【オルタの視点】

土石流災害等は「拡大造林」が元凶の人災

 
          
                       藤田 恵


◆◆ はじめに

 今年も土石流災害などの大水害が頻発しています。被災された方々には衷心よりお見舞い申し上げます。私は約20年前に東京新聞の本音のコラムでも「森林の荒廃は国の崩壊」(拙書「脱ダムから緑の国へ」緑風出版2004年59頁)と題して、「拡大造林」後の手入れ不足に拠る災害が続出する日が近いことを予言しました。不幸にしてこれが的中し、毎年のように多くの人が土石流災害等の犠牲になっています。

 近年の土石流等の大水害は結論を簡単に書きますと、「拡大造林」後の手入れ不足に拠る山肌の過大浸食➡山林崩壊に拠る土石流➡沢、河川へ土石の過大流入➡これに伴い民家等の災害➡さらに下流のダムへの堆砂、ダム災害の発生を含む大水害、と全て「拡大造林」が元凶と言っても過言ではありません。

 いつも、識者やマスコミの報道等も「大雨」が災害を引き起こす主犯のように言われていますが、はたして本当でしょうか。「大雨に伴う災害」と一口に言っても、多くの諸条件が重なりあって災害は発生しますので、いちがいに決め付けることは出来ません。しかし、最近の災害の多くは一日の雨量が200ミリか300ミリ、多くても数百ミリ前後で発生している地域が多いようです。
 私は1日の雨量が1,114ミリ(徳島木頭で1976年9月・6日間の総雨量は2,781ミリ)という世界的な豪雨の記録がある、高い山々と川や沢に囲まれた山村で育たった経験則と、約30年前から何か所かの土石流等による災害の現地を見た結果、大雨時の災害のほとんどが「拡大造林」を元凶とする「人災」であることは一目瞭然でした。さらに、毎年春から秋にかけてヤマメ釣り、鮎釣りなどで頻繁にあちこちの山や沢を歩き回り、多くの崩壊地などを見た結果も、「拡大造林」が元凶の人災であることの確信は深まるばかりです。

 しかし、土石流災・大水害のニュース、ニュース解説、専門家の調査報告等を私はかなり読んで来ましたが、この「拡大造林」と下記の①~⑤について触れたものを読んだ記憶はありません。この一目瞭然の最も重要な点に全く言及しないのは何故でしょうか。その理由は単にそれらについての知識が無いか、取材する側とされる側の癒着により客観的な視点で書けないかどちらかでしょう。恐らく後者の方で、つまりマスコミや学者の堕落に起因するところが大きいと思われます。最近の国会を中心に安倍自公政権に不都合な証拠は「全て無いこと」になっていますが、「拡大造林」など大水害の真の原因もその一つに違いありません。

 大雨が降っても、通常は山崩れや土石流災害は滅多に起こるものではありません。災害には山林に何らかの共通する特殊事情があります(大雨で必ず山崩れが起きるのなら、旧木頭村の2,000m級の約20峰の山は全て崩れているはずです)。それは、①「拡大造林」後の手入れ不足に拠る山肌の過大浸食、②急峻な地形へ、幅員が広過ぎる農林道の開設、③川、沢の直線化、④里山の喪失、⑤砂防ダム、が主なものです。
 最近の大災害は勿論のこと、2014年の広島、2013年の伊豆大島、2004年の徳島県旧木沢村(現那賀町・1日の雨量が1,317ミリ)土石流災害、前記76年9月の旧木頭村の大規模山林崩壊等の全てが、前記①~⑤に当てはまります。今夏の九州地方の大災害も原因はほぼ同じだと推測されます。

 「拡大造林」は、敗戦後の住宅建設などで杉や檜等の建築材が不足し、1950年代から、ブナ、ナラ、シデ等の天然林を含む広葉樹を皆伐し、補助金で主に杉を密植する政策で、当時の農林水産省が全国的に推進して来た広葉樹敵視の愚策です。その後、1964年の林産物の貿易自由化で、杉材等の価格の暴落が今も続き、林業家は間伐や下草刈りの費用も人材も無く、杉林は荒れ放題の状態です。
 以下、「拡大造林」が元凶の災害ある根拠の概要を各項目ごとに説明します。

