【アフリカ大湖地域の雑草たち】(30)

感謝されるより感謝せずにはいられない

大賀 敏子

史上4人目

 春のしるしであるジャカランダのつぼみが膨らみ始めた、8月末のことだ。携帯にメッセージが届いた。
 「入学できました。寮にも入れました。資金を出してくださったことを感謝いたします」
 シングルマザーSの長男Pからだ。この日、ケニア全土の大学で新入生たちがキャンパスに加わった。19歳のPもその一人だった。
 ケニアには36の国立大学、25の私立大学がある(Commission for University Education, 2022年12月現在)。1970年創設のナイロビ大学など少数をのぞき、ほとんどが2010年代に、全国にまんべんなく新設された。大学基本法(Universities Act)の制定は2012年だ。
 大学進学者数は増加してきているが、多くの人にはまだまだ高嶺の花だ。SとP母子の郷里(ナイロビから車で北へ6時間ほど)で大学入学を果たしたのは、1963年のケニア独立以来、このPで4人めだという(註1、註2)。

(註1)ケニア推計総人口5705万人のうち、大学進学者数は2007年、2011年、2017年、2022年にそれぞれ11万8239人、19万8260人、52万2059人、56万3000人(Statista, “University enrolment in Kenya from 2017/2018 to 2022/2023”、岸真由美「ケニアの高等教育事情」、アジ研IDEスクエア2012年6月、ほか)
(註2)国立大学の一つであるJomo Kenyatta University of Agriculture and Technologyは、1981年、日本政府との協力で創設されたJomo Kenyatta College of Agriculture and Technology (JKCAT)が1994年に昇格したものだ。

成績が良くなきゃダメ

 ケニアの教育は8‐4‐4制(初等教育8年、中等教育4年、高等教育4年(本稿では、小学校、中学校、大学など、と記す))と呼ばれる。小学校から中学校へ、中学校から大学などに進むには、それぞれ国家統一試験(前者はKCPE(Kenya Certificate of Primary Education)、後者はKCSE(Kenya Certificate of Secondary Education))を受ける。KCSEの評価は、教科ごとにプラスとマイナスを含むA~Eの12段階で、大学進学には総合点でC+以上が必要だ。それ以下なら大学はあきらめ技術訓練校などに進むか、社会に出るかである。KCSE試験は、全国一斉に、最終学年の最終学期の数日間、全教科についてみっちり行われる(註3)。
 Pは2022年末にKCSEを受験した。成績はC+、大学進学ぎりぎりセーフだった。

(註3)8‐4‐4制からCompetency Based Curriculumという新制度へ現在移行中。

がり勉の青春

 優良な成績を修めるには、言うまでもなく、がり勉が必要だ。
 とあるナイロビの中学校を訪ねたことがある。正規授業のほか、毎夕と土曜は補習だ。自由時間は、復習、予習、宿題のほか、全寮制なので洗濯や掃除にあてる。日曜朝は宗教的行事(礼拝など)があるが、昼食後はまた補習だ。上述の卒業前の国家試験のほか、中間テスト、期末テスト、学力テストがある。大教室の壁に掲げられているのは、よく見ると、欧米の有名大学、国内の名門校などへ進学した卒業生たちの名前だ。
 そんな15~17歳の生徒たちを前にした瞬間、この空気には記憶があると感じた。若さはあふれかえるほどなのに、空気は重苦しく疲弊しているのだ。日本の受験生のそれと似ている。

