【コラム】風と土のカルテ(109)

今、思い起こしたいWHO憲章の重み

健康は「平和と安全」の基礎
色平 哲郎

 世界保健機関(WHO)は、5月5日、新型コロナウイルス感染症に関して「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を終了すると発表した。
 2020年1月末の宣言から 約3年3カ月。
 この間に世界で680万人以上、日本で7万4000人以上が死亡している。

 新型コロナウイルス感染症の流行自体はまだ終息していないし、今後どんな新興感染症が猛威を振るうかわからないが、緊急事態宣言の終了で「コロナとともに」生きていく、その1つの節目になったといえるだろう。

 これを機に、もう一度WHO憲章を読み直してみた。

 憲章は、1946年7月22日にニューヨークに集まった61カ国の代表が署名し、1948年4月7日から効力が発生している。
 第二次世界大戦が終わった直後の厳しい社会情勢の中での発効だ。

健康は「平和と安全」の基礎

 憲章は冒頭に「次の諸原則が全ての人々の幸福と平和な関係と安全保障の基礎であることを宣言します」としており、「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」と定義した上で、前文に8つの原則を記している。

 特に目を引くのが、次の3つだ。

 (1)世界中すべての人々が健康であることは、平和と安全を達成するための基礎であり、その成否は、個人と国家の全面的な協力が得られるかどうかにかかっています。
 (2)健康増進や感染症対策の進み具合が国によって異なると、すべての国に共通して危険が及ぶことになります。
 (3)一般の市民が確かな見解をもって積極的に協力することは、人々の健康を向上させていくうえで最も重要なことです。

 (1)では、健康が平和の礎であると明記し、個人と国家の連帯を呼びかける。
 (2)は国家間の平等な関わりの必要性を訴え、
 (3)は市民参加という実践上のポイントを押さえている。

 こうした現代的な意義が憲章に反映されたのは、長かった世界戦争の残忍さ、不毛さへの痛切な反省があったからだろう。
 不条理に人が人を殺すことがやっと終わり、生存のための健康に目が向けられた。

 ウクライナでは昨年から終わりの見えない戦闘が続き、多くの市民が殺されてきた。
 極東では米国と中国の対立が言い立てられ、「台湾有事」などという言葉が新聞紙面にもたびたび掲載されている。

 太平洋戦争では、日本の多くの医療者が従軍し、塗炭の苦しみを味わった。
 前回ご紹介した梁瀬義亮(やなせぎりょう)医師は、1945年5月、フィリピンのルソン島で機械化部隊つきの軍医として、生き残った60人の兵士とともに米軍との死闘に参加している。
 梁瀬医師は玉砕、つまり全滅が免れない状態で戦い、辛うじて生き残った。
 玉砕などの軍隊文化やイデオロギーによる様々な悲劇が生じたのは、決して古い話ではない。

 極東で戦争が始まれば、歴史は繰り返されるだろう。

 WHO憲章の重さは、戦争への反省に由来している。

 ・文中の日本語訳は日本WHO協会の仮訳による。
 ・(1)(2)(3)の番号は筆者が便宜上、付したもの。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202305/579817.html

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2023年5月31日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。

(2023.6.20)
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