【オルタの視点】<オランダ通信(7)>
性教育とオランダ人のアイデンティティ
2012年、オランダでは、初等教育(4−12歳)・中等教育(12−16歳)・中等職業専門学校(16−20歳)及び特殊教育(初等〜中等)の学校で、性教育及び<性の多様性>教育(性的マイノリティの受容に関する教育)が義務付けられることとなった。
日本では、性教育をすれば、子どもの性に対する好奇心を刺激し性交渉年齢を低下させるという反対議論がよく出されるが、その根拠は必ずしも明確ではない。性への好奇心を子どもたちが抱くのは、性徴の変化や、メディア上に蔓延している、性にまつわる挑発的な情報の刺激によって避けられない成り行きだ。また、15歳人口の性交渉体験年齢の統計を見ると、性教育が伝統的に極めて先進的なオランダや北欧の子どもたちの性交渉経験年齢が他に比べて特に高いわけではないこともわかっている(WHO-Europe のHBSC 2013/2014調査によると、15歳児の性交渉体験率は、44地域平均女子17%男子24%に対して、オランダは女子16%男子15%といずれも平均を下回る)[注1]。
[注1]WHO-Europe,“Growing up unequal: gender and socioeconomic differences in young people's health and well-being, Health Behavior in School-Aged Children (HBSC) Study: International Report from the 2013/2014 Survey”, 2016
性教育とともに<性の多様性>教育(ジェンダー意識と性的マイノリティの受容に関する教育)が義務付けられている点にも留意したい。性的マイノリティとは、LGBT(オランダでは、LHBT)と総称され、レスビアン及びゲイ(同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(身体上の性と心の性が一致しない人)を指している。<性の多様性>教育は、女性蔑視などのジェンダー差別の禁止とともに、性的マイノリティの人権および社会的受容(インクルージョン)を教える。
性的マイノリティの権利擁護については、おそらく、オランダは、世界的に極めて先進的な国であるとのイメージがあると思う。全体としては確かにそうなのだが、実際には、オランダ社会では、現在、移民・難民の流入によって、信条や価値観の多様性が拡大し、宗教や伝統的習慣に根ざして、女性差別を自明としたり、性的マイノリティに対して「病気」「障害者」とのレッテルを貼る移民・難民の数が増えている。「教育の自由」の原則のもと、宗教や信条に根ざす教育理念を尊重し学校や教員の自由裁量権を広く認めている国であるだけに、性意識へのこうした多様性が教育の中身に影響を与えやすい。その意味で、性及び性の多様性に関する教育の義務化は、イスラム教の学校をはじめ、すべての学校が、憲法第1条にある「すべての住民がいかなる理由によっても差別されてはならない」という原則を、能動的に行使するために定められたと言える。
◆◆ オランダの性教育・性の多様性教育の今
中等学校の生徒、主として12−16歳の生徒を対象に年1回ずつ性教育の出前授業を提供している Remedica と言う民間組織がある。生物やホームルームの時間を使い、学校教師に変わり、専門的に2時限続きの出前授業を行う。出前授業の経験が深い教師アンスさんに、授業の中身を細かく説明してもらった。以下は、本校の文脈において特に印象深かった点だ。
●まず、性教育は、生徒たちをスクリーンの前に半円形に座らせ、「笑ったり」「ひそひそ話」をしないようにと子どもたちに約束してから始める。はじめに正面のボードの真ん中に「セックス」という文字を書き、その周りに、子ども達が知っている知識をマインドマップにして書いていく。このようにすると、子ども達は、これまで心に密かに抱いていたが口にすることが憚られた質問を、安心してクラスメートともに話し合いのテーマにして共有できるし、指導者のガイダンスの元で、お互いの知識や見解にじかに触れることができる。