お金がなきゃダメ

 もっとも、がり勉をしたくてもできない子供たちもいる。なかには、教育経費を払いきれない保護者もいるためだ。経費とは、授業、教材、補習、庶務などのほか、寮費、食費などだ。ケニア人は一般に教育熱心で、小学校の就学率は92パーセントを超える(2018年)。しかし中学校就学率が71パーセントに低下してしまう(2019年)のは、このためもある(データはWorld Vision)。
 学費は全額前払いが原則だが、多くの学校は保護者たちの現実を斟酌し、半額でも生徒を受け入れ出席を認める。ただし、未納額を完納しないかぎり期末試験や国家試験を受験させない。生徒には気の毒だが、公平性のためであろう。
 つい先日も、あるティーンエージャーの父親に「娘が明日からの試験を受けられなくなってしまう、頼む」と懇願され、未納額(3000シリング(おおよそ3000日本円))を工面したことがある。
 P自身、学費未払いで何度も自宅に帰され、そのたびごとにSが周囲の人々に金策を頼んでいた。準備もできずに試験に臨んだことも多々あっただろう。とすれば、「うちの子Pはなかなか頭がいい」とSはよく言っていたが、「我が子自慢は親の常」だけではなかったようだ。

知らなきゃダメ

 KCSEでC+以上の成績をとったら、どの大学で何を専攻することになるのか。大都市にある大学の、就職に有利な学部学科に人気が集まりやすい。その一方、大学側も、選べるのなら好成績な者ばかりを集めたい。
 このような学生側の要望と大学側のオファーとのマッチングをするのが「クークス」(the Kenya Universities and Colleges Central Placement Service (KUCCPS))というオンライン・ポータルだ。入学希望者たちは、志望大学・志望学部のオプションを示してアプライ(手数料1500シリング)し、オファーを待つ。得意科目に応じ、理工系か社会科学系かの仕分けもここで決まる。
 Pの問題は、クークスのことをまったく知らなかったことだ。卒業前に中学校で説明されなかったという。
 筆者も周囲の人々に尋ねたが、クークスが新しい仕組みのためか、なかなか情報が集まらなかった。「(お金があるので)私立大に行かせる」とか「うちの子はKCSEスコアが抜群に良かったから(いわば特待生別枠)」とか、Pのように資金不足、かつ、超優秀でもない子のことは知らん、とも言われた(註4)。

(註4)ただし私立大学でも、KCSE結果C+は必須とのこと。

NGOででっち奉公

 そこで、ティーンの少年の生活指導にノウハウがあるNGOに相談したところ、「うちで面倒見てあげるよ」とのこと。ストリート・ボーイズを支援するキリスト教系グループだ。Pは住み込みでこのNGOを手伝いながら、クークス応募の手ほどきを受けることになった。
 だが、ここでまた問題にぶつかった。Pには応募書類がそろっていない。中学卒業証明書だ。まだ未納金があったためだ。未納額(14000シリング)をもたせると、Pは郷里の母校にとって返した。
 上述のように、Pは郷里では史上4人め、めったにいない大学進学者だ。どう指導すればいいのか中学教師たちに十分なノウハウがなかったのも、仕方がないのかもしれない。ただし、このNGO滞在には、予期せぬメリットもあった。恵まれない出自だと思い込んでいたPの自己認識に幅ができたようだ(このNGOとストリート・ボーイズについては、オルタ広場2020年8月号拙稿と註5のリンク参照)。

(註5)https://pavementtoprosperity.weebly.com/

また、お金問題

 8月初め、ケニア西部の、2016年に新設された国立大学から、Pにメイルが届いた。「おめでとう、本学の国際関係学部で学士過程を始めてください」
 8月28日に登校するようにとのこと。待ちに待ったオファーだ。
 「おめでとう」とは言うものの、入学には条件がある。また資金問題だ。授業料全額を前納すること。さらに、生活費(寮費、食費など)は別に用立てること。このほかPCかスマホは必須なので各自持参すること、などだ。
 授業料は年間15万シリングほどで、前年の約3倍に上がっていた。このほかの経費を合わせれば20万シリングは必要だ。
 オファーレターの勧めに従い、Pは政府の奨学金に応募した。改めて、中学の教師と郷里の長老に頼み、「シングルマザーの困窮学生だ」と証明する書類をつくった。
 ただ、奨学金支給は入学以降だ。つまり、決められた8月28日に初登校し、入学手続きを完了し、かつ、キャンパス内の寮に滑り込むには、まとまった前金が必要だ。

