【コラム】''''
『論語』のわき道(10)

文字二題

竹本 泰則

(1)手書き文字

 平成二十八年二月に文化庁が「常用漢字表の字体・字形に関する指針」という報告書を発表している。二年前から検討を続けてきた結果だという。専門家ではないので詳しく読んだわけではないが、基本的には手書き文字と印刷文字との字形の違いに関する指針のようである。

 手書き文字の字形は、それこそ千差万別の世界である。一人の人が書いた字であっても時によっては違うことだってある。従って細かなところに拘って、あぁのこうのと言い出したらきりがない。さりながら、入学試験などでは、よく漢字の書き取り問題が出る。そこでは漢字を「知っている」ことにあわせて「正しく書ける」かどうかが問われる。しかし「正しい漢字」、「間違った漢字」の境目などはいつまで経っても議論が尽きない厄介な問題だろう。

 報告書は最近起きている問題への対応のためにまとめたものだといっている。問題とされていることとは二つあって、一つは「」という字を例にあげて説明がされている。
 この字を手書きするときひとがしらの中を、上は横棒ではなくちょぼ、下の部分をカタカナの「マ」のような形に書く人は珍しくないだろう。
 ところが、例えば「令子」さんという人が、氏名欄にこの教科書体のような字形で名前を手書きし、その書類を役所の窓口などに出すと、字が違うので明朝体のような字形、特に最終画の部分はまっすぐな縦棒にして書き直すようにいわれたりする例があるというのだ。

 もう一つの問題は「木」の字を例にとって解説されているが、この二画目を「はねるか、とめるか」といった類の「本来は問題にしなくてよい細部の差異」が漢字の「正誤の基準とされたりする状況が生じている」ことだという。
 この項の解説では、部首としての「きへん」の形を含めて、問題の箇所ははねてもはねなくてもどちらも誤りではないとする。さらに引用すると「(学校などでは)はねのない字形が規範として示されることが多く、(このために)はねたら誤りであると考えている人も少なくないようですが、手書きの楷書では、はねる形で書く方が自然であるという考え方もあります。また、戦後の教科書には、両方の形が現れています。これは「のぎへん」 や「うしへん」も同様です」とある。

 報告書では、このほか「点か、棒か」(帰/帰の一画目)、「交わるか、交わらないか」(非/非の四画目)、「まっすぐか、曲げるか」(手/手の四画目)というように様々な例を取り上げて印刷文字と手書き文字との間に生じ勝ちな字形の違いについて縷々解説を加えている。

 全体の結論は、手書き文字の場合、例えば「士」を「土」とするなど文字の骨組み(字体)が変わってしまうような差異は間違いとなるが、そうでない限り、常用漢字の標準字体と比べて形に細かな違いがあってもそれによって字形の誤りとはしないということのようだ。
 何とも常識的な結論である。さらにいえば、今更新しい基準というほどのものでもない。現に六十年前の「当用漢字表」、三十五年前の「常用漢字表」(当時の文部省告示)においてすでにこうした考え方は注記されている。それでも問題が出てくるというところに、ことの厄介さがみえる。

 この報告書の結論のように運用する側に裁量の幅がある基準は大なり小なり混乱をともなうのが宿命である。
 「あれもあり、これもあり」は下手をすると「何でもあり」になってしまう。逆に、運用に当たる人がマジメであればあるほど許容の幅は狭まる。その中間のどこかにスイートスポット(最適解)があるかというと、それはない。あるくらいなら初めからそれが基準になる。結局、個々人の考え方、感性にゆだねられるのだが、そこは一人一人みな違うからすったもんだが起こる。そうしたことをできるだけ防ぐため折に触れてこうした基準の再徹底が必要になるということだろう。

 会社勤めをしていたころ、社内に「芸術的」な字を書くことで評判の方が二人おられたが、その手書き文字は解読に苦労する難物であった。一人はお年寄りの先輩社員。一見して「うまい」と感じ入るほどの達筆である。しかし変体仮名が混じったその草書体は若い者には歯が立たない。
 もう一人は営業部門を担当する常務取締役の地位にあるお偉いさん。「ミミズののたくったような」筆跡はまさに芸術の域に達していた。たまにものされた手紙などほかの人にはまず読み通せない。
 当時、社外宛の正式な文書や、社内文書であっても重要な規則、通達などは和文タイプで活字に打ち変えて発信することになっていた。しかし、この方の原稿はタイピストの女子社員に読めないからそのままでは受け取ってもらえない。このため部下が清書をしなければならなかった。ところがその作業は一人では手に負えず、陰で先輩などの力を借りながら読み解いてゆくという恐怖の苦役だった。何人寄っても「文殊の知恵」が出てこない場合は恐る恐る書き手にお伺いをたてる。くだんの筆者は悠然と「御如才無き!」などと答える……。

