【オルタの視点】

安倍の「独走政治」を阻むもの

菱山 郁朗
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◆◆ <はじめに>

 第二次安倍政権の発足から4年4カ月、安倍晋三首相は国有地格安買収をめぐる森友学園問題で昭恵夫人共々野党の厳しい追及を受けながらも強気な態度を崩さない。トランプ米大統領のシリアへのミサイル攻撃や北朝鮮の挑発など、内外ともに様々な難問や不安材料を抱えながら、安倍の独走態勢に揺るぎはなさそうだ。3月5日の党大会で総裁任期がさらに3年間延長され、2020年の東京オリンピックで、「日本の顔」を世界にアピールしたい考えだ。内閣支持率も押し並べて高く、このまま順調に行けば戦後34人いる首相の中で、7年8カ月の佐藤栄作を越えて、最長期政権になる見通しだ。政治は「一寸先は闇の世界」なので何が起こるかは分からない。それにしても何故「安倍一強」と言われる政治状況になったのか、安倍の独走政治を支えているものは何か、果たしてそれを阻むものはないのか。

 安倍を強気にさせているのは、党内にこれと言った強力なライバルがおらず、危機管理、情報管理に長けた菅義偉官房長官ら霞が関の人事権まで持つ官邸スタッフが支えていること、路線や対抗軸がはっきりせず、政権戦略を明確化出来ない民進党はじめ野党勢力が、弱体で迫力に欠けること、安倍政権をチェックすべき新聞・テレビなどメディアがジャーナリズム機能を十分に発揮していないことなどが挙げられよう。さらに追い風になっているのは、尖閣や南シナ海など海洋進出や軍事強化を進める中国、挑発をくり返す北朝鮮、慰安婦問題を蒸し返す韓国など近隣諸国への日本人の反感やナショナリズムの高まりだ。

◆◆ <再び正念場の蓮舫民進党>

 安倍政治に歯止めをかける責任が最も大きいのは、野党の存在だが、あまりにも力不足である。結党から1年を迎えた民進党は、美人タレント出身の蓮舫を代表に据えて党勢の回復を狙ったが、消費税導入一直線で党分裂・政権転落を招いた野田佳彦前首相を幹事長に起用したことへの反発や指導力不足を露呈し、支持率は低迷したまま政権奪還戦略が見えて来ない。共産党との共闘に否定的な長島昭久衆院議員の離党・除名や細野豪志代表代行の憲法改正試案の公表、代表代行辞任、7月2日の東京都議選の候補者が相次いで離党するなど、党内は大きな波乱要素を抱えたまま、執行部は正念場を迎えている。

 民進党は自由にものが言える党風があり、それは長所かも知れないが、外交・安全保障・憲法・原発など基本政策に関わる重要政策では、意見が対立し、明確な方針を打ち出せないまま先送りされるケースがある。辞任した細野も、蓮舫が「提案型政党」と言いながら憲法には消極的なことに、不満を募らせていたようだ。

 政権戦略について蓮舫は、「自民一強対多数野党では何も出来ない。野党の連携はしっかりやっていく。「シンプルイズベストだ」の方針でやっていく」と野党共闘路線を進めることを強調する。あるリベラル派の有力者は、「市民連合が橋渡し役になって共産党とも連携して小選挙区で勝ち抜き、次の選挙で180議席程度は確保し、政権獲得への基盤を作ることが肝要だ」と言い、別の有力者も「共産党とは連立を組めないし、相互に候補を推薦するのもダメだが、小選挙区ではギブアンドテークでやれるところはやる。選挙区調整は、解散が迫ってくれば必ず出来る」と楽観的だ。

 もう一人の重鎮は「政権の奪還には10年はかかる。大事なことは①政権構想を打ち出す、②465の小選挙区で過半数の候補者を擁立する、③有力労組が結集する支持団体「連合」と政策協定を結ぶ、の三点セットで、共産党とも、政権を共にすることは出来なくても大まかな共通政策で合意し、選挙協力をするしかない」と指摘する。以上の3人は中選挙区制の選挙も体験したベテランの政治家たちだが、いずれも「共産党とも連携し、定数一の小選挙区で勝利し、議席を伸ばすことが重要だ」との認識で一致している。しかし、民進党内には離党した長島のように共産党へのアレルギーが根強く、一筋縄では行かない。最大の支持団体「連合」の執行部が、共産党との共闘には後ろ向きである。

