅前首相の思惑は、「オリンピック開催」「そのブームに乗って、解散総選挙」、自民党の総裁選挙では、無投票当選を目論んでいたが、失敗した。現実は、解散もできず、任期満了選挙論へ。

任期満了・総選挙は、前首相だった菅を基軸とする内閣が選択したが、菅前首相の失政果ての自民党総裁選挙不出馬の判断で、実現できないまま、退陣となった。任期満了もできないまま、総裁選不出馬で、政治生命を削ってしまった。

岸田首相の思惑は、痛手の菅首相の足を引っ張るべく、去年の総裁選挙で負けた菅を相手に、捨て身の総裁選挙出馬声明を早めに仕掛けていたところで、菅不出馬という棚ボタの首相の座が飛び込んできた。捨て身が生み出したメリットを最大限に生かす戦術が功を奏した。

総裁選挙では、河野太郎という次世代の総裁候補有力馬が、菅不出馬声明後にのこのこ出てきたため、河野はその不徹底ぶりが祟って、結局、国会議員団にそっぽを向かれてしまい、自滅してしまった。政治家仲間のコモンセンスを読み間違えると、異端児として排除されてしまうらしい。今回、それを私たちは目の当たりに見たことになる。

河野太郎候補の思惑は、安全地帯で総裁戦に臨んでいる後ろ姿が、見栄えせず、後ろから覗いていた野次馬連の誰かに、斬り付けられて討ち死に。

「思惑」も、現代日本政治では、状況を変える座標軸のキーワードになるようだ。

解散・総選挙は、今回岸田内閣が選択したが、日本国憲法が規定する議院内閣制では、本来の解散権は、岸田内閣が選択したものとは違うものである。

内閣不信任案と解散権は、チェック&バランスが、必要だ。菅前首相は、「人事」も「解散」もできず、存在感を消していた。任期満了の総選挙を目論まざるを得なくなっていた。菅の失政は、状況判断の不出来に収斂されると、私は思う。特に、コロナ禍の失敗は、大きかった。菅政権の前の安倍政権のときに中国・武漢から感染が始まったが、日本列島は、検疫の水際作戦で後手に回り、ウイルスの移入を防げなかった。

思惑の事情は、以下のようなことが推測される。

菅の事情:コロナ禍対策の失敗。
自民党の総裁選挙事情:総選挙を控え、総裁を替えるべし。
岸田候補の思惑: 起死(岸)回生、「対菅」状況の中、最後の立候補のつもりで、準備していたのが、大当たり。強運の岸田と石破との違いは、大きい。解散と総選挙の組み合わせをこそ、岸田は望んでいたのだろう。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者)、日本ペンクラブ理事、『オルタ広場』編集委員)

(2021.11.20)
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