【自由へのひろば】

原州の協同組合運動と韓国の社会的経済生態系

金 起燮(キム・キソブ)

◆ 1.原州の協同組合運動の歴史

 韓国の中東部に原州(ウォンジュ)という小さな町があります。山脈に囲まれた人口30万人くらいの小さな町ですが、最近、ここに全国各地から毎年1万人以上の人々が訪れています。かつて軍事独裁の時代には「民主化運動の聖地」と呼ばれましたが、今は「協同組合の都市」として再び注目を浴びています。

(1)「聖なる地域」の時代

 原州での協同組合の始まりは、池学淳(チ・ハクスン)というカトリックの司教が赴任した1965年に遡ることができます。教会の社会参加を強調した「第2次バチカン公会議」に影響を受けた彼は、“生活の中でイエスを求めよう!”と原州出身の張壱淳(チャン・イルスン)と手を組んで、各種の協同組合を組織・指導していきました。
 当時の韓国は、軍事独裁と高度経済成長による急速な変化期でした。経済は毎年二桁以上急成長していきましたが、庶民の生活は貧困を強いられ、思想・言論・結社の自由はもちろん、すべての協同運動も踏みにじられていました。そんな中で、池学淳が保護し張壱淳が指導した「原州キャンプ」は、独裁政治に抵抗する民主化運動とともに、信用・購買・共済・生産などの各分野で協同運動を組織していったのです。軍事政権に追われる身柄を修道院に保護し、時には命をかけて投獄されながらも、貧困に陥った民衆とともに協同運動を行ったおかげで、当時の原州は人々から「民主化運動の聖地」と呼ばれました。

 今、私たちが再びこの時代の原州を注目する理由は、政治レベルだけでなく生活レベルで協同運動を行ったこと、またその運動の先頭に立とうとしたのでなく聖地を作ろうとしたことにあるのではないかと思います。そしてそれは、多分当時の人々の間に“下にいればいるほど、底に降りれば降りるほど、より多くの存在が、神様を底にして踊らせよ”と信じたからに違いありません。その信念が、不毛の地と不法の状況の中で、絶えず「聖なる地域」を作ってきた原動力になったのではないと思います。

(2)「エクソダスと全国展開」の時代

 1980年代に入ってから、こうした原州の協同組合運動に大きな転換が余儀なくされました。朴正煕の暗殺後に登場した全斗煥の軍事政権は、以前よりもっと厳しく原州を弾圧しました。そして、経済成長に伴う社会の急変動は、原州の主な活動地域であった炭鉱村と農村が徐々に衰退させていきました。原州の人々は、こうした外部からの弾圧と急速な社会変動に応えて、その活動の場をソウルに移し、新たな協同組合として生協運動を繰り広げました。今は組合員60万を越え、大きな社会的影響力をもつようになったハンサリム生協は、このようにして生まれたのです。

 韓国の生協は日本と少し違う面があります。消費者運動の一環として始まった日本に比べて、韓国の生協は都市の消費者と農村の生産者を結ぶ提携運動としてスタートしました。ですから取り扱い品の殆ども、産直を中心にした有機・無農薬の農産物です。今は少しずつ取り扱い品の幅を増やし、事業の内容も福祉などに広げていますが、こうした韓国生協の特徴は、そのルーツに原州での農民の協同運動があったからだといえるでしょう。
 こうした運動の転換に、張壱淳は引き続き大きな思想的指導の役割を果たしました。彼は、今までの運動が民衆による‘民主化運動’であったのに対して、これからは生命による‘生命運動’でなければならないと訴えました。少し抽象的にみえるかも知れませんが、これは運動の主役をどう見るか、運動の方法をどう進めるか、運動の目標をどこに置くかにかかわる非常に大事な問題です。それは、狭義では生産者と消費者の共生と連帯、それを結ぶ食べものの価値の再発見といえるでしょうが、広義では人間(私たち)による人間でないもの(自然・異邦人・弱者など)への歓待と供養、それを結ぶすべての媒介物(物やサービス・労働や資本など)の価値の再発見と捉えなければなりません。特に社会的経済をめざす人々がその‘社会的’に値する活動を行うためには、これが非常に重要なことと思っています。

