【コラム】『論語』のわき道(34)

寿命(二)

竹本 泰則

 一冊の本が話題になっている。デビッド・A・シンクレアという人が著した『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』なる単行本。ためしに某通信販売会社のインターネットのページでこの本を検索してみると、まずまずの売れ行きと見え、読者の書評もおおかた好評です。
 著者はハーバード大学医学大学院で遺伝学の教授をしている著名な科学者という。この人は「生きものはどうして老化をするのか」という問題を解明するために、細胞が老化していくメカニズムを研究しているらしい。
 この本については長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学長)の講演の中で聴いたものです。実際に読んだわけではないため不正確なところがあるかもしれませんが、まず大雑把にその内容を追ってみます。

 著者のシンクレア氏は自身の研究を通じて、老化はがんなどと同様にひとつの疾病であるという結論に到達した。疾病である以上治療ができる。治療をすることで、30歳ぐらいの身体状況を保ちながら120歳以上の年齢まで生きることも可能となるだろう。健康で長生きしたいという多くの人々の夢は実現し、ひ孫のひ孫までも見ることができるようになるだろう。
 このように論が展開され、次のようなことが主張されているらしい。

 これまで人々は、どうせ自分は衰えて死ぬのだからと、後世のことなど考えもせずに目の前の「快」を追求してきた。地球環境の問題などでも、つけを後(のち)の世代に押しつけている。しかし、老化を治療することによってほとんど「永遠」に生き続けられるとなれば、未来は自分の身にも降りかかってくる。つまり、責任を免れることができなくなる。だから長生きを実現して、皆が将来の責任まで負うようにしよう、と。
 この人は長生きのためのサプリメントまでも開発したそうで、ご本人はもちろん、父親や愛犬までもが服(の)んでおり、みな元気だという。

 「なぜ老化するのか」が研究テーマになることはまだしも、老化を「治療する」という発想に至っては少しばかり違和感があります。
 シンクレア氏がキリスト教徒であるかどうかは知りませんが、聖書では人間は神によって創られた、それも神の姿に似せて……。それを勝手に作り変えることになりませんかね。

 人間を含めて生きとし生きるもののすべては、ときが経つにつれて老いてゆく、あるいは衰えていく、これは紛れようのない現実としてごく自然に受けとめればいいのではないかと思います。言葉を換えれば、老化、経年による変化は病気などではなく、自然の摂理というべきもので、基本的にはそれを変えることはできない、たとえできたとしても、そうすることによってまた別の問題が起きて、結局はハッピーな結果にはならないと考える方が穏当な気がします。
 ひ孫のひ孫までを見られるほどに健康寿命が延びる、このことは喜ぶべきことでしょうか。なかには「そんなにまで生きるのはごめんだね」という人もいそうです。
 人はいくつまで生きれば満足するのでしょうか。

 インターネットを見ていて、最近行われた二つの意識調査の結果が目につきました。一つ目の調査は2018年7月に全国の10代から50代までの社会人男女1,500人を対象に行われたもの。もう一つは2020年10月から11月にかけて全国の60歳以上の男女を対象にしたものです。
 「何歳まで生きたいですか?」という質問に対する回答の集計が年齢域で示されています。最も多かった年齢域は、前者では80歳台前半、後者では80歳台(こちらは前半・後半の区分をしていない)でした。

 表面だけで判断すると、日本人の大勢は80歳を超えて生きたいと願っている、となりそうです。しかし、何やら引っ掛かるものがあります。
 いくつまで生きたいなどという考えを誰もが持っているものでしょうか。自分がそうであるからということなのかもしれませんが、そのような意志・意欲を特別に持たない人が過半ではないかと考えています。「生きたい」という思いは「生きる」ということが危うくなった時などにはほとんど条件反射的に生まれてくるにしても、普段の生活の中では意識することなしに「生きている」。つまり「死生、命あり」の境地の人が多いだろうと思えるのです。

 もちろん生に対する向き合い方は人によってさまざまでしょう。
 娘さんが生まれながらにハンディキャップを抱えていたため「この娘(こ)より先に死ぬわけにはいかん」と生を長く保つ努力をされていた知人の父君、東京郊外のK市における最初の男性百寿者になることを目指していた叔父、あるいは、あと十年この人生を楽しむと決めている先輩……、いろいろと思い浮かびます。こうした人には「生きたい」というより「生きる」という意志が感じられます。一方には「生きる」のではない、「生かされている」のだと、ただ神仏、祖先に感謝する人もいるように思います。