 この芸術的悪筆家に祐筆が現れた。同じセクションに同期で入社した仲間である。どんなきっかけで彼の才能が見(あら)われたのか定かではないが、その解読能力が抜群であったため、直接の上下関係ではないにもかかわらず時に応じて彼が呼ばれる。相手が重役であった故か、直属上司との悶着もなく彼はそれをこなしていた。そのためわたしもたまに、漢字か仮名かさえ判然としない芸術作品を脇からのぞき見するという僥倖をたまわったりした。
 あるとき彼をもってしても解読できぬ箇所が出てきた。わたしにもたずねてきたがわかるはずもない。仕方なく直接訊くことになった。興味にかられて、こっそりついていった。気づかれぬように少し離れた席の女子社員に話しかけながら様子を見物した。椅子を回転させて机に横向きに座った重役さんは無言の行。しばらく眺めた末に曰く「俺にもわからん」。
 この方はれっきとした国立大学を出られた人である。試験の答案などはどうしたのだろう。今になっても謎である。

 文化庁の指針の中で例示に使われた「令」だが、この字は命令(名詞)、あるいは命じる(動詞)という意味のほかに、形容詞としては立派な、美しい、よいといった意味がある。たとえば、令月とは縁起の良い月、めでたい月という意味だそうである。さらに令室、令嬢など他人への敬称にもなる。
 『論語』の中にこの字を探すとすぐに出てくるのがよく知られた次の句である。

  巧言令色、鮮(すく)なし仁(じん)

 巧言令色という態度、あるいはそのようなありようの人には仁の徳は少ない。ないとまでは言えぬとしても、わずかでしかないといった大意のようである。

 巧言を直訳すればたくみな言葉。貝塚茂樹は弁舌さわやかと訳す。ところが「巧」という字は巧(たく)みである、上手であるといった意味にとどまらず、うわべだけで内実が伴わないという意味を含む場合もある。
 弁舌さわやかということに胡散臭さを感じるのは漢民族に限らない。日本語でも「言葉が上手」というとき、ほめ言葉であるかどうかは微妙である。

 令色の「色」はいくつかの意味をもつ字だが、ここでは顔つき、表情のこととされている。「令」の字には特別悪い意味合いが含まれることはなさそうなので、令色とはきちんとした表情といったくらいの意味だろう。しかし、巧言に引きずられてか、ここをおもねる、媚びるといったニュアンスで訳す例も多い。『広辞苑』で「巧言令色」を引くと「口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと」とある。

 先の貝塚茂樹はこの章句の解説で、お世辞や媚と訳すのは間違いであり、そうと分かっていれば大きな害はない。そう見えないところが曲者なのである、といっている。これは当たっていそうだ。
 本心は別にありながら、さわやかな語り口、上手な話し方、それを端然とした顔つきでやられれば、よほどの用心がないかぎり、立派な人、優れた人と思いこんでしまう。だから危険である。孔子は、「巧言令色の人に対しても気をつけなさい。本当に人間性が優れた人はそういうタイプの中にはほとんどいないものだよ」と諭したように理解するのが妥当か。
 もう一つひねって、「巧言令色を持ち合わせた人、そのような人は表の印象通りに立派な人であってほしいものだが、そうはいかんなぁ……」、そんなふうにため息をついたともとることが出来そうである。

 孔子は言葉の順序をひっくり返している。「巧言令色、仁はすくなし」というのが普通の語法だという。「すくなし」をわざわざ前にもってくることで滅多にしかないことを強調しているというのだ。
 はてさて、警告か、「嘆き節」か……。

(2)鏡文字

 間もなく四歳になる孫娘が書いたという字を見せられた。ひらがなで名字を書いたと分かるが、中に左右が逆転した「鏡文字」が入っている。
 幼い子供が「鏡文字」を書くという現象は洋の東西を問わず、どこでも見られることなのだろうか。

 アメリカで生まれ世界中に店舗網を展開している「トイザらス」という玩具のチェーンストアがある。その英字ロゴマークでは中ほどのRの文字を左右逆転させている。これは英語圏の子どもたちが文字を書き始める時期にRの文字を「鏡文字」にする例が多いことに目をつけて、お客様である彼らに親しみをもってもらおうという魂胆だと聞く。わが国でも同じマークを使用しているが、この国でアルファベットを書く年ごろというと「鏡文字」を卒業しているだろうから、この作戦は余り意味をなさないことになる。それはともかく、このことで英語圏には「鏡文字」の現象があると分かる。

 英語圏には及ばないまでも、アラビア文字を使用する人口も多く、その数は数億人という。しかし、あの字形は取りつく島もない。よくよく見ても、一つの文字なのか、いくつかの文字が連続したものなのか、それすらわからない。そんな素人には、彼らに「鏡文字」があるのかどうかなど皆目見当もつかない。
 漢字も複雑な形だと「鏡文字」になりそうもない。しかし「上」・「下」とか「右」・「左」のような文字ならば大いにありそうな気もする。中国の子供たちも「鏡文字」を書くのだろうか。