(3)「再地域化」の時代

 原州の主なリーダーたちがエクソダスして全国展開した後にも、引き続き原州の協同組合は成長と安定を遂げてきました。しかし1997年に起きた韓国の外貨危機は、原州にも大きな影響を与えました。大手企業の相次ぐ倒産で、地域経済と市民生活が脅かされたのです。市民生活の安定なしに協同組合の発展もありえないと認識した原州の協同組合は、再び地域と市民生活に目を移し、横のつながりを試みるようになりました。異種協同組合間の地域レベルでのネットワークは、こうしたことがきっかけに韓国で初めて作り上げられたのです。
 設立初期のネットワークは、ある面では一種の親睦団体でした。しかしこうして培った人々の縁に支えられ、ネットワークの活動は徐々に地域住民のニーズに応える新しい事業への参入に広がっていきました。地域住民に医療と福祉サービスを行うための「原州医療生協」、高齢者向けの働き場を作るための「原州老人生協」、生活困窮者の子供向けに放課後教育を営む「チャムコットオリニ(真の花の子供学校)」、青少年の進路相談と就労支援を行う「セウム(自立)」、低所得層向けに働き場を作る「ヘンボカンシルボン(幸せな山頂)」と家を改装する「ノナメギ(分かち合いの世)」、そしてホームレスの自立を金融支援する「カルガリ社会的協同組合」などがその主な事例です。

 こうした動きは、一言でいえば協同組合の再地域化と、異種協同組合間の連帯による社会的事業への参入といえると思います。原州が再び全国から注目を浴びたのは、ただ協同組合の数が多いからではなく、格差社会の中で社会的包摂をめざして連帯する、こうした経過があったからだと思います。もちろんその根元には、今までの原州の協同運動の歴史、その中を一貫して流れてきた生命の思想があったからだと思います。

◆ 2.韓国の社会的経済生態系

(1)範囲

 韓国で社会的経済を語る時にしばしば論争になるのが、その対象組織をどこまでにするかに関するものです。ヨーロッパ特にフランスの影響の強い国々では、共済組織・協同組合・アソシエーションにほぼ纏められているようですが、韓国ではなかなかそうできません。
 2014年に「社会的経済基本法」が提案された時、その法案では社会的経済の組織を社会的企業・協同組合・自活企業・農業関連法人や団体・農林水産業関連の協同組合(農協・水協・林協)・金融分野での協同組合(信協・セマウル金庫)・生活協同組合・中小企業協同組合・障碍者標準事業場・障碍者職業リハビリテーション施設・社会福祉法人・その他、と広く設定しています。それに対して、以前から社会的経済とその法制化を訴えてきた人々ば、信用協同組合・生活協同組合・自活企業・マウル(村)企業・社会的企業、そして新しく協同組合基本法に基づいて作られた協同組合に限っています。民主的運営を欠けている管制の協同組合、営利目的で社会的サービスを提供する既存の福祉施設には根強い不信感があるからです。取り合えず私は、後者の立場に立って韓国の社会的経済を論ずることにします。

(2)状況と特徴

 信協・生協・自活企業・マウル企業・社会的企業・協同組合などから韓国の社会的経済の生態系を纏めてみると、<表3>の通りです。紙面の制約で詳しい説明は省き、二つほどの特徴をお話申し上げたく思います。

 まず第一に、韓国の社会的経済を時系列にみると、その発祥の時期ごとに活動の主体と目的が変わってきていることがわかると思います。1960年代の信協は、軍事独裁と高度成長期に、経済発展から疎外された民衆による、経済的自立を求めての資本の相互融通運動だったといえます。1980年代の生協は、市場社会に入った時期に、市場の弊害を受けた市民による、命を守ろうとした食べもの運動だったといえます。そして1990年代以降になると、格差が一段と広がる中、社会的弱者による、あるいは社会的弱者に向けての自助と包摂を求める連帯運動が広がっているといえます。
 これは、今、韓国の人々が社会的経済に何を期待するのかを表すことで非常に重要な意味を持ちます。信協と生協の発祥の時期には、民衆と市民による自発的な協同運動が殆ど封じられていました。しかし今は、もうその時代ではなくなっています。今、人々が社会的経済に期待することは、市場と国家の隙間にある市民一般の協同ではなく、市場と国家の落し穴ともいえる社会的排除者との連帯です。こうした人々の期待を正確に掴むことが、多分、今後の韓国の社会的経済の鍵になるでしょう。

 第二に、こうした運動に平行して、行政がいち早く法整備と支援制度を整ってきたことが、もう一つの特徴といえると思います。信協と生協はその法整備がやや遅いのですが、社会的経済に関連する最近の法整備は素早く進んでいます。2007年には「社会的企業育成法」、2011年には「協同組合基本法」が施行されましたし、今年、政権が交代しますと「社会的経済基本法」も間もなく制定される見込みです。そしてこうした法整備を受けて、関連事業に対する行政からの様々な支援策―自活企業・マウル企業・社会的企業など―が実施され、また<表4>にみるように各自治体ごとに行政と現場を結ぶ中間支援組織も数多く作られています。日本の皆さんがとても羨ましがっているのも、特にこうした官民のガバナンスではないかと思います。

