【国民は何を選んでいるのか】
国政選挙から読み解く日本人の意識構造
(1)安倍首相は岸元首相の「戦前型愛国心」から脱却できるか?
「安倍一強政治」が続いているが、「森友学園」問題は安倍首相と自民党に少なからぬ打撃を与えた。「この事件発覚後に決まった南部スーダンからの陸上自衛隊の撤収は、森友事件での安倍内閣のイメージダウンを少しでも食い止めたい思惑からではなかったか」と見る政治家もいる。共同通信社の全国緊急世論調査(3月25、26日実施)によると、内閣支持率が2月調査の61.7%から3月下旬には52.4%と9.3%落ち込み、逆に不支持が5.3%増の32.5%になった。また毎日新聞の世論調査(3月11、12日実施)では森友学園問題に関する政府説明を「納得していない」人が75%に達している。
同学園の籠池泰典理事長は辞任し、小学校新設申請も取り下げた。国会での証人喚問も行われたが、安倍昭恵・首相夫人の関与疑惑も解消されず、グレー部分が残ったままで、これで「決着」とはいくまい。「死なばモリトモ(爆弾)」とか「アッキード事件」といった週刊誌の見出しに妙に感心した。今回の「森友」問題の背景にある核心は何かと私なりに考えてみると、「忠君愛国」の旧大日本帝国憲法に行き当たる。安倍首相夫妻、稲田朋美防衛大臣、鴻池祥肇自民党参院議員(元防災担当相)が、いずれも「森友学園の教育方針」に賛同し、幼稚園から教育勅語を暗唱させることに鴻池氏などは「感動した」とまで言っている。安倍昭恵さんが一時、名誉校長に推されて断り切れなかったのも、「安保法制、国会通過よかったです」といった幼稚園児の応援だけでなく、根底には同学園の復古調の道徳教育に共感するものがあったからだろう。
この核心には後に再び触れるとして、主題の「国政選挙で国民は何を選んでいるのか」に関して2012年の総選挙以後、なぜ「安倍一強政治」が長期化しているのかを政権サイドと有権者サイドの両面から突き止めていきたい。
2012年12月の第46回衆院選挙、2016年7月の第24回参院選挙で自民党が大勝し、自民・公明連立政権が両院で3分の2を占めたのは、「民主党(現在の民進党)政権の失敗」残像が依然として有権者の間に根強いことと同時に、「景気や暮らしを良くするには結局、自公連立の与党に頼るしかないのか」との気持ちがあるからだ。また中国の軍事大国化や南太平洋での領土拡張政策、北朝鮮の威嚇軍事訓練や度重なるミサイル発射など近隣諸国のキナ臭い動きが有権者の「安倍支持」を結果的に拡大する要因になっている。
筆者の手元に昨年の参院選における各党公約パンフが残っているが、自公両党の公約は「景気」「暮らし」が大半を占めている。自民党公約は「国民総所得の36兆円増加」「就業者数110万人増加」「有効求人倍率24年ぶりの高水準」「若者の就職率過去最高」などなど「『経済の好循環』をさらに加速」がメインになっており、「改憲」は最後の最後に「国民合意の上に憲法改正を」と、わずか11行でかたづけられている。また公明党の「重点政策」も「景気に力強さを」「若者・女性が活躍できる希望社会へ」「安心できる社会保障実現へ」「平成28年熊本地震、東日本大震災からの復興へ」「安定した平和と繁栄の対外関係」「政治改革と行財政改革」の6項目で「憲法」のケの字もない。
これに対して野党側は「経済」「暮らし」も謳っているが、メインは「憲法の平和主義を守る」(民進党)、「安保法制=戦争法廃止、立憲主義の回復、安倍改憲を許しません」(共産党)、「平和憲法の理念に沿った『戦争をしない国』をめざします」(社民党)など、安保法制の強化を軸にした安倍政治の改憲姿勢への批判・攻撃に的を絞っていた。
どちらが有権者に受けたのか。NHKが参院選直前の昨年6月13日に実施した全国世論調査では「参院選で最も重視したい政策課題(1つだけ回答)」という設問に対して、回答結果は次のようになっていた。
(1)社会保障(29%)(2)経済政策(25%)(3)消費税(15%)(4)憲法改正(9%)(5)外交安保(8%)(6)原子力(4%)(7)その他(4%)。
