【コラム】大原雄の『流儀』

播磨屋の死から香港メディアまで

大原 雄

2021年暮れ。コロナ禍も落ち着いているように見えるが、年末年始の人々の大移動の前だけに、不気味さを秘めているようにも感じられる。

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◆◆播磨屋の死 ~二代目中村吉右衛門逝く~(承前)
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大原雄宛に、喪中葉書が相次いで届いた。以下、引用。

まず、一枚。
「喪中につき年頭の/ご挨拶失礼させて頂きます

 令和三年十二月
 郵便番号・住所(略)

     松本白鸚」
注:文面を囲む枠無し。

もう一枚は、数日遅れて、届いた。
「喪中につき新年の/ご挨拶を失礼させていただきます

 令和三年十二月
 郵便番号・住所(略)

    松本幸四郎」
注:文面を囲む枠(銀色)あり。  /引用終わり。

紹介したのは、歌舞伎の大名跡の一つ、「高麗屋」の大旦那(二代目白鸚)と当代の旦那(十代目幸四郎)のお二人からそれぞれ届いた喪中葉書である。個人情報に関わる部分は、私の「デスク判断」として、明示しないことにしたので、悪しからず、お許しいただきたい。

★ 播磨屋の系譜

亡くなったのは、二代目中村吉右衛門(享年77)。吉右衛門は、二代目白鸚の実弟であり、十代目幸四郎の叔父である。ついでに言えば、女優の松本紀保、松たか子の叔父でもある。しかし、戸籍上、つまり法律的には、吉右衛門は、白鸚の従兄弟。幸四郎の再従兄弟に当たる。この家系図のキーパーソンは、初代中村吉右衛門の一人娘・正子である。彼女が、初代白鸚の妻となり、二代目白鸚と二代目吉右衛門の兄弟の母親になったからである。
とりあえず、断らない限り、この小文では、「吉右衛門」という表記は、二代目を指すこととしたい。初代吉右衛門の長女・正子は、二代目吉右衛門の実母なのに、戸籍上は、二代目吉右衛門を彼女の兄弟の中の「弟」にしている、のである。ややこしいことだが、これが歌舞伎界の、ある一面を指し示すことになる。が、それはさておき、放っておきたい。いずれ、おいおい皆さんにも判っていただける説明をする時が来るだろうと思う。

中村吉右衛門、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう。
4歳までの実名は、藤間久信。男の実子がいない母方の祖父(初代吉右衛門)の養子になり、波野久信に「改姓」する。二代目中村吉右衛門襲名と同時に戸籍名を丸々初代吉右衛門の実名(姓名)に「改名」するという徹底ぶりで、波野辰次郎と名乗る。つまり、二代目吉右衛門は、歌舞伎役者になりきるために、養子前の実名も、養子になってからの戸籍名も捨ててしまう。表も裏も、中村吉右衛門として、つまり初代の養子と歌舞伎役者・二代目中村吉右衛門という、いわば吉右衛門だけの二重性の中を生涯に亘って歩み続け、生きてきたのである。

これは、吉右衛門研究者には今後、もっと分析されて良い二代目吉右衛門の論のテーマだと思う。その上、私の評価では、二代目吉右衛門は、初代吉右衛門という殻からも大きく脱皮し、「大播磨」としてそのまま、冥府に旅立っていったというわけである。あるいは、若くして苦しんだ二代目吉右衛門は表裏(虚実)とも、そういう乖離(虚実の乖離)から逃れようとしたのかもしれない。ここには、「平家女護島」の俊寛の辿り着いた境地に通じるものがあるかもしれない。苦悩の末に達した二代目吉右衛門の境地は、初代吉右衛門もなさなかったことであろう。「大播磨」たる所以が、ここにはある。

歌舞伎役者として生き抜いた藤間久信少年の心根は、真実どうであったのだろうか。少年の小さな心にあふれ出ていたであろう「真情」(心根)。それと合ったのか、合わなかったのか、判らない「定め」。その狭間で少年の心に植え付けられた「決意」(思い)。それを思うと、私はなんだか涙が、私の瞼にも涙が、あふれ出てくるような感じがして、胸がいっぱいになる。

「播磨屋」。二代目中村吉右衛門が亡くなったのは、2021年11月28日、日曜日の午後6時43分であった。都内の病院で死去。松竹は、3日後の12月1日になって、吉右衛門逝去の報を発表した。

