【北から南から】中国・吉林便り(10)

日本への関心は予想以上の高さ

今村 隆一


 11月3日は、私には直接関係はないものの、今年一番うれしい日になりました。と言うのは囲碁名人戦で、応援している高尾紳路九段が井山裕太七冠名人を4勝3敗で破って10年ぶりの名人位に返り咲いたからです。「今年はうれしいことが無かったなあ、もうすぐ今年も終わるなあ」と思いながら、8月末から始まった名人戦挑戦手合い、主催新聞社のライブ中継を、パソコン観戦し、高尾新名人誕生を確認できたのは、私の大きな喜びとなりました。
 三大棋戦の挑戦手合いは2日制ですので、前日から棋譜を見ながらの応援は私の吉林生活の楽しみの一つなのですが、応援する棋士の勝ち負けは自分の気持ちにも影響して一喜一憂してしまうものなのです。普段は酒を飲みませんがこの夜は黄酒(「ホアンジュウ」と呼ぶ紹興酒のこと)で1人で乾杯しました。

 この日は午後の作文漢語の授業が休講になり、帰宅のため12時前に大学の通勤バスに乗車したら、現在の総合漢語の中国人先生XXと現在文学院(文学部)の修士コースに通っている韓国人留学生ZDが乗っていて、北華大学南校前で下車後XXから誘われ、昼食を3人(両手に華)でしたのでした。日頃から女性と一緒に食事したいとは特に思ってはいないのですが、お2人とは5月にも一緒に食事したこともあり、2人が私にいつも好意的(私の方が好意的なのかも)に接してくださり全く抵抗はありません。中韓日の三人が揃って、私には“両手に花”の昼食でした。

 XX先生は8年前、私が漢語の初級班にいた時に教わり、その後派遣で2年間韓国に行って不在、帰国後、子育てで2年ほど授業を担当していなかったのですが、その後彼女が大学に戻ってきたとき、私がまだ漢語学習を続けている一方、中国人学生に日本語指導もしていることを知り、とても喜んでくれたのでした。この10月には私の膝関節炎を心配してくださり、防寒用に羊皮の膝当てを購入しプレゼントしてくださったばかりだったのです。彼女は色白で小柄な女性で年齢は30歳を過ぎたばかり、私にはとても若く見えるのですが、小学5年の娘さんのお母さんでもあります。彼女は古代漢語が専門で、中国人学生への授業も持っており、中国人学生の私の評判については彼女から伝えられます。

 韓国人のZDは前学期、同じクラスで漢語授業を受け席を並べていたこと、彼女の韓国の友人が日本びいきとのこと、私が若い韓国人の男子留学生達とも仲よく会話していることで、彼女も困ったことや愚痴を私によく伝えてきたのでした。私には彼女の服装がいつも地味だったこともあって少し老けて見えていたのですが、未だ29歳だとウェブサイトでつい最近知って、年齢を外観では予測できないと痛感しました。
 彼女は大学から徒歩10分ほどの所に4年前に渤海地産という会社が建てた33階建マンションの8階にある貸家で、同じ韓国人で私と習字の授業に出ているXM女史とルームシェアしていて、11月9日は2人が自宅での昼食を誘ってくれ、ZDの焼いた牛のステーキを御馳走になりました。新しい高層マンションで床暖房が気持ちよく、女性2人の屋内はとてもきれいに見えました。彼女らも日本人の私にとても親切で、XMは自分の作った二種類のキムチを土産にくださいました。赤いキムチは知ってたのですが、白いキムチがあることをこの時初めて知りました。この日も両手に華ということに・・・。

 11月12日は日本でも有名な孫文の誕生日で、吉林では何もなかったと思いますが、11日は中国政府が「孫中山生誕150年記念式典」を、習近平主席など国務院常務委員が北京の人民大会堂に揃って参加し華やかに挙行し、その光景を盛んにTV報道しました。中国政府は、これまでも孫文を高く評価していたことは事実ですが、孫文をこれほどに持ち上げ讃えたのはかつて見られなかったことだと思います。台湾を意識し、中国は一つであることを中国国民に改めて強調したのでしょう。