つまり「社会保障、経済政策、消費税」の3つで全体の7割弱。一方、「憲法」「外交安保」で17%。有権者の側も参院選を通して政治家に期待したのは圧倒的に「暮らし向き」のことだった。まさに自民・公明両党の「憲法・安保はずし」が功を奏して、「憲法・安保」に焦点を当てた野党側の敗北は、既にこの時点で立証されていた。別の表現をすれば、昨年の参院選では、安倍政権と多くの有権者との思惑が一致していたのである。
こうした「争点隠し」が結果的には、参院で27年ぶりに自民党の単独過半数回復につながっただけでなく、自民121議席、公明25議席獲得で改憲発議勢力(全議席の3分の2以上)が実現した。すると安倍さんもすぐに本性をむき出しにする。今年3月の自民党大会で安倍総裁は次のように挨拶した。
「今年は憲法施行70年の節目の年だ。次なる70年を見据えて、新たな国づくりに取り掛からなければならない。わが党は憲法改正の発議に向けて具体的な議論をリードしていく。これこそが日本の背骨を担ってきたわが党の歴史的使命だ」
護憲派の野党や有権者は「参院選での自公両党の改憲隠し」をもっと攻めるべきだったろう。安倍首相の歴史観の中には祖父・岸信介元首相の想いが強く残っている。これは名前を出さない条件で小生が聞いたエピソードの一つだが、戦後70年の首相談話を作成中にサシで安倍首相と懇談した識者が、首相の口から「満州事変は日本の侵略戦争とは思わない」との個人的見解を聞いて非常に驚いたという。
2015年8月14日に閣議決定された安倍首相の「70年談話」は、中韓両国などが注目したキーワード「侵略」「植民地支配」「反省」「お詫び」の4つが確かに盛り込まれている。
だが中韓両国が、この談話をあまり評価しなかったのは、戦後50年に当たっての村山富市首相談話や、その前の細川護煕首相の記者会見(1993年8月10日)のように、自らの言葉で「侵略戦争」との認識や「反省」「おわび」を述べていないからだ。安倍首相談話にキーワードは盛り込まれているが、他人事のような客観的表現になっていて、首相の心(本心)から出たものではないことを中韓両国とも見抜いていたのであろう。
戦後(1954年)生まれの安倍首相には東京大空襲をはじめ多数の死傷者や甚大な被害をもたらした戦争体験は全くないので、そうした世代差が安倍氏の世界観形成に影響しているとの見方もある。だが多くの政治評論家が指摘しているように、実父の安倍晋太郎氏(元外相)は岸・福田(赳夫)系ではあったが、イデオロギー的にもバランスのとれた政治家だった。実父よりも祖父の影響が現在の安倍政治に強く反映している。以前、日本記者クラブで講演前に恒例になっている毛筆の揮毫が見事だったので、「どなたか書家に習われたのですか?」と聞いたことがある。「幼い私のために岸(元首相)が手本を作ってくれて、私は幼少時からそれに半紙を重ねて練習させられました」。手本にしたのは書道だけでなく、政治思想そのものではなかったろうか。
もう一つの問題点は、中国の軍拡路線や反日教育、韓国の慰安婦像問題に象徴されるように日本国民と中韓両国民との間に根強い嫌悪感があり、それが日本では安倍自民党支持の底流にもなっているという構図である。
認定NPO法人「言論NPO」が毎年実施している日中、日韓共同の世論調査がある。
2016年の「第12回日中共同世論調査」によると、現在の日中関係を「悪い」と見る率は日本人で71.9%、中国人で78.2%と、いずれも増加傾向にある。一方、同年の「第4回日韓共同世論調査」では、日韓関係を「悪い」と見る日本人は50.9%、韓国人では62.3%と、日中関係ほどではないが、二人に一人以上が「悪い」と見ている。
この傾向は、いま世界の潮流になりつつある「自国第一主義」とも繋がっている。米国にトランプ大統領が誕生したのを契機に「アメリカ・ファースト」だけでなく、欧州でもアジアでも移民・難民排斥、自国益優先の保護主義が盛り上がっている。
