【コラム】1960年に青春だった!(30)
旅に病んで半身はリンクスを駆け廻る
例えば東京からなら、稚内へひとっ飛び、最北端の寒風に泣かされてみるか、乗り継ぎ乗り継ぎして沖縄諸島の潮風に操られてみるか。ゴルフ旅は遠く外れた地の風に誘われます。
ですからスコットランドなら南西外れのマクリハニッシュ・ゴルフクラブとなります。地図を見ると長くだらりと垂れ下がったキンタイア半島の突端。東側には二豆入りの落花生に似たアラン島もぶら下がっている。ボクは前々から「チン」タイア半島と呼んでいます。
近くのキャンベルタウンは20世紀初頭、スコッチウイスキーと漁業、造船で栄えましたが、マクリハニッシュGCはそれより100年以上前に、当時最強のゴルファーだったトム・モリス・シニアの設計で開場しました。コースとしては全英オープンを開催するに相応しいネイチャー・コースですが、なにせ遠い、宿泊施設が足りないので、残念ながら会場ローテーションの中に入れられない。いや、ファンにとっては観光化しなくてありがたいことです。
20世紀後半に話題となったあるゴルフ旅行記で知って、夢見ていました。
行けたのは96年。作家・夏坂健さんが若い読者たちのために、観光化していないコースをバスと安宿でつなぐ低廉ツアーを計画しました。誘われてボクは「マクリハニッシュを旅程に入れてくれれば」と駄目もとで注文。夏坂さんは相好を崩して組み入れてくれました。
その代わり北海沿いのコースを転戦後の夕刻から、ネス湖とキンタイア半島をフルに350キロを南下し、キャンペルタウン到着は夜中の2時。バスのドライバーが「クレイジー!」。
2番ホールで崖を上がると、自生のフェスキュー芝が嫋嫋と波打つ別世界。
これはただごとではない、と焦りました。カメラをどこに向けていいかわからず、というよりもファインダーを覗いてこれが絵になるのかどうかも知れず。
興奮が無我になり、無我が酔いに変わり、5番ホール、別称「Punch Bowl」に至って四方をフェスキュー芝のデューン(隆起)に囲まれました。日本伝統の和色でいうと灰桜か灰梅か、はたまた亜麻色か。風にそよげば浅黄に光ったり薄香をまとったり。
葉の長いフェスキュー芝、背丈が隠れるほどの隆起
スピリチュアル感覚が極まったのでしょう。妻や娘やオフィスのスタッフの顔、そして亡父の顔までが浮かび、なぜか「ありがとう」の言葉まで出てきたではありませんか。
帰国の機内で自分が半身になっていることに気づきました。半身が帰りたがらず5番ホールのフェスキュー芝の波間に逃げ込んだままだったからです。
この体験は自著や雑誌に綴りました。ヤツはいまだし。お笑いください。
僻地の風に吹かれていると、言いようのない不確かな寂寥感に襲われます。だから、リンクスランドは賑々しくグループで行くのは不向き、一人旅に限る、とボクはしばしば書いています、が、夏坂さんと行ったツアーはグループ旅行、それ以外はすべて妻との二人旅です。
一人旅に限ると言いながら妻との二人旅。それには言い訳があります。
一つ。旅の土産話の中でもとりわけ本場リンクスランド(貧しい牧草地帯)のそれは話して伝えにくい。一緒に行って見せておけば面倒がない。その二。幸い妻は酷い方向音痴だから助手席にいても静かにしている。その三。リンクスコースを勉強していないからラウンド中あーだのこーだのとくっちゃべらないない。一人旅とさして変わらないよう静かにしていてくれます。
半身がフェスキュー芝に逃げ込んだ話は読んだはずだが、物書きのホラ程度にしか思っていないだろう。ならば、マクリハニッシュを見ていない妻をお連れ申してあのスピリチュアルな世界に浸らせてあげずばなるまい。ボクも、も一度行きたいし。ヤツのことも気がかりだし。
と思って、キンタイア半島の突端まで、も一度行ったのです。1999年。
──あれからかれこれ四半世紀経ったとある春の宵。
テレビが松尾芭蕉の話をしていました。すると妻の口から唐突に「マクリハニッシュ」の名前が飛び出してきたではありませんか。
マクリハニッシュへ行った時、なんとなんと、妻は妻であの景色に気圧されたのだそうです。そして思わず芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が思い浮かんだ、あのときのことをいまでもはっきり覚えているわよ、と言うのです。
なんとなんとです。黙っている人は怖いです。
芭蕉について俄か勉強をしなければならない羽目になりました。
芭蕉51歳。旅先の宿で体調を崩して臥し、そのまま黄泉の国へ。その4日前の句です。しかしとくにこれを辞世の句として詠んだことにはなっていない。芭蕉は常日ごろから一句一句を辞世の句のつもりで詠んでいたそうで。51歳にして覚悟のできた人だったのですね。
(元コピーライター)
(2022.3.20)
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