●次に、男女の身体や性器の違いについて、生物学の教科書にある図によってではなく、本物の写真を見せて説明し、生殖と妊娠の仕組みを教える。その後すぐに、性的マイノリティの存在について、場合によっては、遺伝子など科学的データも用いて話を進める。アンスさんは、ここで必ず、生徒たちに、自分の親族や知人の中で個人的によく知っている性的マイノリティの人を思い起こし、その人たちのことについて意見交換をするようにさせるという。そしてこの時に、その場で初めて、自分が性的マイノリティであることをクラスメートにカミングアウトする生徒が出ることがしばしばあるという。ここでも、安心して発言できる場面の設定が、それを実現させるというのである。
●その後、性交渉に伴う「性病感染」と「妊娠」のリスクについて話が進む。これらのリスクのない自慰行為の正当性を認めるとともに、コンドームやピルを使った安全な性交渉の重要性を教える。実は、オランダでは、避妊ピルは、ホームドクター(自分のかかりつけの総合医)が処方し、コンドームはドラッグストアで安価に購入できる。性交渉後、避妊失敗の危険に気づいた時に使う「モーニング・アフター・ピル」もドラッグストアで安価に買える。しかも、全員加入が義務付けられたオランダの医療保険制度では、23歳まで、避妊ピルなどの女性の避妊手段は全額保険負担で無料となり、コンドームは、男女ともに年に20個まで保険で無料で入手できるという(オランダ厚生省は、安全な避妊を、ピルとコンドームの両方の使用と定めている)。
●性交渉のリスクの話の後、授業はさらに Wensen(ウェンセン)と Grensen(グレンセン)、つまり、「欲望」と「境界線」というテーマへと進む。生徒たちに、好きになる・デートをする・手を繋ぐ・キスをする・愛撫し合う・お互いの服を脱がせる・性交渉をする、といった性関係の深化をステップごとに示し、生徒各自に、自分は好きな人ができた時にどこまで許容できるかを考えさせ、できないものには線を引いて消すという課題を与える。お互いがお互いの境界線がどこであるのかを見せ合い、その理由を話し合うことで、男女の違いや、宗教文化的背景、家族からの影響など、一人ひとりの子どもが、性関係においても、他から強制されることなく、自分で批判的に考えて選択すること、同時に、他者の選択を尊重することを学ぶのである。
●出前授業は、事前に保護者に通知される。なんらかの理由で性教育を受けさせたくなければ、学校に理由を伝えて授業を欠席させるという手段もあるが、実際には、そうしたケースは稀だという。学校は、性教育が国の指導で義務化されていると説明できるし、性教育を受けた子どもたちが、性について正しい知識を得てリスクに対して覚醒的になることも、保護者同士のコンタクトから自然に伝わるからだという。2時間にわたる授業を受けた子どもたちには、家に帰って保護者と話し合うという課題も課される。生徒たちが、親と授業の振り返りをすることで、親の見方や考え方に触れ、そうした要因を元に、自分なりの正しい判断ができるようになること、また、性について、親子のコミュニケーションがオープンに維持されることに目的がある。現に、オランダの思春期の子どもたちは、先進国の中でも「親となんでも話せる」と答える比率が高い。
すべての学校がこの出前授業をしているわけではなく、普通は、同様の授業を学校がなんらかの形で準備しなければならない。方法がわからなければ、地域の保健局の専門家が、教材やワークショップを(多くの場合、無料か安価で)提供し、学校の現状に合わせた授業企画の作成の相談に乗ってくれる。未成年の健康教育分野での、保健局の学校に対する支援役割は極めて大きい。
実際に、性教育や<性の多様性>教育を受けた子どもたちにも話を聞いてみた。皆、口をそろえて「役立つ知識がたくさんあった。性病のリスクなどほとんど知らなかったのでとても勉強になった」という。思春期の男女の生徒が共に、性について、顔を赤らめることもなく、率直に意見が言えるのは清々しい。
