【東アジア市民交流】

京畿道の協同組合協議会と交流して

柏井 宏之


◆◆ 韓国京畿道協同組合協議会からの招請で講演

 私は、7月13日、来日した韓国京畿道協同組合協議会運営委員長の朱寧悳(チュヨンドク)氏(安山医療福祉社会的協同組合副理事長)から講演依頼の要請をうけた。その結果、8月24日に京畿道南部の水原市、夜に城南市住民信協での日本の労働統合型社会的企業の事例報告の学習会、25日には京畿道北部の議政府市での講演と討論を行ない、あたたかい歓迎と交流をして帰国した。
 京畿道とは、1千万大都市ソウル市を囲む形の31自治体で構成される人口1,230万の人々が暮らすところ、広い関東と東京という関係だ。4日間の交流を通じて、韓国社会が21世紀に入って、社会的企業育成法、協同組合基本法、ソウル市社会的経済基本法、GSEFの「ソウル宣言」と、矢継ぎ早にグローバリズムと対決して推し進められてきている「社会的経済生態系」がどんな状況にあるのか、京畿道のコミュニティに基礎を置く小規模協同事業のさまざまな動きに3年ぶりに触れることができた。
 それは昨年秋に明治大学でもたれた第6回日韓社会的企業セミナーが、ソウル市の先行的な社会的経済基本法にもとずく実践を、行政区ごとに革新官僚と市民社会のタイアップによって街づくり計画が市民参加型で進められ、主にその第一線の若い、それも女性の行政マンの報告に触れたが、今回の京畿道協同組合協議会では、協同組合基本法によって京畿道に生まれた1,500近い協同組合群やマウル企業、予備社会的企業など、地域市民自身による自治的な新しい経済再生に向けてのネットワークづくりにつよい意欲を感じた。

◆◆ 京畿道協同組合協議会の現況と課題

 朱ヨンドク運営委員長から送られてきた京畿道協同組合協議会の現状は次のようなものであった。

・2012年12月、協同組合基本法制定以降、従来の特別法の協同組合(信協、農協、生協など)や一般協同組合の協力を通じた協同組合運動の発展と事業の成功を支援するため、2013年10月創立。
・2016年7月現在、京畿道内の一般協同組合は約1,400が設立されたが、そのうち事業の活性化組合は約30%と推定される。
・現在、京畿道内の31の市郡のうち、協同組合連帯組織が構成された地域は9つの市郡で、4つの市郡が準備中。
・京畿道協同組合協議会の会員組織;9つの市郡協議会、医療生協京畿協議会、単位の信用協同組合4、一般協同組合約210。

 そうした中で、課題として、(1)協同組合事業の活性化、(2)協同組合と社会的経済組織の連帯協力の活性化があげられていた。

 今回、私に求められた講演テーマは「日本の協同組合運動の基盤と社会的経済の活性化の事例」である。さらに協同組合と社会的経済の活動を通じた協力事例、現市場経済体制下で社会的経済がなぜ必要なのか?が求められた。すでに現役から退いている私には過分なテーマであり、果たして日本の協同組合運動から参考になる事例を紹介できるかと自問自答しながら、何度も訪れた京畿道の新しい変化に胸をおどらせながら出かけた。

