【海峡両岸論】

日中均衡に配慮したトランプ~安保白書に見る中国の意図

岡田 充


 トランプ当選から3か月、ようやくアジア政策の輪郭が見えてきた。10日の日米首脳会談(写真1)と9日の習近平・トランプ電話会談を総合すると、トランプ大統領は安保政策で、日本と中国のバランスに注意深く配慮していることが分かる。多くのメディアは「安保 満額回答」などと、日米同盟の強化と尖閣諸島(中国名 釣魚島)を日米安保条約の対象と明記した部分に光を当て、共同声明を高く評価した。

画像の説明
  写真1 日米首脳会談 首相官邸HPから

 しかし、トランプが共同記者会見で「中国との良い関係」に言及、良好な米中関係は「日本にとっても利益」と「たしなめた」のを見逃してはならない。発言の含意は、中国脅威論を煽る安倍政権の対中包囲網外交には与しない姿勢を示したことにある。トランプ流に言うなら、日中均衡の維持こそ「米国第一」なのだ。対日、対中の「取引外交」で、日中をそれぞれカード化できるからである。どちらか一方に与すれば、カードの効果は失われる。
 米中電話会談と日米首脳会談から、安全保障面での日米中三角関係の変化を探る。三角形の中で重要なのは、危うい対米一辺倒路線に傾斜し続ける安倍政権下の日米関係ではなく、米中関係の展望である。中国政府が1月発表した「アジア太平洋安保協力白書」の内容と、太平洋に初進出した中国空母「遼寧」の航海から、中国の意思を読み解きたい。結論を言えば中国は「米中主導の地域安保」の構築を狙っている。中国の力を米国に認めさせ、日米同盟基軸の枠組みを後景に退けるのが狙いである。

◆◆ 中国脅威論には与せず

 順序は逆になるがまず日米首脳会談から。共同声明の安全保障部分の要約を挙げる。

 ■揺らぐことのない日米同盟は、アジア太平洋地域における平和、繁栄、自由の礎。米国は地域でのプレゼンスを強化し、日本は同盟におけるより大きな役割、責任を果たす。日米は引き続き防衛協力を実施、拡大
 ■核および通常戦力による、あらゆる種類の米国の軍事力を使った日本の防衛への米国のコミットメントは揺るぎない
 ■日米安保条約第5条が沖縄県・尖閣諸島に適用されることを確認。日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対
 ■関係国に対し、拠点の軍事化を含めて南シナ海での緊張を高める行動を避け、国際法に従って行動することを求める。

 このほか、日本国内の米軍基地の駐留経費について負担増の要求はなく、通商、為替についても具体的な要求がなかったことから、日本側が「満額回答」を引き出したという評価が出てくるのだろう。共同声明より興味深いのは共同記者会見でのトランプ発言である。日本の記者の質問は「強硬姿勢を強める中国に対し、日本やアジア諸国は米国のアジアコミットメントを懸念する声が相次いでいる。地域が直面する状況にどのように対応するのか」という内容。トランプが中国と北朝鮮の脅威への認識を安倍と共有するコメントを引き出そうとする意図が透ける。トランプはこれに対し次のように答えた。

 「中国国家主席とは昨日、非常に良い話ができた。良好に付き合える過程に入っていると思う。日本にとっても大変な恩恵がある。多くの議題に話が及び、長話になった。中国、日本、米国、地域の全ての人々にとって良い結果を生むだろう」。

 トランプは「中国脅威論」には一切踏み込まず、米中の良好な関係構築に、積極的な意思を示したのである。なんというしたたかさ。特に「日本にとっても大変な恩恵がある」の下りは、中国脅威論と包囲網政策には与しない意思を明確にしたと言える。トランプはこの発言中、原稿にはほとんど目を落とさずスムーズに答えた。

◆◆ 「一つの中国」尊重に同意

 トランプの対中政策は、北京の中南海指導部を悩ませてきた。2016年12月の蔡英文台湾総統との電話会談に続いて「一つの中国」への疑念表明、南シナ海問題や通商・為替政策でも中国非難を続けてきた。北京は記者会見で不快感を表明したが、習近平はずっと沈黙を保ってきた。