吉右衛門には、歌舞伎役者の家系では、何があっても、家の芸を引き継ぐ役者(男の子)の誕生を熱望するが、それがなかった。子宝には恵まれていて、4人の子どもを授かったのだが、いずれも女の子ばかりであった。この女性たちの情報は、これまでにもほとんど一般には伝えられたことがない。ただただ、初代吉右衛門同様に、二代目吉右衛門にも、歌舞伎役者としてあとを継ぐ男の子はいない、ということのみ強調され続けてきたのである。

ならば、吉右衛門には、歌舞伎役者になる男子系の孫も存在しないかというと、実は、これが、男の孫がいるのである。それも、音羽屋、七代目尾上菊五郎の孫と同じ(同一人物)男の子がいるのである。吉右衛門の四女の夫が、尾上菊之助であるから、菊之助の長男が、吉右衛門と菊五郎の孫として、家系図に名を残すことになったのである。

ただし、それでも、その孫は、菊之助の長男だから、普通であれば、播磨屋系の名前ではなく、音羽屋系の名前を名乗る習いとなっている。男の子は、音羽屋系の名前である丑之助、菊之助を経て、そして、いずれ金看板の菊五郎を名乗ることになるであろうという運命を背負っている。順当に行けば、いずれ菊之助が、名跡・八代目菊五郎を名乗り、菊之助の子(寺嶋和史)、現在の七代目丑之助が、続いて、六代目菊之助を名乗るだろうから、梨園では、二代目中村吉右衛門の系統に歌舞伎役者たる「資格」のある男の子が生まれたけれど、播磨屋系の名跡につながる役者は、まだ、未定(不詳)ということである。

贅言;七代目尾上丑之助は、2013年11月28日生まれ。尾上菊之助の長男。祖父は父方が七代目尾上菊五郎、母方が二代目中村吉右衛門。2016年5月歌舞伎座『勢獅子音羽花籠(きおいじしおとわのはなかご)』で実名の寺嶋和史の名で「初お目見得」。2019年5月歌舞伎座『絵本牛若丸』の源牛若丸で七代目尾上丑之助を名のり「初舞台」を踏んでいる。

吉右衛門の実の父親は、八代目松本幸四郎、後に初代松本白鸚を名乗る。吉右衛門は、次男に当たる。二代目松本白鸚は長男、つまり吉右衛門の兄で、前名が、九代目松本幸四郎。吉右衛門は、4歳の時、当時の初代吉右衛門、母方の祖父の養子とされた。初代吉右衛門に子どもが居なかったからである。十代目松本幸四郎は、甥。前名が七代目市川染五郎。

将来二代目吉右衛門となる少年は、1948(昭和23)年6月、東京劇場『御存俎板長兵衛』の長松ほかで、4歳で中村萬之助を名乗り初舞台。

1966(昭和41)年10月帝国劇場『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の此下東吉ほかで、二代目中村吉右衛門を襲名。以来、55年間、吉右衛門を名乗り、微動だにせず、「二代目一筋」で、歌舞伎役者の道を疾走し、吉右衛門の名のみを冠し続け、吉右衛門の名前を江戸歌舞伎の宗家・市川團十郎の名跡よりも、より高い極みにまで押し上げていったと、私は思う。

1954(昭和29)年、祖父であり、養父である初代吉右衛門が逝去。萬之助は、9歳の身で初代吉右衛門の死に水を取り、初めてマスコミのカメラの前で焼香をした。告別式でいろは四十八組の鳶の頭が謡う木遣りを聴きながら「二代目吉右衛門を継がなければ」との思いを意識した、という。

特に、舞台で吉右衛門が演じる歌舞伎の時代物の立役にあっては、その時代色たっぷりの科白廻しは、ほかの役者の追随を寄せ付けないままであった。主役たる人物の、吉右衛門独特の、味付け、深い人物造形とあいまって、スケールの大きな登場人物を、悠久の時空を超えて眼前に現出せしめた。客席で目を瞑っていても、私の眼前には、吉右衛門の顔が浮かんできた。歌舞伎座に詰めかけた劇場内の多くの観客を魅了した。私の二代目吉右衛門評は、かくのごとくして、ベタほめで、客観的な劇評にならないきらいがあるので、ご容赦をお願いしたい。

★ 武士の群像

二代目中村吉右衛門が演じた武士の群像では、『熊谷陣屋』の熊谷直実、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助、『菅原伝授手習鑑』の松王丸、『梶原平三誉石切』の梶原平三、『一條大蔵譚』の一條大蔵長成、『盛綱陣屋』の佐々木盛綱など。さらに、『俊寛』の俊寛僧都、『籠釣瓶花街酔醒』の商人・佐野次郎左衛門、野人では、『天衣粉上野初花』河内山宗俊、『極付幡隨長兵衛』幡隨院長兵衛、『勧進帳』武蔵坊弁慶など、伝統を生かしながらも存在感のある独自の味わいを込めた数々の当り役を持つ。