私自身は「愛国心」は大事なことと認識している。外国を旅すれば日本料理店に足が止まり、思わぬ場所で日本語や「日の丸」に接すると、心から嬉しくなる。身近でテロ事件が発生すれば現地の日本大使館に、まず駆け込むだろう。どこの国民も自国を愛する気持ちは同じだ。4年ごとのオリンピック・パラリンピックは「愛国心の競争」ともいえる。
しかし同時に国境を超えたヒューマニズム、人類愛も大事なのだ。大震災などに遭遇したら自分で自分を守ることが先決だが、それと同時に余裕があればどうするか。「日本人を最優先で救え」「外国人は後回し」と思う人はほとんどいない。「まず赤ちゃんや子供を救い出そう」「次はお年寄りや体の不自由な人を」というのが人間愛ではないだろうか。
その意味で、教育勅語に盛り込まれている「親孝行」「友達を大切に」「夫婦仲良く」などの徳目は、その通りで、否定の対象になるものではない。問題は、その勅語が戦前の軍国主義体制の下で「戦争遂行」「言論弾圧」「民主化否定」の道具に使われ、日本国内外に甚大な被害をもたらす一助となったことである。勅語に盛られた「徳目」が問題なのではなく、「教育勅語」という帝国憲法下の「押し付け精神教育」が問題なのだ。「天皇のために命を投げ出すことを厭わない」との大日本帝国憲法や教育勅語を復活させて良いはずがない。だからこそ戦後、衆参両院で教育勅語の排除・失効確認の決議が行われた(1948年)のではないのか。
ところが上記のことを混同している人が結構いる。毎日新聞の社説(3月3日)を批判した産経新聞の阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員による「教育勅語のどこが悪いと言うのか」(3月13日の産経新聞コラム「視線」)などは、その典型だ。
筆者にも一つの苦い思い出がある。1974年ごろ「日本列島改造論」が狂乱物価をもたらした元凶だと福田赳夫氏ら自民党内外から批判された田中角栄首相は、列島改造論の修正版をつくろうと小長啓一秘書官(後に通産省事務次官、アラビヤ石油社長などを歴任)を中心に作業にとりかかった。確か百科事典「エンサイクロペディア」付録版だったと思うが、「新しい日本への道」というタイトルで小長氏らがまとめた小論が出来ていた。首相官邸筋から「これをベースに主要な政策項目への対応をまとめたいので協力していただけませんか」と要請された。
ジャーナリストとして最高権力者に協力するのには躊躇したが、同時に「モノ中心の政治」を「心が中心の政治」に切り替えるお手伝いが出来るならと思い、「首相には一切会わない」などを条件に日本が今後取り組むべき政策課題の作成に協力することになった。当時、私は労働省クラブに所属し、太田薫―岩井章の総評ゴールデンコンビが退陣して労働界が右寄りの労働戦線統一に動き出す模様を取材しながら、「どうしたら金権政治家といわれる角さんを『心の政治家』にイメチェンできるだろうか」と模索していた。
小長氏は「スケルトンにこだわらず、章立てから考えてください」というので、私なりに10章の改訂版目次をつくり、まず「教育」政策の各論を書き始めた。その時、首相から一つだけ注文がついた。「日中正常化交渉で訪中した際、中国には子供たちに分かりやすく教える箇条書きの徳目があると聞いた。そういう規範を作れないかな」。
1972年9月の田中訪中前に小坂善太郎氏(当時、自民党日中正常化協議会長)ら自民党議員団とともに訪中した筆者は「アグネス・スメドレーが書いた『中国の歌ごえ』に出てくる『三大規律八項規律』のことだな」と直感した。「大衆のものは針一本、糸一筋も盗まない」など3つの規律と「借りたものは返す」など8項目の注意事項を短い言葉でまとめたものだ。延安時代の紅軍の規律だったのを毛沢東主席が1927年に正式に紅軍の規律にした。
それに倣う形で宇治流につくったのが田中首相の「五つの大切、十の反省」という徳目だった。当初案は「十の大切」だったが、「大切」と「反省」を分けたほうがメリハリが効くと思って二つに分けた。「人間を大切にしよう」「友達と仲良くしただろうか」など15の徳目で、後に「5切10省」とか「5大10反」と呼ばれるようになった。