 3月12日の党大会で蓮舫代表は、新しい目玉政策として「2030年原発ゼロ」を打ち出そうと考えていた。だが、東京電力と一体の有力労組「電力総連」が、原発推進路線を崩していないため、電力総連出身の参院議員ら東京電力側が激しく抵抗し、結局脱原発政策を明確に打ち出せなかった。電力総連は資金力、組織力が豊富で、存在感は大きく、影響力を持っている。脱原発の小泉純一郎元首相から「民進党は労組50万人の言いなりになって、500万の有権者に見放されている」と指摘された。民進党は「連合依存体質」から脱却出来ない限り、国民の信頼は得られないだろう。

 昨年7月の参院選では野党4党が、32の一人区で選挙協力して候補者を一本化、11議席を獲得した実績もある。だが衆院選挙は政権選択のかかった選挙で、野党4党が共通の政権構想を国民に示せるかどうかが勝負の分かれ目である。憲法、外交・安保、原発など基本政策で依然隔たりは大きいが、小選挙区制度の下で選挙を勝ち抜くためにはバラバラでは戦えないので、候補者を1人に絞るしか他に手段はない。これに野党4党がまとまって対応できるかが全てである。

 民進党はもともと旧自民党から旧社会党まで、反自民勢力を糾合した寄り合い所帯で、旧民主党が2009年に政権を担当したものの、「政治とカネ」問題と沖縄米軍基地辺野古移設をめぐる迷走で鳩山由紀夫首相が退陣し、後の菅直人、野田の2人の首相が、消費税の導入に踏み出し、小沢一郎自由党党首らと激しく対立、分裂を招いて自滅した過去があり、とかく団結力が乏しいと指摘されている。

 こうした中、4月6日、小沢と引退した元民主党幹事長・輿石東前参院議長、又市征二社民党幹事長が会談し、東京都議選後を睨んで三党の合流も含めた連携のあり方について意見を交わした。小沢は持論の「安倍に対抗するには野党がまとまって対抗するしかない」と強調、輿石も民進党執行部の現状では展望が開けないと危機感を露わにし、合流に難色を示してきた社民党も軟化姿勢を示したという。輿石が良く言う「顔合わせ→心合わせ→力合わせ」で再び政権を目指そうというものだが、民進党執行部の動きは鈍い。

 7月の東京都議選では、小池百合子都知事が立ち上げた「都民ファーストの会」が新党ブームを巻き起こし、民進党は一ケタ台の議席に転落するだろうと見られている。大阪で橋下新党に無残に打ち砕かれたのと同じ構図だ。党内には都議選で惨敗したら、蓮舫か野田が辞任するか、仮にしなければ批判勢力が行動を起こすとの見方もある。だが、そもそも他にもっとやるべきことがあるのではないか。新党ブームや風頼みで当選して来た若い政治家が多い民進党には、発信力はあっても受信力は乏しく、地道に足腰を鍛えて行くという努力が欠けている。仲間意識と「義理と人情」の人間関係を重んじる風潮や人材を育てて行こうという努力も足りない。民進党は基本政策の軸をしっかり固め、「決めたことはそれに従う」という、いつも掛け声倒れに終わる党の欠陥体質を改め、政権を担える政党に一日も早く脱皮しなければならない。

◆◆ <志位共産党は動くのか>

 「共産党を元気にさせたのは安倍だ」、「共産党の安倍政権打倒は本気だ」こんな声も耳にする。国会の開会式に出席し、今年1月15日からの党大会には民進、自由、社民の三党の代表を来賓として招いた。志位委員長は昨年の参院選の一人区で野党が連携して11議席を獲得した実績を強調し、「安倍政権を打倒し、野党連合政権を作ろう!」と訴えた。

 戦前から存在し、政権の座に一度も就いたことのない唯一つの政党=日本共産党は、1922(大正11年)に創立された。社会主義を標榜し、革命や天皇制廃止、侵略戦争反対などを唱えたことから徹底的に弾圧され、非合法化されたが、戦後GHQ指令で獄中の幹部らが解放され復活した。その間、小林多喜二の拷問・虐殺事件や公安警察スパイの潜入による査問事件、路線問題をめぐる内部抗争と党分裂など苦難に満ちた暗い過去がある。