 転機が訪れたのは2月8日。トランプが習に「米中双方の利益となる建設的な関係」の構築を期待しているとする書簡を送ったのである。大統領就任後、習への初めての直接的な働き掛けに、中国外交部は「高く評価する」と歓迎した。米大統領はこれまで、中国の春節(旧正月)に中国主席に祝電を送るのが習わしだった。しかしトランプは先例を無視、春節15日目の「元宵節」を祝う書簡に替えたのである。書簡は、大統領就任式の際、習から祝意の書簡を受け取ったことに謝意を表明したが、「一つの中国」への言及についてはなかった。

 書簡を受けて実現したのが9日の電話会談である。中国の新華社通信によると、トランプは「米政府が一つの中国政策をとることの高度な重要性を十分に理解しており、米政府は一つの中国政策を堅持すると強調した」と述べた。これに対し習は、一つの中国政策を堅持すると強調したことを称賛し「一つの中国の原則は中米関係の政治的基礎である。中国は米国と共に努力し、意思疎通を強め、協力を拡大し、中米関係の健全で安定した発展をはかりたいと願う」と応じた。

 ホワイトハウスのプレスリリースは、この部分をどう書いたか。「トランプ大統領は習主席の要請で、“一つの中国”政策を尊重することに同意した」(President Trump agreed, at the request of President Xi, to honor our "one China" policy)。味もそっけもない短文である。

 新華社はさらに習発言とトランプ発言を細かに紹介し、北京が新政権と「大国の関係」に基づき協力と協調構築を希望している姿勢を鮮明にした。少し長いが引用する。

 「習主席は次のように指摘した。当面の複雑な国際情勢と相次いで現れるさまざまな挑戦(試練)を前にして、中米が協力を強化する必要性と緊急性は一段と高まっている。中米両国の発展は完全に相互協力、相互促進が可能で、双方は完全に良き協力パートナーになれる。中米関係を良くすることは、両国人民の根本的利益に合致し、また中米という二つの大国が世界に対して果たすべき責任でもある。われわれは米国と経済・貿易、投資、科学技術、エネルギー、人・文化、インフラ各分野の互恵協力を強化し、国際・地域問題での意思疎通と協調を強化して、共に世界の平和・安定を守ることを願っている。

 トランプ大統領は次のように述べた。習主席との電話会談をうれしく思う。米中のハイレベルの意思疎通を保つのは非常に重要だ。わたしは就任以降、双方が緊密な連絡を保ったことに満足している。中国の発展の歴史的成果に敬服しており、中国人民に敬意を表したい。米中関係の発展は米国人民から広く支持されている。米中は協力パートナーとして、共同の努力により、二国間関係を新たな高さに引き上げられると信じている。米国は両国の経済・貿易、投資などの分野と国際問題における互恵協力の強化に力を入れる」。

 ホワイトハウスのプレスリリースは、この部分についても短くそっけない。
 「米中の代表は、双方の関心のある様々な問題について今後話し合いと交渉をする。~中略~両者の電話(会談)は極めて和やかで~中略~両者は相互訪問の意思を表明した」(Representatives of the United States and China will engage in discussions and negotiations on various issues of mutual interest. The phone call between President Trump and President Xi was extremely cordial, and both leaders extended best wishes to the people of each other's countries. They also extended invitations to meet in their respective countries.)

◆◆ 「日米安保5条」は脅威刷り込みが狙い

 昨年末に訪米し、前安全保障担当補佐官のフリンやティラーソン国務長官と会った楊潔篪国務委員が、「一つの中国」の継続を説得。ティラーソンがトランプに進言したのだろうと、ニューヨーク・タイムズ紙などは報じている。安部政権の中国脅威論と包囲網政策が冷戦型の「ゼロサム」外交の典型とすれば、トランプの主張は、日米中の三者の共通利益を求める「ウィンウィン」外交と言えるだろう。これでトランプのアジア政策は、オバマ政権が敷いたレールに戻ったと言える。トランプは、法外な「言い値」を吹っ掛けて東京と北京の首脳を慌てさせ、かなりの経済的利益の約束をおそらく取り付け「手打ち」をする、不動産業者らしい取引外交を見せてくれた。

 今後もトランプの出方には注意が必要だ。第一にトランプ外交の特徴は「思想・理念なき取引外交」であり、その動向を予測するのは相変らず難しい。第二に、フリン補佐官が辞任したように、政権内部の意見不一致が常に露呈する。人によっていうことが異なる状況が続き、「米政府」を主語にするのが難しい時代に入った。