夏に参院選を控えた1974年5月13日、日本武道館で開催された「田中総理を励ます新潟県人の集い」で、田中首相自身の口から、これが発表された。マスコミの報道を受けて政界をはじめ各界で賛否両論が渦巻いた。自民党内でも石原慎太郎氏ら「青嵐会」の反田中グループは「大切を大切にせぬ人ゆえに反省ならぬ反政の声」という狂歌を披露し、石原氏が会見で「『年寄りに親切に』という点は守られている。恍惚執行部にポンコツ内閣を見ればわかる」と田中首相をこき下ろした。
その石原氏が数年前、田中元首相になったつもりで「天才」という小説を書き、90万部超のベストセラーになった。青嵐会の一員としてあれほど攻撃していた角さんを一転、激賞したのには正直驚いたし、「それならまず自らの見識のなさを詫びるべきではないか」と思った。
ともあれ賛否両論が渦巻いた「5切10省」だったが、総じて批判論の方が多かった。その理由は「金権政治家が人間やモノを大切にしようと言ったところで」という声に代表されていた。ある著名女流作家は、実は小生がつくった信条・徳育スローガンと知らずに「大学の先生とか宗教家が提唱したものなら皆、素直に受け入れたでしょうに」と小生に感想をもらした。「田中角栄」イコール「金権政治家」とのイメージはそれほど根が深く、「そういう人が何を言っても聞く耳はもたない」ものだと私は思い知らされた。この経緯は拙著『実写1955年体制』(第一法規)に書いたので、御関心のある方は、お読みいただきたい。田中元首相の元秘書・朝賀昭氏は著書『角栄の御庭番 朝賀昭』(講談社)の中で「宇治氏が作者だったのを初めて知った」と述べるとともに「田中軍団秘書会の最後には決まって『5大10反』を唱和した」と書いていた。私は田中派議員の秘書たちがそういうことをしていたとは知らなかったので「へぇー」と思ったものだ。
こうしたスローガン、訓示、規範に相当するものは、受け取る側が素直な気持ちで順応できるものでなければならないし、同時に強制された環境の中で押し付けられる道徳であってはならない。青木彰・元東京情報大教授(メディア論、サンケイ出身。故人)は「昭和41年の中教審の『期待される人間像』や、同49年に田中角栄首相が提唱した『5つの大切、10の反省』といった徳目の押し付けは、国民の反発を買い、何の効果も生まなかった」(1997年8月11日、東京新聞夕刊「メディア評論」)と論評している。その通りであろう。ただ、一つだけ小生の言い訳をさせてもらうと、「5切10省」は、それだけ独立して書いたものではなく、長文の「教育改革論」の中の一コマであった。それを政治感覚の鋭い角さんが参院選対策用にピックアップして新潟県人会で発表してしまったので、その背景にある教育改革の全体像が伝わらなかったのは残念だったと今でも思っている。
現在の安倍首相は、祖父の岸元首相に倣うかのように、タカ派色を前面に押し出すことで、中国や北朝鮮を牽制しようと目論んでいる。トランプ米大統領が「安倍首相とはケミストリー(相性)が合う」と漏らしたように、オバマ前大統領とは安倍首相は対照的にウマが合わなかった。前大統領が民主党ということもあっただろうが、それに加えて政治指導者のタイプとして安倍首相がケミストリーの合うと思う政治家はトランプ大統領のほかロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領だ。どこか「独裁型」のイメージが強いリーダーたちだ。第一次内閣も含めて在職5年余になろうとする「安倍一強」政権だが、筆者は森友問題の成り行きもさることながら、安倍政治の正念場が近づきつつあると認識している。
それは「文の政治」と「武の政治」のバランスを巧みにさばける能力を持っているのか、という危惧である。戦前・戦中の旧帝国憲法下での総理大臣は、満州事変やノモンハン事件、更には断末魔の「特攻作戦」でも、失敗があれば「それは軍がやったことで」と責任を陸軍、海軍に転嫁することも出来た。だが新憲法下での「文民統制」(シビリアンコントロール)では、軍事的衝突を含めて総ての責任は内閣総理大臣の肩にかかってくる。
