【コラム】海外論潮短評(90)
大富豪に共通する独占欲と自己過信
—泥棒貴族とハイテク貴族—
ロンドンの週刊誌『エコノミスト』1月3日号のブリーフィング(解説)欄は、一代で一攫千金を獲得し、大富豪になったアメリカ人たちの強欲物語を取り上げている。そして、20世紀前半と現代の富豪ぶりを対比させ、その主要な類似点を論じている。これを読むと、大富豪の誕生は市場の独占に主としてよるもので、「努力が報いられる」という神話と関係ないことがわかる。
この記事は、「1対99」という格差社会が誕生した主要な側面の一つに光を当てている。この興味深い考察を通常よりも少しスペースをとって紹介する。そして、蛇足になりそうなコメントは最小限にとどめる。
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現代ハイテク億万長者と資本主義興隆期大富豪の相似 — 私利私慾の優先
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1865年のアメリカ市民戦争終結と1914年の第一次世界大戦勃発までの50年間に、一団の企業家たちがアメリカを農業社会から工業社会に変貌させる先駆的な役割を演じた。彼らは巨大な事業集団を築き、巨冨を貯めこんだ。
1848年当時、アメリカ随一の金持ちは貿易商ジョン・アスターで、2000万ドル(今日の価値換算で、5億4500万ドル)を所有していた。アメリカが第一次大戦に参戦した時、ジョン・ロックフェラーが最初の億万ドル長者となっていた。第二次大戦後は、データ・ジェネラル社が1960年代末に最初のミニコンピュータを導入してから50年間に、新企業家の一団が工業化時代から情報社会への転換を先駆し、巨大なビジネス帝国を構築、巨富を獲得した。
ウオールマート創業者のサム・ウオールトンが1992年に死んだとき、80億ドルを残した彼がおそらく最富豪であった。今日、マイクロソフト創業者のビル・ゲーツが823億ドルでその位置にある。初期富豪グループは「泥棒貴族」(ロバー・バロン)と呼ばれた。現代の富豪たちは「ハイテク貴族」(シリコン・サルタン)と言われる。彼らはいずれもかつては創業的成功者として尊敬された。しかし、ロックフェラーらが「巨富の簒奪者」とみられるにいたったと同じように、新興大資本家たちも当初の輝きを失いつつある。
新興ハイテク貴族たちもコンピュータとはゆかりもない分野に手を出して事業を多様化させ、老化防止から宇宙旅行に至るまでの人類的課題を解決すると豪語するほど思い上がった自己主張を行うようになった。直言すれば、政治家を操り、低賃金と劣悪条件で人を雇用し、他の株主を軽視、市場を独占することによって、彼らは批判を浴びる立場に自らその身を置いている。
ロックフェラーはかつて石油市場で80%を支配していた。今日、グーグルはヨーロッパで90%、アメリカで67%の検索市場をコントロールしている。両グループともに、アメリカ史上の持続的なテーマである、富の偏在と権力の集中という問題を生み出した。かつて泥棒貴族の最年少者、ヘンリー・フォードは「歴史はだいたい無意味」とのべていた。だが、彼は誤っている。シリコン成金たちは先人の誤りから学びうる利点を持っているのだ。はたして、彼らが学んでいるかどうかは疑わしいが。
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歴史は繰り返す
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成功した大企業家には一定の共通性がある。夢を実現させる鉄のような意思、成功を目指す尽きることのない貪欲さ、そして年を取るにつれて問題となる成功の果実との複雑な関係である。過去200年のアメリカ資本主義の巨人である泥棒貴族とハイテク貴族の場合、それが殊に顕著である。両者の顕著な共通性は、文明の基礎を再編成したことである。スタンフォードやハリマンなどの鉄道貴族は20万マイルの線路を敷設、全国的な市場を創出した。カーネギーは鋼鉄により、フォードは自動車によって新時代を招来した。ビル・ゲーツはコンピュータをすべての事務所と家庭に導入させた。ザッカーバーグはインターネットを社会的なものにした。
両者ともに規模の経済という論理に依拠した。泥棒貴族は目覚ましい技術革新を開始した。フォードの場合、石油を動力に転換するもっとも効率的な方法を追求したが、彼の天才的な点は、競争者を追い落とすためにこれを大規模に利用した能力にあった。規模の経済は価格を引き下げ、品質を向上させるのを可能にした。フォードは、最初850$したTモデル自動車を1916年には360$に引き下げた。1924年には、それより良い車を290$で買えた。ハイテク貴族もまさに同じトリックを用いている。品質とインフレを調整したコンピュータ価格は、1959年から2009年の50年間に、年間平均で16%低下した。今の iPhone は、1960年にMITの所有していた大型コンピュータとおなじ容量を持っている。
