【ポスト・コロナの時代を考える】

人間安全保障に重点を置く新しい世界秩序と連帯型社会への転換を求めて

  ― ポスト・コロナ時代を見つめた未来を開拓する議論のよびかけ

初岡 昌一郎

はじめに

 年明けとともに始まった新型コロナ感染症の世界的な蔓延は、これまで想定もされなかった深刻な社会的不安をもたらしています。現在も進行中のコロナ危機は、これまで人類が経験してきたあらゆる危機と同じように、既存の秩序とシステム、それを支える価値観に対する信頼を揺るがし、将来に対する不確実さが人々を襲っております。これは現状を抜け出して、新しい可能性を追求する動きを生まずにはおきません。その兆候はすでに顕在化してきています。危機はチャンスとよく言われますが、チャンスはそれをとらえて行動することによってはじめて生かされるのです。

 我々にとって今とりあえず必要なことは将来をあれこれと予測することではなく、主体的に未来を設計する議論を進めることです。そのために、アイデアとエネルギーを出し合い、闊達な議論を始めてゆきましょう。小さな烽火をオルタ誌上であげることにした私たちは、より良い社会を追求してきた仲間にまず呼びかけます。今号に発議した私たち後期高齢者の世代には、残された時間はあまりありません。しかし、90歳を越えても初心を忘れることなく人生最後の瞬間まで革新・改革を追求し続けた、オルタ創立者加藤宜幸さんに続きたいと願っております。

 日中戦争勃発前後に生まれ、第二次世界大戦中に少年期を過ごし、戦中戦後の混乱と貧窮の中で青年期を迎えたわが世代は、その後は戦後の民主主義諸改革の恩恵を受け、相対的な平和と経済繁栄の恩恵を享受してきました。我々の少年・青年時代には、経済と生活のレベルは低くとも明るい未来があるとの楽観的な展望を持っていましたが、その後の世代に「未来への期待」をバトンタッチできなかったことを残念に思い続けてきました。

 無定形のさまざまな不安や不満を将来展望のある改革に結集する仕事は容易なものではありません。改革思想が低迷し、改革の主体が拡散している現状においては特にそうです。20世紀後半期に改革を目指す諸運動に参加、様々な挫折や失敗を経験し、ひいては今日の低迷を招くのに結果的に手を貸すことになった世代に属するものとして、将来を展望するこの議論に参加できるのは幸運です。

 私たちの議論に臨む基本的な立場は、異なる意見や立場を排除するのではなく、それを包含しながら新しいコンセンサスを求めることです。現代の問題は、少数のエリートや専門家にリーダーシップに委ねることによっては対処できず、今日の複合的な諸課題を対象とする複雑系の改革には、専門や活動分野の異なる多数の人たちが様々な形で連携し参画するネットワーク型の作業が不可決です。過去における政党綱領論争型の狭い枠の党派的な議論はもはや不必要なだけではなく、有害です。もっと広い、文明史的な視野で当面する諸課題を捉えることが求められます。

⁂ 危機は既成の価値体系を揺るがし、リベラルな改革にチャンスを与えた

 世界の歴史で最悪のパンデミックであった14世紀のペスト(黒死病)は、ヨーロッパの人口の約三分の一を減少させたといわれています。しかし、この災厄は中世の秩序を破壊し、リベラルな風潮を生み出すのを助け、ルネッサンスの開花を可能にしました。災いを転じて福となすことができるのは、このように歴史の中で証明されております。
 しかし、繰り返しとなりますが、このチャンスは自然現象とは違い、発展と変化の法則性はなく、どのような方向と形をとるかは主体となる人間の選好と行動にかかっています。危機が事態をさらに悪化させ、悲惨な結末を招く契機となった事例も、歴史から容易に多く発見できます。

 近世以後の日本社会は大きなパンデミックを二度経験しました。攘夷か開国かで揺れ動いていた幕末の文久2年(1862年)、国外からもたらされた麻疹(はしか)が流行し、免疫を持たなかった日本人をパニックに陥れました。それに加えてコレラも蔓延、対策になすすべを知らなかった当時の日本社会に大打撃をあたえました。『生麦事件』(この年に発生)を書いた作家吉村昭が町奉行所の記録として引用している数字によると、江戸だけで死者が7万人近くに上っています。当時の江戸の人口は100万前後と推定されるので、知って驚くべき数字です。
 二度目は第一次世界大戦直後、1918-20年に世界的に流行したスペイン風邪です。この外来感染症による日本人の死者は約40万人と推計されています。

 医学と公衆衛生の知識が格段に進歩している今日では、パンデミックの犠牲者数は抑制されるでしょう。でも、過去においても基本的な感染防止対策が「外出禁止」であったことに注目しています。感染症対策の基本が個々人の意識と行動にかかっていることには、時代が移っても変わりがないのです。医学や技術がいかに発展しようとも、基本的には人間個人の意識と努力を基礎に、社会的な協力の中ではじめて身を守ることができるのが歴史の教訓です。医学や医療技術が今後いかに進歩しようとも、個人の意識と行動を代替できないでしょう。

