【コラム】酔生夢死

人は自律的に意思決定する存在か

岡田 充

 「人間の思考様式を生成AIが直接変えるかもしれない」と書くのは、憲法学が専門の山本龍彦・慶応大法科大学院教授。文章や文書を自動的につくる「Chat(チャット)GPT(Generative Pretrained Transformer」の急速な進化と普及に伴う「光と影」を論じる記事(日経デジタル・2023年5月28日付)からの引用だ。
 山本の論旨は次のようなものだ。中世ルネサンスと宗教改革を経て欧州では、人がキリスト教の呪縛から解放され、「個人が自己決定する世界観が確立された」。だが生成AIが人の意思決定の過程に深く入り込めば「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」という前提が揺らぎかねないとし、「自己決定を前提にした民主主義による統治の仕組みはいったい、どうすれば維持できるのか」と自問する。
 刺激的な問題提起だと思う。だがその主張には全面的にはうなずけない。まず中世欧州で、人が神の呪縛から解放され「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」になったのはその通り。民主主義というイデオロギーは、個人主義を前提に成立した市民社会の産物だと思う。

 問題は、それに普遍性があるかである。家父長制型の社会構造が色濃く残るアジアでは、「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」ではなく、「上意下達」の権力構造を受容する社会規範が色濃く残る。それは多くの日本人が「独裁国家」として忌み嫌う中国だけの話ではない。日本もそうだ。
 日本人としての固有性は、「同質一体」という架空の物語の共有にある。その頂点には「万世一系の天皇制」があり敗戦を経ても生き残った。同質一体から生み出される優先的な社会規範は「秩序維持」だ。秩序維持は、中国のような「強制力」ではなく、「言葉によらないコミュニケーション」(空気)と「摩擦回避を優先し事実を究明しない」という日本的な作法が保証する。組織で生活したことがある人は、この作法の「明と暗」を味わった経験が必ずあるはずだ。
 生成AIに話を戻す。山本は「日本は欧米に比べ、AI統治の基本理念を明文化する努力が遅れている」と指摘する。それは当然だ。「人間の自己決定権」という個人主義と市民社会意識が日本やアジアでは希薄であり、生成AIによってそれが失われる危機感が薄いためだ。

 あらゆる意思決定をはじめ言語、文学、音楽、絵画にはすべて「前例」がある。自分の発する言葉は「私固有のもの」と考えるのは幻想である。私がよく使う表現の中には、漱石や龍之介の作品の借り物がたくさんある。時には井上ひさしや野坂昭如も混じっている。
 そう考えれば「人間の自己決定権」に普遍性を見ることにどれほどの意味があるか。フランスでは年金受給年齢の引き上げに抗議してデモが繰り返されている。日本では、マイナンバーカードに別人の銀行口座番号が紐づけられても、反対デモが起きたという話は聞いたことがない。(了)

画像の説明
生成AIが作成した女性の顔(Youtubeから)

(2023.6.20)
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