【コラム】神社の源流を訪ねて(52)

対馬の神と記紀の神(下)

栗原 猛

◆地方神話を広く取り込んだ記紀神話
 海幸彦(うみさちひこ)は古事記の神話では、海で生活する漁師で、弟の山幸彦(やまさちひこ)は山の猟師である。山幸彦はある日、兄の海幸彦の釣り竿と弓を交換する。ところが山幸彦は兄の大事な釣り針を無くしてしまう。弟は釣り針を探しに出かけ、海の神のシオツチに海宮に案内され、針を見つけた山幸彦は海神の娘の豊玉姫と結ばれる。
 豊玉姫は出産の際、山幸彦にのぞかないでほしいと訴えるが、山幸彦は約束を破って産屋をのぞいてしまう。見ると、大きなワニの姿に戻った豊玉姫が出産している姿を目撃する。約束を破られた豊玉姫は、怒ってウガヤフキアエズを置いて海宮に帰ってしまう。代わりに妹の玉依姫がやってきてウガヤフキアエズを育てる。ウガヤフキアエズは成人すると玉依姫と結ばれる。玉依姫は四人の男の子を生む。神武天皇は4番目で、二代続いてワニから誕生したことになる。ここで古事記の神話編は終わる。やがて地上に戻り釣り針を返して海幸彦を懲らしめる、という筋である。
 対馬にはこれと似た話が伝えられているが、山幸彦が尋ねて歩いた地域は、そっくり現在も地名として存在している。「対馬神社ガイドブック」によると、釣り針をなくした山幸彦は、まず対馬市美津島町の鴨居瀬の濃部(のぶ)に住んだとされる。この集落には古社の天神神社があり、ここの祭神は山幸彦である。山幸彦と豊玉姫の出会ったところは、ここからそう離れていない豊玉町仁位にある和多都美神社である。韓国からの観光客にも人気のスポットで、いくつものグループが写真を撮っていた。 ウガヤフキアエズが誕生したのは、美津島町の鴨居瀬とされる。豊玉町にある六御前神社には、ウガヤフキアエズと6人の乳母が祭られている。記紀神話の関係地がいくつも登場するところが面白い。豊玉町も豊玉姫を思わせる。神武天皇は4人兄弟で3人の兄がいたとされるが、乳母は6人いたことになる。海幸彦と山幸彦の神話は、古事記の中でも詩情豊かな物語とされる。神話に出てくる地名をたどると山幸彦の人生の歩みにもたとえられる。
 海幸彦と山幸彦、豊玉姫の組み合わせについて、専門家の間にも議論が少なくない。海神と山の神との結合を意味しているとの見方があり、また海幸山幸の説話は、隼人族の一部が大和朝廷に服属したことを意味するとする解釈もある。またこの神話は一般に釣り針型神話と呼ばれていて、インドネシアやメラネシア地方にも類似の神話が広がっているとされる。兄の海幸彦は九州南部の隼人の祖先とされ、対馬など九州北部の海洋民が信仰していたのが豊玉姫で、山幸彦と九州北部の海洋民が、九州南部の隼人勢力を征服したという物語を描いているとの説もある。山幸彦と豊玉姫の別離については、両部族間に何らかの抗争が発生したのだろうとみる。
 5世紀に対馬や壱岐の神は亀朴とともに磐余に移っている。記紀の編集者たちは、対馬の神話など、それぞれの地域に伝えられてきた神話を参照しつつ、記紀神話を作り上げていったのではないか。 以上

(2023.3.20)
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