◆◆ 1.「拡大造林」後の手入れ不足に拠る山肌の過大浸食

 上記のように杉林の間伐などの手入れ不足のため、林内の山肌を保護する下草(草や細い木など)が全く無いか少ないため、大雨で山肌がいっぺんに削られ大崩壊を引き起こしたものです。つまり、「拡大造林」後の手入れ不足による、保水力の低下と山肌の過大浸食です。上記の旧木頭村の大規模山林崩壊は直径2m以上もあるブナ林を皆伐した後に、杉林の山肌の過大浸食でが原因で、中腹に深層崩壊が起こり大きな山が大崩壊したものです。その後、砂防ダム工事が20年以上も続き、この砂防ダム付近で山の崩壊がさらに頻発している場所もあります。

◆◆ 2.急峻な地形へ、幅員が広すぎる農林道の開設

 「拡大造林」と並行して、急峻な斜面に幅員が広過ぎる農林道の、崩壊しやすい地形、土質などを十分に考慮しない開設です。このため、大雨時に大量の雨水や伏流水により農林道の擁壁からまず決壊が始まり、道路付近が崩壊し土石流が起こり、民家の流出などが発生したと見られる箇所が多いことです(嘗て、自民党は建設業者から請負高の約5%の政治献金を取るために、業者が儲かるように幅4m以上の広い農林道路以外は補助金を付けない制度に固執していたと言われています。林業家が本当に望んでいるのは、幅員が2m前後の作業道や、森林に負荷の少ない狭い林道です)。
 その典型例として上記、2013年の伊豆大島の土石流などの大災害はこの「急峻な地形へ、幅員が広すぎる農林道の開設」が一つの原因であることは、当時の新聞に掲載された山崩れ前と山崩れ後の2枚の航空写真の説明からも明白です。なぜなら、ちょうど絵に描いたように道路付近から一斉に崩壊が起きているからです。これは、2004年8月1日、台風10号時に徳島県旧木沢村(現同那賀町)で起きた類似の大災害時に、私が撮影した現地の写真と酷似しています。この大災害は数百箇所の山崩れが起きたもので「大量の雨水や伏流水により林道などの擁壁からまず決壊が始まり、道路や道路付近が崩壊し土石流が起こり、民家の流出などの災害が発生したものと見られる箇所が多いことです」という私のこれまでの実態説明を証明しています。

◆◆ 3.川、沢の直線化

 上記のように、山肌の過大浸蝕により恒常的に大量の土砂が河川等に流入し、河床の上昇と共に、大きな淵が埋まり河川や沢がほとんど直線化しているため、洪水時に流量の一時的な逓減が不可能となり、下流の流量も一挙に増大するため、杉などの流木が橋梁等にかかり濁流を堰き上げるなどの水害がいっそう拡大したと推測される災害の例も多いのが実態です。

●12か所が1か所に
 私が子供の頃に過ごしたのは那賀川の最上流・北川集落です。この前を流れる川には僅か2キロほどの区間に大きな淵が、今思い出すだけでも12か所もありました。大きな淵には全て名前が付いていました。その一つはカンキチ淵で、大昔にカンキチと言う人が入水した淵だと言い伝えられていました。
 川の淵に全て名前が付いているということは、「拡大造林」後に大災害が頻発する1970年代以前は、長年にわたり河床が安定していた一面を物語っています。私の経験でも、大雨後に川の流れが激変することは殆どありませんでしたが、近年は一雨ごとに淵も埋まり流れも激変しています。上記の12か所の淵も、僅かに淵の面影を残す所は、今はたったの1か所のみです。川とは名ばかりで、単なる直線の水路と化しています。これは、ごく一部の川を除き日本全国の川の現状となっています。

●「ワンド」で洪水の逓減が無くダム災害に
 大きな淵には必ず「ワンド」と言う、水深が深くて大きく膨らみ、流れが渦巻いて上流へ逆流するような所がありました。小学生の友人が泳いでいて亡くなったのも、この「ワンド」でした。大水が出ると濁流となったこの「ワンド」は、河原や岸辺の方へどんどん広がったものです。大水を下流へ徐々に流す洪水の逓減と、鮎やアメゴ、鰻など多くの魚の避難所でもあったのです。