見たことのない大金

 20万シリング(およそ20万日本円)とは、庶民にはどんな額なのか。たとえば、ナイロビの非熟練労働者(メイド、庭師など)が、月に20000シリングを得、かつ、その雇用が安定しているなら、幸運だろう。Sの現金収入は紅茶畑(茶摘み)か工場(コーヒー・紅茶の食品加工工場など)で働くことだが、労賃は日によるが100~300シリングほどで、毎日働けるとはかぎらないから、月に3000シリングにもなれば「もうかった」うちだ。P自身、地元の工場で働いたおかげでスマホを新調できたと嬉しそうにしていた。セカンドハンドで3000シリングほどとのこと。
 つまり、大学入学の前金はとんでもない大金だ。これを払える保護者がこの国にどれだけいるのだろう。
 一学期の学費と生活費12万シリングを、筆者からSに携帯電話で送金した。二学期の学費納入までには、奨学金支給が決まっているだろう。

小さいが、深い感動

 ほどなくこの母子から書類のコピーが届いた。大学指定の銀行が発行した授業料の領収書だ。さらに、雑費の内訳―バス代、寮費、食費のほか、ベッドシーツ、着替え、下着、引っ越し用かばんなど、こと細かに―も。順当、かつ、期待どおりではあったものの、これは、小さいが、深い感動でもあった。
 Sは小学校に行かなかった。当時の農村の女の子なら珍しくはない。重労働と栄養失調で下肢に障がいをもち、いまは十分には働けない。Pの父親とは、この20年会ってもいない。生活コストは都市ほど高くはないものの、いったい何を食べて生きてきたのだろうかと思うことがある。
 このSにとって12万シリングは、生まれてから見たことも触ったことも考えたこともない大金だ。誘惑はあったにちがいない。ちょっとくらいならと、ほかの用途―医療費か今夜の食べ物か―に使ってしまい、不足分はまた頼めばいい、と。しかし、Sは何が最優先なのかを心得ていた。
 先稿にこう書いた。「(あたりまえのことをきちんとする)態度に、高学歴は必ずしも必要ではない。いまでも、経済的条件、家庭環境などにより教育機会に恵まれなかった人がいるが、そのような人の中にも、打てば響くような、目から鼻に抜けるような人はけっして珍しくない」(オルタ広場2023年8月号)
 このことの生きた証人が、ここにまた一人いた。

なぜ選挙ができるのか?

 Pの入学のころ、旧友がケニアを訪問してきた。日本人大学生のケニア・スタディ・ツアー(岡山理科大学・ケニア森林研究所共催の社会林業スタディツアー)を引率する仲村正彦さんだ。コロナ禍などの中断を乗り越え、今年で20回めになる(註6)。
 ケニアのことを知り尽くしている彼だが、筆者にこんな質問をした。大陸のほかの国々で昨今クーデターが起きていることなども踏まえて、「ケニアではどうにかこうにか選挙ができて、民主的な政権交代ができるのはなぜ?」
 専門家が何と答えるかは別だが、筆者はこう思う。高学歴や高収入のあるなしにかかわらず、ものごとの道理を心得ている人が、たくさんいるためでしょう。ちょうどSのような。
 SとPの母子は、筆者に感謝しているし、筆者に出会わせてくれ神に感謝していると、繰り返し言う。が、感謝せずにおれないのは、むしろ筆者の方なのかなと思う。普段から考えていたことを期待どおりに証明してもらったのだから。

(註6)日本人大学生ツアーの在ケニア日本大使表敬訪問については、https://www.ke.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01039.html

 本稿に関連する先稿は「ケニアのシングル・ペアレンツと信仰」「学校に行きたい―ケニアの94歳の小学生」(それぞれオルタ広場2020年12月号、2021年1月号)。
(ナイロビ在住)

(2023.9.20)
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