 戦後の共産党の内部抗争を戦い抜き、「自主独立の共産党」の路線を敷いて、最高実力者となった宮本顕治という政治家とは、実は筆者がまだ大学生であった1963年(昭和38年)頃、一時代々木に間借りをしていた時に会ったことがある。ある日の午後、一駅先の千駄ヶ谷の室内プールに泳ぎに行った。このプールには風呂が付いていて、入った時偶々目の前に目をじろじろさせてこちらを見ている人がいた。屈強なボディガードの秘書を従えて、5人ぐらいしか入れない風呂の中で、「目が鋭くちょっと怖い顔をしたそのおじさん」をよく見たらテレビで見た顔だ。思い出した。彼こそは、まさしくまだ参院議員になる前の宮本である。不屈の闘士の顔であった。

 それから13年後の1976年(昭和51年)、筆者はテレビ局の政治記者となり、野党クラブを担当した。勿論共産党も守備範囲であるため、この年7月の共産党第13回臨時党大会を取材した。ロッキード事件が衝撃を与えた直後のことである。朝から晩まで「よく議論をする政党だなあ」とメモを走らせていたが、どこかの新聞に書かれたように、大会はまるで「宮本学校で校長先生を前にした優等生のスピーチコンテスト」であった。3日間の大会終了後の第11回中央委員会総会で、書記局長の不破哲三を委員長代理に選任した。人事は大会では一切議論せず、終了後に選任するという手法で、違和感があったが、これは今も変わらない。

 ある日の夜、美濃部亮吉の再選出馬をめぐる東京都知事選のことで動きがあり、何とか裏を取りたいと考え、思い切って不破の自宅に電話を入れた。しかし、「広報を通してくれ」の一点張りで何も答えてくれなかった。仕方なく他の議員に片っ端から電話を入れたら、ようやく米原昶が電話口で答えてくれて何とか裏を取ることが出来た。父章三が実業家で日本海新聞社の初代社長を務め、自らも党機関紙「赤旗」の編集局長から幹部会員となった経歴を持つ人物だけに、切羽詰まった記者の苦労や思いを慮ってくれたのだろう。

 それから大分時が流れての事だが、1993年(平成5年)広報部を通じて志位和夫書記局長が、晩飯を挟んで懇談をしたいと言って来たので神田の料理屋で会った。前年の秋には生誕100年を迎えた野坂参三名誉議長が、同志を裏切ったソ連のスパイであることが判明、解任・除名されるという、共産党にとって不名誉な事態が起きている。

 志位は宮本に抜擢されて3年前に35歳の若さで書記局長に就任、この年の衆院総選挙で初当選したばかりであった。志位は「提言でも苦言でも何でもいいから共産党に対して思うところをズバリ話し下さい」と低姿勢だ。そこで筆者からは①党名を変更したらどうか ②党規約の「下級の者は上級の者に従わなければならない」と言うのは、今の時代にそぐわないのではないか ③委員長が米中両国及び韓国とパイプがないというのは、あまりにも非現実的ではないか、などを指摘した。 

 志位は「おっしゃることの中には肯けるものもある。だが、党名の変更は難しい、規約の改正については考えてみたい」などと答えた。これには「共産党もひょっとして変わるかもしれない」と一瞬思った。問題の党規約は2000年11月の党大会でようやく削除された。この年の党大会後に委員長になった志位は、2010年に委員長として初めてアメリカを訪問した。

 共産党には「侵略戦争に反対した唯一の政党だ」という誇りと自負がある一方、それがゆえに「我こそ正義だ!」に拘る頑迷固陋な一面がある。共産党の内情は分かりにくいが、時代の変化や世代交代で、かつての独善的、教条的、閉鎖的な体質は、かなり改善されたようにも見える。85億円をかけて新築された党本部で、植木俊雄広報部長に初めて会って話を聞いたが、党幹部の記者会見の定例化やメディアとの関係強化で発信力を高めていると言う。
 共産党のある古参党員によると「志位は3年前の第26回大会から党のリーダーとして前面に出てくるようになり、重要な方針は不破とも相談した上で常任幹部会などで議論はするものの最終的には志位が決断し、志位が動けば党は動くだろう。党大会に野党の代表を招いたのは革命的なことで、安倍一強に代わる政権を目指す「本気度」を示したものだ」と指摘する。

