【オルタ広場の視点】

日本の地方議会の問題点とは何か
~辻 陽『日本の地方議会』(中公新書、2019年)を読む

岡田 一郎


 2010年に東京都青少年の健全な育成に関する条例の改定が大きな社会問題になったとき、私は東京都議会の動きを注視していた。そのとき、私は違和感を覚えざるを得なかった。私の知識では、首長と地方議会の多数派が異なるとき(すなわち、分割政府の状態)、地方議会は首長提出議案の多くに反対したり、修正したりして、大いにその存在感を示すものである。たとえば、革新自治体において、地方議会の多数派が自民党になったとき、地方議会は大いに革新首長を悩ませたものである。
 ところが、東京都議会の場合、2009年の都議選で民主党が第一党となり、共産党など他の野党と合わせて、野党が議会の過半数を占めるに至ったのにもかかわらず、都議会民主党は知事提出議案に特に反対することもなく、知事提出議案が粛々と可決されていったのである。

 私が注目していた東京都青少年の健全な育成に関する条例の改定案も当初は、都議会民主党は可決するつもりでおり、多くの反対意見が寄せられたことで、ようやく継続審議→廃案に持ち込むことができた。その後、民主党の都議の説明会などに顔を出し、都議会では知事提出議案が議会に提出される前に、都庁側が各会派に内容を打診し、必要な修正をしてから、都議会に提出していることがわかった。議案が都議会に提出されたときには、すべてが終わっているのであり、都議会での審議は「学芸会」に過ぎなかったのである。それでは、地方議会の存在意義とは一体、何なのだろうか。

 このとき抱いた疑問を解消すべく、辻陽『日本の地方議会』(中公新書、2019年)が発売されるや早速、買い求めて、一読した。その結果、都議会のほぼ過半数を占めながら、当時の石原慎太郎知事に対して一向に対決姿勢を示さなかった都議会民主党とは一体、何だったのか、ますますわからなくなってしまった。
 確かに地方議会が首長提出議案を修正可決または否決することはまれであるらしい。2017年に市区議会が修正可決・否決したのは首長提出議案のわずか0.4%に過ぎないという(8頁)。一方で、辻は黒田革新府政から現代までの大阪府の知事と議会の関係を概観しているが、府議会で府知事反対派が多数を占めれば、府議会は知事に対して抵抗姿勢を見せるのが普通であり、知事反対派が多数を占めているにもかかわらず、知事に対して抵抗姿勢をほとんどみせなかった都議会民主党はきわめて異色な存在であったという思いを新たにした。
 出来得れば、辻には、この外部から見れば非常にわかりにくい東京都知事と東京都議会の関係についても考察してもらいたかったが、それはないものねだりであろうか。

 もし、東京都青少年の健全な育成に関する条例の改定問題にかかわらなければ、私が東京都議会の存在に関心を持つことはおそらくなかったであろう。地方議会というのは、私たちの生活に密接に結びついている割には、人々の関心を呼ばない存在である。現に私も、選挙の時以外は地元の県議会や市議会でどのようなことが話し合われているのか関心を持つことはないし、選挙の時も多くの候補者の中から誰を選べば良いのか、大いに迷ってしまう。特に困難なのが、無所属の候補者である。政党推薦の候補者ならば、政策などは所属の政党からある程度類推できるが、無所属の候補者の場合、各候補者の公約に目を通して、候補者の良しあしを、時間をかけて判断しなくてはならなくなる。辻もまた無所属の議員が多いデメリットについて触れている。

 ――定数の大きな市区議会において、政党ごとに議員が会派としてまとまっていれば、政党のラベルを見るだけで、その主張をある程度イメージすることができるし、各議案への賛否も予測しやすい。しかし、もし無所属議員が多数いるならば、各議員について政策と賛否を見る必要に追われるため、より多くの労力が有権者に求められることになるし、そもそもそれだけの労力を払う有権者がどれほど存在するだろうか。
 また、そうであるがゆえに、有権者が気づかないうちに、本来であれば住民の間で賛否を巻き起こすような重要議案が、いつのまにか議会で可決されていたということにもなりやすい。というのは、本書で再三述べてきたように、予算提案権を持たない議員は、その求める政策を首長に実行してもらうために、議案に賛同する傾向を持つからである(133~134頁)。――

 上記の理由以外にも、国政と地方政治で政党化の度合いが異なることを問題視し、地方議会の選挙制度を変更するべきという意見が有識者から出されているという。辻は一律に日本の地方議会制度を変更することに反対し、自治体の規模や状況に応じた様々な自治体のあり方が混在することを認めるべきだと主張する。また、地方議会の政党化についても、敢えて無所属で立候補する候補者の選択肢を奪うことから消極的な姿勢を見せている。

 私も地方議会の政党化のための選挙制度等の変更には反対である。なぜならば、政党自身に、たとえ首長と対立しても、自分たちの意見を主張し続けようという気概がなければ、いかに政党化が進んでも、無所属議員が多数を占める議会と変わらないからである。
 その良い例が2010年の東京都議会である。東京都議会は政党化が進んでいたにもかかわらず、知事提出議案に対してほとんど無批判で、東京都青少年の健全な育成に関する条例改定案の問題点にも気づかず、「有権者が気づかないうちに、本来であれば住民の間で賛否を巻き起こすような重要議案が、いつのまにか議会で可決されていた」という状況をもう少しで出現させようとしていた(もちろん、出版業界などの利害関係者が政党に働きかけるのが遅れ、都議会民主党などが問題点に気が付くのが遅れたという事情も考慮しなければならない)。

 ここまで地方議会と地方政党に批判がましいことを書いてきたが、辻が密着したとある市議会議員のように、地方議員の1人1人は誠実にその職務をこなしていると思う。東京都青少年の健全な育成に関する条例改定案の問題に取り組んだ都議会民主党の都議たちも皆、誠実にこの問題に取り組んでいた。問題は自分を含め、日本の有権者の地方政治に対する関心が低いために、多くの有権者にその誠実な姿が映らないということである。
 そのため、例えば、都議会民主党のように、個々の議員は誠実に活動していても、有権者は国政にしか興味がなく、国政の民主党の失敗のあおりを受けて、2013年の都議選で多くの議員が落選してしまうという理不尽なことが起こってしまう(都議会の多数を占めながら、民主党が何ら都政を刷新できなかったことに対する失望も都議会民主党の敗因であろうが)。これでは、地方議員を志すものはますます政党に所属するのを忌避するであろう。

 国政と地方政治を切り分けて、たとえ、ある政党が国政で失敗したとしても、自分たちの地元では誠実に職務をこなしていた場合にはそれを評価するという態度を我々有権者が身につけなければ、制度をいじって地方政治を政党化したとしても、それは意味のない改革に終わるのではないだろうか。

 (小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)

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