■今、改憲論議に思うこと、言いたいこと      荒木 重雄

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 とくに目新しい事実や見解を記すわけではない。だが、わかりきったことで
も、愚直にでも、言うべきことは何度でも、繰り返し言わねばならないところに
きているように思われる。それは、このところの憲法をめぐる動き、とりわけ自
民党や維新の会の改憲論に対してである。
そもそも憲法とはなんであるのか。

◇◇ 憲法の存在理由 ◇◇

 憲法とは、国民の権利と自由を守るために、国家権力を縛るものである。憲法
の存在理由と役割はこの一語に尽きる。
国家権力が国民を制約するのが〈法律〉であり、その法律が国民の権利や自由
を損なわないよう国家権力のありようを規制するのが〈憲法〉である。これが、
ジョン・ロック以来の近代立憲主義の原則だが、国家権力の暴走が国民に悲惨な
体験を強いた歴史を基礎にもつわが国では、とりわけ重いリアリティーをもつ。

それゆえ、現行憲法は前文にこう記す。

「(前略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにするこ
とを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そ
もそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来
し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受す
る。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものであ
る。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(後略)」

国民個々の人権の尊重を原理に〈国民が国家を縛る道具〉が憲法である。した
がって、憲法の尊重擁護義務は、天皇と国務大臣、国会議員、裁判官その他の公
務員に課されるものだが[*1]、昨年4月発表された自民党の改憲案「日本国
憲法改正草案」では、逆に、国民一般への義務が強調されている。

その、国民が尊重しなければならない義務とは、現行の教育・勤労・納税の〈
三大義務〉に加えて、「国旗・国歌」の尊重義務を設け、「国民の責務」という
項には「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の
秩序に反してはならない」と記されている。

この「公益及び公の秩序」は自民党改憲案のキーワードをなす。
たとえば、現行憲法では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は
「公共の福祉に反しない限り」最大限に尊重されるとあるところを、自民党案で
はこれを「公益及び公の秩序に反しない限り」と改めている。すなわち権力側が
「公の秩序に反する」と判断すれば、国民の人権を制限できるのである。

同様に、集会・結社・言論・出版などの「表現の自由」についても、権力側に
とって「公益及び公の秩序」を害すると判断される活動や、それを目的にした結
社は、認められないことになっている。

自民党改憲案の前文には次のような文言が連なる。
日本国は「長い歴史と固有の文化を持ち」「天皇を戴く国家であって」、日本
国民は「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」、「和を尊び、家族や社会全
体が互いに助け合って[*2]」国家を形成する。日本国民は「よき伝統と我々
の国家を末永く子孫に継承するため」、ここに、この憲法を制定する。

これではまるで戦前の「教育勅語」ではないか。一方的な価値観の押しつけで
はないか。 「国と郷土に誇り」をもつ。「和を尊び、家族や社会全体が互いに
助け合」う。それ自体は否定されるものではない。しかしそれはけっして国家権
力に強制されるべきものではないし、国家権力が強制するときまったく意味は変
わる。

繰り返すが、近代憲法の本質は、権力が暴走しないように縛る〈立憲主義〉に
ある。だが、自民党の主張に見えるのは、逆に権力の側から国民を縛ろうという
〈統治意志〉である。

[*1 憲法の尊重擁護義務が最も課されている首相や閣僚が改憲を主唱してよ
いのかとの疑念もある。しかも一票の格差について各地の高裁から「違憲」と断
じられた国会においてである。この一票の格差について、自民党からは、「立法
府が決めた選挙制度に対し、司法が違憲や選挙無効の判断を下すことは、立法府
への侵害だ」と開き直った発言が頻発した。民主主義の原則である〈三権分立〉
の意義もわきまえぬ暴論である。]

[*2 自民党改憲案では24条でも「家族は、互いに助け合わなければならな
い」としている。そのねらいの一例は、先に閣議決定された、生活保護申請の
際、行政に親族の扶養調査権を与える「生活保護法改正案」に具現されている。
日本の生活保護受給者は215万人を超えたが、人口に占める割合は1.6%と諸外国
と比べれば低く(ドイツ9.7%、英国9.3%)、それは受給資格を満たしても受け
るのをためらう人が多いからといわれる。親族の資産調査まで加わればさらに申
請しづらくなるであろう。
〈公助〉を軽視した〈自助・共助〉の奨励・強制は、現行憲法で保障されてきた
生存権の空文化につながる。]