 この両者の中間、「生きる」でもなければ「生かされる」でもない、そんな人たちもいる。生きるということに意志的な姿勢は持たず、かといって死にたい,死んでもいいなどとも思っていない。朝に目が覚めて、生きているなどとことさら意識しないし、一日くらして夜寝る段でも明日も命があるだろうかなどと案じることもない。そうした日々をおくりながら年齢を重ねていく、そういう生き方です。

 考えてみると、意識調査における80歳台、もしくはその半ばあたりという年齢域の回答には平均寿命の概念がいたずらしていそうな気がします。
 日本人の平均寿命が男女とも80歳を超えたのが2013年(平成二十五年)ですが、今では80年以上生きても当たり前という感覚がいきわたっており、このことが意識調査の回答に反映しているのではないかと思えるのです。

 社会に巣立ったのは昭和四十二年(1967年)ですが、このころの日本人男子の平均寿命をみると昭和四十五年までの間は70歳にとどいていません。ちなみに、昭和四十二年に亡くなった方の何人かとその没年齢を抜き出してみます。
 山本周五郎(没年64。以下同)、吉野秀雄(65)、笠信太郎(67)、新村出(69)……皆60台です。そんな中で89歳までながらえた吉田茂、窪田空穂などという方々もおりますが……。
 ともかく、70歳にとどかず亡くなるのはごく普通でした。民間企業の定年も55歳あるいはそれ以下であったと思います。若い社員にあっては50歳以上の先輩方には十分な年季を感じておりました。

 この当時に何歳まで生きたいかとの質問がされたとしたらどんな答えが多かったかはわかりませんが、少なくとも80などという数字はなかなか出てこなかったろうと思います。……いや、女性にはあったかな? 女性の場合、昭和四十年代で75歳にとどいており、五十年代末には80歳を超えますから。
 現在の平均寿命のもとにあれば、なんとなく自分も80は超えるだろうといった根拠の無い楽観が生まれる。「生きたい」ではなく、「多分これくらいまで生きるのではないか」というような気になる。あるいは、「80を超えれば御の字だね」みたいな気持ちも湧いてくる。それが希望する寿命の回答に反映している部分が大きいような気がします。

 生に対する姿勢を考えてみると、「生きる」といった能動的な意志は、先への希望や使命感などが原動力なっており、「生かされている」という考え方の根には信仰あるいは人生の無常に対するつつしみがあるように思えます。
 古代中国の思想家である孔子にそうしたことを感じることがあります。

 孔子が生まれる数百年前、殷王朝に代わって周王朝が誕生します。殷王朝の政治は卜占に拠っていたようです。亀の甲羅や牛の肩甲骨に熱した金属の棒を差し込み、そのときに表われたひび割れの形状で天の意思をうかがい物事を決めていたらしい。何を占ったか、結果はどうであったかを占いに使った甲羅や骨に文字を刻み込んで残しております。それに使われていた文字が甲骨文字といわれるもので、現在の漢字の起源とされています。
 周王朝以降は、占いは残るものの(易学など)、人間活動の多くはひとの意思、判断が表立つようになったように思われます。

 孔子は周王朝創成期の指導者(武王、周公旦)やその父親である文王の為政を称え、この人たちが創った「文化」を愛し、崇めていました。孔子が生きた時代は春秋時代と呼ばれますが、このころになると、中央王朝の権威はすたれ、社会の秩序も乱れていました。そのただ中にあって、創成期の文化を再興すれば世の中をよくすることができると信じて、それに挑んでいたのが孔子です。
 孔子は自らが伝統文化の担い手であるという自負とそれを次代に引き継いでいくのだという使命感とを持っていたように想像できる『論語』の文章を引きます。

 孔子は一時期、故国を離れ流浪を余儀なくされていますが、その旅の途中では幾度か生命の危機にも遭っています。匡(きょう)という地では武器を持った地元の人たちが一行を取り囲むという事件に出くわします。その場面での孔子の言葉です(子罕篇第五章。現代語に訳してみましたが、筆者によるいい加減な意訳です)。

   文王は既に没したが、その人によって興された文化はここに、すなわち、
   この私のうちにある。
   この文化が滅んでもいいと天が考えるならば、ここで私は殺されてしまい、
   後代の人々は伝統の文化に浴することはなくなる。
   この文化が失われることを天が望んでいないのであれば。その伝道者で
   ある私に対して匡の人たちは何かできようはずはない。

 この人がいくつまで生きたいと思っていたのか知る由はありませんが、「生きる」という意志はしっかり持っていたように思っています。

 (「随想を書く会」メンバー)

(2022.3.20)
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