◆◆ 半官半民の「タボ共同体支援センター」の役割

 京畿道協同組合協議会と並んで、京畿道には独自の「タボ共同体支援センター」が存在することがわかった。タボとは“温かくて福がある”という意味である。ここに韓国の市民社会の非営利セクターの持つぬくもりと幸せ観がよく表現されているネーミングである。このセンターは、現京畿道知事が「社会的企業の企業づくり」を選挙公約、当選して1年半前に設立され、公務員施設を開放して水原市に、もう一カ所、議政府市の民間ビルにあった。
 今回、出迎えてくれたのは、「タボ共同体支援センター」関係協力チーム長の崔珉竟(チェミンキョン)氏である。3年前、第5回日韓社会的企業セミナーでソウルで会った時は、京畿道社会的連帯経済運営委員長だった。その後、京畿道協同組合協議会事務局長になり、昨年朱さんと交代した。生活クラブの関係でいえば、青年時代に町田センターで長期実習し、住民生協常務理事として活躍した人だ。
 意見交換は車の中だ。社団法人を創って、31自治体のさまざまな社会的経済をネットワークすることに走り回っている。
 協同組合協議会は、昨年7、今年が3、準備しているのが6で16ヵ所ある。都市農業バリスタや集まり場所や街の放送局も作った。街のスタジオとして結婚式場を立て直す支援金をもらったところもある。南部には協議会は比較的多いが北部は3つしかない。設立した協同組合を繋ぎ合う中間支援組織の役割が大きい。協同組合は多くできたが、協同組合の運営や出資金の集め方には慣れていない。協議会に集まって価値と原則を勉強しあい、いろんな情報や技術が信協や生協の経験や知恵を借りて自分たちのやりたい事業計画のヒントになるようにしている。協同組合だけでなくマウル企業、予備社会的企業や株式会社もふくめてさまざまな社会的経済が地域に育つのをめざしている。社会的企業育成法の時の、水原市でアルコール依存症の人が禁酒し「脆弱階層」の人と立ち上げた街のお豆腐屋さんチャロサロンのようなモデルになるような協同組合事業はまだないが、これからに期待してほしい。私が泊まった「共存空間」は水原市のマウル事業が産み出したものとのことで、民家を改造、カフェ、宿泊、絵画・写真展示の文化空間だった。

 このように話しは日常的な取りとめもない話になるが、この数年で韓国における協同組合と社会的経済についてはめざましい組織づくりの途上にある。具体的に表をみてみよう(表1)。

(表1)韓国の年度別の協同組合の設立状況(2014年末)
画像の説明

 この表1は、2013年度と2014年度に、地域社会に協同組合の結成が3,000前後と爆発的に起こったことを示すダイナミックなものだ。そして就労が脆弱階層の一定比率をこえた場合に認定される社会的協同組合が233組合生み出されていることである。これはイタリアでいう社会的協同組合B型の「社会的に不利な立場の人々」を主体とした労働統合型を意味している。日本には、この当事者に就労の場をつくり社会復帰を果たす仕組みは生みだされていない。韓国社会は「福祉から就労へ」という世界的な流れをアジアに先駆けて実現したが、日本の「生活困窮者自立支援法」の「中間就労」は「就労訓練」であって就労の場ではない。支援という名の「就労から福祉へ」の逆戻りの設計なのだ。
 もう一つの「新しい社会的経済の企業現状」の2015年度までの新しい表(表2)を見てみよう。これは韓国の雇用労働省、企画財政省、行政自治省、福祉保健省ら各省の2015年度国政監査提出資料からのまとめで、9月の第33回共同連全国大会の「参考資料」に掲載されたものである。

(表2)新しい社会的経済の企業現状
画像の説明

 認証された社会的企業は1,251で「脆弱階層」の雇用率は60%、それに地方自治体型の予備社会的企業は2014年末で1,561と地方も力を入れている。協同組合は2015年8月を基準にしたもので結成数は2015年途中で1,500を越えて合計7,800近く伸びている。マウル企業や自活事業も社会的企業にほぼ並ぶ事業数を形成、社会的経済全体での就労数は9万人を越え、予備社会的企業で働く人を合計すると、就業者数は10万人を越えるという。
 これに対し「伝統的な社会的経済組織」は、農協、水協、セマウル金庫、信協、山林協、葉煙草協、消費者生協、中小企業中央会で4,818の単位組織が存在する。そこに1,902万人の組合員と16万7千人の職員、112万億ウォンの供給高をあげている。信協と生協を除けば、社会的経済というより、「国家の経済において一つの分野」という見方もある。
 「新しい社会的経済の企業現状」は、格差社会の拡大(韓国では「社会の両極化」とよぶ)に対応して、「脆弱階層」(世代と男女の平均所得の60%以下の人々)に就労の機会を創りだす考えに当事者と市民社会が共感し、また税の再分配を活用して対応しようとしている。新しい事業組織11,500が地域社会に生みだされたのは驚嘆すべきことである。