 政界御意見番で最長老の重鎮亀井静香は、志位について「話の分かるリアリストで今の永田町ではナンバーワンだ」と高く評価する。大会に招かれた自由党の小沢一郎は「大胆に一歩踏み出したのは間違いないが、今は迷っているのではないか。純粋な良い連中だが、何しろ世間ずれしていないからなあ」と言う。ジャーナリストの田原総一朗は、「共産党は企業で言えば監査役であり、業績を伸ばそうなんて考えていない。チェック機関としては有能で与党になる気はないだろう」と指摘する。

 健全野党路線を貫き、「やはり野に置け蓮華草」なのか、安倍政治を阻む勢力として、本領を発揮し、かつてイタリア共産党が党名を変更して「オリーブの木」政権を実現したような大胆路線もありうるのか、トップとなって17年目の志位の決断と次の衆院総選挙での野党連携の行方が試金石となろう。

◆◆ <自民党一匹狼の気骨>

 政権に復帰して4年余、今自民党はわが世の春である。このところ派閥の資金集めのパーティーが、相次いでホテルの宴会場で盛大に開かれる。会費は一律2万円、会場には到底入りきれない枚数のパーティー券が売りさばかれ、がっぽり稼ぐという算段だ。ある派閥のパーティーに足を踏み入れてみた。立錐の余地もなく、テレビカメラの砲列が並び、やがて今自民党内にある七つの派閥の代表が壇上に並び、領袖である会長が、「自民党政権4年余で経済も成長し、失業率も下がり、安定政権で日本を取り戻すことが出来た」と自画自賛する。

 そんな自民党の中で唯一人公然と安倍政治に「NO」を叩きつける政治家がいる。一匹狼の直言居士村上誠一郎63歳だ。当選10回、行政・規制改革担当大臣などを歴任、休眠状態の衆院政治倫理審査会会長を務める。愛媛県生まれ、東大法学部卒。三木武夫の後を引き継ぎ、「笑わん殿下」と呼ばれた元通産大臣河本敏夫の秘書から政界入りした、自他ともに認める保守リベラル派の筆頭である。村上は河本の遺訓「政治家は一本のローソクたれ(己の身を焦がして周りを明るく照らせ)」を信条としている。

 村上は現在党の総務という要職にあり、立法・政策決定や党の方針を決める重要な仕事を務めるが、総務会ではっきりと正論を主張する。安倍が手掛けた特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を容認する新安全保障関連法、共謀罪の構成要件を改める組織犯罪処罰法改正案に唯一人反対している。安倍政治や外交・財政・金融、メディアに対して次のような警告を発している。

 ≪安倍政治は危険なポピュリズムに陥り、憲法を空洞化させたばかりか、特定秘密保護法でマスコミを封じた。とりわけ軽減税率導入で新聞社を、高市早苗法相の「停波発言」でテレビ局を抑えてしまった。また官邸に人事の権限を与えたことで公務員をも手中に入れた。今やジャーナリズムは社会の木鐸としての機能を果たしていない。このままではファシズムの危険性すら感じる。

 自民党政治の変質の分岐点は、小選挙区制度を導入したことと、小泉の「郵政解散総選挙」で民営化に反対した現職候補の公認を外した上に、刺客を送り込んだことだ。これでみんながトラウマになり、選挙、ポスト、政治資金など総理・総裁独裁体制が完成されてしまった。「安倍一強」と言われるが、“安倍が賢いから”という訳ではなく、選挙に勝ちさえすれば、何でも出来てしまうというシステムが、安倍を一強にしている。

 党内には今200人の大臣病がいるのでみんな安倍にものが言えないし、ひれ伏すしかないような構図になっている。自民党も野党もメディアも全部ダメだったら、戦前の大政翼賛会になる。そうならないように、たとえ一人でも、割を食うけれどはっきりものを言っている。

 戦略特区で新設される愛媛の家計学園で安倍は、韓国の朴槿恵大統領がチェ・スンシルに便宜を図った以上の事をしているのに、マスコミはどこもしっかり取り上げようとしない。安倍の周りには勢いとはったりを得意とする経産官僚たちが集まり、アドバルーンを打ち上げて、緻密さに欠けた事ばかりしているのに、これをメディアがしっかり伝えていないから、国民は本当のことを知らされておらず、安倍内閣は高い支持率を維持している。