◇◇ 96条改定は憲法破壊 ◇◇

自民党は参院選に向けて、憲法改変の発議要件を、現行96条の衆・参両院議員
の3分の2の賛成から「衆参それぞれ過半数」に緩和の方針を打ち出した。

これは、国防軍の設置や愛国の義務の押しつけが国民に必ずしも歓迎されそう
にない見通しから、中身はひとまず脇に置いて、方向は違え改憲志向の維新の会
やみんなの党を巻き込んで、ともかく改憲のハードルを低く改定し、そうしてお
けばいつでも望む内容を盛り込める、という姑息な魂胆であるが、その姑息さが
見透かされ、改憲論者にさえ評判がよくない。

過半数で改変なら一般の法律と同じである。そのときどきの多数派の都合や思
惑でいかようにもなる。自民党にこのような発想がうまれるのは、根本におい
て、憲法を権力の恣意や暴走を抑える装置ではなく、国民統治の道具と考える、
世界の常識からも逸脱したあまりにも不見識な、逆転した憲法観をもつ故であろう。

現行憲法では、憲法改変に必要な要件は、衆参両院の3分の2以上の賛成と国民
投票での過半数の賛成である。この改憲要件は他国と比べてハードルが高すぎる
と自民党は主張する。だが、そんなことはない。

たとえば米国では、上下両院の3分の2以上の賛成と〈4分の3以上の州議会の承
認〉が必要であり、韓国では、国会の3分の2以上の賛成と、〈国民投票で有権者
の過半数が投票し、その投票総数の過半数の賛成〉が必要とされ、日本よりハー
ドルは高い。〈3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける〉というのは世界
の標準である。

歴史の曲がり角で国が進む方向を改めて照らして問う指針としての憲法は、そ
う軽々しく変えるべきものではない。それゆえに改変には高いハードルが設けら
れている。上の規定は、国会は3分の2の合意形成まで熟慮と討議を重ね、国民が
慎重な決断を下すための材料を提供することを求める趣旨である。
先進国で、政権党が、説得力ある改憲案を提示できぬため、改憲手続きの簡素
化を謀った例は世界にない。

繰り返していおう。政治権力の恣意と暴走を国民の側から規制するための憲法
であるのに、それを都合よく変えやすくしようと権力側が動き出すとは、これは
憲法の存在理由そのものへの挑戦であり、立憲主義の破壊である。

◇◇ 憲法をめぐる歴史認識 ◇◇

日本維新の会は憲法についていう。
「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し
付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家
を蘇生させる」

作家の池澤夏樹氏は問う(朝日新聞5月7日夕刊)、「これこそいわゆる自虐史
観ではないのか?[*3] 日本は本当にこの世界で孤立と軽蔑の対象になって
いるのか? それが日本国憲法のせいなのか?」

昨年、米国の法学者らが世界188ヵ国の憲法を分析した結論は、日本国憲法は
今も最先端という評価であった。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデ
ル、というのが国際社会に広く定着した見方である。また、あえて変更する政争
の道を選ばなかったのは日本人の賢明さ、と讃える声もある。

日本が現在の「孤立と軽蔑の対象」に陥ったのは、むしろ「暴走老人」こと石
原慎太郎・維新の会共同代表の策謀にはじまる尖閣諸島国有化騒動や、安倍晋三
首相の「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない」発言や、もう
一人の維新の会共同代表・橋下徹大阪市長の「敗戦国だから侵略と認めなければ
ならない」発言や「慰安婦制度は必要だった」発言や「米軍は風俗業の活用を」
発言など、一連のポピュリスト(大衆迎合)政治家の言動である。

中国、韓国はいうにおよばず、彼らが頼りとする米国からさえ、安倍は「侵略
の歴史を否定する修正主義の見方を持っている」「歴史問題での首相や閣僚の言
動は、地域の関係を混乱させ米国の国益を傷つける恐れがある」(米議会調査
局)との懸念が示され、橋下に対しては、「ばかげている」(米国防省報道
官)、「言語道断で侮辱的だ」(米国務省報道官)と唾棄する声が投げられている。

