【コラム】
酔生夢死

大人になるんだって?

岡田 充

 東京大学安田講堂を占拠した学生と機動隊との攻防戦(1月)、中国・ソ連国境で両国軍が武力衝突(3月)、南ベトナム解放民族戦線が臨時革命政府樹立(6月)、米アポロ11号が月面着陸(7月)― 筆者が20歳だった1969年、日本と世界は年明けから時代の転変を予期させる騒然とした空気に包まれていた。
 どれも自分自身と深くかかわるだけでなく、同時代を生きる者の「共通の前提」になる事ばかりだった。当時大学生だったが、大学医学部の研究に米軍資金を導入することに反対して、キャンパスのバリケードストライキに参加していた。全共闘運動にベトナム戦争、米軍の存在まで、自分自身と関係しているのだという自覚があった。

 そんな時20歳を迎えたが、成人式参加など端から頭になかった。20歳になるのは極めて個人的なこと、国や自治体が税金を投入して祝うことか、ましてや、式には首長をはじめ地元選出の国会議員や地方議員が居並び、ほとんど意味のない祝辞の繰り返し。選挙権を手にする若者への「票固め」の場じゃないの、と考えていたからだ。

 今年の「成人の日」は1月11日。東京など4都県に緊急事態宣言(8日)が出た直後だったから、「3密」を避けるためにも式は中止か延期だろうと思ったらそうでもなかった。中止・延期した自治体が多いが、東京都では杉並区が実施し、埼玉、横浜でも屋外で式をした。

 3年ほど前、振袖販売をする企業が成人の日に営業を停止し、振袖を予約した新成人が泣いた「事件」があった。和装業界をはじめ、着付け・化粧・ヘアメークなどの美容業界にとって、「成人式」は稼ぎ時のビジネスと知った。それはそれで理解できないわけではない。

 しかしメディアが「一生に一度の晴れ舞台」と成人式を持ち上げるのはどうか。成人式より大事で重要な「一生に一度」は、ほかにもたくさんあるはずだ。成人式にはみな揃って振袖で着飾り、黒服を着て会社訪問の列を作る― ほとんどユニフォームと化した「疑似コスプレ」のよう。多数に従う横並びの秩序に回収されていく日本の社会人にふさわしい行事なのかもしれない。

 全国一斉に、成人年齢に達したことを祝う式をする国は日本以外にはない。「大人」になるとは、「自分自身を相対的に見つめるもう一人の自分」を見つけることだと思う。身体ばかり大きいけれど成熟できない「小学5年生」並みの大人は結構みかける。しゃべり方といい、普段の態度といい「小学5年生」のような74歳の大統領をいただいた超大国もあるじゃないか。

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  東京・杉並での成人式を伝えるニュース(TV朝日)

 (共同通信客員論説委員)

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