 自己紹介は、大学を出てコープこうべに就職したこと。賀川豊彦がつくった生協だったので希望をもって入ったが、高度成長を前にアメリカのスーパーマーケット理論に取りつかれた時期だった。現場には組合員主権はなく働くものには古い徒弟制度を思わせる仕組みで失望、労働組合を通じた生協民主化に取りかかった体験を語った。規模を追い、組合員主権から「顧客化」に走る協同組合を批判、市場外流通、自主運営・自主管理の生活クラブに移ったことを話した。私は協同組合の大規模化と市場への類似化戦略の挫折経験者であり、もう一つの協同組合の再生にかけてきた体験をもつ者として、今の韓国のコミュニティに基礎を置く協同組合づくりに希望を抱いていると話した。

◆◆ 「鳥は空に、魚は海に、人は社会に!」

 今回、水原での講演の切りだしは「鳥は空に、魚は海に、人は社会に!」からはじめた。それは、1970年代、東京・府中療育センターの重度障碍当事者による告発運動の中で生まれた言葉である。訪韓直前に相模原市で起った痛ましい障碍者多数殺傷事件は、障碍者を今なお隔離し続ける日本社会の存在の中で「優生思想」に傾いた結果の殺人事件を映し出したが、それに対し、さまざまな困難にあう人々が「社会」に復帰できる条件を地域社会に用意しつづけている韓国市民社会への共感と連帯を語ることから始めた。

 日本の協同組合運動については、アジアに先駆けた日本資本主義のもとで、1900年に統一協同組合法の産業組合法が成立する直前には信用組合144、販売組合141など346組合64,369人の組合員が存在した。ロシア革命と米騒動の頃、1920年に賀川豊彦が貧民窟で始めた購買協同組合が神戸に育ち、大恐慌直後にアメリカで講演した「友愛の経済学」は、社会的経済の先駆といえるものであった。しかし協同組合は体制翼賛会で戦争協力し、賀川も満蒙開拓団の熱心な推進者となった。
 敗戦のあと、1948年、消費生活協同組合法を皮切りに分野法が成立、それぞれの分野に協同組合法が生まれた。日本では分野法の下、規模の大きい協同組合のシステムで合併統合され、また理念より「簡単・便利」の功利主義的協同組合が多く、TPPをめぐって日生協と農協が対立したように、協同組合間連帯は生みだされず分散している。
 2012年の国際協同組合年とIYC記念全国協議会の中で、韓国のように既存の協同組合法制をそのままにして、小規模協同組合が創れる「協同組合基本法」の提案ができるか、が問われている。日本では地域に小規模協同組合を作ることができない。NPOは出資ができないために事業自立ができないのが目立つ。また労働組合と協同組合の連帯も弱く格差拡大の中で問われている「社会的ユニオニズム」も弱い。「社会的経済」への関心の薄さが社会的連帯ネットワークを生んでいないため、さまざまな当事者組織は苦吟している現状を報告した。

◆◆ 歴史的に大事な「労働合作社」

 「協同組合と社会的経済の活動を通じた協力事例」として、3つの事柄に触れた。私は訪韓が決まってすぐ樋口兼次白鳳大学教授に会って協力を要請した。これからのアジアを考える時、「労働合作社」についての歴史的継承の重要性を痛感するとして、樋口氏の『労働資本とワーカーズ・コレクティブ』(時潮社)の著書を京畿道協同組合協議会に寄贈したいと頼んだ。
 なぜなら今日の韓国社会の労働サービス生産協同組合の地域社会での設立と登場は、自治と参加型を基調としていて、市場型でも国家型でもない点において中国に起こった「労働合作社」を現代に引き継ぐ面があることの意義を強調した。氏は同書の寄贈を快諾、併せて中国で発行されている同氏の『日本的生産合作社』の著書などをいただいた。