ある小学校で聞いた、まだ30歳前後と思われる女性教師の話も、示唆に富んでいた。
この教師は、グループ7(日本の小学5年生)の担任。女の子でも早い子は月経初潮が起きる年齢だし、性教育は「先延ばしにして手遅れになってはならないから」早めにきちんと説明するという。この教師が主として利用していたのは、オランダ公営放送局が作っている School TV というオンラインのビデオ教材だ。School TV は、初等・中等教育の学校の教室で使えるビデオ教材を科目別に数千本単位で用意している。その中に9−12歳向けの性教育のビデオ教材が約50本ある。テーマは、デート、ニキビ、恥毛、月経、化粧、キス、コンドーム、「ノー」という、裸体など。どのテーマでも、視聴する小学生より少し年上のティーンエイジャーたちや、政治家・俳優・スポーツマン・大臣など、子どもたちがテレビでよく見知っている有名人が、初めてのデートやキスについての体験談を語る。
説明してくれた小学校の教師は、「子どもたちは、最初は恥ずかしそうにしていますが、笑わないようにとルールを決めて対面関係で話し合いを始めると、とても真剣に授業に取り組みます。それは、多分、普段誰にも聞けなかったことをやっと聞けるという安心感であるようです。普通、私は、授業の初めに、子ども達にテーマを示し、まず、『みんな、私に聞いてみたいことはない?』と話しかけます。もちろん、あまりにもプライバシーに関することで答えられないこともありますが、その時ははっきり『答えられないわ』といい、できるだけ、子ども達の問いに真剣に向き合うようにしています」
教師のこの言葉は、子どもに対する大人が、建前ではなく本音を、真摯に自分の姿勢として示しながら導くことの重要性を示している。おそらく、それは、建前と本音が乖離しやすい性の問題を取り扱うからこそ、特に重要なのだろう。
学校で使われる性教育の教材やパンフレット、School TV のビデオ制作などに深く関わっているのは、この分野のシンクタンク的な役割を果たしている Rutgers という研究機関だ。長く、初等教育と特殊教育の教材作りに関わってきた。その職員が、彼らの方針をこう語った。
「親や教師は、とかく、性教育というと、『生殖や性交渉の正しい知識を教えること』とは言いますが、そこで最も重要な『愛情』の問題を忘れがちです。私たちは、子どもたちが、やがて、自分の人生を自分で主体的に選択しながら健康で幸福に生きていくことを究極的な目的としています。性知識そのものが目的ではないのです。子ども達が主体的にリスクのない選択ができるようになり、幸福な人生を送れるようになることが性教育においても最終目標なのです。ですから、精神障害や知的障害の子どもたちがいる特殊教育の場でも、『愛情』について学び、人生を豊かに生きることを目的とした、性に対してポジティブな態度を持つように指導します。」
◆◆ オランダ人のアイデンティティ
話は変わるが、9月5日、厚生大臣のスヒッパーズ氏が「自由の逆説」というテーマの講演をして話題になった。この講演で、彼女は、(1)経済発展やそれを基盤とした高い福祉は「自由」があり、すべての人が自分のしたい事業に取り組む自由を平等に持っている時に可能であること、(2)反面、自由社会は人と人との間の違いを受け入れる社会でもあること、(3)そして、ともすれば対立を引き起こす人と人との違いは、摩擦があるからこそより高いレベルの合意に向けて、社会により良いものをもたらすものであること、などを述べた。
スヒッパーズ氏の講演の背景には、現在、オランダ社会において、ムスリム移民を中心に、イスラム教徒の伝統だけを独善的に強調して、女性や同性愛者の権利を認めない住民がいること、また、そうした人々への批判を「文化」尊重の立場から避ける人々がいるという現実がある。
アムステルダム保健局の31歳の性教育アドバイザーの次の話は、性意識にも関わる文化的多様性を象徴的に表している。