 識者の首脳会談への評価はどうか。国際政治が専門の東大若手女性講師が11日朝のNHKニュース番組で「百点満点」と安倍をヨイショしたのを聞いたときは、思わず耳を疑った。米誌「タイム」などは「お世辞:日本首相はトランプの心をつかむ方法を教えてくれた」という見出しで、ゴルフ外交を含めたトランプへの追従ぶりを皮肉ったというのに。

 日米首脳会談を振り返れば、次の二点が浮かび上がる。
 第一は、尖閣諸島の安保条約5条確認を「バカの一つ覚え」と見做してはならない。安倍政権が繰り返し「日米安保5条」を強調するのは、日中が衝突すれば米国が助けてくれる「実効性」を高めるためではない。繰り返すことによって、中国の脅威が国民の意識に刷り込まれる効果を狙っているからだ。「中国が攻めてくるかもしれない。だが日米同盟が動揺しなければ、中国の攻撃を抑止できる」。いつの間にか「中国は尖閣を奪おうとしている」という認識が、多くの日本人に共有されることになる。
 第二。安倍政権が成長戦略の柱に据えてきた環太平洋経済連携協定(TPP)は死んだ。安部政権が最も恐れているのはトランプによる「日本外し」である。この危険性は、常に米中関係の変化の中で起きる。アジア回帰の「リバランス政策」が見直されると、「正義の拳」を振り上げた南シナ海での「対中包囲網」政策も米国抜きという「ハシゴ外し」に遭う。安倍政権にとって最悪のシナリオだ。トランプが対中取引外交で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への米参加を打ち出す可能性はかなり現実味があるシナリオの一つだ。

◆◆ 同盟批判、パートナーシップ主張

 日本政府が「揺るがない日米同盟基軸」と繰り返せば繰り返すほど、むしろ揺らいでいる現実が浮かびがる。アジア太平洋地域における日中の影響力差はどんどん開いている。
 中国政府が1月11日発表した初の「アジア太平洋安全保障協力白書」[註1]の内容を紹介する。大掴みにして言えば、不透明感が増す米中関係について、中国の影響力を認めさせ米中主導で地域の安全保障を推進したい期待感が強くにじむ。目新しい政策があるわけではない。ただ、中国がトランプ政権に何を期待しているのかを探る上で「指針」のひとつとなる。

 白書(写真2)は全文1万6,000字で、(1)安保協力政策(2)安全保障理念(3)地域主要国との関係(4)ホット・イシュー(5)主要な多国間枠組み(6)非伝統的安保協力 ― 6部分から成る。

画像の説明
  写真2 国務院新聞辨公室で白書を掲げる胡凱紅局長

 まず地域情勢の変化について白書は、オバマ前政権の「リバランス」「アジア回帰」を念頭に「地域の国はアジア太平洋地域に対する重視と投資を一段と強めている。国際関係の枠組みの深い調整に伴い、アジア太平洋地域の枠組みにも重要な深い変化が起きている」と、変化に対応する政策立案の必要性を指摘した。

 その上でまず(1)の「安保協力政策」として、①経済的基礎を固める、②平和・安定の政治的基盤の強化、③既存の地域多国間枠組みの整理、④平和・安定を保障する制度の整備、⑤軍事交流・協力の緊密化、⑥意見の相違と矛盾の適切処理―を挙げている。経済建設に資する安全保障環境という、従来からの安保政策の踏襲と言ってよいだろう。

 (2)の「安全保障理念」では「共同、総合、協力、持続可能な安全保障観を提唱し、共同建設、共有、ウィンウィンのアジア太平洋安全保障の道を歩む」と書く。そして米国を中心とした冷戦型の同盟関係に替わって、経済枠組みと歩調を合わせながら重層的、複合的で多様化した「安全保障の枠組み」を構築すべきだとしている。

 共産党機関紙「人民日報」は、白書について、趙小卓・軍事科学院中美防務関係研究センター長の分析を次のように紹介している。「軍事同盟には明らかな冷戦の痕跡があり、排他性と第三国を念頭に置くという特徴をもち、同盟国の利益を守る一方、人為的にアジア太平洋地域に分裂をもたらしている」。趙は、白書がパートナーシップ(伙伴关系)を推進し「対立ではなく対話、同盟ではなくパートナー」という新枠組みを提唱しているとみる。冷戦終結後、中国は同盟関係を新たに締結するのを止め、ロシアなど「旧同盟国」を含め、「パートナーシップ関係」を結んでいる。中国は日本とは「戦略的互恵関係」を結んでいるが「パートナーシップ関係」にはない。