 しかしよく考えてみますと、官民のガバナンスが必ずしも望ましいものとは言い切れません。特に、民の力が整わず自立が保たれなければ、市民領域の植民地化と市場化に繋がりかねません。実際に、脆弱階層の働き場を作ろうと自主的な労働者協同組合として誕生した自活運動ですが、外貨危機以降に‘生産的福祉’の一環として制度の枠内に入れられてからは、殆どその中から‘自活’を失ってしまいました。行政からの様々な支援策は、政権ごとに形を変える福祉的就労のようになってきています。原州ネットワークのような下からの中間支援組織は少ないほうで、殆どは行政の下請け機関になっているのが現状です。民の力量を高め自立性を保ちながら、行政との主体的なガバナンスに取り組まなければならない時期です。

(3)課題

 韓国の社会的経済は、多分これからが正念場でしょう。社会的経済に寄せる人々の期待に応えながら、真の姿を現せるか否か、これからが勝負どころです。そしてその勝負に勝ち抜ける道として、私は原州の協同組合の歴史から学んで、次のように考えています。

 まず第一に、私たちは社会的経済の‘本質’について、すなわち‘社会的’の本当の意味について、より丁寧に捉え直す必要があると思います。日本のある社会哲学者は、‘社会的’の中には‘仲間(結社)’と‘気前の良さ(歓待)’の二つの意味があると教えてくれました。全くその通りだと思います。結社に基づいて経済活動を行いながら、それが他所のものにまで手を差し伸べることて、社会的経済の“営利を目的としない”本質が保たれるからです。そして同じ言葉を原州の協同組合では、“‘民衆の協同’に基づく‘生命の連帯’”と言ってきました。日本の皆さんが、‘社会的’という言葉が抽象的な意味しか持たなくなった時に、‘連帯’という、ある面では二重の形容詞を差し込んだ理由もまたここにあるのではないかと思います。

 第二に、私たちは社会的経済の‘媒介’について、すなわち本当の社会的‘経済’について、より深く考え直す必要があると思います。社会的経済は必ず経済活動を行います。物やサービスを生産交換するとともに、その過程で人間の労働や資本も交換します。そしてその時に大事なのが、物やサービス、人間の労働や資本をどうみるか、どう交換するかです。それを利潤の種とみては、当然社会的経済といえません。単なる生存のためのニーズとみても、社会的経済としての特徴が消えます。先ほどの日本の社会哲学者はそれを‘魂・供物・贈物’といい、原州の協同組合では‘生命’といいました。少し宗教的にみられるかもしれませんが、社会的経済がそれに値する経済活動を持続的に営むためには、ひとまず物やサービス・労働や資本についての考え方を改め、それに似合う交換の仕組みを整うことが急務だと思います。

 第三に、私たちは社会的経済の領域について、すなわち社会的経済をもって作ろうとする‘社会’について、より大きく想像する必要があると思います。普段私たちは、社会的経済の活動領域を「国家」と「市場」を挟むものと思い込んでいます。そしてその領域の既定が、自ずと社会的経済に関する私たちの想像力を乏しくしています。しかし、市民社会と国家と市場の鼎立が整っているようにみえるヨーロッパでさえ、初期の社会的経済は国家と市場に挟まれることなく、社会全体を眺めながら社会そのものを新しく作ろうとしてきました。少し宗教的にみえるかもしれませんが、当時の彼らはその社会を‘神の国’・‘コロニー’などといい、原州の協同組合ではそれを‘聖なる地域’と呼んできました。社会的経済のことを一つの機能としてのみ捉えてしまえば、将来を夢見ることも多様な対応策を講じることもできなくなります。全体を見通しながら部分に尽くし、部分の中に全体を絶えず組もうとする努力が必要です。私は、それこそヨーロッパの社会的経済論を超え、しかもその根底に辿り着く道だと信じています。
 長い間、お話を聞いてくださいまして、有難うございました。

表1.原州の協同組合略史
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表2.「原州協同社会経済ネットワーク」の組合員団体
  (会員名簿は2015年3月、実績は2014年末現在。単位:人、百万ウオン)
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表3.韓国における社会的経済の生態系
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表4.新たな協同組合の設立(単位:個、%)
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※経済企画部資料より

表5.自治体による中間組織の設置(単位:ヵ所)
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 ※「社会的経済連帯会議」資料により

図1.行政による協同組合の今後の方針
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 (「第2次協同組合基本計画」2017.1. 関係省庁合同により)

図2.社会的企業の認定状況
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 (「2015年韓国社会的企業概要集」社会的企業振興院より)

 (ハンサリム生協連合ビジョン策定委員)

※2017年3月25日に開催された「社会的事業所研究集会 in 名古屋・シンポジウムⅡ」の報告より。【オルタのこだま】「連帯経済」を包む「社会的経済」という社会構造を(柏井 宏之)参照。


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