初代中村吉右衛門の俳名、秀山(しゅうざん)にちなみ、生誕120年を記念して、2006(平成18)年9月から始まった歌舞伎座九月大歌舞伎公演「秀山祭」では、初代以来の当り役に挑むほか、次世代を担う後進の指導も熱心に続けるなど、現在の歌舞伎の「屋台っぽね(骨)」を掛け値無しに背負い続けた感がある。

また、先祖所縁の松貫四(まつかんし)を筆名とした原作者名(ペンネーム)で、数々の独自作品を書き上げ、脚本・演出などを手掛けた。最後の作品は、『須磨浦』で、いわば、歌舞伎から能へ「逆返(さかがえ)り」するという発想のユニークな手法で台本(脚本)・演出、自ら主演を手掛けた。

筆名・松貫四こと、二代目吉右衛門の遺作となった『須磨浦』は、コロナ禍のために、公開公演ができなかった。東京の能楽堂では、無観客・録画公演となり、後日、舞台中継演出の録画番組はテレビで放映された。私も、このテレビの録画番組として『須磨浦』を拝見したことになる。扇子一本を持ち、舞台衣装を着けず、袴姿で化粧をせず、「直面」で素顔を見せて、熊谷直実を演じた。

贅言;NHK『にっぽんの芸能「中村吉右衛門 こん身の一人舞台“須磨浦”」』 (2021年3月5日放送)

最後の舞台は2021(令和3)年3月歌舞伎座、第3部『楼門五三桐』で、一幕だけ演じたのが石川五右衛門役であった。3月28日は、千秋楽の前夜であった。舞台がはねた後、帝国ホテルで顧客と食事中、突然体調を崩し、救急搬送される。その後、心臓発作であったことが聞こえてきた。

歌舞伎界を背負い続けていた男は、平成18年から24年まで文化庁の舞台芸術体験事業に参加し、全国各地の小学校をまわり、小学生に歌舞伎の楽しさを伝える活動も行った。子供たちの中に歌舞伎のファンを増やしたい一念だったのだろう。映像作品ではテレビドラマ「鬼平犯科帳」に平成元年から28年まで、実父の初代白鸚も演じた長谷川平蔵役で主演し、人気シリーズとなる。

昭和59年芸術祭賞優秀賞、日本芸術院賞、平成14年日本芸術院会員、平成14年度芸術祭演劇部門大賞、平成23年重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)、平成29年文化功労者。令和2年日本放送協会放送文化賞など受賞した。データベースからの引用ゆえ、いちいち西暦に直す手数を経ずに、年号のまま引用したので、許していただきたい。

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◆◆ 「10議席を“確保”」という認識
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新年に入って、日本列島も急激にコロナ禍蔓延。そういう危機的状況の中でも、必死に伝統芸能を守り、後世に残そうと努力をする人々がいる。一方、政治家は、有権者である国民の生命と暮らし、つまり、現在を守らなければならない。

世の中、総選挙が終わったせいか、夏に参議院議員選挙があるせいか、人々は選挙を論じる。現在の政治状況の中では、「野党統一候補」戦術の是非論が、特に野党の中で広まっている。党代表の選挙・選出もあった。この戦術は、現代の日本のような野党体制が多党化している政治状況では、対自民党など与党対抗策としては、有効性があるものだと思う。有権者、特に、若い人たち、あるいは女性たちは、一時的な当落結果に惑わされずに、考えてほしい。

立憲民主党、国民民主党など野党系の各党は、多党化の中で、大同小異は当然とする基本的な共通認識をベースに、戦術論としては、あくまでも、対与党論を最優先し、さらなる連携と工夫を積み上げてほしい、と思う。野党系の政党の中には、安保論や憲法改定論を前面に押し出し、維新の会に象徴されるような非自民系の野党色と合わせて保守色を強調し、政党の特色を出そうとする動きもあるが、ここで野党の王道を見間違えてはいけないと思う。多党化の中で、線引きするべきは、自民党との違いであって、野党系の中での互いの違いの強調ではないはずだ。

実を申せば、私は、学生時代に選挙権を得てから、革新系の政党・個人に投票したことはあるが、政党で言えば、自民党、共産党、公明党には、投票したことがない。いわば、典型的な「支持なし層」の有権者である。従って、政党色は希薄である。