 このような社会を揺るがした大事件は日本史の中であまり重要視されておらず、そのインパクトもこれまであまり解明されておりません。それは、政治と経済が社会をどのように動かしてきたかという視点はあっても、社会が政治経済に与えてきた影響から歴史を見る視点が欠落、ないしは軽視されてきたからです。これまでの歴史は、政治権力の変遷と政治の延長としての戦争を中心に書かれております。しかし最近では、現代の新しい価値観と視点から歴史を再構成、再評価する作業が世界的に進行し、多彩な成果が生まれており、今後の歴史観は大いに変化し続けるでしょう。

 この二度の感染症危機の後には、いずれの場合にも歴史的大変動の時代が続きました。第一次パンデミックの後、日本は明治維新と開国、そして近代化の道を選択しています。その中で、自由民権運動など史上初めの民衆的政治参加の意識と大衆的改革運動が生まれましたが、富国強兵による強権的な軍国主議の道を推進する勢力に圧殺されました。
 二回目のパンデミックは第一次世界大戦直後に発生しております。これは世界的な戦火によってもたらされた政治的経済的社会的大変動の時期と重なっております。欧州大陸におけるすべての帝国の崩壊、ロシア革命、被抑圧民族の独立の動きにより、既成秩序の国際的国内的崩壊がかってない規模で現出しました。しかし、盛り上がるかに見えた平和、自由、改革の時期は長く続かず、『危機の20年』(E.H.カー)を経て、第二次世界戦争が勃発したのです。

 戦争やパンデミックによる既成秩序と権威の崩壊が必ずしもより民主的な諸改革につながらず、民主的改革勢力が未成熟であり、機会を生かしきれなかったことも歴史の教訓です。そのような場合には、民主的な改革に失敗したのにとどまらず、それまでの保守よりもさらに性悪なファッショ的独裁的勢力にそのチャンスを奪われました。「危機はチャンス」でもありますが、そのチャンスは「ニュートラル」なものです。現状維持を図る守旧派にとって分が悪くなりますが、特定の改革方向を自動的に有利にするものではありません。

⁂ 既存システムからの大転換を準備すべき時節の到来

 今次のコロナ騒動を象徴するカリカチュアは、「アベノマスク」でした。それは見逃せない「不都合な真実」を計らずも暴露しました。ハイテク型先進工業国という自負を持っているわが国が、マスクや医療用防護衣などの基礎的な物資を数か月たっても満足に供給できない現実には驚かざるを得ません。ローテク製品を国内で生産しておらず、グローバルサプライチェーンが脆くも崩れた状況で、急な需要拡大に一時的に対処できないことはありえますが、数か月たっても基礎物資の不足が解消されないのは理解に苦しみます。
 もっと迅速に国内で必要な物を生産する措置をとり、検査と治療の措置を効果的にとっている国は、近隣と他の地域にもあります。今回のコロナ騒ぎは、日本の政治経済と指導的な立場にある人たちが江戸末期的な停滞的安楽の中にどっぷりと漬かっており、異常事態に備える気力と弾力性までもが失われているのを見せつけました。

 労働集約的な産業や付加価値の低い加工業を海外に任せることによって成立してきたグローバルサプライチェーンは、どこかで想定外の事態や世界的な危機が発生すると脆くも崩壊し、混乱を引き起こすリスクはこれまでも警告されていました。これが今回ドラマティックに証明されました。
 さらに混乱に拍車をかけたのが、社会的な責任を無視し、企業の経済効率と経営効果をのみを追求し、在庫を限りなくゼロにするという近視眼的な経営の蔓延です。現代の主流的経済学や経営学の“常識”や“合理性”が、危機や異常事態を全く想定しない、非現実的なものであることが如実に示されました。

 「世界一斉鎖国」状態の経験から、このところ旗色の悪かったグローバリズムが今後もっと後退する可能性が強まるかもしれません。グローバル統治の構造とルールの伴わないグローバリゼーションが巨大企業と少数の富裕層を利してきた弊害が批判され、近年それに対する抵抗が増していました。
 今回のコロナ危機の経験から、このような批判とは異次元の動機により、推進の主体であった企業と経済界の中から国内生産重視に回帰する兆候が見えています。当面はグローバルサプライチェーンへの依存度を見直し、国民経済の自律性を強める方向に復帰せざるを得ないでしょう。これはグローバル化の後退とみるよりは、調整とみるべきでしょう。

 過去のパンデミックが国際化の副産物であり、一時的に排外主義的傾向が強まることはあっても、その後に国際化の流れは加速化されたように、現代のグローバル化の流れは逆転不可能です。情報、モノ、カネ、ヒトの国境を越えた流通はもはや阻止できません。それだけでなく、環境と資源の保護・管理、安全保障、経済と財政の安定など、今日の主要な人類的な諸問題は国家の枠組み内だけでは有効に対処できないものばかりで、グローバルなルール作りと管理体制の必要性は高まるばかりです。悪者はグローバリゼーション自体ではなく、制御と統治が不在のグローバリゼーションです。