泥棒貴族は、自由市場の名において規制を弾劾した。だが、独占が自分には好都合だった。ロックフェラーは「破壊的な競争」を嫌い、「供給の継続性」を確保しようとした。そのスタンダード・オイル社が主導して1882年に設定した最初のカルテルは、利益保障と安易な営業を約束することで競争相手を封じ込めることを目的としていた。他の企業もこれに続いた。1890年のシャーマン反トラスト法が、自由な競争を阻害するこれらの協定を違法としたが、泥棒貴族たちはこれを中和する方法を考案し、持ち株会社に移行することでこれを掻い潜った。トラストと持ち株会社が製造業資産の約40%を保有していた。
ハイテク貴族にとって独占はもっと容易であった。彼らも時に法律と衝突し、グーグルとアップルはシェア争いを避けるためにインフォーマルな協定を結んでいると非難された。しかし、ネットワークは顧客が多ければ多いほどサービスが広がる性質をもっているので、そのサービスが巨大独占化する傾向にある。
デジタル世界では競争の敗北は全滅を意味する。市場における「敗北とは、競争の回避に失敗した会社」といわれる。その結果、前例のないパワーの集中が進行した。一世紀前には、泥棒貴族が運輸とエネルギーを独占した。今日では、グーグルとアップルがスマートホン運用市場の90%を独占している。北米人の半分以上と欧州人の3分の1以上がフェイスブックを利用している。それに比較して、巨大自動車メーカーといえども、アメリカ市場の5分の1以上をコントロールしているものはない。
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超富裕層は1%ではなく、0.000001%
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ハイテク貴族は、所有の面でも泥棒貴族と比較しうる。カーネギーは自分の会社の株式の50%以上を保有することに留意していた。現代の大企業は多数の株主によって保有されている。スタンダード・オイルの孫にあたるエクソン社会長は、0.05%の株を所有しているにすぎない。しかし、新興ハイテク企業は違う。グーグルの創業者2人と社長の3人で、投票権のある株式の3分の2をコントロールしている。フェイスブックのザッカ—バーグは20%の株を持っているだけだが、そのほとんどは「クラスB」という、投票権が普通株式の10倍もある特別株である。
ロックフェラーが20世紀初頭に引退した時、彼の純資産はアメリカGDPの約10分の1であった。ビル・ゲーツが2000年にマイクロソフト社長を退いた時、彼の純資産は当時のアメリカGDPの130分の1であった。彼らが、世界における富の極度の集中を代表していた。2013年には世界の億万長者企業家の34%が40歳以下で、彼らはハイテクによって財を成していた。
目覚ましい富の集中が進行したのが、アメリカ史上最も平等主義的な風潮が見られた時代であったことは驚くべきことだ。1830−40年代は、奴隷所有制のあった南部を除き、参加型政治と人権の国としてアメリカが確立された時代である。第2次世界大戦と1970年代の間は、アメリカにおける所得の不平等が小さかった時代である。泥棒貴族とハイテク成金の両者は、階級的に社会を分裂させ、カネの亡者を生んだ「もう一つのアメリカ」を生み出す役割を果たした。ベブレンは『有閑階級論』(1899年)で平等主義的社会が世襲貴族的な社会に変貌しつつあることを示した。『21世紀の資本』(2013年)で、トマ・ピケティが過去40年を対象にして同様な主張をしている。
下働きの小僧から17年間で鉄鋼王にのし上がったカーネギーは、大富豪のパレスと労働者の長屋のコントラストを心配した。だが、スコットランドの古城を買って別荘とし、85人の召使を抱えるのを厭わなかった。ネット決済の「ペイパル」で成功したピーター・ティールは、誰もがささやかな規格住宅に暮らしていた、平等主義的時代のシリコン・バレーで育ち、公立学校に通った。しかし、彼は今や30億円の別荘をマウイ島に持っている。今日の成り上がり者たちも、かつてのチャレンジャーたちが成功に酔って抑制の無い拡大慾と自己過信に溺れたように、既得権擁護論者へと素早く転向した。
本業での成功を足場に、必ず他の分野に参入するやり方も共通している。ロックフェラーは、関連分野に手広く事業を広げた。その会社に供給する木材を確保するために森を買い、石油樽を作った。石油精製から化学製品を造り、石油輸送のために船と貨車を所有した。鉄道王ハリマンは、鉄道建設のための金融から金融事業全般に進出した。ハイテク貴族たちも同様な軌跡を追っている。
その潤沢な超過利潤をロボット、エネルギー、家庭用器具、自動運転車、老化防止など、関連性の薄い分野に注ぎ込んでいる。フェイスブックはバーチャルリアリティ装置の開発に手を染め、29億ドルを投入した。ペイパル創始者は電動自動車とロケットに参入した。アマゾン創立者も民間宇宙旅行事業に投資している。
両グループとも、さらに大きな夢を追った。泥棒貴族は社会問題の解決に手を出した。フォードは、戦争をやめさせるために平和使節団を率いて欧州に渡った。シリコン・バレーでは、寿命を120歳から130歳に引き伸ばすのに賭けているものがおり、ティールは「死」を食い止めると語っている。また、国民国家の外に都市国家群を創出する、国家改造計画がティールの趣味の一つである。グーグルのブリン、ビル・ゲーツ、ティールが組んで“オルタナティブ食料会社”を創立し、代用肉など食品「改造」にのりだした。