安倍首相の「侵略という定義は学会的にも国際的にも定まっていない」(4月
23日参院予算委員会)発言に少々かかずらおう。侵略の定義はないというのは妄
言である、他国の領土に軍を送ることがすなわち侵略である。

さらに言を費やせば、1974年に国連総会で「侵略の定義に関する決議」が採択
され、「侵略とは国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対
する、または国際連合の憲章と両立しない方法による武力の行使」であり、具体
的には「一国の軍隊による他国の領域に対する侵入もしくは攻撃、(略)その結
果もたらされる軍事占領、または武力の行使による他国の全部もしくは一部の併
合」と明記されている。政治家たるもの、しかも一国の首相たるもの、知らない
ではすまされまい。

日本は台湾と朝鮮を植民地とし、満州に傀儡政権を立て、中国を侵略した。こ
れを厳然たる歴史的事実として共有しなければ、東アジアに安定した国際関係は
成り立たない。

侵略が勝ち負けで判断されるとする橋下大阪市長の発言も摩訶不思議だが、安
倍首相にすり寄って、「侵略という文言を入れている村山談話は、私自身あまり
しっくりきていない」という高市早苗・自民党政調会長の発言は、その立場か
ら、等閑に付すことはできない。

その村山談話(1995年=戦後50年)を読み返してみよう。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を
存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸
国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」。村山談話は、このことを
「疑うべくもない歴史の事実」として明確に認め、謝罪した。

日本にとってこの談話は、かつての過ちに区切りをつけ、周辺諸国と未来志向
の関係を築いていくための礎として大きな意味があった。
それゆえその後の歴代政権は、この談話を引き継ぎ、踏襲するといってきた。
安倍首相も、「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と一旦はい
いながら、のちには「受け継ぐ」と修正している。

ところが顧みればこの18年間、一部の政治家は、その精神をないがしろにする
行動を繰り返してきた。A級戦犯が合祀される靖国神社に集団で参拝する。侵略
を否定するかの発言をする。
今年の靖国神社春季例大祭でも、安倍首相は「内閣総理大臣」として真榊を奉
納し、麻生副総理ら4人の閣僚と168人もの国会議員が参拝。そして侵略にまつわ
る上記の発言である。

このようなことが繰り返されれば、どのように釈明しようとも、日本の政治家
の本音は侵略否定、大東亜共栄圏肯定にあるとしか受け止められまい。
それが、多くの日本人の思いや利益に反することはいうまでもない。

さて、先の池澤夏樹氏の論考に戻ろう。
「占領軍による押し付けと言うけれど、合衆国憲法を押し付けられたわけでは
ない。欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が
敗戦を機に日本に応用された。そのおかげでこの六十年の間、日本国は戦闘行為
によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。特別高等警察による拷問や虐殺はな
かった」

この憲法があってこそ、日本は一時はGDP世界第2位の経済的繁栄をも享受
できた。

現行憲法は占領軍による押しつけだから変えるべきだとは改憲論者の主張の一
つである。だが当時、壊滅状態にあった敗戦日本の国家再建をめざして、民間、
学界、マスコミ、政府関係などからさまざまな憲法草案が提言され、国民的議論
が沸騰する中で、天皇の地位など難問を抱えながら、力関係に差はあったとはい
え政府と連合国軍総司令部(GHQ)の真剣な交渉の結果うみだされ、帝国議会
両院の審議を経て誕生したのが日本国憲法である。

そして当時、大多数の国民がこの憲法を諸手を挙げて歓迎した。それは何故か
といえば、無謀な戦争で戦闘員・非戦闘員270万人が死亡し、全国66都市が爆撃
され、海外に650万人が残され、全国民が恐怖と飢餓にうちひしがれた、未曾有
の犠牲の代償として手にした平和と自由、民主主義の保証であり、また、日本が
侵略戦争を行った軍国主義とは異なる政治体制をつくりあげるという国際公約で
あったからである。

先の大戦が侵略戦争なら兵士らの死は「犬死」か、という議論がある。靖国神
社に参拝する国会議員たちは「お国のために戦って亡くなった英霊」というが、
大半は意思に反して死を強いられた人たちであり、しかもまた大半は華々しい戦
死などでなく悲惨な餓死や病死であった。