 11月になって以降、吉林の道路には雪が積もるようになり、寒くなってきました。吉林市の冬期は私の認識では暖気供給(以下「供熱」)期間と思っています。この3年の供熱の開始が、2013年は10月19日、14年10月20日、15年10月23日でした。そして終了日が14年3月31日、15年4月2日、16年4月9日でした。供熱の開始と終了は吉林市が行っています。
 今シーズンは10月25日が開始予定と聞いていましたが、実際は10月20日の夜0時に開始されました。早まった理由は天気予報が20日の夜から未明にかけて降雪、気温零下だったからです。市は早める旨を20日には発表したようで、その日午前の漢語授業で私はZZ先生から聞きました。吉林市が供熱開始を繰り上げたのは柔軟な対応をしたと言えます。
 21日の朝は、以前より暖かく感じ、起床が急に楽に感じました。そして21日の夜から未明にかけて降雪があり、今シーズンの初雪(山の降雪はもっと早い)となり、土曜日だった22日の昼まで団地内の木の枝には雪が解けずに残っていました。また10月30日の天気予報は今季初めて最高気温と最低気温がそれぞれ-2度と-7度となり、一日中気温零下は去年の11月8日より早くなりました。
 供熱が始まると部屋の中が以前よりほんのり暖かくなり、春節の頃まで徐々に温度を上げるのです。暖気供給と言ってもそれは暖水の供給で、温水が各団地、家庭に送られるのです。私の住んでいる地域の供熱は「国電吉林江南熱力有限公司」という公営企業に委ねられています。一シーズン(約5ケ月半)の費用は「家の床面積×27.5元/㎡」2,250元(約35,775円)が私の家の昨年までの費用でしたが、今シーズンは何と2,209元(約35,123円)に値下りしました。物価はゆっくりですが何でも上昇しているのに、供熱費が値下がりしたのは石炭の価格が下がったことが影響したようです。

 吉林は大体北緯43度、北海道の札幌と同じ緯度に位置しています。冬は厳寒の吉林(年によって違いますが、最も寒い1月の平均最高気温は-10度位で平均最低気温は-25度位)ですが、供熱がある期間は部屋の中は暖かいので、寒さに凍えることはありません。私の家は6階建団地の1階で両脇は隣家もあり、室内気温は前シーズンは26度から27度もあり、窓を開けて冷気を入れ、温度を下げておりました。暑すぎると眠れないからです。室内温度の調整は温水供給量を少なくすれば低くなることになるはずですが、私の家はその調整でも下がらないので、外気を入れての調整はやむを得ないのです。又、私の家は台所とトイレ兼用浴室以外、全ての部屋が床暖房となっています。
 大学の冬休み期間中(中国の春節期間を含め)、日本に帰国した場合、私は千葉県に住むのですが、日本の家では特に就寝中は吉林の家よりかなり寒く感じます。住む家の中が冬暖かく、夏涼しいのはありがたいことで、私が吉林を気に入っていることの一つです。
 残念なことは冬季に空気汚染が進むことです。いわゆるPM2.5の発生が頻繁になるのです。その原因の一つに供熱が指摘されています。工場の排煙、自動車の排気ガス、トウモロコシの枝の焼却等以外、日常生活での焼却が盛ん(燃料は石炭、樹木など)な現状では空気の清浄化はなかなか進まないように思えます。寒くなって気づくことは朝から石炭を燃やす臭いが鼻につき始め、鼻糞も多くたまるようになります。天気予報の空気汚染も軽度汚染、中度汚染、が既にだされました。そのうちに重度汚染、厳重汚染も発表されることでしょう。

 地球温暖化対策「パリ協定」批准は気候変動対応メカニズムの構築に向けて国家施策として取り組むのは当然としても、具体的に温室効果ガスの排出削減が中国で現実に可能なのかなぁ? ケチをつけるようですが「言うは易し」が実感です。国連によると中国や米国、欧州連合(EU)加盟国のほか、北朝鮮やアフリカ諸国など90以上の国と地域が協定を締結したようで、今後再生可能エネルギーの導入に向かう必要は誰もが認めることでしょうが、大丈夫かなぁ、が実感です。
 中国人学生と授業で話し合っていて感じることは大気汚染をはじめ環境汚染と地球環境についての彼等の意識と関心は非常に高いと言えます。しかし、節約やごみ減量と言った点は彼等学生ばかりでなく、市民の生活多少疑問なところがあります。TVでもゴミの分別と減量の宣伝が始まるようになって既に3~4年経過していますが、ごみの散乱とレストランでの食事注文の多さなど生活習慣の変化はあまり見れません。また清掃作業に携わる就労者があまりにも多く感じるのです。雇用と経済にも関連するからだと私は見ていますが、変化が見れないのです。40~50年前の日本の状況よりある面遅れている感じがしています。