「ソフトドラッグ、ポルノグラフィー、売春などの合法措置により、アムステルダムは、一見自由と寛容を象徴する都市のように見えるでしょうが、地区ごとに見ると異なる出身地の移民たちが集住しており、性意識には大変格差があり、性教育のニーズも大変異なります。例えば、西部地区は、イスラム系住民が多く、同性愛者に対する差別意識が極めて高く、同性愛者にとって西部地区の通りを歩くことは身の危険すら感じさせるものです。もともと、イスラム系住民は、女性の性に対して閉鎖的で、女性は結婚するまで性交渉を持ってはならないし、結婚してからも、夫とは別の部屋にいなくてはならないなど、女性に対する差別があります。これとは正反対にサッカー・ドームあるベイルマー地区には、(かつてオランダの植民地だった南米の)スリナム出身の移民が集まっています。この地区の学校の生徒たちは、平均して12、13歳で初めての性交渉をします。もともとスリナムの文化として、性的に成熟することが大人になったことの証と考えるという要因もあります。そうは言っても、危険な性交渉をしている子ども達が多いし、また、男性は複数の相手と性交渉をしても咎められないが、女性は一人しか相手にしてはいけないと考える傾向もあります。こうした地域で、子ども達が、性病への感染や望まない妊娠、危険な堕胎などのリスクを持たないように健康な発達を遂げるように指導したくても、親が望まなかったり、理解しないことも少なくありません。ですから、保護者に対して性教育の必要性を理解させるために、私たちは、地域ごとに住民が持つ文化背景を考慮に入れ、保護者に対して生徒が実際に受けるような性教育の授業を受けてもらったり、性の問題にまつわる演劇を、現地の人たちと同じ文化的背景を持つ俳優を使って実演し、親の説得に努めています」
スヒッパーズは、講演の中で、(宗教的)寛容に慣れたオランダ社会が、「寛容」の名の下でお互いの文化や習慣が持つ人権侵害に無関心になりがちであることを指摘している。「オランダでも性について語ることはかつてはタブーだった。それを1960年代の議論が乗り越え、女性や同性愛者の権利を認めるようになってきた。オランダに住みオランダの国籍もとっている移民の女性が、移民集団の中で女性の権利を認められず、隔離されていることに疑念を抱くべきなのでは無いか。私たちは自由(意思)の重要性において、もっと広く連帯すべきだ」というのが、彼女の講演のメッセージだった。
9月10日付のNRC紙は、この講演をきっかけに、与野党7つの政党の党首に、彼らが考える「オランダ人のアイデンティティ」についてインタビューをし、その結果をまとめている。
「党首らが言及した中核的価値意識は多くの点で共通していた。すなわち、個人の自由、デモクラシー、法治国家、平等そして寛容である。」
オランダ人政治家は、自由主義陣営と社会主義陣営の別なく、一様に、オランダ人がよって立つアイデンティティの基盤、すなわち、オランダ人のオランダ人としての帰属意識の基盤を、自由・デモクラシー・法治・平等・寛容という、まさしく、世界人権宣言に謳われた、近代市民社会の原則、<基本的人権>と<法による支配>に置いているというのだ。
アイデンティティといえば、一般的には「国家」「宗教集団」への帰属意識と捉える傾向が強い。しかし、オランダ人政治家は、そしておそらく多くのオランダ人は、「個人の」自由意思が法的に保障されていること自体を、オランダ国家の最も重要な基本原理として捉えているのである。逆説的に言えば、(マイノリティを含む)個のアイデンティティを保障することそのものが、オランダ人の国民的アイデンティティなのである。
このように考えるとき、今、学校や保健局などで、子どもたちの性的発達に関わっているオランダの教育者やアドバイザーたちは、このオランダ人をつなぐ国民的アイデンティティのもとで、その最前線で子どもや保護者と関わっていると言っても過言では無い。
性教育や<性の多様性>教育の浸透の度合いは、市民社会の成熟度を測るバロメーターとも言えそうだ。
(オランダ在住、社会・教育事情研究家)