これに対して、特攻隊に志願しながら復員し、憲法学者になり、この3月に90
歳で亡くなった作間忠雄氏は、「断じて違う、犬死ではない」、という。「彼ら
は『日本国憲法』に化身して、平和日本の礎となった、と私は確信している」
小賢しい改憲論議など吹き飛ばす、衝撃的な言葉ではないか。

[*3 新しい歴史教科書をつくる会などに集う論者たちは、自国の負の歴史に
目を配ることを「自虐史観」と批判する。だが、無謀な戦争が海外で多くの人命
を奪い、兵士を含む日本国民に甚大な犠牲を強いたことは事実であり、それを語
ることは自虐ではない。すでに日本国民は戦争とそれに走る政治体制を克服した
はずである。過去の正当化によって現在の信用を失ってはならない。]

◇◇ 自民党改憲案の構造 ◇◇

このところの日中、日韓のぎすぎすした関係が、国民の間に、安倍首相ら自民
党、維新の会の政治家たちのナショナリスティックな言動や、改憲して安全保障
を強化しよう、国防軍を創設しようという主張をなし崩しに受容する雰囲気を醸
成しているように見受けられる。

しかし摩擦の発端は、日中に関しては、石原都知事(当時)の妄言に踊らされ
た当時の民主党政権が、田中角栄・周恩来による日中共同声明(1972年)以来
の、尖閣諸島の領有権問題は棚上げにしようという日中間の暗黙の了解を破って
国有化したことであるし[*4]、日韓についても、慰安婦問題の取り組みを最
高裁に促されて窮地に陥った李明博大統領(当時)からの訴えを野田佳彦首相
(当時)が冷たくあしらったことにはじまる。

ほんらい外交努力で解決できた問題なのだが、保守系政治家たちは、このとき
とばかり国内の大衆受けをねらって、歴史認識がらみで中国や韓国を刺激する言
動を繰り返し、修復困難な地点にまで至ってしまった。

どこの国にも対外強硬派と協調派がいる。一方の国の強硬路線は、相手の国の
強硬派を勢いづかせ、協調派の力を弱める。しかも、歴史問題を抱える日・中・
韓では、強硬論が国内で迎えられやすく、互いの強硬論がエスカレートを重ねる
危うさがある。

この悪循環は、関係するどの国にも、その国民に、国際社会における地位につ
いても経済交流についても損失しかもたらさないのだが、無能な政治家には、抗
しがたい誘惑となる。勇ましい言を弄すればそれだけで一定の支持が得られるか
らだが、なかには、自らの政治目的の実現にこの状況を意図的に活用する、さら
にはすすんで不安定な状況をつくりだしていく、確信犯的な政治家がいることも
忘れてはなるまい。

だがほんらいこれは禁じ手である。「自主憲法制定」が自民党結党のスローガ
ンの一つではあったが、「保守本流」を任じる政治家は、吉田茂をはじめ、池田
勇人も、佐藤栄作も、田中角栄も、みな「護憲」だった、誰も憲法を変えような
どとはいわなかった、というのは昭和史に詳しいノンフィクション作家の保坂正
康氏である(朝日新聞5月23日)。そうした戦後史のなかで、改憲を公然と掲げ
それを政治化しようとした特異な存在が岸信介と孫の安倍晋三であると。

「戦後60年以上にわたり、日本人は今の憲法の下で営々と国づくりをしてきま
した。安倍さんの改憲の主張は、それを否定しようというわけです。戦後世代へ
の不誠実さであり、積み重ねてきた歴史に対する背信ではないかとさえ思いま
す」 そして、最近の保守政治家たちは、歴史や憲法に対してなぜこんなに軽く
なってしまったのか、と、保坂氏は問うのである。

それにしても、迷彩服姿で戦車に試乗したり、戦闘機の操縦席で親指を立てる
ポーズの安倍首相の、あの嬉しげな得意満面顔はなんなのだろう?

同じ紙面で、政策研究大学院大学学長・白石隆氏が述べている。
「日本の政治に必要なのは、保守主義のプラグマティズム(実用主義)です。
国を守り経済を成長させるために、やるべきことを国内的にも国際的にもクール
にやっていく。いたずらに拍手喝采を求めない、プロの政治が重要です」

まさにこれが、これまでの日本を支えてきた「保守本流」の政治でもあった。
現在から将来に向けては、縮みゆく経済とグローバル化のなかで、農業、医
療、労働、税制、社会保障など難問が山積している。これらの課題こそ、日本の
保守政治の持ち前であったプラグマティズムで対処していかなければならないも
のである。「改憲」などとはしゃいでいられるときか!