野党系の中で、共産党色を嫌う有権者の投票行動の背景でいちばん大きいと思われるのは、中国共産党の習近平国家主席に象徴される権威主義的な政治・政治体制だろう。これは、ロシアのプーチン大統領に象徴される政治・政治体制を例示しても大きな違いはないかもしれない。
政権与党の政治勢力は、最後は、共産批判をする。ひどい人になると「禁句」を使って、非難する人もいるだろう。だからと言って、それに同調するように、野党系の中で共産色を目障り扱いするのも、いかがなものであろうか、と私は思う。日本共産党は、中国共産党とは違うだろう。日本国内では、過去はどうであれ現在の共産党も野党多党化現象の一つでしかないのではないか。

今年夏の参議院議員選挙を控えて、野党同士、身内を割るようなことは断然しないようにしてほしい。的はどっちだ、見誤るな。目標は野党統一候補の当選ではないのか。現実的な政治状況をこそ目の前に据えて、与党から野党への政権交代、及びそれに基づく政治や経済の活性化こそを実現させなければならないだろう。時折々の政権交代の可能性こそが、自民党などの利権政治を矯正する特効薬はないだろうからである。それが、コロナ収束後の、「ポストコロナ社会」の国民共通の、かつ、最大限、最優先の課題ではないのか。
共産党も、従来のような伝統に寄りかかった建前主義ではなく、まずは、横並びの野党同士の理解を深め、お互いに仲間意識を持ち、地に足をつけた(血の通った)政治を分担して進めてほしい。それが、真の的を求める野党系有権者の当面の願いに間違いはあるまい。

★ 共産党の「後援会ニュース」

そういう折、日本共産党系のある「党後援会ニュース」(部内資料)を読む機会があったことから、日本共産党について気になったことがある。

「ニュース」によると、衆議院の共産の議席数は、総選挙前は、12議席だったのだが、選挙の結果、2議席減らして10議席(比例:9・小選挙区:1)になった、と報じている。これは、結果として、2議席減らすことになる選挙の「票読み」(候補者の獲得票数を予想し、具体的に数字で表現する)をするマスメディアのコモンセンスから見れば、その選挙結果は、事実としての「負け」である。それなのに、部内資料の「ニュース」の紙面の見出しでは「日本共産党10議席を確保」と、踊っているように見える。そういう表現の見出しを掲げた部内資料を平気で配布している。

「日本共産党10議席を確保」という字面を素直に読めば、「確保」という表現には、素直に負けを認め、次回の捲土重来を期する真摯な姿勢が欠けている。ここは、素直に負けを認め、きちんと今回の敗因分析をしたうえ、次回選挙で党勢回復を目指して刷新活動をめざすべきところ、「日本共産党10議席を確保」という、「勝った」ような、次回への熱い思いが冷めたフェイクニュース的な見出しで、踊っていて良いのか。「冷めた」と私が表現したのは、「負けた」のに「勝った」ようなニュアンスが、この見出しから感じられたからだ。こういうやり方をすると、この政党は、事実を正視しない傾向があるのではないか、いわば、民主主義的なコモンセンスが共有されていないのではないか、という冷たい感じがする。

この違いがどこから来るかというと、私は、次のような発想をしてしまう。というのは、この組織の血と私の血の温度(暖かさ)の違い、センスの違いがあるのかななどと思ってしまうからだ。共産党の幹部には、そういう市井人の肌の温もり(生活臭さ)の感じ方がないのか。温もりがあるということを知っているような感性の持ち主は、いないのであろうか。いや、心熱き共産党員にそういう人がいないはずはないだろう。あのニュース記事の見出しには、アメリカの前大統領トランプ氏得意の「フェイクニュース」っぽい、匂いを感じる。

日本共産党のニュースの書き方は、例えば、以下の通り。先ほどの「党後援会ニュース」とは、また、別のものだが、根幹は、同じものを感じる。参考までに、引用。これが、負けた選挙の分析記事で良いのだろうか。負けは、負け。率直に認識して、次回は雪辱を図って、勝ち取ろう、というのが、普通の対応ではないか。というのが、私の問題意識。

(見出し)
野党一本化 62選挙区で勝利

(以下、本記)
 第49回総選挙の全議席が1日、確定し、日本共産党(公示前12議席)は比例代表で9議席、小選挙区では「オール沖縄」でたたかった赤嶺政賢氏が沖縄1区で勝利し、10議席を獲得しました。