 上流部にあった昔からの竹藪などの水防林を伐り、1か所でもコンクリートの堤防を造ると、今までの流れが激変します。下流の何百年もの昔から安定していた、自然堤防などが大雨ごとに崩れ始めて、淵も土砂で埋まってしまいます。
 海までの、直線化と砂防ダムと巨大ダムです。そのうえこの土砂の過大な流出は下流のダムへの堆砂など、ダム災害を含む最近の大水害は全てこの「拡大造林」が元凶だと何度言っても言い足りません。

◆◆ 4.里山の喪失

 里山とは、広辞苑によると「人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林」とありますが、私の体験からは少し違うようにも思いますので、もう少し詳しく説明します。

 1960年代まで農業の主な作物だった米や麦の栽培で、農家に絶対に必要なのは農耕用の牛でありました。この牛を飼うために、春から秋にかけて草を刈る場所が、里山の最大の役目でした。この場所は、里山でも家から最も近くて比較的肥沃な土質で、一面に萱が生えているのが最高とされていましたが、家の近くで良い場所は限られていますので、少し遠い里山で萱ばかり刈れるようにした「萱野」という里山も作っていました。その他、里山は田や畑に入れる草を刈る、薪を伐る、炭を焼く、椎茸を栽培する場所で、尾根や尾根近くに昔から生えている木は別にして、里山へは大きな木は生やさないようにしていました。杉の植林も、比較的遠くの里山は別にして、近くの里山へ杉を植えることは殆どありませんでした。

 このように、里山は土質が肥沃な所が多く、元来地滑りなどで崩壊し易い地形の場所です。したがって、崩壊防止のために先人の経験則で比較的に根が張りやすい広葉樹などを主に生やし、根が浅くて張りにくい杉はなるべく植えてはならない場所だったのです。

●杉林から土石流
 里山に密植された杉林も、間伐(密植した杉の成長に合わせて間引き伐りをして、林の中の日当たりや風通しを良くし、杉林全体の平均した成長を促進する一種の育林手法。最初から密植をせず、殆ど間伐を必要としない育林のやり方もあります)の遅れや不足で日当たりが悪くなると適当に下草が生えなくなり、雨の度に林内の土砂が浸食されて、やがて大きな山崩れとなり土砂災害が発生することは必然的です。

 私の経験からは、民家などが土砂災害に遭うのは、上記のように殆どが嘗て里山であった所の杉林からの土砂の流出に拠るものです。この嘗て里山であった所の杉林が特に山崩れなどが発生し易いのです。私の経験と推測から、その理由は以下の通りでする。

●土石流はなぜ起きる
 山間部などの川や沢近くに点在する、比較的平坦な場所にある集落の地形を見ると、殆どが昔の大地震か大雨で大規模な地滑りが起きた場所と推測されます。この集落周辺の嘗て里山であった所は、土地が滑って来た斜面でかなりの勾配の所が多い。集落から少し離れたその斜面の上部の嘗ての里山は、何とか地滑りの時に崩壊を免れて残った山の一部とみられる地形が多くあります。
 このように嘗ての里山は、元来崩壊し易い地形の上にさらに土質が肥沃な所が多いので、崩壊による土石流が起き易いのです。したがって、崩壊防止のために先人の経験則で比較的に根が張りやい広葉樹などを生やし、根が浅くて張りにくい杉はなるべく植えてはならない場所であったのです。これらを全く無視した「拡大造林」で杉を密植し、その後の手入れ不足などにより人災に輪をかけているのが多くの土砂災害です。

◆◆ 5.砂防ダム

●全国的には100万基以上?
 砂防ダムは川の大小を問わず上流部から源流部へ沢、山崩れの跡地など山の頂上付近まで、ありとあらゆる場所へ造られています。高さが7m以上を砂防ダム、それ未満を堰堤と呼びます。砂防ダムは、県や市町村が造ったもの、国交省や農林省が建設したものなどが入り乱れており、私が知る限り、全国に何基あるかなどの実態が把握可能な資料は何処にもありません。木頭村(現徳島県那賀町木頭)内にある砂防ダムの数も県や国に質問しても不明とのことで、2000年頃に私が沢を歩いて数えただけでも500基以上あり、総工費は数百億円以上と言われていました。これから推測しても、全国的には最低でも100万基以上の砂防が造られているのが実態ではないでしょうか。

