【コラム】酔生夢死

報道から透けるわれわれの中国観

岡田 充

「習氏に権力集中、加速」「異質な価値観、終身支配も」 いずれも中国共産党第20回党大会(10月16~22日)を報じた全国メディアの見出しだ。習近平党総書記の3期目が承認され側近で固めた人事などを「一強独裁支配の強化」とする批判的視線が滲む。
 大会で最も注目されたのは、胡錦涛前総書記が途中退場したシーンだろう。胡氏はパーキンソン病と認知症が進行しているとされる。国営新華社通信はツイッター(英文)で「体調が優れなかった」と書き込んだが、これに納得する読者は少ないはずだ。
 「嫌がる胡氏を無理やり退場させた」ように見えたことから、胡氏の出身母体「共産主義青年団」出身幹部への冷遇人事に、胡氏が不満を抱き「習近平独裁への抗議の意思表示」「習氏が反対派への見せしめとして退場させた」と見る識者の憶測は今も止まらない。
 しかし胡氏は、退場前に中央委員名簿を見た上で投票を済ませており、習氏の机の上の赤いファイルの人事情報を見ようとしたという「解説」に根拠はない。いずれも主観的な期待に基づいた心象風景を習、胡両氏に投影した域を越えない物語だ。
 「密室政治」を権力闘争の角度から観測する伝統的な分析方法でもある。退場前の胡氏の表情や挙動からすると「病状説」が最も説得力がある。
 中国報道を振り返ると、われわれ自身の中国観があぶり出されることに気付かされる。ある記事は「異質な価値観で『社会主義強国』へと突き進む習氏に、日米欧など国際社会はさらに長期的な対峙を迫られる」と、中国政治を「異質」とみなし「国際社会」と対立する構図を描いた。中国批判の縮図のような視線。「民主vs専制」二元論でもある。
 明治維新以降われわれの対中観は、中国の政治・社会に日本や西洋の国家モデルを投影し、国民国家の基準から対比・判断してきた。魯迅研究で知られる竹内好は、「近代化の過程は日本型が唯一のモデルではなく多様」と喝破したことがある。
 習氏は、「中華民族共同体意識」というイデオロギーを強調する。皇帝を戴く伝統的な中華帝国は多民族、多言語など多元文化を共存させてきた。異質な文化の共存には「一強」の皇帝でないと安定しない。分裂の契機が常にある中国にとって、「統一国家維持」は至上命題なのだ。
 清朝を倒した孫文は、中華民国の建国にあたり、単一の国民意識によって民衆を束ねる国民国家を目指し、伝統的秩序との衝突・矛盾に苦しんだ。軍閥による分裂だ。中国共産党は、皇帝型秩序と親和性のある権力集中型のマルクス・レーニン主義を内在化し、伝統秩序と国民国家の矛盾・衝突の「解」を見いだした。
 一党独裁の中国をこの「3層秩序」から観察すれば、統一国家維持の至上命題のため「習一強」や「中華民族共同体意識」のイデオロギー強化の意味は理解できる。国民国家から生み出された「民主」だけから、中国政治を切り取ると本質を見誤る。(了)
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(2022.11.20)
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