 基礎的な人間のニーズに不可欠な資源であるエネルギー、水、そして食糧などの不足が懸念され始めてきたことは、地球的危機に備えるために、資源の壮大なる無駄を生み出している軍備の縮小、特に核兵器と新型の兵器禁止の流れを生み出すためのチャンスです。国家や領土よりも、人間の安全保障を最優先する協力と協調のグローバルシステムの創出と拡充を目指し、新しい理想主義の流れをグローバルに高めたいものです。
 このようなビジョンはすでに国連の専門機関であるUNDP人間開発報告やILO諸報告に示されております。1992年の国連社会サミットに提出された人間開発報告で初めて包括的に提起されたこの人間安全保障構想は、その後次第に支持の広がりを国際的にみせており、今後の議論の指針に値するものです。

⁂ 地球的な限界と可能性を視野に入れて社会システムとライフスタイルの抜本的な検討を

 環境と資源の制約から、高度成長経済は世界的に今後ますます困難になりますが、日本のような人口減に向かっている経済成熟国にとってはその条件はありません。コロナ対策で膨張した借金と財政の赤字を放置して、ありえない成長を目指す資源浪費政策を継続することは、悪夢のハイパーインフレを招く道に通じるでしょう。

 経済の大転換のカギは、化石燃料と原子力発電への依存から、技術的に長足な進歩を遂げてきた自然エネルギー中心に産業と生活の基礎を置き換えることです。鉄鋼、造船、電機が競争力を失い、現在の稼ぎ頭の自動車に陰りが見えています。資源産出国からの原料の大量輸入と海外市場への大量輸出を前提とした製品の国際競争においては、いずれとも距離が大きく、輸送コストが高くなる日本の製造業が競争力を回復することは困難でしょう。
 省エネ、省資源、省力、軽量小型化などの新技術を、環境と安全の確保や質の向上に資する未来型産業にこそ未来があります。経済構造をその方向に振りむけるには、既得権益にこだわる守旧的な政策と制度を転換するために政治の転換が不可欠です。

 省エネルギー、省資源と環境保護がますます重視される今後において、行き過ぎた技術万能主義と密室的な技術開発にもブレーキがかけられるべきです。適正技術と技術の適正利用が大きな課題です。「適正」という言葉には、広く一般に理解され、社会的に制御しうるという意味が含まれます。

 今後の人間の生存と生命にストレートに深刻な危機をもたらし、感染症以上に短期的解決が困難な構造的な問題の中でも、特に食糧と水資源の潜在的な危機に対し、適切な備えが必要です。人口増に食糧生産が追い付けないという、有名なマルサスの予言は幸いにこれまで実現しませんでしたが、環境悪化や気候変動、農業軽視と土壌荒廃などの複合的累積的な原因から、長期的安定的な食糧供給力に疑問符がついております。

 これまで世界の飢餓をカバーしてきたアメリカの食糧供給力と備蓄が低下傾向にありますが、それを代替できる供給力を持っている国はありません。米を除き、日本の食料の90%近くは輸入に依存するようになっておりますので、農業生産力の向上と自給率の回復は、安全・安心な生活保障のカギとなります。農業は循環型の持続的な最大の世界的基幹産業として抜本的に見直されるべきです。水利用の3分の2は農業向けとみられていますので、日本の省水技術は世界的に貢献できるでしょう。

 世界の経済活動は今回の危機で急速に縮小し、多くの人が職と収入を失いました。しかし、打撃は平等ではなく、弱者と貧困層を直撃しています。世界の貧困国にとんでもない富裕なエリートがいるように、富裕国にも貧困層がいます。でも、貧困の津波は貧困国の貧困層に最もシビアな打撃を与え、人道的な危機が深刻化しています。世界的にも国内的にも、シェアリング(分かち合いと共用)経済の思想と行動を広げるべき時代に入っております。機会の均等と所得の公正分配を柱とした「床と天井のある社会」の構想が世界的にも国内的にも必要です。

 第二次世界大戦後の世界秩序が揺らぎ、なりふり構わない大国のナショナリズムが世界の危機をますます深刻化させる懸念があります。ナショナリズムは危機加速の「原因」となりえても、「解決」とはなりません。日本は大国の虚栄と虚飾を捨て、身の丈に見合った平和的協調的な外交を鮮明な旗印として、特に近隣諸国との友好関係をこの際図りたいものです。憲法の平和主義と非核武装を堅持し、軽武装政策(究極的な非武装)を国是として、平和的環境において有限の資源を人間安全保障に振り向けるべく、世界的な軍備縮小、非核化に貢献する国際政策への転換を準備する好機です。

 このような転換は未来に対する悲観ではなく、楽観によって推進したいものです。「すべてをお金で手に入れようとする欲望のリセット」(イワン・イリイッチ)ができれば、豊かな新しい社会観・人生観がうまれます。エコノミーとエコロジーは「暮らす」というギリシャ語の同語源から出ているそうですが、エコ・エコノミー(節約の意味が語源的にある)の生活は、人間に新しい活力と生き方をもたらす豊かな持続的生活の可能を内包しています。人間の無限の弾力性(インフィネット・レジリエンシー)が試される転換の時代を迎えています。

 (姫路独協大学名誉教授、元国際郵便電信電話労連東京事務所長)

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