【投稿】
有閑随感録(8)

出版社と計算機と定規

矢口 英佑


 出版社での編集に関わり始めて1年が過ぎた。これまで自分の本をいくつかの出版社から出してきたが、その時は「私、原稿書く人」で、「あなた、編集する人」ではなかった。
 人間というのは実に間抜けな生き物のようで、「書く人」だった私は、「編集する人」と出版されるまでに何度も顔を合わせ、話もし、時には一杯飲んでもいるのに、具体的な編集作業など、ほとんど目に入っていなかったのである。せいぜいこちらの注文を編集に反映させたり、文章の修正や校正上での範囲でしか物事を見ていなかったし、考えてもいなかった。要するに関心を持たなかったのだから、出版や編集者の仕事などには呆れるほど無知そのもので、あなた任せだったのである。
 そんな私が仕事場に入ったのだから、浦島太郎になるのは当然だろう。

 まず戸惑ったのがパソコンだった。パソコンというものが職場に入り込むようになって以来、私はウインドウズ一辺倒だった。それがいきなりマッキントッシュをあてがわれたのである。「ウチは全部、マックだから」社内研修もどきも期待できないまま、デスクトップのパソコンの前に座って、しばし呆然。
 「習うより慣れろ」と気を取り直して、さて電源を入れようとして立ち往生。スイッチの位置がわからないのだ。知らないことの怖さを思いっきり実感すると同時に「この歳になって新しいテクニックを習得するのかよ~」と恨み節まで出て来る始末。その一方で、「新しいおもちゃをもらったと思ってやってみるさ」とばかりに、仕事にならない仕事を続けて1週間、メールの操作だけは間違いなくできるようになった。

 ほかにこの出版社で感じた違和感は、卓上計算機と定規がそこらじゅうにあるということだった。前の職場でも使わないことはなかったが、机の引き出しの奥に入れておくのが常で、使うときにはそれを引っ張り出すのに時間がかかるほど、そうしばしば使う道具ではなかった。
 そのため、なぜそこらじゅうにこの二つの道具が露出しているのか、出版社とこれらの道具が結びつく理由がわからなかった。これも無知なるがゆえの疑問だったのである。

 原稿をお預かりし、編集作業にとりかかるとき、まず必要なのが計算機なのである。それはお預かりした原稿の分量、つまり枚数というか字数を知り、それをどの紙型(一般的に四六判かA5判)にするのかを決めると、次に1頁にどのくらいの字数を収めるのか、決めなければならない。言い方を換えれば、行数と1行の字数を決めなければならない。とっかかりとして、これが決まらないと本としての頁数が決まらないため、体裁の見当がつかないことになる。このときに大いに活躍するのが計算機なのである。

 「私、書く人」だった頃は、できあがった本の1頁の行数や字数などほとんど気にしなかった。せいぜい〝字数が詰まっているかな〟程度だったし、頁の上と下、あるいは右と左の空白などにも1冊ごとに違いがあることなど、ほとんど気がつかなかったと言ってよかった。
 「あなた、編集する人」になってようやく、お預かりした原稿の内容によっては縦組みか横組みかを決め、計算機のお世話になった結果、最初は四六判としていたものをA5判に変更する(もちろんその逆もある)ことにつながっていくのである。

 また定規は計算機のように最初の段階ではなく、具体的な編集作業の過程で、写真や図版を頁に入れ込むときになくてはならない道具となる。どの程度の大きさで頁に収めるのかは、見やすさとバランス性からもそれなりに頭を悩ますことになる。ただ頁に入れ込めばいいというわけではなく、このとき定規が大いに役立つことになる。
 写真や図版を頁のどの位置に、どの程度の大きさにするのか決めて、組み版会社に指示を出すのは、まさに「あなた、編集する人」の仕事であり、編集者のセンスも問われることになる。絵画、デザイン的なセンスがまったくない私にはこの定規にお世話になる過程では、いつも四苦八苦していて、立ち往生することも珍しくない。
 またこの定規は本のカバー作成ではデザイナーと製版会社との中継ぎ役をするときにも使われる場合も出てくるときもある。

 このように仕事内容が変われば、使う道具も異なるのは当然なのだが、これまでの仕事と編集稼業はどちらかと言えば似ていただけに、かえって驚かされたのだが、驚いたことはこれにとどまらないが、それはまたの機会にしよう。

 (元大学教員)

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