●打出の小槌
 砂防ダムは、広辞苑には「山肌の浸食や河川の土砂の流出を防ぐため」とあります。私が子供の時から見て来た砂防ダムは違います。砂防ダムが造られる典型的な地形は、V字形の急な渓流です。両側も浸食され尽くして全体に岩肌が剥き出しとなっている場所です。つまり、岩肌が何万年もかけて浸食される以外には、これ以上の浸食の恐れは全く無い場所です。こんな所へ砂防ダムを造るとどうなるでしょうか。大雨ごとにすぐに土砂が満杯となります。同時に、濁流が堰の上部を越流します。柔らかい両側の杉林などがいっぺんに浸食され、当然に山崩れが起きます。「大雨災害の復旧工事」で、すぐ予算が付きます。また砂防ダムです。

 このように、砂防ダムは建設業者の打出の小槌であり、必要性の有無に関係無く際限なく造り続けられている場所も多くあります。その典型例が、前述の旧の木頭村の久井谷(ひさいだに)と言う小さな沢に、エスカレーターのように建設されている約200基の砂防ダム群です。

◆◆ 急がれる災害防止対策

(以下は、素人の思い付きの災害対策についてです)

 第1、尾根と沢付近、民家に近い手入れ不足の杉林は、公費の補償で皆伐する。1年もすると草木に覆われ過大浸食が防げます。

 第2、特に崩壊しやすい地形、土質の箇所から優先的に農林道の山側へ十分な側溝を造り、上部から道路への雨水の越流を防ぐ。

 第3、前記の優先箇所から順次、農林道の幅員を狭める改造工事をする。必然的に擁壁が低くなり崩壊がしにくくなります。

 第4、農林道の擁壁へ十分な水抜きを造り、擁壁の内部への雨水や伏流水の滞留が少なくなるように擁壁を改造する。

 第5、前記の優先箇所の農林道の上下に孟宗竹等を植えるなどの、里山の復元。先人の昔からの知恵を謙虚に学ぶべきです。

 第6、危険地域の民家の移転。土砂災害が予測される危険地域の民家などの移転を、公的な補助も含め早急に実施することです。災害で多くの人命が失われることを考えれば安いものです。

 第7、誤った農林行政・「拡大造林」の非を国や自治体に認めさせること。そうしないと、本格的な法整備による土石流災害防止は不可能です。 以上

●山林崩壊防止植林等規制法(1部案)
 (以下も同様に私の法律案です)

第1条(この法律の目的)
 この法律は「拡大造林」後に頻発する、山林崩壊に拠る土石流災害等を防止するため、植林等を規制して健全な山林を育成し人命と国土を守ることを目的とする。

第2条(定義)
 この法律において「森林」とは、以下に掲げるものをいう。但し、主として農地又は住宅地若しくはこれに準ずる土地として使用される土地及びこれらの上にある立木竹を除く。(以下略)

●尾根付近は広葉樹と竹、森林全体は針葉樹と広葉樹の横縞模様に
○○条(森林付近の沢と稜線部の植栽規制)
 ①森林付近の沢の岩盤または水辺から30m以内へは杉等の針葉樹を植えてはならない。
  同場所へは、地質、気候等を勘案し、最も適した広葉樹と孟宗竹等を3平方m当たり2本以上を交互に植栽しなければならない。
 ②稜線部(尾根)の全場所の頂上部から30m以内も①の通りとする。

○○条(森林内の針葉樹等の植栽規制)
 ①森林内へ植樹する場合は、杉等の針葉樹は山の斜面に対し上下幅20m以上連続して植えてはならない。
 ②森林内へ針葉樹等を植栽した場合はその上下に、地質、気候等を勘案し、最も適した広葉樹と孟宗竹等を、幅10m以上に上記○○条①(広葉樹と孟宗竹等を3平方m当たり2本以上を交互に)に準じて植栽しなければならない。 以上