政権交代に挑んだ市民と野党の共闘が一定の効果を発揮し、野党で候補者を一本化した62の選挙区で与党候補に競り勝ちました。

自民党は選挙後に無所属の2人を公認して261議席を得て、公示前276議席から後退したものの、単独で国会を安定的に運営するための「絶対安定多数」を維持しました。

日本共産党は、比例代表では、前回獲得した11議席(得票440万票、得票率7・90%)から9議席(得票416万票、得票率7・25%)へと後退する結果となりました。

 今回の総選挙で日本共産党、立憲民主党、社会民主党、れいわ新選組の4野党は、市民連合と20項目の共通政策を結び、共産党と立民は政権公約でも合意し、「政権交代」をめざし協力・連携してたたかいました。全国289の小選挙区のうち214区で候補を一本化し、神奈川13区で自民党の甘利明幹事長が敗北したのをはじめ、自民党の重鎮や有力候補に野党候補が打ち勝つ選挙区が相次いで生まれました。  /以上、引用終わり。


これでは、選挙に勝ったような分析記事だと私は思い、参考までに、皆さんにも読んでいただきたいと思った次第である。「立憲民主党よ、しっかりせよ」というところが多いが、保守系野党から警戒されている日本共産党も、これでは「しっかりせよ」と言わざるを得ない。「政権大事」「利権大事」で、利害では、何よりも結束する能力がある現行政権、特に自民党に野党系が勝ちを占めるのは、これではなかなか道遠しになりかねないのではないか。自民党との違いが出せていない。

★ 「九条の会ニュース」

例えば、ここで、地域の市民団体、例えば、「九条の会」などの「ニュース」(会員同士で執筆・掲載している「チラシ」らしい)との違いを比較してみようか。

「○○九条ニュース」から。○○は、地名。
ニュースの、キャンペーン見出しは、「主権者・国民の総意で平和の砦(憲法9条)を守ろう」。

本記は、以下の通り。まず、本記の見出し、転載。

(見出し)
「護憲野党市民と共通政策、国民に届ききれず 14議席減」。

(以下、本記)
共闘は、全国289選挙区中217選挙区で実現 62選挙区勝利(当選まで1万票内 31選挙区)。

「共闘は一定の前進あり、始まったばかり、本気度・質・党派間、市民団体との総合のリスペクト・信頼の積み重ねは、試練を乗り越えて、さらに共闘が強固になるよう努力しましょう」。(高田健氏)

解散権乱用で政権党主導の選挙作戦 安倍・菅政治の悪政追求(「追及」の誤記か)を遮断した。
* 支持急落の菅政権に変わる(「代わる」の誤記か)総裁選は自民党の再生ビジョンをメディアが一大イベント化した。
* 野党共闘の脅威を感じた自公・維新は、反共デマ攻撃で野党共闘・有権者の分断を図った。
* 公示直前の候補者一本化で共闘体制の出遅れ、主体的、客観的反省は次のステップに生かす。」(以下、略)  /引用終わり。

これだけの引用でも、共産党と市民団体の状況認識、表現の肌触り、温かみなどは、だいぶ違うことがお判りいただけると思う。「九条の会」の方が、有権者の生活感覚に近くて、判りやすいのである。

★ 野党統一候補

共産以外の野党の当面の対応については、12・20付け朝日新聞記事が論じている。「記者解説」のタイトルで、前の新聞労連委員長を務め、その後、古巣の本社政治部へ戻った南彰記者が書いているので、概説的に文意優先で引用したい。

南記者によると、野党統一候補路線では、連合(芳野友子会長)が、ネックになるという。立憲支持は自治労などのグループ。保守色の強い国民民主支持は電力総連などのグループ。この二つのグループで、共産を除く野党は、ほぼ二分されているという。さらに、すでに指摘したように、共産との「しっくり」感の欠如がある。これでは、参議院議員選挙でも、総選挙同様に勝ちは望めないのではないか、と危惧している。私も同感する。

その原因の一つは、野党第一党としての立憲民主の魅力不足である。私見だが、私は、颯爽感の欠如、潔さの欠如が、立憲という衣服には、染み付いていないか。これは、共産のところでも、感じたことだ。

南記者も言うが、私も言う。「野党共闘はやはり必要」である。これがなければ、野党が自公の与党体制を変えて、政権交代を目指す、というようなことは、そもそも実現不可能ということになりかねない。立憲の魅力とは何か。1・4のメディアのニュースでは、立憲民主党の泉代表、国民民主党の玉木代表は、それぞれ、伊勢神宮参拝をしたと報じている。これだけを見ても、立憲も、以前の立憲ではない。保守化した立憲である。

