【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

仏教指導者も見習いたいローマ法王の世界への関わりと行動力

荒木 重雄

 一昨年秋、イタリアのアッシジで開かれた世界諸宗教の指導者らの対話集会で、ローマ・カトリックのフランシスコ法王は、「無関心という異教」が世に蔓延しているとして、戦争や貧困に苦しむ人々に目を向けようと呼びかけた。

 この旨を自ら実行する法王は、その年、大統領選さなか、排外主義的な移民政策を掲げるトランプ氏に「橋を架けるのでなく、壁を築くことばかりを考えている人はキリスト教徒ではない」と戒め、メキシコに飛んで、中米から命懸けで米国に向かおうとする移民たちを寛容に受け入れるよう呼びかけ、国境地帯で不運にも命を落とした人々に祈りを捧げた。

 世界の貧困や暴力の解決には宗教間の和解・融和と協力が必要だとして、11世紀に東西両教会が分裂して以来初となるロシア正教会総主教との会談や、イラン大統領や、エジプトのスンニ派最高権威アズハルの総長との会談も実現させた。
 さらに、欧州を目指す難民や移民が上陸するギリシャ東部のレスボス島を訪れ、拘束中の人々と面会し、「難民は数ではない。みなが顔と名前と物語を持つ人間だ」と、改めて国際社会に人道支援の必要性を訴え、12人のシリア人難民を法王専用機でローマに連れ帰った。

 このようにつねに話題の絶えない行動派のフランシスコ法王だが、最近の動きを追ってみよう。

◆◆ 希望を求め、ときに謝罪も

 昨年の暮れも迫ったころ、法王はミャンマーとバングラデシュを訪問した。ミャンマーは仏教徒が約9割、バングラデシュはイスラム教徒が約9割で、ともにキリスト教徒は少数派の国柄。折しも、ミャンマーで迫害を受けたイスラム教徒ロヒンギャの難民60万人超がバングラデシュに逃れている。
 この問題に強い懸念を示してきた法王だが、先に訪れたミャンマーでは「ロヒンギャ」という言葉を使わず、公の場でこの問題に直接触れることも避け、ただ「ミャンマーの未来には、それぞれの民族への尊厳に基づく平和が必要だ」と訴え、融和を呼びかけた。軍部の圧力やロヒンギャへの反感が強い国民感情の下で苦慮するアウンサンスーチー政権への配慮とされている。
 一方、バングラデシュでは法王は、ロヒンギャ難民と面会し、「迫害は世界の無関心によるもので、許してほしい」と語っている。

 今年1月には、法王は、南米チリを訪れている。これは謝罪の旅である。
 カトリック聖職者による子どもへの性的虐待は世界中で問題となっているが、チリはそのなかでも波紋が大きい国の一つである。数多くの虐待事件が発覚してカトリックの威信が失墜。世論調査によると、1995年には74%だったカトリック信者が昨年には45%にまで低下した。法王の訪問に抗議するデモが盛り上がり、手製の爆発物などによる教会への攻撃も頻発し、「次は法王を攻撃する」と名指しで脅迫する文書も見つかった。そうした中での訪問である。
 法王は、「聖職者たちが子どもたちに与えた償いようもない苦痛について、苦悩と恥辱の気持ちをここで表明せずにはいられない」と謝罪し、被害者から直接話を聞いて、涙を流し、一緒に祈り、「犠牲者を全力で支援し、二度と起こらないよう努力する」とも語った。

◆◆ 「核なき世界」へ強い思い

 アルゼンチン出身のフランシスコ法王は、中南米をたびたび訪れている。2015年に実現した、54年ぶりの米国とキューバの国交回復にも、裏で大きな役割を果たしたとされているが、昨年9月にも、「平和への道のりが前に進むのを手助けしたい」とコロンビアを訪れ、半世紀以上も戦闘を続けて前年、和平合意した中南米最大の左翼ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)とサントス政権との和平プロセスの後押しと、国民世論の統合に意欲を示した。

 このような行動は、「危機のあるところに赴く法王の姿そのものが、カトリック教徒だけでなく全世界に対し、平和と公正を求めるメッセージになる」と評されるが、わたしたち日本人にとりわけ強く印象に残る事柄もあった。
 「焼き場に立つ少年」という写真をご記憶になる読者もおいでだろう。米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が1945年に原爆投下を受けた長崎で撮影した写真で、7、8歳か、裸足の少年が一人、直立不動の姿勢で前方を睨んで立っている。背負うのは亡くなったばかりの幼い弟。焼き場で順番を待っているのだ。
 この写真が印刷されたカードを、昨年末、法王が教会関係者に配ったのだ。「戦争の結果」とするメッセージと自身のサインを添え、「亡くなった弟を背負い、火葬の順番を待つ少年。少年の悲しみは、噛みしめて血のにじんだ唇に表れている」とスペイン語の説明も加えている。法王が年末にカードを配るのは異例のことで、「核なき世界」を訴えてきた法王の強いメッセージと受け止められている。

◆◆ 中国へのかかわりを探って

 だがここにきて、法王の動きに懸念の眼も向けられている。これまで中国はローマ法王庁(バチカン)による司教の任命を認めず、政府公認の「中国天主教愛国会」が独自に任命してきた。この件をめぐって対立が続いてきた両者の関係に、法王庁側の追認による修復が図られているというのだ。事態は「愛国会」を認めず法王に忠誠を誓ってきた「地下教会」の信者の処遇にもかかわる。バチカンの意図は中国で信者を増やしたいための妥協なのか、中国を国際社会と調和させようとする遠大な戦略なのか、注視が必要である。

 (元桜美林大学教授・オルタ編集委員)

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