◆◆ 戦後の生産協同組合の歴史から

 今回、韓国の「協同組合基本法」成立と7,800もの協同組合の結成とコンソーシャムとして協同組合協議会が生み出されることに似た動きが日本にもあったことを紹介した。それは敗戦後、雨後の竹の子のように生まれた労働合作社(労働者生産組合)の結成である。当時の脆弱階層である復員兵、引揚者、戦争未亡人、失業者、被災した職工らによって合作社350社(1948年)が東京、静岡など全国各地でつくられた。さまざまな事業がめざされている点で、類似点も多い。同時に、今日と違うのは、サービスや介護、知識・文化を生かした事業は21世紀にはいってからの欠かせない分野になっていることだ。
 戦後復興の波は、新中国からの影響で地域から労働合作社が生まれた。エドガー・スノー「日本に於ける合作社運動の将来」の講演や「中国国民の先例に倣う」ものとして日本生産合作社協会が設立(1946年)された。だが一転、朝鮮戦争をはさんで生産合作社法案の頓挫と企業組合法の成立となった。この事実は歴史の記憶から消されているので、今回、紹介し、訪韓にあたりいただいてきた樋口兼次著の著書を献本した。

 1980年のレイドロウ報告とそれに基づくワーカーズ・コレクティブ、あるいはワーカーズ・コープの登場は、労働合作社の前史と屈折して生まれた企業組合法とつながっていない問題があり、日本の法制化上も避けて通れない課題でもある。
 この点に関しては、私が市民セクター政策機構理事長時代に菅野正純協同総研理事長と河野道夫村山内閣元補佐官とで市民法制局を創り、退官した内閣法制局の知恵を借りる機会を何回か設けたりしたが、河野氏の長期訪英によって法案作成に至らなかった。協同労働の協同組合法のネーミングは菅野さんのこだわりだが、2008年に「協同出資・協同経営で働く協同組合法(仮)を考える議員連盟」を設立、約200名の衆参両院議員が参加した。2011年8月、政権交代を果たした民主党によって「ワーカーズ協同組合法要綱案」にまとめられたが、安倍内閣誕生によって無散した。その背景には自民党内に協同労働を認めない、雇用=賃労働しか認めない市場原理主義のかたくなな思考があった。

 私は2014年10月、ソウル市に新設されたばかりの社会的経済支援センターで開かれた第5回日韓社会的企業セミナーで「協同労働の協同組合法と協同組合運動」を報告、「なぜ挫折したか」を報告している。それは「生活困窮者自立支援法」のなかに、「社会的企業」を挿入しようとして、ソウルの社会的企業SRセンター所長が厚生労働省内で講演、一時は進むと思った可能性が挫折したのと同じ運命をたどった。
 アベノミクスとたたかうためには今年4月発足した超党派の「ソーシャル・ファーム推進議連」などの新しい動きを注視しながら、東アジアでの労働者生産協同組合の歴史的実践を継承する必要と日本の企業組合法との接合問題がある。何より時代にあった格差と貧困の連鎖にあう当事者の就労に直結する新しい理念と運営のあり方が問われていると今思っている。

◆◆ 独立派生協と社会運動

 もう一つは、差別とたたかう日本の社会的経済の実践的主体は、生協運動の少数派であった事実の報告をした。大規模生協の功利的実利主義と「簡単便利」、組合員を「お客さん」化して市場にかぎりなく接近する類似化戦略とは異なる立場をとる独立派生協によってすすめられた。団塊の世代を中心に地域社会に1970年代に登場した、「人間関係的資源」をより重視した独立性の強い協同組合(生活クラブ、グリーンコープ、パルシステム)は、協同組合の外側に小規模な事業目的性を持ったワーカーズ・コレクティブやNPO、企業組合を育てて地域生活圏で生活サービス事業を軸に社会的経済を創りだしてきたが、今は担い手の高齢化に悩まされていることに簡単に触れた。

◆◆ 「当事者」を軸とした反差別の社会的事業所

 グローバリズムの進展の中で経済組織の協同組合よりは、社会的排除と格差拡大の中で貧困の連鎖にあう「当事者」組織の知恵を絞った共働事業が大きな役割を果たしていることに触れた。日本的脆弱階層のホームレス、障碍者、被差別民の労働統合型社会的事業が先駆的実例をつくってきている。さらに小企業者、農民、シングルマザー、非正規雇用、高齢者の「当事者」が「共に働き、共に生きる」実践事例に共鳴しつつ地域での提携も目立ってきている。在日の人々は、その居住地域で相互扶助の介護事業や子育て事業、食の事業を独自に形成している。その代表的事例を次にあげた。