PKO協力法を成立させた宮澤喜一内閣当時の1993年(平成5年)5月4日、カンボジアで文民警察官の高田晴行氏が襲撃され死亡する事件が起きた。ゴールデンウイークを軽井沢で過ごしていた同首相は急きょ首相官邸に戻って河野洋平官房長官らと対策を協議した。後年、宮澤氏と個人的に懇談した際、この時のことが話題になり、「もし高田さん以外に複数の日本人関係者が殺されていたら私の首はあの時、飛んでいたでしょうな」と述懐していたことを思い出す。ちなみに安倍首相が父・安倍晋太郎氏の死去に伴い衆院議選挙に立候補・初当選したのは、この事件から2か月後だった。
当時は中国も「覇権を求めず」を国是に掲げて対外的軍事挑発行動を慎み、もっぱら自国の経済発展に力をいれていた。しかし今は違う。それに触発された安倍内閣も防衛予算を大幅に拡大し、今年度予算では5兆円超(過去最高)を計上した。トランプ米大統領の誕生で北朝鮮も4発同時のミサイル発射など軍事力誇示に懸命だ。もし能登半島沖などで日本船に北朝鮮のミサイルが誤って命中するようなハプニングが起きれば、一挙にアジア情勢が凍りつく。それでなくともトランプ大統領は「武の政治」の一端を日本や韓国に肩代わりしてもらいたいと明言している。
筆者の主張は、こうだ。いまこそ「武の政治」ではなく、「文の政治」でアジアにおける緊張緩和を真剣に模索すべき時ではないのか。近年の欧州諸国での移民排斥運動などナショナリズムや右派台頭傾向を見ていると、その根源はシリアのアサド大統領のIS撲滅対策がひたすら軍事作戦に傾斜したことの帰結と受け取れる。もっと大きな視野でいえば21世紀が2001年の9・11同時多発テロで開幕した背景にあった「貧困」「人種差別」「格差拡大」などが今日に至るも根本的に解決出来ないでいることこそ問題だ。わずかにメルケル独首相など一部の政治指導者が「文の政治」での解決を模索してきたが、いまやオバマ米大統領もリタイアし、メルケル女史も今年のドイツ総選挙で苦戦を余儀なくされそうだ。
そんな時、日本には戦後72年間、「武の政治」でなく「文の政治」で世界にアピールしてきた実績がある。中国、北朝鮮が軍事拡大路線の政治で存在感を示そうとしている時に、日本もそうだそうだと同調するのではなく、軍縮、核廃絶、国際協調といった「文の政治」の重要性、メリットを近隣諸国や世界にアピールすべきではないか。今回の「森友事件」は、日本の有権者に「武の政治」か「文の政治」かの選択を改めて問う効果をもたらしたように思えてならない。いまこそ「文の政治」で日米だけでなく日中韓3か国の腹蔵なき意見交換と協力関係を構築すべき時ではないか。それには安倍首相が祖父・岸信介元首相の「満州事変は悪くない」型の愛国心や森友学園の「教育勅語」教育などときっぱり決別して、「自国第一主義」の世界的流行に歯止めをかける気概でG7やG20の首脳会談に臨んでもらいたい。
無論それは安倍首相だけへの要望にとどまらない。本文の冒頭でも触れたように有権者の多くもまた「安倍晋三型思考」に傾いている。本来なら、そこにマスコミが警鐘を乱打すべきだ。言論界の一員として、そのことを自戒しつつ、この連載を書いていきたい。
(元東京新聞論説主幹・現東京・中日新聞相談役)
※この【国民は何を選んでいるのか】は今月から隔月に連載となりますが、内外情勢についての緊急な論評については別途に随時ご寄稿を頂くことになります。
<筆者略歴>
1937年大阪生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東京新聞入社。以後、中日新聞社で政治部次長、経済部長、論説主幹などを経て同社取締役、常務、専務(東京新聞代表)などを歴任。現在同社相談役。フォーリンプレスセンター理事など。著書に『政の言葉から読み解く戦後70年』(新評論)『実写1955年体制』(第一法規)など多数。