【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

今年もニュースの話題だった米・イラン対立の因縁は?

荒木 重雄

 今年の国際情勢を振り返ると、焦点の一つはやはりイランだった。5月、ペルシャ湾を航行中のサウジアラビアやアラブ首長国連邦のタンカーが損傷を受け、6月には日本の海運会社に属するタンカーも損傷。9月にはサウジの石油施設がドローン攻撃を受け、10月にはイランのタンカーがサウジ沖の紅海で爆発。米国は事件の多くにイランの関与を主張するが、イランは否定。詳細は不明のままキナ臭さが増している。

 ことの起こりは米トランプ政権の恣意的な政策にはじまる。2015年、国連常任理事国5か国にドイツを加えた6か国は、イランとの間で、核開発の制限と引き換えに経済制裁を段階的に解除する合意を結んだ。多国間交渉による核拡散の防止としては稀有な成果である。国際原子力機関(IAEA)もイラン政府が合意を遵守していることを保証していた。にもかかわらず、18年5月、トランプ大統領は一方的に核合意からの離脱を宣言して制裁を再開し、イラン産原油の全面禁輸などを国際社会に強要した。

 イラン側は米国の理不尽な離脱に反発しながらも、今年5月までは合意の制限に従ってきた。しかし「我慢も限界」として、合意した核開発の限度を徐々に超えていく方針に転じた。これは、先に約束を破った米国への警告と、合意存続を望む他の当事国への支援要請のメッセージである。

 そもそも、イランと米国との対立の因縁はどこにはじまるのだろうか。

◆◇ イランと米の不幸な出会い

 20世紀初頭以来、英国は、僅かな取り分をシャー(国王)に還元するだけでイランの石油資源を丸ごと手に入れていたが、1951年に登場したモサッデク首相は、こうした不公正を断ち切ろうと石油の国有化に乗り出した。ところが、モサッデク型資源ナショナリズムが周辺諸国に波及することを懼れた米国は、英国と謀って、イランを石油市場から締め出すと同時に、軍部をそそのかしてクーデターを起こさせ、モサッデクを逮捕・失脚に追い込んだ。これがイランと米国との出会いであった。

 この工作でイランの実質的な支配権を手に入れた米国は、国王パフラヴィ・シャーを傀儡政権に仕立てあげ、CIA仕込みの秘密警察を手足としたこの独裁政権にイスラム勢力の弾圧と欧化政策を強行させる一方、イランの石油収入のほとんどは、米国から派遣された軍事・経済顧問の「助言」によって米国の兵器と商品の購入に吸い上げられるシステムをつくりあげた。

 米国の兵器で軍事大国化したイランはまた一方、米国はじめ西側諸国の権益とイスラエルの存在を守るため、アラブのイスラム勢力に睨みをきかせる「ペルシャ湾の憲兵」の役割を担うことにもなった。

 しかし、こうした米国の政策と、それに追随する王族・特権層の腐敗や、市場経済化がもたらした格差の拡大とイスラム的価値観の破壊に対し、民衆の反発がしだいに高まって反体制運動が相次ぐようになる。とりわけ78年からの大規模な民衆蜂起によって、翌年2月、ついにシャー政権は倒され、長らく国外追放されていた反体制運動の象徴的指導者ホメイニ師が帰国。これがイランの「イスラム革命」である。

 「イスラム革命」の波及を懼れた国際社会は一斉に反イラン・キャンペーンを繰り広げた。とりわけ経済的・軍事的利権を失ったうえ大使館を占拠された米国の怒りは激しかった。
 その意を汲むように80年、サッダーム・フセインのイラクがイランに侵攻し「イラン・イラク戦争」が勃発する。すると対立していたはずの米ソをはじめ、自国民衆のイスラム・パワーを恐れる周辺アラブ諸国までがこぞって兵器・資金・情報・外交などでイラクを支援し、米国は石油基地や船艇、旅客機の攻撃など直接手も下したが、イラン・イラクの消耗戦は雌雄を決せぬまま8年を経て終結した。

 その後も米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、自国企業はもとより米国外の企業のイランとの取り引きにまで制裁を科す包囲網を築いて、敵視政策と締め付けをエスカレートさせていった。
 国際社会の締め付けに連動してイラン国内も揺れた。その表れが、保守強硬派と保守穏健派の消長である。反米自主強硬路線を代表するのがアフマディネジャド前大統領であり、対外融和政策をとる穏健派の代表が故ラフサンジャニ師やロハニ大統領である。

 こうした過程で、米国とイスラエル、親米アラブ諸国がもっとも恐れたのが、核兵器保有に道を開きかねないイランの核開発であった。この緊張をいかにして緩和して安定させるか。国際社会の支持の下、ロハニ政権と前オバマ政権が努力を尽くして整え上げたのが、2015年の「イラン核合意」であった。

◆◇ 日本につきつけられた自衛隊派遣

 中東にはイランを敵視する二つの勢力がある。ひとつはイスラエルで、パレスチナ占領に明確に反対するイランは脅威である。もうひとつはサウジアラビアで、イスラム教スンニ派の盟主を任じる同国はシーア派のイランとは対立関係にあり、産油国どうしとしても競合する。米トランプ政権は両国と連携して、イラン敵対政策を強めている。今年4月にはイランの革命防衛隊を改めて「テロ組織」に指定し、5月には空母と爆撃機部隊まで中東に展開した。

 続いて米国が進めているのが、ペルシャ湾の船舶の安全確保を名目に「有志連合」による軍事的な「イラン包囲網」の構築である。だが、欧州の主要諸国はこの呼びかけに消極的である。
 米国との「緊密な連携」をよりどころとする安倍政権の日本は、米国の顔を立てつつ、さりとてイランとの伝統的な友好関係も失いたくないと、苦肉の策として、「有志連合」とは別に「調査・研究」の名目で自衛隊艦艇を派遣する案を捻り出した。その必要も効果も根拠も疑問のままだが、この形なら国会の審議や承認も受けず派遣できるという。
 だがそもそも、このような姑息な手段が許容される国際環境か、疑問である。

 (元桜美林大学教授・『オルタ広場』編集委員)

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