泥棒貴族の中には政界に入ったものが多くいた。ロックフェラーの二人の息子が、ニューヨークとアーカンソーンの知事になり、前者のネルソン・ロックフェラーはその後フォードの副大統領となった。ハイテク貴族は前者の誤りを犯さないといっているが、政治は事業と切れない腐れ縁を持っており、自信過剰なものほど政治の誘惑に抵抗できない。グーグル政治委員会は、政治に深入りしていることで有名なゴールドマンサックス社よりも多くの金を出している。
ザッカ—バーグは移民制度改革のために圧力団体を結成した。ハーバード時代の学友がこの団体を率いており、彼は「ハイテク業界はもっとも強力な政治勢力となりうる」という。彼らは報道や出版にも進出している。べゾスが『ワシントン・ポスト』を、フェイスブックのヒューズが『ニューリパブリック』を買った。ヤフーは新メディア帝国になっている。シリコン・バレーは、あらゆる政治資金集めの定期的立ち寄り処となっている。
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始まったバックラッシュ
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泥棒貴族は多くの人々を破滅に追いやり、多くのルールを踏みにじってきた。泥棒貴族の時代の容赦ないやり方が、ストライキの頻発、独占禁止法の制定、社会改革、ついには1930年代のニューディールの時代を招きよせた。「企業中心のアメリカ」に対する攻撃を精力的に推進した民主党ウィルソン大統領の主導により、憲法改正が実現、累進所得税が初めて導入され、上院議員が州議会の選出ではなく、普通選挙によって選ばれるようになった。
ハイテク貴族たちは今のところ泥棒貴族のような反発を招いていないが、それは驚くにあたらない。彼らは比較的少数の高給労働力を雇用しているだけで、泥棒貴族たちのように労働組合との深刻な争いを繰り返しているわけだはない。1901年のカーネギー財閥のUSスティールは、当時の陸軍と海軍を合計したよりも多い、25万人を雇用していた。今日のグーグルは50,000人強、フェイスブックは8,000人、ツイッターは3,500人を雇用しているだけである。
しかしながら、不満の声は高まりつつある。1994年以後アメリカ政府はマイクロソフトを略奪的価格設定と競争排除で告発し、これを抑えるのに成功した。EUは検索市場におけるグーグルの支配を削ぐのに注力しており、ヨーロッパにおいて検索業務を他のビジネスから分離することを目指している。独占と不平等に加えて、ハイテク企業のプライバシー情報占有が問題とされている。
EUはプライバシー保護指令(法的拘束力を持つ)を起草しており、2016年に発効する。これは、データ収集を厳しく管理するものである。このような心配にもかかわらず、トレンドが逆転する兆候は見られない。鉄道時代とシリコン時代にドラマティックな相違があっても、アメリカは企業家を生み出すのに良好な諸条件を依然として備えており、世界中から人材を吸収している。これがアメリカの世界的牽引力を生み出している。
泥棒貴族に対するバックラッシュは、大企業と民主主義の間の緊張関係という、もう一つの持続的な課題を提起した。成金的大富豪に対するアメリカ人の感嘆の念は、大規模組織に対する疑念の裏返しだ。「大きなこと」自体が社会に対する攻撃だという受け取り方が根強い。これは共和党右派と民主党左派に共通する点である。「大きなことの罪」を自己救済する方法はあるのだろうか。
アメリカ大富豪物語の最後のテーマは、慈善的社会貢献(フィランソロピー)の物語である。カーネギーをはじめほとんどの泥棒貴族は、晩年、慈善活動家となった。カーネギーは機会均等のためとして、2,811の公共図書館を創立した。ロックフェラーの知的遺産の一つは、アメリカ最良の大学群に含められるシカゴ大学である。ゲーツ財団は世界最大級のもので、先人たちの構想力と慈善精神を継承しているように見える。アメリカの企業家は巨富を生み出すと同時に、長い影を引きずっている。
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■ コメント ■
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本稿をまとめている最中に、2月24日付日経新聞朝刊が、「ペイパル」創業者であり、本稿で発言が再三引用されている、ピーター・ティールとのインタビューを掲載した。その中で「創業者や投資家という立場で言えば、誰も手を出していない分野に手を出している独占企業に関わりたいと考えている。競争はビジネスとして非常に難しい。あらたなことを生み出す独占は健全だ」と、かれは本音を率直に述べている。
自由競争を原則とする資本主義市場経済において、成功するには「競争排除」と「独占」がベストだという。これはパラドックスであるだけでなく、最高の欺瞞である。ここに紹介したエコノミスト記事は、市場経済を肯定、擁護する代表的経済誌としては、実に迫力のある批判精神を示している。結論部分がやや竜頭蛇尾の感があるが、この辺についての解明は本号に併載されている諸論文に譲りたい。
アメリカの金持ちや企業が、フィランソロピーの精神から社会貢献をしていることをそれなりに評価することはやぶさかでない。しかし、それが企業や富豪に甘い税制と裏腹の関係にあり、そのことが本来公共的に提供されうる社会サービスの財源を国家から奪っている面も見るべきだ、という点だけを指摘しておきたい。
(筆者はソシアルアジア研究会代表)