◆◆ 中国の利益尊重をと主張

 最も、興味深い部分は(3)の「主要国との関係」だ。冒頭に対米関係を挙げたのは当然としても、日本はロシア、インドに次いで4番目の扱い。習近平指導部の対日軽視傾向の表れだろうか。対米関係について白書は「オバマ政権下の2015年以来、全体として安定を維持し、新たな進展があった」と積極的に総括。オバマとの何度かの首脳会談を通じ「双方は新型大国関係の構築に引き続き努力することを決めた」と位置づけた。また主要な協力分野として気候変動、北朝鮮核問題、イラン核問題、シリア、アフガニスタンなどを挙げ「地域と地球規模の問題で密接なコミュニケーションと協調を維持した」とプラスに評価した。

 南シナ海情勢には一切触れず、両軍の交流やリムパック演習への参加など、積極面だけを取り上げているのが特徴。ただ、劉振民外務次官は白書発表の記者会見で、南シナ海問題での主権を改めて主張し、「情勢の安定を損なう挑発行為があれば必要な対応を取る」と、米国をけん制した。

 トランプ政権との関係について白書は「中国は、中米関係が引き続き健康で安定した発展をし、米国の新政府と共に、衝突せず、対抗せず、相互尊重し、ウィンウィンの原則の下で、二国間関係と地域、地球規模の各領域で協力し、不一致を健全に管理する努力をするよう期待」と結んだ。劉は会見で「中国は米国の地域における影響力と現実的利益を尊重する。同時にわれわれは米国が中国の地域における利益と関心を尊重するよう望む」と答え[註2]、米中が互いの「力と役割を認め合うべき」と訴えた。中米主導による地域安保協力への北京の本音が窺える。

◆◆ 目立つ日本軽視

 二番目のロシアについては「両国は最大の隣国として、共にパートナーシップと優先外交で戦略的協力をした。長期にわたり健康で安定した発展をし、不断に新たな成果を獲得」と、最大限の賛辞を与えた。三番手のインドについても「2015年以来、平和と繁栄の戦略的パートナーシップ関係に向け関係を深めた」とプラス評価が目立つ。

 一方、四番目の日本については、2014年末の安倍訪中以来「改善の勢いは15年以降も全体として続いている」と評価したものの、日本の歴史認識や海洋問題などを挙げて「複雑でデリケートな要素」が残っているとした。対日関係だけがマイナス評価が目立つ。

 中国では習近平政権になってから、外交・安保協力面での「日本軽視」の傾向が進んでおり、2015年には外交部の組織再編で、アジア司(局)から「日本科(課)」がなくなった。最後の日本科長だった薛剣は同年、駐日大使館政治部の公使参事官に赴任している。社会科学院日本研究所は2016年5月、南シナ海と台湾問題を日中関係の「地雷原」と位置付ける報告書を発表している。日本の扱いについて日本外務省幹部は「4番目でも名前が挙げられただけまし」と自嘲的だ。「白書」で描かれるアジア太平洋地域の安保枠組みを見ると、日本が独自に果たせる役割と空間はほぼないことが分かる。

 (4)「ホット・イシュー」について白書は、「朝鮮半島の核問題」と「ミサイル防衛システム」を最初に挙げ、「アフガニスタン」「テロ対策」「海上問題」の順序になっている。前出の趙小卓は「朝鮮核問題は地域の平和と安定に影響を与え、国際的な核不拡散体制に打撃を与え大国間の緊張関係を激化している」と北朝鮮を批判する一方、「米国は冷戦型の軍事同盟を行い、ミサイル防衛体制を構築している。これは、戦略的安定と相互信頼の構築にマイナス」と、THAAD配備も批判している。

 海洋問題について趙は「アジア太平洋の海洋安全は全体的に安定を維持しているが、領土・島・礁をめぐる紛争が関係国を長年悩ませており、非伝統的な海洋の安全上の脅威が増加傾向にある」とコメントした。