 日銀が持っている国債の総額は400兆円、これを処理するには40年もかかる。それなのに安倍は外遊三昧で、国家財政が破たんし、独居老人、子供の貧困、格差の拡大など日本自体が貧しいのに、海外にべらぼうな金をばら蒔いている。外交、財政、金融政策のすべてが間違っているし、国民の権利まで脅かしている。政治家もマスメディアも自分の身が大切だからか、国の事や次の世代の事を考えていない。早く方向転換しなければならない。こんな政治が続いたら日本はおしまいだ。≫

 村上は憂国の情に溢れた熱い思いを語った。その上で「今はじっと我慢しているが、本当は背筋が寒くなる。自民党は本当の意味で、筋の通った「大リベラル連合」を作っていくしかない」とも述べた。

 安倍への対抗心を剥き出しにした村上の言葉には、安倍が祖父に岸信介、安倍寛、父に晋太郎、叔父に佐藤栄作と、名門政治家一家の血を引き継いでいるだろうが、こちらも負けてはいない、曽祖父紋四郎は衆院議員・今治市長、父信二郎も衆院議員、叔父孝太郎は大蔵次官から参院議員と、同じように名門政治家一家の血筋を受け継いでいるし、「議員としてのキャリアも年齢もすべて俺の方が先輩なんだ!」というプライドがあってのことではあろう。

 それにしても「自民党議員がそこまで言うか」という村上のかなり過激な発言には、正鵠を射ていて、説得力がある指摘も多かった。こう言う人物を一匹狼とは言え、総務というポストに置いている自民党は、それなりの度量があると言うか、党内のガス抜きは彼一人に任せようということなのか、長いこと政権を担当してきた大人の政党らしい一面を見る思いがする。

 彼のことを「誠ちゃん、誠ちゃん」と親しげに呼ぶのが、同期当選で安倍のライバルとも目される初代地方創生担当大臣で派閥「水月会」会長の石破茂だ。石破も同じく総務だが、防衛庁長官や幹事長を歴任し、地方では人気が高い。石破は1993年政治改革をめぐって自民党が分裂した際、離党した小沢や羽田孜らと行動を共にしたが、やがて小沢と袂を分かって復党した。

 政局について石破は「安倍と自分は似ているようで似てはいない。彼とは歴史認識や憲法観が違うし、あの戦争の指導者と無理やり行かされて死んでいった人たちを一緒に祀り、天皇陛下も行こうとしない靖国神社に私は行かない。安全保障と地方創生の二つをライフワークに、今は財政や金融など経済と社会保障政策の勉強をしていて、いつ総理になっても大丈夫というレベルに上げるべく努力はしているつもりだ」と述べ、間もなく『日本列島創生論』という題名の著書を出版することを明らかにした。安倍政治へのストレートな批判は聞かれなかったが、自著の中で石破はアベノミクスの限界を指摘しつつ地方からの成長戦略を打ち出した。「外交の安倍」に対し、「内政の石破」を、対抗軸を示してアピールしたのだろう。「武力行使のあり方は、安全保障基本法できちんと決めるのが先決である」との自説を強調、「日本が真の独立国になるためにはまだまだ汗をかかなければならない」とポスト安倍への意欲を見せた。著書のタイトルも政治の師と仰ぐ田中角栄の「日本列島改造論」に因んだもので、来年秋の総裁選に勝負をかける覚悟と準備は、出来ているようだ。安倍の三選を阻止し、一強政治を阻む大きな力を結集出来るかどうか、すべてはこれからである。

◆◆ <小沢と小池 それぞれの戦い>

 安倍政治に立ちはだかるキーマンとなるはずの政治家の一人と言えば、かつて剛腕で鳴らした小沢一郎である。田中角栄の秘蔵っ子と言われ、自民党幹事長として政局を主導し、様々な修羅場をくぐり抜けて来た。権謀術数に長け、その行動力や突破力には定評はあるが、民主党政権が誕生した2009年に検察権力によって力を殺がれ、民主党内の権力闘争に敗れた。今は自由党党首として少数政党の顔に収まっているが、先述したように輿石東や民進党内のかつて小沢に近かった議員ら頻繁に交流している。

