【コラム】ザ・障害者(8)

働きたい者は共同連にと~まれ!

堀 利和


 施設解体の余韻がまだ幾分残っていた頃、療護施設の入所者が二人、職員とともに職業安定所に出向いた。しかし彼らを求人する会社など、あろうはずもない。
 ではどうしたらよいかと尋ねると、職安の職員は、職業訓練所に行くしかありませんと答えた。そこで、職業訓練所に足を運ぶのだが、訓練所の職員は思わずびっくり。訓練などできるわけもない。二人の重度の障害者に付き添って行った施設職員にあきれた対応をする。

 施設に帰ってきた彼らは、さてどうしようか。「でも、やっぱり働きたい」。
 入所者自治会と職員の何人かで協力して、近くに店舗を借りることとした。商品を並べる。彼らが店番をする。
 近所の人たちが買い物にきても、品物を手渡すどころか、お金を受け取ることもできない。
 きつい言語障害で「いらっしゃい」と言っても、「ウォーウォー」としか聞こえない。とにかくにっこり笑えということになる。
 客は自分で品物をとり、お金をざるの中に入れる。場合によっては、おつりもとる。その確認だけはする。それで商売は成り立つ。人間関係は成立するのである。重度の障害者がただ座って、店番をするだけでも仕事は果たせる。それが彼らの商法なのだ。
 今では障害者も健常者も十数人、各地の物産を店に並べながら、重度の障害者が横たわりながらパソコンで注文や出入りを操作する。働き方や生活も、お互いに心得た者同士の営みである。

 亡くなられた共同連元代表の門脇さんは、CIL運動の障害者たちとのシンポジウムで、「自立生活って、毎日なにやってんねん?」ときいた。鋭い指摘である。施設から、あるいは家族からの自立は重度障害者にとって大事業である。しかし同じ重度の門脇さんにしてみれば、「毎日なにやってんねん」が、おそらく大きな疑問であったに違いない。ちなみに、一九七五年の国連・障害者の権利宣言では、同世代(現役世代)と同等の暮らしをする権利を有することが謳われている。それを忘れてはなるまい。

 年金受給年齢が取沙汰されている昨今、雇用だけが働き方ではない。前期高齢者の働き方にも、「社会的事業所」を提案してもよいのではなかろうか。私たち共同連の運動と理念は、障害者を越えて広くひろがっていく。

<付記>
 共同連は、一九八四年に「差別と闘う共同体全国連合」として発足し、NPO法人の資格を取得する際に「共同連」と改名しました。共同連は障害ある人ない人が自らの生産能力に応じて対等・平等に共に働き、賃金ではなく「分配金」を原則としています。当初は、障害ある人ない人の「共働事業所」作りの運動を進めてきましたが、二〇〇〇年にイタリアの社会的協同組合法B型、および二〇〇七年に制定された韓国の社会的企業育成法にふれ、社会的に排除された人(障害者、引きこもり、依存症者、刑余者、シングルマザー、ホームレスの人など)が三〇パーセント以上、そうでない人と共に働く「社会的事業所」をめざす運動に変化しました。生活困窮者自立支援法にもアプローチし、困窮者のための「社会的事業所」を提案しています。

 (元参議院議員・共同連代表)

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