■【エッセー】

北京ぶらぶら                山中 正和

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◇北京の地下鉄


  大発展している北京の地下鉄を初体験した。ホテルにほど近い「西単」から4
号線に乗った。沿線には、北京大学、人民大学などがあり、車内には若者が多い。
西単は新宿や渋谷を混ぜたような街で、若者で溢れかえっている。人混みに揉
まれるように車内に乗り込むと、扉近くに座っている青年が立ちあがって、私に
席を譲ってくれた。60過ぎの私にとっては、日本では稀な経験だ。目的地まで、
13もの駅があるので大いに助かった。帰路、再び車内に乗り込むと、目の前に空
席が一つある。あっという間に、小さい女の子の手を引いた若い母親が、子ども
を座らせる。それを見ていた向かいの席の若者が、すっと立って、私に席を譲っ
てくれた。
  瞬間、若者の笑顔と一人っ子政策が頭をよぎった。中国の現在と未来もまた、
決めるのは青年・子どもたちだ。                     
 


◇易県の靴あと -小学校の机-


  中国と日本の市と県の位置は反対だ。寄贈した机と椅子の視察に訪れた河北省
易県は人口65万。中国にとっては普通の田舎の県だ。近くに日中戦争の激戦地、
保定市がある。役所の集まっている中央通から約1時間。当初舗装されていた道
も、簡易舗装となり、やがて雨の日には濁流に化すであろう泥土の道に入る。道
の両側は気の遠くなるほどのトウモロコシ畑。

大きい車ではとても曲がることのできない路地に入ると、易県の中でも文字通り
田舎。郷鎮(県の下部単位の村)の小学校周辺には、工場の廃棄物が散乱している。
この村では挙げて、靴の下敷きを作っている。足型をくり抜いたフェルトの残りが、
道一杯に敷きつめられるほどだ。色とりどり、といっても道に散乱しているからき
れいとはお世辞にもいえない。
 
学校は郷鎮中心校から離れて1・2年生のみが通学している。教室はかつての
小学校と同じだが、一部しか使われていない。教室に入ると古びた机の一角に黄
色い新しい机が並んでいる。この机には、中国宋慶齢基金会と日中教育交流協会
の印が大きく押されている。子どもたちは、席替えでこの新しい机に座るのだと
いう。教師というより農夫といったほうが似合う校長先生が言う。「この学校に
は60脚の椅子机を寄贈してもらった。まだ3倍以上は必要だ。」
 
夏休み中とはいえ、ほこりっぽい教室から出ると、同行の教育委員会の役員は
こう続けた。「新学期前には学校前のゴミはきれいに掃除しますよ。」教育の課
題は、教師、教室、子どもだけではない。学校管理も議論するのはこれからなの
だろうか。  


◇易県ほのぼの -ヤギ-


  「先生!ヤギがいますよ。お爺さんも一緒ですよ!」朝食の後、ホテルのドア
の外から聞こえてきたのは通訳のレイレイさんの声。そういえば、「北京の近く
にもこんな田舎があるんですね。昨日はヤギを連れたおじいさんをホテルの窓か
らみました。」と珍しく紅潮した口調で話しているのを思い出した。彼女は重慶
市、四川省の出身だ。
 
慌ててカメラを取り出し、レイレイさんの部屋に向かう。「ほらーっ。線路の
上で草を食べていますよ。おじいさんのペットみたいです。」4階の窓の下には、
一面トウモロコシ畑が広がり、廃線になって久しいであろう線路を覆い隠すよ
うに草が生い茂っている。その線路の中を、見え隠れしながら、農夫とヤギが散
歩中だ。
 
窓から乗り出して、彼女は農夫に声をかける。「ヤギはおじいさんのですか」
おじいさんは応える。「ウン、前はもっといたけどな。今は一匹だ。ヤギが食
う草はここにしかないんだ。」そういって、老農夫とヤギは草陰に隠れて見えな
くなった。時々草の間から手を振っているのが見える。平和で穏やかな空気につ
つまれながら、中国の農村を身で感じる風景だった。