 私の平日は北華大学東校区に通い、外語学院(外国語学科)の日語科(日本語学科)で中国人学生に日本語指導をする一方、国際教育交流学院の対外漢語センター(対外漢語とは外国人に対する漢語の意)で漢語すなわち中国語を学んでいます。漢語とわざわざ表記するのは、中国は誰もが知っているとおり56の民族があり、総人口の約91パーセントが漢民族でその民族の言語を漢語と言うからです。55の少数民族にも回族と満州族を除き独自の言語もあるため、あえて中国語とは呼ばず漢語と呼ぶようにしています。なお、満州語については清国の統治民族であった満州族政権はあえて漢語普及を国策として採用振興した歴史があり、満州族の生誕地である此処吉林市(北部の鳥拉街(ウーラージェ)は満州族の発祥地)には満州語研究者はいるものの極めて少ないのが現状です。なお、満州語文字は北京の故宮に残されているそうです。

 私には週末の土曜・日曜以外、平日は毎日漢語授業があり、日本語指導は水曜以外はあります。週末は今年の夏まではほゞ毎週戸外活動の登山又は旅行をしておりました。しかし足首を蛇に咬まれて、その後膝関節を負傷した今年は、7月中旬以降は病院治療以外は大体自宅におります。今年は負傷部位の膝の完治が望めませんし、漢方医からも10月上旬時点で「半年は療養期間」と伝えられましたので、運動は自戒しなければならないと覚悟しています。私は子供の時から運動神経が鈍く、身体の平衡感覚も他の人よりも悪かったため、技術を要するスポーツは苦手で、ひたすら体力だけが頼りで今日に至りました。これまで歩いたり人並みの速度で走ったりの、持久力だけの運動ならなんとか参加できましたのに、現在は軽い山歩きも儘ならず、慚愧の念が耐えません。

 大学への通学は2012年の夏頃までは途中に長い坂道のある片道行程約5km超を自転車で約40分かけて通学していましたが、車の量が増え交通事故が心配になったため、それ以降は大学の教職員向け通勤バス(約30分)を利用しています。下校時は通勤バス又は一度乗り換えての路線バスを利用(約50分)しております。住まいは最初は吉林市豊満区(吉林市4区では南に位置する住区)ですが、吉林に来たばかりの2008年時は「光明新村」という団地に住み、2012年に同じ団地の別棟の部屋に移り、1年後の2013年の夏から現在の「前峰2区」という団地に住んでいます。以前の団地の方が繁華街の近くでしたが、現在は買い物や食事にやや不便ですが、周辺が静かになりました。距離にして1Km程ですので時々前の団地周辺にも行きます。

 街の通りに面した所は銀行や郵便局、公営事業所以外は個人経営の間口3メートル程の商店がひしめいて並んでいるのが、吉林ばかりでなく中国の各地の一般的街並みです。以前から感じていることは、多少大きい間口を持つ商店やレストランを含め個人経営の店の代替わり、つまり商売替えが驚くほど頻繁なことです。吉林市中心部で尚且つ吉林大街という代表的大通りに面して3年前に開設したアメリカ資本のショッピングセンター Walmart(ウォルマート)は昨年10月、約2年で退去しました。Walmart は中国国内に400店舗もあるそうですが、吉林では売り上げが伸びなかったのでしょう。私は2~3ヶ月に一度位、買い物に行ってたのですが、ピーナッツ(塩味の中国産)とバター(輸入品)といった日常の食品を少し買う程度でした。大型ショッピングセンターについては、広いため店内の移動に長時間かかり、買い物を楽しむ趣味のない私には行くことが少なかったです。
 吉林では大型店(百貨店)以外はコンビニや飲食店で、チェーン店もありますが、個人経営の小型店が圧倒的多数です。小型店の特徴としては開店後1年から2年位で経営が成り立たなくなって姿を消す例がとても多いことです。そのスペースが自分の持ち分で商売を始めても続かず、その結果、貸家になるか売りに出されています。このような傾向は私が吉林に来て以来変わりません。だから、街に出かけて見た位では、吉林市の経済状況、景気が良いのか悪いのか全く分かりません。