 中国指導部は4年前から、東シナ海と南シナ海で近隣国家との対立が顕在化する中、周辺国家への外交戦術・戦略を練り直すとともに、問題が発生した場合の対応策定を急いでいる。習近平は13年10月24、25日「周辺外交工作座談会」を開き、周辺外交に関する基本方針を明らかにした。近隣諸国と向き合う際の心得として「親」「誠」「恵」「容」の4文字を掲げた上で「(相手国の)感情を重んじ、常に顔を合わせ、人心をつかむ必要がある」と強調したのである。「周辺」には日本も含まれるが、中国が「親」「誠」「恵」「容」の4文字の柔らかな顔を日本に向けているとは誰も思わない。「逆も真」なのだ。安倍政権は中国脅威論を煽るのをやめ、孤立から脱する道を真剣に探るべきだろう。

◆◆ 日、台、比にも示威

 まず航空母艦「遼寧」艦隊の政治的・軍事的意図から分析する。大規模な艦隊の移動と演習には、十分な準備と時間が必要である。多くのメディアは台湾の蔡英文総統とトランプの電話会談を取り上げ「米台牽制」が目的と報道した。結果的にその意味を持たせたのは事実だが、最初から意図したわけではない。
 時期と航路から判断すると、16年11月の米大統領選挙で選ばれる米新政権に対し(1)中国海軍が西太平洋に進出する意図と能力を示す(2)「一つの中国」と「南シナ海の主権」は、中国のレッドライン ― の二点を示すことにあったと思う。

 中国国防省は、艦隊が航海を終えた1月13日、対空・対潜防御作戦や補給の訓練などを通じて「空母戦闘力の建設で力強い発展を促した」と総括した。航路をトレースする(図1)。12月20日に青島を出港、黄海と東シナ海で訓練を行いクリスマスの25日、沖縄本島―宮古島間を抜け、初めて西太平洋に進出した。その後台湾とフィリピン間のバシー海峡を通って南シナ海に入り、艦載機の離着艦訓練を実施。28日海南島三亜基地に到着した後、1月11日朝、台湾西南の防空識別区に入り、海峡「中間線」の大陸側を北上、12日朝台湾海峡を抜け、母港の青島基地に戻った。台湾から見ると島を一周したように映る。

画像の説明
  図1 遼寧艦隊の訓練航行路(観察者網から)

 「遼寧」(5万9千トン)はよく知られているように、旧ソ連時代のウクライナで1988年に建造された中古船である。中国はスクラップとして買い02年に大連に。海軍が修復、装備して12年に就役したが、外洋での訓練はこれが初めてだった。

 航路から政治的狙いをみると、宮古海峡とバシー海峡を通過し南シナ海に入ったのは、日本及びフィリピンなど、南シナ海の係争国を意識したデモンストレーションと考えていい。日本については、安倍首相が年初から、南沙諸島をめぐり中国と対立してきたフィリピン、ベトナム、オーストラリア3国を歴訪し、南シナ海への関与を強めていることに神経をとがらせている。程永華駐日中国大使は、2016年6月末、日本が「自由航行作戦」に参加すれば、レッドラインを越えたと見做すと述べ注目された。

 日本の参加について稲田朋美防衛相は2月5日、NHKの番組で「航行の自由」作戦への海上自衛隊の参加を否定した。稲田は日本を初訪問したマティス米国防長官との日米防衛相会談(4日)で、中国の軍事拠点化に対抗する米軍の同作戦を支持する考えを表明していた。マティスは3日の安倍表敬訪問で、尖閣諸島が日本の施政下にあり日米安保条約第5条の対象であることを確認し、安倍、稲田らをほっとさせたばかりだった。

◆◆ 経済犠牲にしても核心利益守る

 「遼寧」の米政権へのシグナルは鮮明である。トランプは選挙運動中から「中国は攻撃的になっている」「米軍艦を276隻から350隻に増強する」「為替操作国」などと、対中強硬姿勢を見せ、「一つの中国」に疑問符をつけるなど北京の神経を逆なでした。

 だから、大統領就任を前に、台湾と南シナ海という核心利益に関わる問題で、軍事力行使を含む強い意思を示す必要があった。新華社は1月21日に発表した英文論評で「中国の底線(レッドライン)は、台湾と南シナ海の主権を守ること」と強調している。また、トランプが中国を「為替操作国」に認定し中国製品に高関税をかけるなら「報復を招くだけ」と警告する一方、「中国は経済的利益で譲歩しても、最終的には米国に台湾と南シナ海の核心利益を認めさせることと交換するかもしれない」とする学者の見方を紹介している。

