【コラム】
風と土のカルテ(57)

医療者も注目したい「家族農業の10年」

色平 哲郎

 国連が今年2019年から2028年までを「家族農業の10年」と位置づけ、昨年暮れの国連総会で権利宣言を決議したことをご存じだろうか。日々、診療、診療で追いたてられている医療者で「家族農業の10年」を知っている人は少ないかもしれない。

 しかし、この国連決議の背景には、人類生存にもかかわる日々の食べ物の確保、土壌保全の問題が潜んでいる。「農民とともに」を標榜し、信州の山間地域で保健医療に取り組んできた私たちにとって「家族農業の10年」は他人事ではない。今回は人々の健康を根幹で支える農業について触れてみたい。

 家族農業は、字義どおり農場の運営、管理の大部分を一戸の家族で営む形態を指す。では、国連がわざわざ家族農業をクローズアップし、10年間、全世界的に支援、育成する方針を掲げたのはなぜか。

 実は、世界全体を見渡しても農業の主な担い手は、地場に根づいて生きてきた家族たちだ。驚くなかれ、世界の食料生産額の8割以上は家族農業によるものだ。発展途上国、先進国ともに農業経営体のほとんどを家族農業が占めている。

 例えば、日本の農業経営体138万のうち家族経営は134万、全体の98%を占める。家族経営が占める割合はEUでも96%、米国では98%超となっている。これほど家族経営の比率が高いのは、食料生産がそもそも土地に根づいた営みであるとともに、伝統や文化の継承、環境や生物多様性の保全、地域ネットワークでの雇用創出など、大きな役割を担っているからにほかならない。家族農業は「食料安全保障」の基盤なのである。

 一方で、食料は国際的に流通する「商品」でもあって、市場経済の中で価格競争にさらされている。低コストで生産するための大規模化が進み、先進国の大企業が種子を握り、途上国の農業の姿を激変させてきた。商品作物の導入で、多様性の宝庫であった森林がモノカルチャーの農園に変貌し、野生動物はすみかを追われて激減。環境破壊や地域文化の断絶、在来種の根絶という負の側面も拡大している。今も世界では8.2億人が飢餓に苦しみ、極端な貧困層の8割近くが農村地域で暮らし、細々と農業を営む。家族農業は、市場原理至上主義による格差を押しつけられ、青息吐息だ。

●医療は農業を支えられるか?

 国連は、こうした状況に対し「家族農業の10年」の決議を行い、農村地域の開発と持続可能な農業への資源投入に踏み切った。具体的には小規模農家、特に「女性農業者への支援」が貧困の悪循環を終わらせると指摘。今後、加盟国、国際機関、関係団体などで国際運営委員会を設置し、家族農業にかかわる活動プログラムを作成、世界食料デー式典も行うという。

 日本では、農業就業人口が年々減り続け、農業従事者の平均年齢は66歳を超えた。山間地域などでは耕作放棄された土地も目立つようになっている。家族農業を持続可能にするには、新規就農者や運転資金を都市部から募ったり、地域の農家が集まって多品目を消費地に送りこんだりすることも求められるだろう。情報通信技術を駆使した流通システムの構築も急がれる。

 では、医療は、曲がり角に差し掛かった家族農業をどう支えればいいのか。もちろん保健・診療が重要なのはいうまでもないが、それだけではなさそうだ。

 「雇用創出」は医療機関が果たせる役割の1つだ。地方の病院で働く職員の中には農家の家族も多く、医療の仕事の傍ら、休日などに田畑で農作業を手伝う姿が見られる。こうした人たちの雇用の場の創出は、農業の一翼を担う若い人たちの都市部への流出を防ぐことにもなる。在宅医療を拡充したり、高齢者施設を併設するなど病院が事業を拡充すれば、雇用の場はさらに増えるだろう。

 また地域によっては、障害を持つ人たちが農家で農作業に従事し、病院がこれを支援するケースも出てきており、医療機関の地域貢献の観点からも注目されている。

 佐久総合病院の名誉総長を務めた故・若月俊一先生はかつて、出張診療班を組成して農村で在宅医療や住民の健康指導に当たるほか、高度経済成長時代に問題化した農薬中毒や農機具災害などにも対処してきた。日本の農家の生活環境が改善した今、医療機関はまた新しい形で家族農業を支えられるのではないだろうか。

 (長野県佐久総合病院医師・オルタ編集委員)

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2019年1月31日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集部にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201901/559633.html
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