◆◆ ダム災害に集約

 巨大ダムの殆どは八ッ場ダムと同じ多目的ダムです。つまり、洪水調節と発電などの利水が目的で、洪水調節には大雨に備えて貯水の為に可能な限りダムを空けて置く必要があり、一方の利水には出来るだけ多くの貯水が必要である。こんな相反する矛盾したことを同じダムに機能させることは不可能であり、多目的ダムはダムを造るための単なるダム官僚の机上論です。

 大雨が降るとやがてダムは満水となります。これ以上の貯水が増えるとダムのゲートの上を大量の水が越流してゲートが壊れるおそれがありますので、急遽ゲートを開けます。ダムの下流は大雨で川の増水と内水で水害の恐れ寸前のところへ、さらに上流のダムから大量の水が洪水となって押し寄せるのですからたまりません。下流の川の水嵩は一挙に上がり家屋の流出などの大水害となるのです。ところが、ダム官僚は災害時のダムの貯水量や放流量等のデータの改竄や捏造、隠蔽は日常茶飯事で、こんな典型的なダム災害が繰り返されても、TVや新聞はただ「大雨で水害」と報じるだけです。

●堆砂で上下流に水害
 大雨時に満杯となったダムのゲートを開けると、下流が大災害になることは上記の通りですが、ダム湖周辺や上流も恒常的に水害に見舞われています。堆砂が大きな原因です。言うまでもなく、堆砂で河床が高くなっていて、下流へ水が流れ難いなめ、大雨時に氾濫して水害を招くのです。この時に急遽ゲートを開けて、ダムの上下流共に水害が発生することが殆どです。こんな明らかな水害も電力や県、国交省は毎回、知らぬ顔の半兵衛を決め込むことは上記の通りです。当然に被害住民は裁判で争うしかありません。以下は徳島県那賀川の長安口(ながやすぐち)ダム訴訟の一例です。

●高松高裁「ダムは危険な物である」ことは認めた

 1971年9月の大雨時に長安口ダムは急にゲートを開けました。この水勢でダム近く護岸が高さ24mにわたって崩壊。下流の鷲敷町(現那賀町)で床上浸水92戸、床下浸水36戸の被害が発生しました。
 1審は、原告勝訴。とは言っても約20年後の88年に徳島地方裁判所は、やっとダムの操作ミスを認め県と国に損害賠償を求めました。
 しかし、2審の高松高等裁判所は、94年1審判決取り消し敗訴。理由は「地域的な降雨量の正確な予測は困難」。ところが、「ダムは危険な物である」ことは認めたのが、せめてもの救いでありました。最高裁、住民の上告棄却。
 今でもダム水害は頻発していて、同様の水害と裁判は繰り返されますが、自治体、警察、検察、裁判所、国、マスコミは癒着。最初から住民が負けることは決まっているようなものです。

●堆砂の抜本策は無い
 国交省は、堆砂対策として排砂バイパス、貯砂ダム、上流の沢などへ更にダムを造りそこへ捨てる。大雨時に一挙に下流へ流す、等々一部試行しています。しかし、抜本的な堆砂対策はありません。私は最近、以前に細川内ダム中止を要請した当時の建設省河川課長(前参議院議員)に、「膨大な堆砂は取る方法も、捨てる場所も無いがどうするのか」の旨を質問しましたが、当然に何の返答もありませんでした。

●ダム建設禁止法を
 今更私が言うまでもなく、ダムの堆砂は、原発の核廃棄物と同じように抜本的な処理方法が全くないのです。日本の川という川は約3,000基のダムで埋め尽くされています。全てのダムは砂が溜まり続ける一方です。この堆砂だけの問題でも、もうこれ以上のダムは造るべきではありません。ダム建設禁止法こそ制定すべき時代です。

 (ふじた めぐみ 徳島県那賀川源流・木頭高野瀬狭生まれ。中大法卒、2000年木頭村長時に、日本の行政史上初めて当時の建設省の巨大ダム・細川内(ほそごうち)ダムを中止に追い込む。水源連顧問。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