【コラム】
神社の源流を訪ねて(27)

兵庫県豊岡市 出石神社(いずし)

栗原 猛

◆ 天日槍、大国主命と領地を争う

 天日槍が各地を回って、最後に拠所を定めたのは、現在の兵庫県豊岡市出石町の出石神社の地とされる。新幹線で来ても、ここまでくるとなかなか乗り出がある。京都で山陰線に乗り換え豊岡まで特急で約2時間。さらにバスで30分余り。

 この地の領主だった仙石氏の城跡があり、古い街並みが整備され落ち着いた風情である。名物は皿そばで、全国に知られた柳行李は天日槍が伝えたとされる。出石神社は、但馬最大の河川、円山川の支流の出石川の近くに鎮座する。

 社殿の背後にある草木一本折るなとされる禁足地は、天日槍の廟という。社伝の『一宮縁起』によると、創建は不詳だが、谿羽道命(たにはみちのみこと)と多遅麻比那良岐命(たじまひならきのみこと)が、祖神の天日槍を祀ったとする。境内からは縄文、弥生時代の石器や土器も発見され、水稲栽培も確認されていることから、この地方は早くから開けていたのだろう。またこの辺りには天日槍の一族を祭る古社がいくつもある。

 『兵庫県神社誌』には、出石神社は兵火などで何度も焼失したとある。ただこれだけの規模の神社がそのたびに再建されたということは、神社を支える人々の熱意もさることながら、背景には経済力があったと思われる。出石町の安良(やすら)は古代朝鮮南部にあった安羅(やすら、あら)のことで、加陽(かや)は伽耶、荒木は安羅からの転化とされる。

 森浩一氏は『記紀の考古学』で、加陽にある大師山古墳について、「朝鮮半島南部の加羅(伽耶)に多い竪穴系横口式石室が古墳群構成の中心をなしている」とし、近くに加陽の地名もあることから、渡来集団の墓地とみてよかろうとする。同町下安良の古墳から石枕が出土した。ソウルの国立博物館にも武寧王の古墳から出土した似た石枕が展示されている。

 天日槍は行く先々で干拓、コメ作り、須恵器、鉄生産、医療の祭神とされるが、出石では泥海だった豊岡盆地を切り開いて水を流し、広大な水田に変えたという。

 『播磨国風土記』には、面白い記事が載っている。渡来の天日槍と土地の神の伊和大神(いわおおかみ、大国主命と同神・播磨国一宮)が、土地争いをしたという記事である。揖保川の河口に到着した天日槍が、伊和大神に宿を乞うたところ、伊和大神は海の中を許した。すると天日槍は剣を抜いて、海水をかきまぜて島を作り宿したとある。建御雷神が、十掬の剣(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、切っ先の上に胡坐をかいて、大国主命に国譲りを迫ったという記紀の神話とどこか似ている。神話と史実が混在しているようで面白い。

 (元共同通信編集委員)
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