立憲が立憲たりうるためには、党是として、以下の原理を掲げてほしい。特に若い有権者や女性有権者には、強調してほしい。

1)立憲主義(民主主義の原理・理念は、やはり大事に)、
2)人権尊重(特に、ジェンダー。男女同権。特に、同一賃金の実現は、その象徴)、
3)多様性(少数意見の尊重。多党化にも通底する)。

そういう新しい旗幟を高々と掲げるためには、女性の組織代表、執行部の男女同数など、大胆な「見える化」を進める必要がある、と思う。

野党系が政権交代を真摯に実現しようと思うなら、有権者、特に、棄権層の若い世代や女性の有権者層の琴線を鳴らさせるような対決軸を与党との間に構築すべきだろう。「自公政権に代わる」というような戦術をとるなら、現行政権に「にじり寄って選挙に勝つ」という戦術では、選挙には勝てない、ということを肝に銘じるべきだろう。より重要なことは、野党系が政権交代を実現させる前に、まず、自民党政治の「ゆがみ」(近年では、森友問題、桜を見る会問題など、安倍・菅の、長期政権のうみを出し切れていないなど、いろいろあるではないか)をきちんとチェックし、現行政権に打撃を与えうるような政治勢力の構築であろう。

贅言;以下、今回の日本共産党・私論のまとめ。

1)日本共産党は、政治活動集団として、有権者に「取り繕う心根」から、さよならすべきだ。取り繕う心は、フェイクに通じないか。
2)戦前・戦後の党内暗黒史。歴史のある政党というプライドを捨てるべきだ。
3)野党統一候補を担ぎ切るために、共産党は平場に降り、ほかの野党と横並びになるべきだ。野党「横並び」の立ち位置で、言うべきことは堂々と言う。有権者に響くような存在感を磨け。変な自粛はするな。自民党などの政権与党から、野党共同で政権を国民の手に取り戻すべきだ。まず、それを実現させよう。
4) コロナ禍抑圧後の、日本社会は、全く新しい原理原則を構築できる政党が政権を握るのではないか。多党化の中での共存社会。各党の政治手法は、望まれる「連立政権」のありよう探しゲーム。

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◆◆ コロナ禍3年目に突入
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皆さんも覚えておられると思うが、日本のコロナ禍による新型コロナウイルスの感染者は、第5波のピークが過ぎた後、つまり、昨年の8月下旬ころから突然急激に減少し始めた。それは、ピークに向かって、急な傾斜を上るように増え続けた棒グラフが、ピーク超えをしたと思った直後、ほぼシンメトリーのように、突然急激に急な傾斜を下るように棒グラフが、減り続けたのだ。
そして、その後、地域によっては、多少、その場限りの上昇が見られたりしたものの、全国的に見れば感染者数も死亡者数も、それ以前のオーダーから見れば、かなり低い値に抑えられている。その傾向は、東京を軸とする首都圏の各自治体から公表されるデータでも、裏付けられていた。

この要因については、多くの専門家がさまざまなコメントを出していて、定説はないようだ。しかし、さまざまな専門家のコメントの中でも、この連載コラムでもすでに触れたように日本医師会の釜萢敏常任理事が言っていたように、「突然、感染のリンクが断ち切られたようだ」(発言大意)という、キツネにだまされたような率直なコメントが、実に、専門家として医療現場の第一線で対応を余儀なくされた人ならではの、実感がこもっていて、いまだに私には、印象に残っている。
そして、その後は、日本列島全体で、200人前後以下、東京都では、20人前後以下、時としては、東京都では、感染者は一桁というウイルスを抑制的に抑え込んだ状態が続く、いわば「下止まり」というか「横滑り」というか、そういう傾向が年内は続いてきた。さて、そろそろ収束の時期が近づいているのかな、と思いたくなるような棒線グラフの下止まり状況であったと思う。しかし、「敵もさる者」であり、下止まりまでは、オーケーだが、それ以下の世界には、寸毫も行こうとしないように見えた。

私の勘では、コロナ禍が収束したとしても、その後も、新型コロナウイルスの変異株は、自己変革し続けて、インフルエンザウイルスと同じように人類と共存し続けるのではないか、と思っている。人類は、毎年、冬の時期などに、インフルエンザワクチンの注射(接種)を打った後3週間ほど間をおいて、次は、新型コロナワクチンの注射を打ちましょうなどと書いたポスターがクリニックの壁に貼り付けられたまま、診察室では、院長先生がお年寄りなどに注射しているのではないか、と想像するが、いかがであろうか。そのころには、新型コロナワクチンもインフルエンザワクチン並みに、人類の手でアンダーコントロールされていて、大騒ぎもしなくなっているかもしれない。それが、コロナ禍を抑制した後の恒常的な日常風景になっているのではないか(初夢かな)。