 南シナ海では16年12月15日、中国軍が米国の無人水中探査機を奪取する事件が起きた。これに続く空母展開で、「核心的利益」では妥協しない強い姿勢を鮮明にしたと言えるだろう。台湾をめぐる確執は今後、オバマ前大統領が署名した2017会計年度国防権限法に絡んで出る可能性がある。新権限法は、従来禁止していた台湾とのハイレベル軍事交流に道を開く内容だ。台湾国防部長はペンタゴンを正門から堂々と訪問できるようになる。また米国の「環太平洋合同演習」(リムパック)への台湾参加も可能となり、日米台の軍事協力にも道が開かれる。

 偶然のタイミングとはいえ、トランプの「台湾カード」は単なる口先ではなく、リアリティを持たせた。トランプも今後有効なカードとして考えるかもしれない。中国国防省は1月9日権限法に「中国の内政に干渉し、台湾海峡の安定を損ない、中国の主権と安全面の利益を損なうもので、最終的に米国自身の利益も損なう」と「断固反対」する声明を出した。

◆◆ 軍事ではなく政治効果狙う

 「遼寧」の航行は、軍事戦略上どんな意味があるのだろう。中国が空母を含む海軍力を強化する戦略的目標として、米シンクタンクなどは(1)日本と台湾、フィリピンを結ぶ「第一列島線」の内側を「中国の湖」にする(2)台湾有事の際に米軍の接近を許さない「接近能力」向上に向け「第二列島線」まで防衛ラインを拡大 ― と説明している。中国が海・空軍能力を増強し、防衛能力を第一列島線から第二列島線へと拡大しようとしているのは間違いない。今回は初めて空母艦隊を西太平洋に進出させその意図を鮮明にした。

 中国メディアによると、空母艦隊は黄海や東シナ海での訓練で、海上補給のほか、艦載機「殲(せん)15」の空中給油を実施した。「空母艦隊が遠洋での実戦能力を一定程度獲得した」ことをアピールし、威嚇効果を高める狙いがうかがえる。

 中国国防省は、台湾海峡の通過時は「細心の操縦によって正確に組織されていた」とし「大型艦艇の海峡通過の条件に厳格に従い、航行の安全を確保した」と指摘した。台湾海峡では中間線の中国側を航行し、艦載機の離発着訓練は行わず「大陸の台湾民衆に対する最大の善意を示した」(1月13日「環球時報」)と言うのである。しかし台湾海峡は狭い上、タンカーを含め商船や漁船の往来が多く「大演習」には向いていない。おまけにレーダーを使った大演習をすれば、通信を傍受される恐れがあるから「台湾民衆への善意」というより、演習が制約される客観的環境の「おかげ」と言うべきだろう。
 中国国防省の説明によると、「遼寧」の搭載機数は50機から67機。J-15(24-36機)、AEW&C(4機)、Ka-28PL(6-8機)、Ka-28PS(2機)などとされている。しかしその「軍事能力」には数多くの疑問符がつけられている。軍事評論家の田岡俊次氏によると[註3]、「遼寧」には米空母が装備している艦載機を加速して発進させる「カタパルト」がない。推進力が弱いため、燃料や搭載する爆弾を最小限にしないと発艦できない。甲板上には数機しか待機できず、一度に出撃する機数はごく限られるという。

 中国は現在、新空母を建造中だが、「遼寧」同様、飛行甲板先端を上に反らせている(写真3)ところからみてカタパルトはないとみられる。空母11隻、艦船攻撃用の原潜57隻を保有する米海軍と比較すること自体がナンセンスなのである。中国が資源を輸入に頼り、海外市場への依存度が高まるほど「世界的制海権を握る米国との協調をはからざるを得ない」と田岡はみる。今回の空母初航海は、軍事的な意味というより、太平洋に初めて空母船団を進出させた政治的意図が勝る。米国にそのことを認めさせることに意味がある。
画像の説明
  写真3 建造中の新空母(新華網)

[註1]《中国的亚太安全合作政策》白皮书(全文)
http://www.scio.gov.cn/zxbd/wz/Document/1539488/1539488.htm

[註2]「国務院新聞辨公室新聞発布会」
http://www.scio.gov.cn/xwfbh/xwbfbh/wqfbh/35861/36008/index.htm

[註3]「張りぼて中国空母の致命的な欠陥」(「AERA」2017年1月23日号)

 (共同通信客員論説委員・オルタ編集委員)

※この記事は「海峡両岸論75号」に掲載されるものですが著者の許諾を得て掲載したもので文責はオルタ編集部にあります。


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