【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

懸念が深まる、中国当局によるウイグル人の「再教育」

荒木 重雄

 新疆ウイグル自治区では、昨2017年から、イスラム教徒のウイグル人の行方不明者が増えているといわれる。当局から「再教育」が必要と判断されたウイグル人(カザフ人やキルギス人、ウズベク人も)が司法手続きなしに拘束され、「再教育センター」(去極端化中心)に送られているというのだ。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウオッチなどによると、その数は100万人を超えるという。新疆のウイグル人などイスラム教徒の人口は約1,100万人。だからその10%近くが勾留されていることになる。

 どのような人物が狙われるのか。ウイグル人に人望のあるオピニオン・リーダー、文化人、教師、外国滞在経験者、一時帰国の留学生、子どもが留学中の親たち、などが目立つという。ほかには、イスラム風の服装やひげを蓄えた者、ヴェールをかぶった女性、ラマダンに断食を貫く者、反抗的な姿勢を見せた若者などが次々、拘束されて再教育施設に送られているという。

◆ 文革期さながらの人格破壊

 再教育施設は70を超え、各施設に数千人が収容されていると推測されるが、その所在も、「再教育」の内容も、域外からは確認できない。国際人権団体などが勾留された者から漏れ聞くところでは、中国語学習や、愛国スローガンや習近平主席を讃える言葉を何時間も大声で繰り返し唱えさせられる、イスラム過激思想に反対する文章を書かせられ全員の前で読む、自己批判の言葉を唱え「私は生まれ変わる」と大声で誓わされる、などで、反抗的態度を示したり私語する者には容赦ない刑罰や拷問が加えられるという。

 ウイグル人の間では次のような噂が広がっている。「収容所から年寄りの遺体は帰ってくるが、若い人の場合は火葬された遺骨しか戻ってこない。法輪功のときのように、きっと臓器が売買されているのだろう」。真偽のほどは不明だが、ウイグル人の中国当局への恐怖と不信の表明であろう。

◆ ウイグル人にとっての近現代とは

 新疆ウイグル自治区が位置する地域は、歴史を通じて中央アジアの勢力と中国の勢力が拮抗する舞台だったが、18世紀に清の支配下に入り、清から「新しい領土」を意味する「新疆」とよばれた。それが現在の地名の起源となった。清に替わる中華民国の支配下で、1933年と44年、「東トルキスタン共和国」として独立を図ったが、はたせず、49年の共産党政権樹立とともに解放軍の進駐を受けて抑え込まれた。

 新中国の下では、大躍進政策(58~60年)で経済と生活を破壊された住民、数十万人が餓死し、数万人がソ連領に逃亡する事態となった。続く文化大革命(66~76年)ではイスラム禁圧が徹底されてモスクの破壊や宗教指導者の迫害が行われ、また、紅衛兵同士の武装闘争に巻き込まれて住民数千人が死傷するなど、混乱を極めた。この大躍進から文革の期間、自治区のイスラム住民たちは、弾圧に抗して幾度もの大規模な蜂起・反乱を繰り返していた。

 80年代、中国政府は民族融和政策に転じて情勢は小康状態を保ったが、90年代、ソ連の崩壊にともなって同じイスラム民族の中央アジア諸国が独立したことも与って、再び、自治区住民に政治的な独立を求める機運が高まった。警察・政府施設への襲撃や治安部隊との衝突などが頻発し、政府はこれに対して「厳打」とよばれる容赦のない弾圧と、モスクに住民を監視する責任を負わせたり、教育における民族語の禁止・中国語の義務化など文化的締め付けで応じた。

 一方、経済格差も大きな問題である。自治区設立以来、核実験関連や石油・ガス開発、さらに90年代末からの「西部大開発」による基盤整備などで大幅な経済成長を遂げたとされるものの、その間に漢族の移住がすすんで自治区人口の半数に迫り、その漢族が経済発展の利益の殆どを独占して、他方、ウイグル住民はその多くが、差別からまともな職にも就けず貧困状態に置かれている。こうした状況への反発から、2009年、首都ウルムチでウイグル住民の大規模な抗議行動が起こり、これに漢族移住民が反撃して2,000人に及ぶ死傷者を出す騒乱に発展したことは、読者の記憶にもまだ新しいことであろう。

 これを期にいっそう厳しくなった当局の取り締まりや文化的締め付けに促されるように、ウイグル人による暴力行為も頻度を増し、それも、市場や駅での襲撃や爆発事件のように無差別化、凶悪化がすすんでいる。なかでも、2013年10月に北京の天安門前広場に自動車で突っ込んだ事件は、共産党政権の中枢への攻撃として党指導部を激怒させ、イスラムへの憎悪をいっそう掻き立てたといわれている。
 弾圧と報復の連鎖が止まらないのである。

◆ 生臭い国際政治が背景に

 新疆ウイグル自治区ですすんでいる懸念すべき事態は「再教育センター」ばかりではない。自治区全体が巨大な強制収容所になっているともいわれている。主要都市の要所や交通の要衝には監視カメラが張り巡らされて顔認証システムで住民が監視下に置かれ、イスラム教徒の携帯電話には当局による位置探査を常時可能にする工夫がなされているといわれる。さらに、漢族の共産党員がイスラム教徒の自宅を戸別訪問し、ときには数日も逗留して一家を監視する活動を展開しているという。なぜそこまでやるのか。

 新疆ウイグル自治区は習近平政権が掲げる「一帯一路」構想の主要拠点に当たり、その拠点を順調に機能させるにはウイグル人を中国に「同化」させる必要があり、現在進行中の事態はその政策手段である、との説明もある。この観点から見れば、国連人権理事会などが憂慮を表明しながら手を拱いているなかで、ひとりトランプの米国が、ウイグル問題を理由に中国への経済制裁を検討するなどはりきっている背景も見えてくる。
 じつは米国は、2001年の同時多発テロの後、同自治区の一部の独立派をテロ組織と認定し、中国政府の強硬姿勢に一定の理解を示してきた。その米国が、最近になってウイグルの人権問題にことさら積極姿勢をみせるのは、やはり、解決の道が見えない米中貿易摩擦がらみがあるようだ。

[『オルタ広場』2号・3号で坪野和子氏が自らのネットワークで捉えた同問題を書いている。参照されたい。本稿もその内容の一部を引用している]

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