 不動産開発というと、私の住む一帯は吉林では「江南」(豊満区は郊外まで及んでいる)と呼ばれる住宅と高技(ハイテク)産業地域で、周辺は20~30階の高層建築工事がこの8年止むことなく続いています。しかし新築マンションも空き家が多く、入居者がいても居住が続かず、すぐに売りに出されたり、貸家になっていることが多く、ガラス窓に貸出し、売出しのため電話番号を書いた紙が張られているのがたくさん眼につきます(高層階は見えません)。新築マンション購入は購入者の住み替えが主目的とは限らず、結婚準備の息子のため親が購入、又は資産としての購入が多いと聞いています。資産として購入するのはその不動産物件の値上がりを狙ってのことですが、仮に住み替えて住み始めても、上下階や隣に住む人が入居しないため新しいマンションに移った人が、長期間寒い生活を余儀なくされることも多く、商店も完備されるまで期間を要するので不便だと聞きます。吉林の街は改造が進み確かに発展変化していますが、それは吉林に限らず近辺の街や長春市なども同様です。

 最近のウェブサイトでは以前と変わらず日本批判を見かけますが、日本への関心は高く、吉林の中国人は一部を除いて好日的だといえます。しかし、過去の大陸侵略の誤りと当時の日本兵の残虐性が、容認されているのでも忘れられているのでも決してありません。現在最も抗日的だと私が感じるのは中国政府、マスメディアによる抗日プロパガンダですが、それは歴史教育上、やむを得ないと受け止めています。中国政府における抗日的部分は日本の対中国外交姿勢と靖国神社や南シナ海などの他、アベノミックスと金融破たんの失政、経済の窮状など安倍政権に対する批判で、この間の日本政府が取った施策が批判の対象となっているものです。
 
2012年の野田民主党政権時代の尖閣列島(釣魚島)国有化問題もきっかけの一つと言えるでしょうが、伏線と根っこは小泉純一郎首相の靖国神社参拝とアメリカ追従政策にあり、安倍内閣で当時以上に強化されて今に至っているのが元凶だと。現在の安倍政権下の嫌中、中国包囲網では中国政府の日本政府不信は当然の成り行きで、仲良くしたくてもできるはずがないでしょう。
 私の受け止めでは中国マスメディアの日本賛美は批判以上に多いと感じています。中国政府の機関紙「人民日報」ウェブを見る限りあらゆる分野で日本や日本人の習慣等を客観視し、率直に讃えていると私に映っています。

 インターネットの普及は、人々の認識・意識を政府や一部では統制できないほどのスピードで、拡大強化してしまっているようです。中国社会の一部から発する「日本旅行を控えよ」、「日本製品を購入するな」のウェブ上の呼びかけは、ほとんど無視されているように見えます。1980年代に始まった中国での日本語学習熱は現在は冷めてしまっていると言われるものの、北華大学の学生や留学生を見る限り、若者の日本への関心はこれまで以上に高まっているようです。
 私の教え子である北華大学日語科の学生の日本留学希望者は確実に増えています。日本語学習に熱心な新入生は先ず2年生進級時の日本留学を目差し、それを実現している例が多く見れます。交換留学制度など公費留学は制限があり少数ですが、自費留学は親が費用を出せる場合も含め、親に借金させても留学を希望する学生が多くなっています。親の負担を少しでも軽減したいと、日本に留学してからアルバイトに精を出す子も少なくありません。ネット普及で日本在住の教え子との連絡が簡単ですので、せっかくの留学機会だからよく遊ぶよう、私は勧めていますが、…。

 日本留学中国人学生が増えているのは彼らの日本への潜在的関心の高さにありますが、日本政府の留学生30万人計画(現在、訪日外国人留学生の総数は約21万人)で日本の受け入れ大学への支援も影響しています。少子化による学生数減少による大学の経営悪化が背景にあると思います。中国人留学生は約9万人と、日本で学ぶ留学生総数の約50%に上り、留学生全体では最大多数を占めています。しかし、各国の人口比から見ると、14年度日本学生支援機構調べから概算すると人口100万人のうち韓国が約280人、台湾約216人、ネパール約204人、ベトナム約133人、日本在籍留学生数上位5位までの国の中では、中国人留学生は約60人と桁外れに少ないのです。何を基準にするかで見方は変わりますが、中国の人口があまりにも多いことで、日本を訪問する旅行客数と相まって留学生数も日本では中国人が目立ってしまうのではないでしょうか。

