【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

安保法制で懸念増す南スーダンPKOの自衛隊

荒木 重雄


 集団的自衛権行使容認を含む安全保障関連法が発効し、他国軍との宿営地共同防衛や駆けつけ警護で、自衛隊による国外での武器使用がもっとも懸念されているのが、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)である。ここには国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加するかたちで、2011年以来、約350人の陸上自衛隊部隊が駐屯している。
 ではその南スーダンとはどのような国で、どのような問題を抱えているのだろうか。

◆◆ 祝われて独立はしたが

 中央政府を握る北部のアラブ系イスラム教徒と南部のキリスト教徒など黒人系住民が対立し、内戦を繰り返してきたスーダンでは、2011年、南部が住民投票を経て分離独立し、アフリカで54番目の新生国家・南スーダンとなった。
 国際社会の祝福を受けながら誕生した新国家ではあったが、翌年には、南北境界に位置し帰属未定であったアビエイ地区の油田に南スーダンが地上部隊を送り込み、スーダンは南スーダン領内を空爆。全面戦争への発展はなんとか避けられたものの、南スーダン国内では北部の住民から反乱が起こり、西部ではウガンダ系民兵組織「神の抵抗軍」(LRA)が略奪を繰り返し、また、各地で家畜などをめぐる民族・部族間の争いが絶えない。

 2013年暮れ、そこに起きたのが、ディンカ族出身のサルバ・キール大統領派とヌエル族のリエック・マチャル元副大統領派の対立である。大統領府で始まった戦闘はたちまち民族間の殺戮へと発展し、国中を暴力が席巻した。
 内戦は、翌年、アフリカ政府間開発機構(IGAD)や国連安保理の介入で抑え込まれたが、10万人に及ぶ犠牲者と200万人を超える避難民を生んだ。和平への模索は進められているものの、両民族の戦闘はその後も散発的に続き、さらに、内戦中の銃器の拡散によって各地で武装集団が跳梁し、食糧不足も深刻で、米シンクタンク・平和基金会(FFP)が失敗国家ランキング1位に位置づける危機的状況が続いている。

 このような不安定の原因・背景はどこにあるのか。独立の過程から探ってみよう。

◆◆ 南スーダン独立への紆余曲折

 19世紀以来、英国と英国保護下のエジプトによる征服・支配に抵抗してきたスーダンは、1956年、念願の独立を果たすが、1924年以降、英国が南北を分断統治してきたことに加え、新政権が独立運動を担ってきた北部のイスラム教徒アラブ系中心となったことから、南部のアニミズム(伝統的精霊崇拝)やキリスト教を信奉する黒人系住民が反発し、55年、南北間で内戦がはじまった。
 72年、一旦は終息したが、83年、ヌメイリ大統領が同国にイスラム法を導入したことから南部住民が反発、再び内戦に突入した。

 犠牲者が250万人にも及んだ二度の内戦の末、ヌメイリを継いだバシル大統領政権と南部のスーダン人民解放軍(SPLA)の間で、2005年、ようやく包括和平協定が締結され、バシルを大統領、SPLAのガラン最高司令官を副大統領とする暫定政府が発足。併せて南部の自治が認められ、6年後、南部で住民投票を実施して、北部のイスラム教徒系政権と南部政権で連邦を形成するか、南部が独立するかを決めることとなった。

 しかし、その後も事態が順調に進んだわけではなかった。副大統領になったばかりのガランがウガンダ訪問からの帰途、搭乗ヘリで墜落死すると、謀殺を疑った南部住民がアラブ系住民を襲撃する事件が起こった。
 また、2003年からは、非アラブ系住民が多住するもう一つの地域、西部ダルフール地方でも黒人系住民が蜂起し、政府軍に支援されたアラブ系民兵組織が大量虐殺を重ねて、死者20万人以上といわれる事態となり、バシル大統領には人道に対する犯罪やジェノサイド(大量殺戮)犯罪容疑で国際刑事裁判所から逮捕状が出されたりした。

 こうした事態を潜り抜けての2011年の南スーダン独立であった。

◆◆ 宗教紛争?民族紛争? 自衛隊は事態の複雑さに耐えられるのか

 スーダンの紛争は、北部のイスラム教徒アラブ系と南部および西部のキリスト教徒など黒人系の対立と括られたが、ことはさほど単純ではない。南部の黒人社会にも少数ながらイスラム教徒がいて、彼らも内戦中はSPLAに参加し、住民投票でも独立支持に票を投じた。西部ダルフールでは殺し合ったどちら側もムスリムである。また、北部の「アラブ系」住民は他の集団を「黒人」と呼ぶが、彼らとて多少のコーカソイドの混血はあれ基本的には同じニグロイドである。
 南スーダンの内戦でも、大統領派のディンカ族はキリスト教徒が多く、元副大統領派ヌエル族は大地の神クウォスを主神とするアニミズムの信仰が強いが、同じナイル・サハラ語族に属する近似の言語を話す。

 こうした入り組んだ民族・宗教関係に経済的利害が加わる。石油の利権、遊牧民と定住農民の土地や水の資源をめぐる葛藤。さらに、有力者の政治的野心や思惑。じつは、この、政治的エリートのエゴに民族や宗教集団が巻き込まれての紛争がもっとも典型的な形態である。
 そこに、国際社会の利害や思惑が絡んで問題を一層複雑にする。南スーダン独立にいたるスーダン内戦では、米欧諸国はイスラム嫌いと人権観念から黒人側に与して政府を非難、他方、石油権益をもつ中国などは政府を支援したし、南スーダンの内戦では、調停に介入したアフリカ政府間開発機構(IGAD)加盟各国の思惑の齟齬や、武器禁輸をめぐる米国とEUの思惑の対立が、解決の遅れをもたらした。

 アフリカの国々は、かつてこの大陸を植民地支配した側の利害に基づいて引かれた国境線を踏襲して独立した。そこに住民の民族や言語、宗教、文化、社会的力関係などの実情は反映されていない。このため、国の枠組みはいまも軋みつづけ、各地で紛争が絶えない。南スーダンの分離独立や独立後の混乱もまさにその一例である。

 さて、自衛隊による国外での最初の武器使用となりかねない危険性をはらむこの地で、自衛隊ははたして、この地域の社会の複雑さを見極めた冷静・的確な対応ができるのだろうか。かりに誰かの側に立って放った銃弾が、この社会でどのような意味を持ち、どのように複雑な反応や影響をもたらすことになるかを見定めることができるのだろうか。政府や自衛隊の地域社会や国際関係への洞察力の乏しさを思うとき、心配はかぎりない。

 (筆者は元桜美林大学教授・オルタ編集委員)


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