「そもそも政治家には思い込みで歴史を語りなさんなと言いたい。政治家、と
くに要職にある者はイデオロギーにとらわれないほうがいい。それも保守のプラ
グマティズムです」とも白石氏はいう。

朝日新聞の記事を引いてきたので、もう一つ、触れよう。
自民党の改憲案は、たとえば基本的人権を、個人に天賦の普遍的な権利から、
日本という固有の歴史・文化・伝統を有する国の国民に属するゆえの権利に転換
するなど、グローバル時代に逆行する内向きの共同体志向、国粋主義志向が強い
ように感じられるが、じつは逆だと説く、北海道大学大学院准教授・中島岳志氏
の論考(5月14日)は目からうろこの趣がある。

中島氏は、自民党はいまや新自由主義政党と化していて、TPPなどグローバ
ル化に熱心である。すでに「主権の外部化」と「グローバルスタンダード(米国
基準)の内部化」を進めていて、この動きと連動するのが憲法改正の要求だとす
る。
以下、少々長いが原文を引く。

「グローバリズムを主導し、国民国家の弱体化を進める人たちは、愛国心を煽
る傾向にある。国内における格差が拡大すると、国民の階層的分断が進行する。
この不平等の不満を埋めてくれるのがナショナリズムだからだ。ここに国家主権
を外部化する人間が、『自主憲法による主権回復』という愛国心を唱導する逆説
が生まれる」

「国民国家が解体されて困るのはだれか。それは国内の低所得者であり、弱者
である。国家の再配分機能は低下し、規制緩和によって安い商品と労働力が流入
する。勝ち組と負け組の分断は極端化するばかりで、国内情勢も不安定化する。
だから、『公の秩序』を乱すような集会・結社・表現の自由は制限しなければな
らない。治安維持権力の強化によって、安全・安心を保たねばならない。これが
自民党の改憲案の筋道である」

最後に、九条の会の呼びかけ人でもあった評論家の故・加藤周一氏が問うた重
い問いかけを記しておこう。「周囲の人のほとんどが憲法を守ろうというのに、
選挙になるとなぜ、そうじゃない政党が勝つのか」

[*4 尖閣諸島の領土問題棚上げは、国交正常化時の田中・周会談以後も、78
年の平和友好条約締結に際する福田赳夫・鄧小平会談で再確認されている。日本
政府の外交記録文書においても、72年の田中・周会談では、田中の「尖閣諸島に
ついてどう思うか」の問いに対して周は「今、これを話すのはよくない」と答え
ているし、78年の福田・鄧会談では、鄧が福田に「我々の世代に解決の知恵がな
い問題は次世代で」と発言している。鄧はまた記者会見でも、「国交正常化、平
和友好条約交渉の際、この(尖閣諸島)問題に触れないことで一致した。一時棚
上げしても構わない」と語っている。

これらの文脈からは、中国側が主張する「棚上げ合意」の認識に筋が通り、一
方的に国有化を宣言したうえ「尖閣諸島の領有権をめぐり解決すべき問題がある
ことを日本が認めた事実はない」とする日本政府の主張はどう見ても無理がある。

先日(6月4日)、自民党の重鎮であった野中広務元官房長官が記者団に、自ら
聞いた当時の田中角栄首相の言葉として「棚上げ合意」の事実を伝えたが、やむ
にやまれぬ思いからのこの老政治家の証言を、当時はともに大学生の若造だった
安倍晋三と菅義偉の政権は、即刻これを否定した。自民党も、かつての「保守本
流」を自任した自民党からは大きくかけ離れている。

権威主義に加えて覇権主義への傾きも示す中国の肩を持つつもりはないが、近
隣諸国との軋轢を利用して(あるいは創出し、増幅し、演出して)権威主義化や
軍国化の方向へ改憲を押し進めようとする現政権および改憲勢力に対しては、最
大限の危惧と批判を表明せざるをえない。]

(筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)

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