【コラム】『論語』のわき道(46)

固窮

竹本 泰則

 第32代の日本銀行総裁は経済学者の植田和男氏に決まりました。「異次元」の金融緩和策を打ち出してデフレ脱却を目指した前任の黒田氏は、旗印である2%のインフレ目標を達成できずに終わりました。経済のことなどはおよそわかっていませんので、このことを云々する柄ではありません。しかし、経済の構造変革ごときは中央銀行の金融政策ひとりでどうにかなるようなものではなさそうに思えます。
 
 会社に勤めていた時分も日銀総裁などはおよそ縁遠い存在でした。ところが、第26代総裁の三重野康氏(平成元年十二月から平成六年十二月の在任)は、妙なことで記憶の隅っこに残っています。
 退任時の記者会見の記事が新聞に載っていましたが、そこに三重野氏が座右の銘としていたという言葉が紹介されていたのです。「窮不困、憂意不衰」〔窮して困(くるし)まず、憂いて意(こころ)衰えず〕というものでした。なんとなく惹かれるものがあって手帳に控えた覚えがあります。
 三重野氏は自著の中で、「困難な局面に立ち向かう時は、いつもこの文句を口ずさむ。どんな局面にも逃げるな、逃げるなと自分に言い聞かせながら、この文句を唱える。そして中央銀行の物指しを堅持しながら、物指しのギャップに挑戦するのである」と記しているそうです。
 
 この文言は、孔子から二百五十年くらい後のひとである荀子という思想家の文章であることをのちに知りました。『論語』に登場するエピソードにかこつけたものです。
 ある時期、孔子は故国を離れ流浪の旅に身を置くことになったようですが、その途上での話です。一行は陳(ちん)という国で食料が入手できずに飢餓状態におちいります。起き上がることもできないような弟子も出たとあります。子路(しろ)という古参の弟子が腹を立てて孔子に食って掛かったようです。
 以下は岩波文庫『論語』の現代語訳です。
 子路:「〔修養をつんだ〕君子でも困窮することがあるのですか。」
 孔子:「君子ももちろん困窮する、だが小人(しょうじん)は困窮するとでたらめになるよ。」
 孔子の言葉にある「小人」とは、君子の対義的な表現で、つまらぬ人のこと。身分の低い人をいうこともありますが、多くの場合、徳のない輩をいうようです。
 
 孔子の言葉の冒頭は少し悩ましいところがあります。原文は「君子固窮」の四文字。岩波文庫の『論語』では「君子固(もと)より窮す」と読んでおり、この読み方が普通のようです。子路の詰問の言葉に対する応答としても自然です。しかしながら『論語』においては、君子と小人とを対比するのは常套というべきものです。いうまでもなく君子が「善」で小人が「不善」。ここで「君子固より窮す」では後ろの「小人窮すればみだる」とちぐはぐな感じが出てしまいます。
 吉川幸次郎は、「固窮」を「窮を固(まも)る」と読み、窮にあっても自らの節操を固守するといった解釈をする説もあると紹介しています。
 「固窮」という項を立てる国語辞書は少ないだろうと思いますが、『字通』(普及版)にあって、その意味を「天命に安んじて、道を守り、困窮にたえる。〔論語、衛霊公〕」としているようです。
 三重野氏が座右の銘とした文句は、この場面の孔子の言葉として荀子が表したものです。長いので端折って部分的に引きます。
 
 子路よ、お前は知者であれば必ず世に重く用いられると思っているのか。(このあと、知者・忠臣などとして知られた人物が不遇に終わった例を引き)世に認められるか不遇に終わるかは時の運、つまりはめぐりあわせであり、人の力では変えることができない。一方、賢・愚はその人の努力次第で決まる。だから君子は学を博め、思慮を深める。それでも時運に恵まれないことは珍しくない。何も私に限ったことではないのだ。……このような前置きがあって続く言葉の中にこうあります。
 
 君子の学は通(つう)のためにあらざるなり。'窮して困(くるし)しまず、憂して意(こころ)衰えざるがためなり。'禍福終始を知って惑わざるがためなり
 
 君子が学ぶのは「通」のためではない(「通」には境遇が順調で、地位が高いさまといった意味があります)。行き詰まっては苦しみ悩むばかり、憂いの中にあっては気力が衰えてしまう……ひとがもつそのような弱さを克服するために学ぶのである。さらに、本当の幸福とは何なのか、何が発端(原因)であり、どうなっていくのかを正しく知る。それによって、自らがやらねばならないことを見きわめ、ぶれることなく行動する。そういう自分をつくるために学ぶのである。
 
 『論語』の原文より力強く、説得的ですね。この句は戦後の経済人の間でかなり知られていたようです。
  
 三重野日銀総裁の誕生時期はほぼ「バブル」の絶頂期でした。土地価格の高騰は著しく、当時の山手線(東京都)の内側の土地価格でアメリカ全土が買えるという計算結果なども話題となっていました。このような事態のただなかにあって、三重野氏は相次ぐ金利引き上げなどによってバブル退治に邁進します。マスコミは「平成の鬼平」ともてはやし、三重野氏の日銀総裁就任から二年余りでバブルははじけました。しかし、というべきでしょうか、銀行の不良債権急増が象徴するバブル崩壊の副作用が現れます。三重野日銀は利下げ政策に転じますが、これ以降、わが国の経済は勢いがもどらず、長い低迷期に入りました。
 
 バブル崩壊からおよそ三十年あまり、大規模な金融緩和策も功ないままに終わっての新総裁の登場となるわけですが、この先はどうなるのでしょう。
 外では硝煙弾雨が収まりそうな気配も無く、エネルギー・食糧などの需給にかかわる国際的な枠組みはガタついています。内ではおよそ頼りがいのなさそうな行政のありさまです。
 中央銀行の金融政策は万能ではないにしても、ひとつ誤れば国民生活に大きな困難をもたらすこともあり得ます。新任の中央銀行総裁には、窮して困まず、憂いて意衰えず、禍福終始を知って惑うことなく十二分に活躍されることを祈るばかりです。

(2023.3.20)
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