【コラム】中国単信(22)

反モラルブラックリストに一言

趙 慶春


 今年のゴールデンウィーク明けに中国が異様なブラックリストを公表した——「観光客反モラルブラックリスト」である。
 中国人の海外旅行者が増えていることは、日本でも知られているが、世界各地の旅行先でのマナー違反はうなぎ登りである。無整列、ポイ捨て、信号無視、上半身無着衣、子どもの立ち小便、わめき散らし、水飲み場での足洗い等々・・・・・・。タイのある寺院では、小便器に大便をしたとして、中国人の立ち入りを禁止してしまった。もっともなぜその行為が中国人だと決めつけられるのかという声もなかったわけではないが。
 いずれにしても今回のブラックリスト公表は、国家イメージがこれ以上損なわれるのを恐れた中国指導部が規制に乗り出したと言えそうである。

 実は中国には「観光客反モラル行為記録管理暫定弁法」という規定が存在している。中国国家旅遊局が制定したものだが、罰則規定が明文化されておらず、形骸化していて、規定の存在すらほとんど知られていなかった。今回、初めての「ブラックリスト公表」で、注目されたというわけである。
 ブラックリスト記載対象者は、「航空機などの公共交通機関内での秩序を乱す」「公共施設や遺跡、文物を損壊する」等で処罰されたり、社会に重大な悪影響を与えたりした者で、「実名」を公表し、警察や税関、銀行などにも通知される。
 「量刑」基準には曖昧さを残すが、ブラックリスト入りの判定基準は「法による制裁」を受けたか否かにあるようである。

 こうしてゴールデンウィーク中に4人が初めて摘発され、ブラックリスト入りとなった。4人の「違反」行為とは、
・国際線の飛行機で乗務員と口論になり、湯の入ったカップ麺を投げつけた男女二人。
・飛行機の遅延に腹を立て、離陸前に非常ドアを開けようとした男性。
・紅軍(人民解放軍の前身)兵士の立像の頭に腰掛け、腕に足をかけて記念撮影した男性。
というものだった。

 一方、政府は観光客だけでなく、観光地で客に強制的にお土産品を買わせようとするガイドやその所属会社にも厳しい目を向け、あくどい商法が行われていないかチェックして、場合によっては処罰するとの方針を打ち出した。

 目に余るエチケット違反を日頃から苦々しく思っていた中国人も多かっただけに、今回の「ブラックリスト公表」には、溜飲を下げたようで、好感を持って迎えられた。なかにはこの程度の処罰では手ぬるいとばかりに、「パスポート没収」「親の顔も公表」などといった過激な意見まで飛び出した。

 ただこの「ブラックリスト公表」には、いくつかの疑問も生じてくる。

◆その一:この「管理暫定弁法」は法律ではなく、あくまでも道徳的な行為を遵守させようとする規定であるため、違反者を裁くことはできない。事実、「管理暫定弁法」第8条には「必要に応じて警察・税関・出入国検査・交通機関・銀行部門などに通報する」と記されている。
 道徳の涵養が浸透しておらず、恥知らずな行為が後を絶たないのであるなら、法に基づいた罰則規定によって裁かれるというのは、きちんとした法制社会を確立しようとしている習近平政権の方向に合っていると言えるだろう。しかし今回の「ブラックリスト」は本末転倒の処置のように映る。
 皮肉な見方をすれば、道徳のムチを大袈裟に振り下ろすのは、中国における「法律」の無力さをさらけ出していると言えないだろうか。
 たとえ度を超えたマナー違反であっても、法律に反していないなら、「出国禁止」や「銀行信用取引停止」などといった処罰はできないのではないだろうか。例えば、先述した彫像の頭に座って記念写真を撮った行為は、大多数の国民から怒りを買ったが、それがただちに住宅ローンが組めなくなってしまうというのは、健全な法制社会の姿だろうか。
 今回のブラックリスト公表による当事者への厳しい批判には、法を無視した“人民裁判”にエスカレートする危険性をはらんでいるように思えて仕方ない。

◆その二:「ブラックリスト公表」のニュースは、やや大げさに言えば、全国から大歓迎の声一色となった。
 しかし、最初のブラックリスト発表から一週間も経たずに、ネット上には観光地で目にした「マナー違反」行為の現場写真の投稿が相次いだ。「ブラックリスト」について知らなかった可能性もあるが、中国人の多くは我が身に引き寄せて、ブラックリスト公表を学習材料にしていなかったと思われる。
 そもそもマナー違反行為の程度には差がある。とはいえ「軽」は許されるというものではないと思うのだが、今回の「ブラックリスト」への記載者は、政府が「重」と判断した者に限られている。つまり政府の真の狙いは中国人の日常生活でのエチケット遵守教育、国民的素養の育成にあるわけではないことがわかる。
 単純に外国人から顰蹙を買い、冷笑され、中国人の品位が疑われて、中国という国が恥をかかないようにすることにあるからだ。このような意図でのブラックリスト公表では、中国人のマナー改善は期待できそうにない。

◆その三:反モラル行為の摘発にはメディア、インターネットなどを通じた国民の目に頼る部分が大きい。しかしブラックリストへの記載には、判定基準の明確化や審査の透明化などの課題が残されている。この点が解決されないかぎりプライバシー侵害、名誉毀損、さらには人民裁判的な恐れと隣り合わせになっているのである。

 「ブラックリスト」公表は一時的には脚光を浴びたようだが、長期的には中国人のマナー改善・品位の向上にはあまり役立つとは思われない。
 それでは現在、マナー向上のために切実に求められているものは何か。
 それは「子どもの道徳教育」にほかならない。
 子どもへの道徳教育には、(1)学校での道徳科教育(2)家庭教育(3)メディアなどを通じての教育などがあるだろう。
 ところが中国の道徳教育の現状はどうか。

(1)厳しい進学競争のため、道徳科は家庭科などと同じように形骸化にしているか、もともと教科として置かれていない。
(2)親や家庭での教育は、拝金主義の影響もあって、「競争に勝つ」ために有効な教科を重視する傾向が強く、その他の教科は軽視される。
(3)政府の道徳教育はひたすら愛国教育・愛党(共産党)教育となっている。

 このような状況では、中国人の品位を上げ、エチケットを守る人間を育成することなど、しょせんは無理というものだろう。
 それでは子どもへは何を、どのように教育したらよいのだろうか。
 大上段に構える必要などないだろう。ある意味では誰もがわかっていることだからだ。ただし実践するとなると、事はそう容易ではないのだが。

・他人の立場に立って物事が考えられ、自分を抑制できる人間を育てる。
・それとともに誠実さ、責任感、正義感、倫理観、忍耐力などを涵養する。

 こうした教育への取り組みが真剣に始まり、金銭第一主義からの脱却ができれば、中国人も変わり始めるに違いない。

 (筆者は大学教員)


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