と、あさっての方向へ妄想をたくましくしていたら、デルタ株は、いつの間にか、失墜したように見えるが、デルタ株の代わりに新たな変異株として、「オミクロン株」が、ギリシャ文字のアルファベットの順位では、15番目に当たる変異株当番として登場してきたではないか。

オミクロン株は、デルタ株よりも、強烈だとか、デルタ株まで効いたであろうワクチン効果も「効能なし」で、ワクチンも3回目以上の接種(ブースター接種)が必要になるということで、国も自治体も、振り回されているようだが、誠にご苦労さん、と医療や行政の担当者には、お礼を述べなければならない。私たちも、マスク着用など自分でできる予防策は積極的に取るべきだろう。ヨーロッパ各国やアメリカの慌てぶりを横目にイスラエルなどでは、ワクチン接種は、もう、4回目の対応を始めている。
デルタ株は、オミクロン株に追い出された(置き換えられた)のか。オミクロン株も、いずれは、新たに登場するかもしれない変異株に追い出されることになるのか。人類も、キツネにだまされるように、新型コロナウイルス変異株とのイタチごっこが、まだまだ、しばらく続くのかもしれない。

日本列島での感染拡大も、専門家の危惧通り、年末年始の人の動きを踏まえて、2022年は、早々とオミクロン変異株が暴れ出した。沖縄では、1日の感染者が、1,414人(1・7現在)と過去最多を記録した。

★ コロナ退治の特効薬の一つは、「日米地位協定」の撤廃

デルタ株が、これまでのコロナ変異種の典型だとしたら、オミクロン株は、症状が「インフルエンザに近い」(藤田次郎琉球大学教授)が、感染すると病床で休む期間は、デルタ株より長いから、要注意という。目下、猛烈に感染が続いている沖縄県では、去年12月末段階で、コロナに占めるオミクロン株の割合は、9割りを超えていたという。つまり、沖縄県では、すでにデルタ株は影を潜めつつあり、オミクロン株が置き換わっているというのである。沖縄県、山口県のオミクロン株の襲来の背景には、日米地位協定がある、という報道がなされている。

日米地位協定は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定。1960年(いわゆる「60年安保」)1月19日に、新・日米安保条約第6条に基づき日本とアメリカ合衆国との間で締結された地位協定。

日米地位協定の第9条。米軍人・軍属やその家族の出入国手続きが定められている。そこには「外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外されている」と特権が包括的に定められているだけだ。「検疫」もこの「管理」に含まれるとされている(外務省地位協定室の説明、1・7付け朝日新聞朝刊)。さらに「協定」の運用について議論をする日米合同委員会では、第9条をめぐる2つの取り決めを結んでいる。

1)「検疫」のあり方:米軍人・軍属やその家族が ①軍の飛行機や船で在日米軍基地に直接入国する場合は、米軍が検疫に責任を持つ ②民間の飛行機や船で入国する場合は、日本側による検疫を受ける(1996年合意)。

2)情報提供のあり方:基地内や周辺地域で感染症患者が見つかった場合は、米側の医療機関と日本の保健所の間で、相互に「可能な限り早期に通報する(2013年覚書)。しかし、実際には、速やかな情報提供がなされているとは言いがたいのが、実情らしい(神奈川県、広島県、山口県、沖縄県)。「どこに問題があるかというと地位協定の問題に行かざるを得ない」(神奈川県の黒岩知事)。

コロナの防疫体制水際対策でも、日本の空港などでなされている対策が、例えば鍵をかけた表門が閉め切られ、一般の入国者が脇の通用口から出入りしている状況と想定した場合、米軍基地などでなされている対策は、締め切られているとはいうものの、竹製で作られた枝折戸のような木戸を押せば、出入りできるというような状況なのかもしれない。例えば、通常は、外国人が3ヶ月以上国内に滞在する場合、居住地などを登録する必要があり、住民基本台帳に載る。地位協定9条に基づく特権では、米軍人らは、この対象からも外されている。地域にどのくらいの軍人軍属が住んでいるかは、当該自治体でも把握できない、という。これが、日米地位協定下の日本の実情である。

