■ 1.代替的市場の育成 -いわゆる風評被害にかかわって -

                             高木 郁朗
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 東日本大震災プラス福島第一原発事故が提起している社会システムのあり方は、
実に多面的であるが、ここではとくにいわゆる風評被害にかかわって問題提起を
してみたい。
  風評被害とは一体何なのか。福島原発にかんしていえば、放射能に汚染されて
いて、出荷規制を受けている地域の周辺地域で、実際には汚染されていない地域
の農産物や水産物について、あたかも汚染されているかのような評判がたてられ、
生産者が正常に販売することができない状況を指している。

 むろん、この状態を解決するには、正確な情報が把握され、人びとのあいだに
適切に流布することが必要であるということであるが、より大きくは社会のあり
方にかかわる問題をはらんでいる。 はっきりしていることは、風評被害が発生
する場は市場であるということである。もともと市場は、供給者としての生産者
と需要者としての消費者のあいだで、価格のメカニズムをつうじて、需給の調節
を行うという機能をもっていたはずである。

 買いたい消費者と売りたい生産者をつなぐ価格・数量を決定するシステムであ
る。実際の市場活動では、生産者と消費者のあいだに流通の担当者が入ることに
なり、生産者・消費者が直接に対峙しているわけではない。ところが、風評被害
というものは、一方で、情報を正確に知っていて安全であることを認知し、した
がって買いたい消費者が存在し、他方でこれまた安全な食品を供給する用意のあ
る生産者がいるのに、市場がその双方に反応していない、ということである。

 つまり、風評被害の本質は、市場がその本来の機能を発揮していないというと
いうことにある。市場は、人類が発達させてきた、財・サービスのもっとも効率
的な配分メカニズムであるが、一定の条件のもとでは、公益を代表しえない事態
におちいることを、いわゆる風評被害が示していることになる。
 
  問題の焦点は、市場が本来の機能をはたしえないときに、どのような対応をお
こなうか、という点である。ここではご代替的市場(alternative market)とい
う概念を提起したい。代替的市場についてはすでに金融面では、国際的には、社
会的企業の資金をまかなう方策として、かなりの経験を蓄積している。

 社会的企業とは、利潤の極大化を目的とするのではなく、環境保全なり、福祉
など社会サービスの供給なり、雇用・就業機会の創出なり、あるいは社会的公正
の実現なり、要するに公益=社会的目的を事業活動によって実現する事業体であ
る。その活動のあり方は国によって異なるが、多くの場合、収益がある場合も、
資金提供者への配当などをつうじて、資金が非公益分野に流出してしまうのを排
除するための公的規制(asset lock)が行われる場合が多い。

 こうしたケースにおいては、通常の資金市場で必要な資金調達を行うことは困
難であろう。この場合には、利子や配当の獲得という目的ではなく、一定の社会
的目的の実現という共通の価値観を有する資金提供者と、資金を必要とする事業
者とを直接に結びつける仕組みが必要となるし、実際にさまざまなかたちでこの
ような市場、要するに代替的な資金市場が発展させられている。
 
  風評被害の場合にもすでに同様の試みは、福島や茨城の野菜の事例にみられる
ように、インターネットを利用するかたちである程度発展している。これはすで
にかなりの程度に定着している産直方式の応用であり、その成果は多いに期待さ
れるところである。ただ、代替的市場として、在来の市場システムの補完にとど
まるだけでなく、独自のアイデンティティを発揮するためには、規模の面でも、
仕組みの面でも、より発展したあり方が検討されなければならない。
 
  ここでのキイワードはおそらくネットワーキンクということになるだろう。た
とえば、今日の生活協同組合の主流は、Co-opブランド商品を販売するという点
で、全国チェーンを有するスーパーとほとんど変わらない事業活動を行っている
とはいえ、もともとの理念は、市場の暴走から消費者を守るという理念をもって
いたはずであり、一方ではやはり大型化によって商社・金融機関化しているとは
いえ、生産者のメンバーシップを土台としている農協・漁協のような生産者協同
組合との直結的な連携ができれば、従来の市場活動を修正させることができる程
度の規模の大きい流通システムを開発できる可能性がある。

 供給と需要面の協同組合間協同といってもよい。これに、放射能汚染にかんし
ていえば、信頼できる公的な監視システムを公共部門が確立して、連携するなら
ば、一種の福祉ミックス型の代替的市場が形成される可能性がある。風評被害が
提起している論点を矮小化することなくとらえて、代替的市場の展開のように、
社会システムのあり方として提起することは、社会環境のあり方に関心をもつ研
究者にとって重要なことのように思われる。

            (筆者は日本女子大学名誉教授・山口福祉文化大学教授)

注 この原稿は「社会環境フオーラム21」8号に寄稿されたものに加筆したも
のです。

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