 小沢の野党再編・政権奪還への執念は、74歳になるとは言え全く衰えておらず、民進党の行方が気になるようだ。民進党執行部に対しては「展望を持っておらず、全く駄目だ。金丸さん(元自民党副総裁)がよく言っていたように今のままでは「馬糞の川流れ」というやつだ。彼らは「焼け野原」になって初めて「大変なことになった」と気付くのだろう」と嘆き節を吐いた。
 野田幹事長とは昨年11月に会談し、この時小沢は、かねてから自論の「日本版オリーブの木」構想を持ちかけた。かつてイタリアで幅広い多数の政党が緩やかな連合体「オリーブの木」として中道左派の連合政権を実現させた時の選挙協力方式を指したものだ。野党各党の比例候補を集めた「統一名簿」を作って戦おうというもので、これには政界仕掛け人として鳴らした重鎮・亀井静香も動き、「桜の木構想」として水面下で調整がなされたが、結局民主党が難色を示して頓挫した。

 小沢はその後も野田の方から良い返事が届いていないらしく、野田について「神輿には乗るが、自分からは動かない人のようだ」とぼやいた。離党した長島についても今の状況では、「都議会選候補者もどんどん離党へと向かってしまうのではないか」と離党ドミノは止まらないだろうとの見方を示した。しかし、離党した長島について小沢は、記者会見で「(共産党を含めた)野党共闘を進めることを認めないと言うなら、それでは自公政権で良いということになる。野党共闘を進める今の野党ではダメだと言うなら他に何か手があるのか。自公政権を是とするのか、その起承転結の一つ一つにきちんと結論を出さないで、ただ単に離党の理由を並べただけでは、政治家は済まされないのではないか」と突き放した。

 2月19日発売の『サンデー毎日』に小沢と志位とのトップ対談が報じられた。この中で小沢は「共産党が方針を大転換して、野党で協力しようという状況の中で、勝てないわけがない。政権を狙う政党にもう一段成長して踏み込んで貰いたい」と注文を付けた。これに対し志位は、「党の綱領と理念には、自信を持っており、大事にしたい。状況に則して自らを自己変革する力を持っていないといけない。原則性と柔軟性。両方あってこそ政権への道が開ける」と応え、今後の対応は状況に応じて判断する姿勢を示した。共産党は小沢が期待するように本当に変わることが出来るのか、民進党の混迷もあり、小沢のイライラはしばらく続きそうだ。

 安倍自民党に矢を放つ構えで、新たなる戦いに挑んでいるのが、小池百合子東京都知事だ。小池はニュースキャスター出身、細川護煕の日本新党で政界入り、その後小沢一郎の新進党、二階俊博現自民党幹事長も一時いた保守党を経て、自民党に入党。小泉の郵政解散総選挙で刺客候補第一号として兵庫選挙区から東京選挙区に転出、環境庁長官、防衛庁長官、自民党総務会長などを歴任した。

 昨年7月31日の酷暑の中の都知事選で小池は、公認を得られぬまま出馬、291万票を獲得して圧勝した。まさにメディア戦略やイメージ戦略が奏功して「小池劇場」に視聴者も有権者も引き込まれた。話は遡り、私事だが、1983年(昭和58年)筆者が編成局にいた時「武村健一の世相講談」という生番組があり、アシスタントキャスターをしていたのが彼女だった。竹村が度々社会党への悪口雑言を吐いたので党本部から抗議や発言の撤回を求める苦情が筆者のところに来た。直前まで社会党を担当していたからだが、その都度竹村に説明に行くと隣にいる小池はいつもクスクスと笑っている。「明るくチャーミングな人」という印象だった。

 小池は、自民党都連のドン内田茂前幹事長と激しく対立、盛り土問題で築地から豊洲への移転を延期すると、「厚化粧の女」と揶揄した石原慎太郎元知事とも対立した。昨年10月には、主宰する政治塾「希望の塾」が開校、全国から政治家志望の人材を募る一方地域政党「都民ファーストの会」を立ち上げて都議会議員選挙に挑む。小池の人気は高く、新党は台風の目になりそうだ。2008年に総裁選に出馬した小池は、いずれ国政に戻り、総理総裁を目指すだろうとも言われている。

 自民党内には小池シンパもおり、既述の通り二階とはかつて保守党の同士であったことから、良好な関係と言われ、安倍との関係も悪くはないとも言われている。小池について自民党議員は、「天才だ。変幻自在でリスクを恐れない」、「怖いもの知らずで何をやるか分からない、特攻隊みたいなところがある」と指摘する。一方民進党のベテラン議員は、「小池は自民党とはケンカをしないだろう。二階とのパイプを温存して、その二階派が小池を担ぐ可能性もある。自民党籍を残したままいずれ又総裁選に出るのではないか」と警戒する。森喜朗元首相は近々に『遺書~東京五輪への覚悟~』という著書を幻冬舎から出版、この中には開催地誘致をめぐって小池を厳しく批判する内容が盛り込まれている。このため小池は、内田、石原の次に森をけんか相手の標的にするのではないか、という話もある。刺客を送り、「抵抗勢力」を連呼した、「けんか上手」の小泉の手法を真似するものだ。