 英語学科でも選択科目で日本語を学習している一人の男子学生と前学期親しくなりました。彼は今学期、台湾の大学に留学しましたが、引き続きメール交換しています。又、今学期も日本語で話しかけてくる英語学科学生がいるほどで、これまでには無かったことです。また先日、北華大学で漢語学習の韓国人留学生(現在韓国人はインド人留学生に次いで多数)の男の子(彼は大卒資格取得が目的の本科生)と雑談していて、彼が日本にとても関心が強いので、私はうっかり「韓国と日本が同じ国だと良いね、国家は邪魔だ」と言ってしまいました。言ってから直ぐ私はシマッタと思いましたが、間髪いれず、「僕も全く同じです」と返事されました。朝鮮半島侵略を「朝鮮併合」などとその犯罪行為を文字表現で歪曲し教科書に掲載する日本の錯誤を恥ずかしいと思う自分から、うっかりとは言え不注意に発した言葉を後悔しました。吉林にいて私は中韓日の人たちが自由に行き来きでき交流できることを熱望しており、これまでのところ日中間の行き来に障害になるのは決まって国家間の制約によるものです。彼とは漢語クラスが違うのですが、週に一度の習字の授業の日、授業開始の1時間前の昼休みに教室に行った所、彼が一人で休んでいたので習字を一緒に学ぼうと私が誘ったときに交わした時の会話でした。習字の授業を私は既に6年ほど前から受講しており、現在の先生は隷書を得意とする大学外からみえる方(週に一度の非常勤講師)で、普段は寡黙なのが若い女子留学生が出席すると元気にしゃべり出したり、酒の臭いがかなりする時もあり、かなりいい加減なところがあるのですが、そんなところが何となく楽しい先生です。なお習字に出席しているのは、私と韓国人女性の計4人だけでしたので、彼も一緒にと誘ったのです。習字はこれまで、4・5年前でしたが数人のロシア人とベトナム人留学生が参加していたこともありましたが、今定着しているのは韓国人留学生だけです。

 留学生で現在最も多いのがインド人で彼らは全て臨床医学生です。アフリカ各国の留学生も医学生、今年は見かけないがパキスタン人も医学生としてたくさん来ていました。 
 漢語、つまり言語だけの習得を目的としての留学はロシア人と韓国人、タイ国人等で、この3年、私は韓国人以外クラスで一緒になっていないこともあり、韓国人とは楽しく交流させてもらっています。実感として総じて韓国人留学生は中国人学生より私には会話交流がし易く感じています。それは使用言語が共に学んでいる漢語で会話が成立し易いと言うこと以外、韓国と日本の生活風習に共通した所が多いことで、共通の話題が多く、隣国の友人として身近に感じ易いているからです。また儒教の影響だと思いますが韓国人留学生は私に礼儀正しく接してくれるのです。私が彼等よりはるかに年齢が上だからでしょう。また韓国人留学生の中にも日本語学習経験者が多いのには驚きますし、流暢な日本語を話せる人もいて、日本に関心の高い人の多さにも驚いています。
 5年ほど前、同じクラスでロシア人女性の中に、日本に関心が高くいつも「ドラエもん」の漫画を見ている留学生がいましたが、現在はロシア人は多いのですがクラスが異なり接する機会がありません。中国人学生との交流は、私が彼らの日本語指導者であることで彼等に遠慮があるのでしょうか、個人的には多くありません。
 日本語が達者な学生がクラスの中に少しはいるのですが、その学生に指導を集中させることより、日本語が未熟な大半の学生の方が私の授業に出席してストレスを感じず、楽しく感じてもらえるよう留意することに重きをおいて授業をしており、簡単な会話でも接するよう努めています。彼らとの交流で私が漢語を使うと便利なのですが、彼らの日本語進歩に役立たないので、あくまで日本語を補う形で漢語を使い、漢語を使う頻度を少なくしたいとの私の思いがあります。中国人学生の日本語が下手でも積極的に話させたいのですが、現実はナカナカ難しいことです。しかし、授業の出席率は3年前よりはるかに高くなっていて、3年生は必修科目でもないのに欠席者が1~2名と日によってはゼロの日が多いのが今学期の特徴です。従って焦らずに長い目で見るよう徹しています。