◇北京ぶらり -自動販売機-


  今回のミッションは、通訳のレイレイさんにとっては公式行事がおわり、私達
をホテルまで送ってくれたところで、終了するはずだった。今日、後半日北京市
内を探訪したいがどこがお勧めか聞いたところ、紹介してくれたのは「円明園」
だ。天安門の西北、北京大学の近くにある。しかも帰路の途中だというわけで、
即座に行き先は決定した。私も数多く北京は訪れているが「円明園」は初めてだ
。地下鉄1本で行けるという好都合。しかも駅から公園の入り口までは目と鼻の
先だという。
 
西単のど真ん中のホテルを出て、相変わらず歩行者より勇気優先の横断歩道を
二つ通って3分の所が地下鉄の入り口だ。地下にはいるとまず1号線の改札、連
絡道路をかなり歩いて目指す4号線の改札に出る。東京で大手町や永田町を経験
していれば、長くはないのだが、夏休みの西単は人の多さ、半端じゃない。
  改札は想像したように自動販売機だ。まず人数を押し、次に路線番号を押す。
次にタッチパネルで行き先を押す。漢字だもの見当はつく。ソウルだとこうは行
かない。漢字のところは当然ハングルだから、駅番号、つまり数字でしか役に立
たない。漢字はいい。しかも料金はどこまで行っても一回2元とういうから楽で
嬉しい。ところが、とっておきの(つまり何年か前の)壱円札を2枚入れようと
するが、機械に拒否される。レイレイさんの出番ですよ。彼女が注意書きを読ん
でくれる。壱円札は1円コインに両替して使ってください。交換したコインを2
枚入れると出てきたのは、カード。スイカのようなカードだ。このカードで改札
口にタッチし、帰りは回収される。ソウルも同じだった。日本に切符方式とどち
らの経済効率がいいのだろうか。10こ目の駅でレイレイさんと別れ、二人は降り
る。


◇北京の睡蓮 -「円明園」にて-


   地下鉄4号線の円明園の出口を出ると、総合観光案内所が目の前にある。冷房
の効いた室内で、手持ち無沙汰の案内人から円明園を始めいくつかの地図やらパ
ンフやらをもらう。皆が歩いていく方向に流れていくと、隣を歩いている女の子
が、サングラスをかけたK氏の顔をたびたび覗き込み、「コンニチハ」と声をか
けてくる。「こんにちは」と応えると、「オ元気デスカ」と次の言葉。一緒に歩
いている母親も「お元気ですか」と声をかけてくる。「お上手ですね」と返し、
二人の嬉しそうな笑顔が炎暑の中で、一服の清涼剤。
 
発券処には、大人35元と10元の表示。窓口の人は親切にチケットに摺られた写
真と窓口の金額を何度も指で繰り返し、どちらの料金で入るのか聞いてくる。確
か、レイレイさんは円明園の石柱群の説明をしていたなと思いつつ、暑さ対策優
先で、10元の石柱ぬきコースで入ることにした。でもレイさん、「今は睡蓮が咲
いているでしょうね」という期待はしっかり受け止めましたよ。門を入ると、植
木に植えられた睡蓮に迎えられ、その先には噴水と黄色の睡蓮が湖水にたたずん
でいる。
 
橋と繋がった浮島は、中国書画の土産物屋だ。中国人が「竜馬」の書を買って
いるのを見かけた。回遊路は長く、電気自動車とすれ違う。しかしほとんどの人
は歩く、歩く。親子連れが多い。日本庭園と違って、凝縮ではなく、限りなく拡
大した広さは心の中まで広げてくれるようだ。木陰に入り、涼風に吹かれている
と、時間がたつのを忘れそうだ。後10日ほどで睡蓮のつぼみは満開になることだ
ろう。中国での花見の体験も新鮮だった。
  名刺を見ると、レイレイさんは中国語で雷蕾(つぼみ)と書く。 

(筆者は公益財団法人日本中国国際教育交流協会 常務執行理事)

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