 「鏡文字」という呼び方は、鏡に映った姿の左右が実物と逆転する現象から出てきたものにちがいない。この現象を学問的には「鏡映反転」というらしいが、これがなぜ起こるのか、その理由は未知だという。このことを知ったときは妙に驚いた。自分がその理屈を知らないでいるだけのことで、たとえば光に関する物理的な法則やら視覚神経と脳の仕組みなどといったものによって、とっくに片付いている問題だと思い込んでいた。ところが古代ギリシャのプラトンがこのことを言い出したらしいのだが、それ以来二千何百年か経つ今に至るまで、この現象を説明する理論は見つかっていない。ノーベル賞を受賞したような学者を含めて、長い間多くの人が議論を続けてきたらしいのだが、いまだに定説はないという。

 「鏡文字」の話に『論語』などを持ち出せば、例のごとくとってつけたような具合になることを承知しながらも、敢えてつながりそうな言葉、話題を思案してみる。少し苦しいが「左右」という熟語に行き当たった。
 『論語』には「右」も「左」も単字で何度か出てくるが「左右」という熟語形で現れるは一か所だけ。
 孔子の時代、中央政権である周王朝は誕生から数百年を経て権威はすっかり衰えてしまい、本来は従属しているはずの各地の「国」が独立性を強めていた。国同士の間で使節を遣(や)りとりするという外交儀礼まであったらしい。
 孔子は君主から仰せつかって訪れて来る外交使節を接待する役目に就いたことがあったようだ。そのときの行動を記した一節に次の文がある。

  ''与(とも)に立つところに揖(ゆう)すれば、その手を左右にす。
  衣の前後、襜如(せんじょ)たり''

 文中の「揖」はあちらの人がかつてよくやっていた胸の前で両手を組み合せてするお辞儀のことらしい。「襜如」とはよくわからない言葉だが、辞書では「衣服の揺れ方が整っているさま」などとある。要は出迎えのために並んで立っている場所でお辞儀をするとき、手を左右に動かしても衣服の前が割れたりせずにきちんとしていたというくらいの意味だろうか。大して含みのある内容でもなさそうだし興味も湧かないので、確とは分からぬままにほうってある。この気楽さこそ素人の特権だろう。

 『論語』の句はこれまでとして、左右という漢字については、最近まで思いちがいをしていたことがある。この二つの字はいわば同類、仲間同士と考えていて、それぞれの筆順に違いがあるなど思ってもいなかった。ところが左という字を書くときは横画(一)を最初に書くが、右の場合は払い(ノ)を先に書くとされている。小学校でもこのように教える。

 昭和三十三年に当時の文部省は『筆順指導の手引』という教育現場向けの冊子を作っている。その内容を追ってみると、前書きには「ここに取り上げなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」とあり、ほかの箇所でも「学習指導上の観点から、一つの文字については一つの形に統一されているが、このことは本書に掲げられた以外の筆順で、従来行われてきたものを誤りとするものではない」と重ねて記述している。こうした説明書きにもかかわらず、現場では手引きが「金科玉条」となってしまったようだ。これに外れる筆順は「間違い」であるという教育も行われたらしい。

 この手引きには筆順に関して「上から下へ」、「左から右へ」という二大原則に併せ、具体的な例示を附けて八つの原則(基準)が書かれている。そこに左・右が登場する。

 〇横画が長く、左払いが短い字では左払いをさきに書く:(例)「右」「有」「布」「希」
 〇横画が短く、左払いが長い字では横画をさきに書く:(例)「左」「友」「存」「在」

 原則というともっともらしいが、横画と左払いとの長短などは例示の文字を実際に見てもわかりにくい。これでは原則も何もあったものではない。
 この手引は、小・中学校の先生、漢文学者、国文学者、書家等十数名が集められ、二年間掛けて検討してきたものだという。
 左・右については、 現場の先生から「書き出しが似ているのだから、同じ筆順でよいのではないか」という意見が出たのに対して、 漢文学者が「文字の成り立ちが違うのだから、書き順も違って当たり前」と主張したらしい。後者の声が強かったのだろうか、こちらが制して今に至るようだ。

 ちなみに漢字の生まれ故郷である中国では、現在この二字はどちらも横画から書きはじめるのが基準となっているという。実は自分も期せずして中国派である。
 くだんの手引書自体は今では廃刊となっているとのことだが、それによる筆順は現在の学校でも標準の書き方として教えられている。
 左、右とも小学校一年生で習う字である。筆順をめぐって無意味な強制、権威主義的な押しつけが横行しなければいいが……。

 (「随想を書く会」メンバー)

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