 10月に膝関節炎で通った漢方医治療院では、隣のベッドの付き添い者の夫人が、私を外国人だと気付いて、「日本人ですか?」と日本語で尋ねてきました。彼女はもう50歳過ぎでしょうか、伺うと20年ほど前、自費で吉林市内の日本語学校に通ったのだが、その後使わなかったので忘れてしまってと残念がっていました。北華大学では昼食の多くを私は中国人学生と共に取っています。昼食後、度々お目にかかるいつも笑顔で接してくださる大学事務の女性が、先日食堂から出て2人きりになった時、彼女は日本語は話せませんが、自分はもう二度日本に旅行に行ったことがあり、日本も日本人もとても気に入っていると話しかけてきました。以前はなかったのですが、今年は英語科の学生から日本語で話しかけられることがありました。未だ2人ですが1人は前学期知り合った子で今学期は台湾の大学へ1年間留学で行ってしまいましたが、現在でもウェブサイトで週に一度会話しております。

 私は吉林に住んでいて、日本語を学ぶ外国人に接する機会が多いため、逆に日本に住んでいる日本の人で、韓国語でも漢語でも学習して東アジアの隣国に関心を寄せている人がどれだけいるだろうか、と考えます。そんな時、日本の人の内向き性というか閉鎖性を強く感じるのです。

 これまで私が吉林で会った中長期吉林滞在の日本人は三系統になります。
 1)配偶者や親が中国人 2)仕事 3)漢語学習 4)その他

 1)高齢の日本人男性と歳の離れた若い中国人女性との夫婦が多いです。配偶者が中国人のため、漢語学習で北華大学に短期的に通って来た人は3人でした(この場合は居住許可証が留学生ビザではないので、学費さえ払えば北華大学では漢語学習を認めています)。
 現在1人だけ青年が北華大学の本科に留学しています。彼は母親が中国人とのことです。
 2)事例は多くないようです。日本語学科のある大学は吉林に北華大学を含め3大学あり、そこへ招聘された日本語講師がいますが、現在確認できるのは2人。
 プリンスホテルが合弁でレジャー施設内のホテル経営に参加し、社員10数人を派遣した。他は日本人男性2人がケーキ店を開業し製造販売、現在10店舗に増加しました。
 3)留学学習者はこれまでの8年間で7人です。日本の現役大学生はこれまで男性が2人で、1人は母親が中国人の日本国籍の学生でした。他は戦争残留婦人の孫が2人。私は3の漢語学習者に当たります。

 今学期の日本人は私1人ですが、私は1人でいることの方が多く、これまで吉林にいた日本人と親しく交際したことはありません。なぜなら、漢語学習に日本人との交流は必要が無く、むしろ時間の無駄になるからでした。今でも吉林在住の日本人の電話番号すら3名を除いて把握しておらず、会う必要が無いのが現状です。

 10月中旬のある日、私は中国人男子学生からあるコンクールに出す「中日友好―若者の視点から」と言う題の作文の添削を依頼されました。
 彼によると「平和の時代に生まれた我らは、必ず『平和な心』を持っている。そして戦争を経験したことのない青年の間では歴史認識のギャップが少ないため、より新しい視点で両国の実態を見つめることができる。今はグローバル時代と言っても過言ではなく、我らは『国民意識』を副次として見るようになってきている。特にこの時代の青年たちは、まず自分を『地球人』と意識するようになってきた。『我が国の利益』が最重要視されるのではなく、『我らが星(地球)の利益』を重視すべきなのだ」と。
 3年生の彼の作文は、文法の誤りがほとんどなかったばかりか、私の日本語の授業で討論したこともあった環境問題について、「今の時代に重要なのは地球上の生物多様性保護と確保のため、地球環境保全の視点に立つことを優先すること」と位置付け、国家利益を声高に吹聴することを諫めているのでした。

 私が現代中国の極く一部ではありますが、在学生や吉林の人たちと接し、生の中国を体験できたこの間、良し悪しはありましたが、予想以上に将来的希望が持てる状況にあると感じるようになった今年でした。「今年うれしいことが無かったと思う」のは間違いだと年末近くなって気付いた次第です。       

 (中国吉林市・吉林大学日本語教師)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