 「都民ファースト」は公明党、連合東京の組織的支持を受け、6月1日に候補者全員を結集した総決起大会を開く予定だ。小池にとって厄介なのが豊洲移転問題で側近の間で意見が対立していると言う。「「都民の胃袋」をどうするのか、決められないようではダメだ」との声もあり、小池がいつどこでどのような決断を下すのかが注目される。小池は「所詮自民党の人間、安倍政治に異を唱えることはあり得ない」と冷めた目で見る人も多い。だが、都議選では、自民党と激しくぶつかり合う。小池が目指すものが何か、まだ不透明だ。

 小池は『文芸春秋』5月号の独占手記で孫子の兵法「迂を以て直と為し、患を以て利と為す=例え遠回りでも、直線で向かう敵より早く到達し、不利な点も有利に変える」を引用、当面は都政改革に全力で取り組む決意を表明した。小池は果たして都政改革で自民党を揺さぶり、安倍の独走を阻むことになるのか、協力して連携する道を選ぶのか、新党の行方と小池の決断にかかっている。
 
◆◆ <結び>

 側近の証言によると安倍は、「リアリズムの世界で生きている政治家なので『情』では決して動かない。或る意味冷酷な一面がある」と言う。学徒出陣し、温もりとリベラル感覚のあった父晋太郎や東条英機に歯向かった祖父安倍寛とはやや違うのかも知れない。第一次政権の失敗と挫折が、安倍を一回り大きく強かにしたことは確かだ。「昭和の妖怪」と言われ、日米安保条約を強行採決し、デモ隊鎮圧に自衛隊治安出動を検討した、祖父岸信介の背中を追いかけているというのが一般的な見方だ。

 安倍が「独裁者」で「暴走している」とまでは言うつもりはない。だが、「勢い」や「結果が全て」を強調する安倍が、「独走」しているのは確かだ。政権がころころ変わり、「決められない政治」がしばらく続いたことへの反動でもあろう。だが、リベラル派の有識者からは「自民党内の派閥は弱体化し、内閣法制局は無力化し、メディアも牙を抜かれている。国民への説明責任を果たそうとしない姿を見ると、「絶対的権力は絶対的に腐敗する(イギリスの思想家ジョン・アクトン)という格言を思い起こす(杉田敦法政大教授)」との批判の声も上がっている。

 安倍政治にとって今後流動的な要素としては、北朝鮮の挑発とトランプ政権の単独行動による朝鮮半島の緊迫化や中東など不安定な国際情勢と検察が動き出した森友学園問題や夫人の100万円寄付金疑惑、既述の小池新党ブーム、いわゆる「共謀罪法案」の審議の行方と天皇陛下の御退位を明文化する特措法の取り扱いなどが挙げられよう。

 それにしても政権マシーン自民党は、これまでの政権担当経験を踏まえて、情報収集力、官僚操作術を十分に発揮、メディアをも掌握している。習熟した融通無碍な作法で、先行き不透明な時代に、権力を行使するのに長けているのに比べ、野党が余りにもバラバラで力不足過ぎる。今野党に求められているのは、イデオロギーや原則に拘る姿勢を改め、独走する安倍政治に対抗し、リベラル勢力として大同団結することではないのか。保守とリベラルが二大勢力となって競い合い、政権交代がくり返されるのが、健全な議会制民主主義の姿ではないのか。

 軍国主義に直結した教育勅語を暗唱させる幼稚園と首相夫人の密接な関係、南スーダンで「戦闘行為があった」との日報が、大臣に報告されず、文民統制が機能していないのに、誰も責任を取ろうとしない。自己責任だと言って記者に「出て行け!」と怒鳴りつける復興担当大臣もいる。これらの光景を見ていると「一強多弱」と言われ続ける状況の中で、自民党政権の緩みと驕りが噴き出しているとしか思えない。安倍の行く手を阻むのは、この自らの驕りと緩みにこそあると言えるだろう。(文中敬称略)

 (日本大学文理学部客員教授 元日本テレビ政治部長)


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