【東京高検検事長の定年延長について】

政治の介入を招く検察庁法改正案

 ―検察の原点は「公正中立」にあり

栗原 猛

 政府は検察庁法改正案の成立を断念した。政権の人事や捜査へ介入を招くとして、ネット上をはじめ国会周辺にも抗議デモが広がった。日本弁護士連合会の反対表明に続いて、松尾邦弘元検事総長らも、改正は政治の検察人事への介入を許し政権の意に沿わない動きを封じることにあるとする意見書を公表し、強く撤回を求めた。
 意見書の全文は、『オルタ広場』誌上に掲載されているので、そちらを一読していただくとして、なかなかの迫力のある文章だ。これからは人事のたびに意見書と照らし合わせる作業が行われるのではないか。

◆ 政治の最優先はコロナ対策だ

 政治がいま真正面から取り組まなければならない課題は、いうまでもなく新型コロナの封じ込めと、個人消費の落ち込みなど景気への対応である。国民の生命を守るために医療、雇用、失業、経営難、学校教育、子育てなどを最優先すべきであろう。それでなくとも安倍政権のコロナ対策は隣の台湾や韓国に遅れ、PCRの検査数は経済協力開発機構(OECD)加盟36か国の最下位に近い。10万円の給付金も手続きが難解すぎるとの苦情が続く。ブラジルでは保健相が2人もコロナ政策をめぐって大統領と衝突し、辞任するなど真剣勝負で取り組まれている。

 検察官は犯罪の嫌疑があれば、政権中枢の政治家でも捜査をし、元首相を逮捕したこともある。検察には政治的な公正中立と不偏不党がバックボーンにあり、これが国民の信頼を生んできたと言える。
 政府の裁量で定年延長ができるようにすることは、元検事総長らの意見書も指摘するように、与党の政治家の不正追及を止めさせることだと誰でもすぐ感じるだろう。こういうことはないだろうが、例えば、政治家の捜査の開始を遅らせて時効(贈収賄は5年)にするなどの忖度も考えられる。
 こうなると検察は政治におもねった存在になり、ある検察の幹部は「信頼を失って、捜査などに協力が得にくくなる」という。だからこうしたことが起きないように、検察官の身分は保障され俸給、退職金なども手厚いとされる。

 政治と検察の関係で忘れてはならないことは、かつて政治は検察の捜査に待ったをかけたことがあることだ。今でも検察関係者の間で悪夢のように語られる指揮権発動である。1954年4月、造船疑獄事件の捜査の際に、吉田茂内閣は自由党の佐藤栄作幹事長(後の首相)の逮捕をこの指揮権発動で阻止した。本来は「起訴する権限を独占している検察官を、国民から選ばれる内閣の一員の法務大臣がチェックする仕組み」と考えられていた指揮権が、政治家を救うために利用されたのである。このことは、日本の民主主義の大きな汚点とされてきた。こうした直接的な介入はないとしても、人事を通じてもっと巧妙な操作が行われるようにならないとも限らない。

◆ 政治に距離を置く

 検察庁法では検察官の定年は63歳、検事総長のみが65歳で、延長の規定はない。東京高検検事長の黒川弘務氏は2月に退官予定だったが、1月に安倍政権は閣議で半年後の8月まで延長を決めた。黒川氏は官房長、事務次官を7年4カ月務め、異例の長さは菅官房長官の高い評価があるためとされ、検察トップの検事総長に据えるための措置とみられている。
 検察と政権の距離が近くなると、政治に対する監視の目が効きにくくなるばかりか、それでなくとも安倍政権は、内閣法制局長官人事で内部昇格の慣例を破り、安保法制で首相の考えに近い外務官僚を起用し、また内閣人事局を中心に幹部の人事権を握ったことで、官僚が政権の顔色をうかがう空気を生んでいるとされる。

◆ 大所高所から判断を

 政治との距離でもう一点、かつて法務省を担当していたころ「ミスター検察」と異名を持つ伊藤栄樹刑事局長がいた。ちょうどこの時期に岸信介元首相や松野頼三氏らが絡んだとされるダグラス・グラマン事件が発覚。国会の答弁で伊藤局長は「巨悪は剔抉します。捜査は公正中立、不偏不党で行われています」と、閣僚や議員席をにらんだ。
 ダグラス・グラマン事件はロッキード事件から10年目で、戦後汚職の総決算といわれ、東京地検は捜査開始宣言をして取り組んだが、時効が壁になって不発だった。伊藤氏は検事総長になってからも国会議員と会う時は、国会と法務省の中間地点にある喫茶店などを選んだ。たまにわれわれと新橋の焼鳥屋に行くと、会計は何千何百何十何円まで割り勘にした。これが気に入ったらしく時々声を掛けてきた。「総長を辞めてからも怪しまれないようにと、天下りや大企業の顧問弁護士はやらない。政治評論家をするんだ」と言っていたが、退官の2か月後に亡くなった。

 今回の問題は是非、善悪が極めて単純かつ明快でだれにでも分かりやすい。だから国民の関心も高い。街頭デモなどとともに、SNSなど新らしい意見の表明が影響力を持っていることも示した。政治家の二つの眼よりも国民の何百万、何千万という眼の方が物事を正しく見ているということである。着眼大局という古語があるが、同じ断念をするにしても、安倍首相には三権分立や司法の独立、法治国家のあるべき姿など高い視点から判断したぐらいの見識を示してほしいところだった。

 (元共同通信編集委員)
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