東京新聞Web版(1・7)の記事によると、

「Q 米軍がしっかり対応すれば問題ないのでは。

 A 米軍は日本で緊急事態宣言などが出ていた去年9月、独自の判断で出国前の検査を取りやめました。日本到着直後の検査は元々実施しておらず、入国後も基地内を自由に出歩くことが容認されるなど「行動制限」はずさんでした。しかも、沖縄県のキャンプ・ハンセンでクラスター(感染者集団)が発生するまで、政府はそうした状況を把握していませんでした。

 Q それでは国内の感染拡大が防げないのでは。

 A 政府は「日本と整合的な措置」を講じるよう米側に申し入れていますが、あくまでも「お願い」です。強制力を持たせるには地位協定の改定などが必要ですが、米国の軍事力に頼る日本も、特権を手放したくない米国も後ろ向きです」。  /引用終わり。

別の日の東京新聞Web版(1・6)の記事によると、

「岸田文雄首相は6日、在日米軍部隊の検疫や新型コロナウイルス感染拡大防止対策を米側に委ねる根拠となっている日米地位協定について「改定は考えていない」と語った。官邸で記者団の取材に応じた際、本紙の質問に答えた。
 米軍は地位協定や日米合同委員会合意などにより、日本側の検疫や対策が及ばない決まりになっている。本紙は、特権的な対応を認める日米間の取り決めが水際対策の抜け穴になっているとして、協定の改定を検討するかをただした。
 首相は見直しを否定した上で「日米で意思疎通を図り、現実的に対応するのが大事だ」と話した。
 米軍は去年9月以降、出入国時の検査をしていなかった。日本政府の要請を受け、昨年12月に出国前72時間以内と、日本到着後24時間以内の検査実施に改めた(上野実輝彦、川田篤志)。  /引用終わり。

コロナ水際対策でも、非核化に向けた国際的な核軍縮の「横並び」に積極的に参加しようとはしない日本政府のこれまでの姿勢と同根の構造的問題が、影を落としている。国民の生命や暮らしを守ろうという姿勢に背を向けている。こういう政権では、日本は、いつまでたっても自立は難しいだろう。アメリカの施政下にある戦後という実態は、いつまでも変わらない。有権者は、コロナ問題を契機に、日本政治の政権交代を積極的に考えるべき時が近づいている。

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◆◆ 香港の民主派ネットメディア、配信停止
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もう一つ、言論表現の自由、報道の自由の視点から、見逃せない記事が伝えられている。香港の民主派ネットメディア「衆新聞」は、1・2、メディアの環境が悪化したとして、1・4にニュース配信を停止すると発表した。香港では、反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)による摘発で、民主派の立場を伝えるメディアがほぼなくなりつつある。

以上は、1・4付けの朝日新聞記事からの引用である。衆新聞は、2017年元日に創業した。香港の主要メディアのベテラン記者らが参加して、報道の自由をまもるため、独自の評論や調査報道などを手がけてきた。香港では、日刊紙「リンゴ日報」が去年(2021)6月に国安法による摘発で廃刊に追い込まれ、中国政府に批判的な新聞はなくなった。

権力とメディアの攻防は、何も香港だけの問題ではない。メディアは、権力を監視しないと廃れて行く。権力の広報機関におちぶれて行くだけだ。それは、国民にとって、とても不幸なことである。

権力は、メディアによる監視がうるさくて仕方がない。だが、近代社会では、国民が主権者であり、権力に裏打ちされた制度としての政治権力は、フィクション(擬制)にすぎない。擬制は、いつかは終焉する。マスメディアは、その日を待ち望み、権力の擬制のゴールより、さらに先の地平のゴールを目指して生き延びるために地道な努力を続けて行かなければならない。生き残る道は、それしかないのだから。

贅言;コロナによる感染には、
1)「飛沫感染」(飛沫のサイズが大きく、重力ですぐに落下する)がある、という。
2)「接触感染」(ウイルスそのものが付着する)もある。
3)「空気感染」(ウイルスを含んだエアロゾルを吸い込んで感染する)。感染力が強いオミクロン株で要注意なのは、これか。エアロゾルとは、空中に吐き出された液体や固体が、重力ですぐに落下せず、空気中を漂う状態のことを言う。霧や煙、花粉を連想すれば良い。コロナのエアロゾルは、空気感染を起こしうる。コロナのウイルスは、くしゃみや呼吸の時に口や鼻から出る粒子で広がるという。

 (ジャーナリスト(元NHK社会部記者))

(2022.1.20)
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