・企業組合あうん(東京) ホームレス組織からシングルマザー・手帳を持たない障碍者へ世代交代しながら、下町で全員参加の民主的運営でリサイクル事業と便利屋事業を行なっている。他にフードバンク、医療相談、沖縄・在日と共に地域の祭り。外郭に労働者被曝を考えるネットワークで原発下請け・孫請けの労働者支援をおこなっている。
・NPOわっぱの会(名古屋) 障碍のあるなしにかかわらず、スタッフ―利用者のタテ関係でなく「共に」で新しい労働現場を創る。分配金制度という相互扶助の賃金体系をもつ。パン・うどん・野菜、リサイクル、新たに生活困窮者自立支援法の相談事業も。韓国障碍友権益研究所との長い交流の上に10月にアジアの障がい者シンポジウムを開く。
・(株)ナイス(大阪) 西成の街で住宅・ビルメンテナンス・薬局・浴場・公園清掃などの地域事業。老朽民間賃貸住宅の共同建替等の住宅事業や入札制度に障害者雇用等の総合評価制度でビルメン業界を改革。ビルメン産業は3兆円産業で社会的経済の大きな柱と強調。橋本維新には対案で健闘する。
・認定NPOやまぼうし(東京) 多摩地域の都市農業再生、大学生協経営危機を市民に拓いた障害者雇用のレストラン、日野市のまちづくり協議会とコラボした共生型・地域生活支援の拠点づくり。廃校跡厨房施設利用。高齢者・障碍者・児童の相互乗り入れ福祉を実践。
・NPOライフ(札幌) 障碍のあるなしにかかわらず、だれもが地域で当たり前に生活し働く立場から多方面の展開。共働事業所もじやは市独自の「札幌市障がい者協働事業所制度」を活用して、障害者雇用の促進、地域の市民事業団体と社会的事業所協議会もおこなう。

 独立派協同組合は、これらの労働統合型社会的企業とさまざまな提携や地域事業を行っている。また失業対策事業から生まれたワーカーズ・コープのように、国や地方自治体との間で、委託事業に成果を上げる取組みも目立つ。

◆◆ 総論に強い韓国、各論に強い日本

 私はここで、朴元淳ソウル市長が、市民運動家として活躍されたころに日本の各地数十ヵ所の市民運動を歩かれた時の評価を紹介した。これは2003年、神奈川の参加型システム研究所が編集した『韓国市民運動家のまなざし―日本社会の希望を求めて』(風土社)のなかでふれられている。
(1)日本の運動は、あまりに小さなことに執着して全体の運動が不十分といわれる。
(2)日本の市民運動は分散孤立型だ。
(3)生協運動には感動した。「生活者」を名乗る主婦たちが世の中を変える最前線にいる。
(4)総論に強く各論に弱いのが韓国、総論に弱く各論に強いのが日本の市民運動。

 この朴さんのざっくばらんな評価から「社会的経済生態系」はいかにも韓国型の総論深化であること、逆に日本の「当事者」を軸とした反差別の社会的事業所や独立派生協の社会運動にふれたように、分散孤立的ではあるが各論に強いとの指摘は鋭い。日本の連帯という統合が創りだされない中で、日本の個々の社会事業は独立自律、自治と参加、自主運営、自主管理型で、たじろがずに立ちつくすことに日本の社会運動の特色を私は述べてきたが、日本には統合的な「生態系」を語りえるような状況は生まれていないと報告した。
 なお、同じ2003年、『社会的経済の促進に向けて』を石毛鍈子議員の呼びかけで国会内で7回にわたって開催、私は市民セクター政策機構事務局長としてそのプロジェクトの事務局を担当した。「社会的経済」は野党の政権構想に必要不可欠な経済戦略と考えたが、結果は「本来目標としてきた【社会的経済促進】という政治面では進展はなかった」と総括せざるを得なかった。
 日本で「社会的経済」を粕谷信次法政大学教授らの力を借りて意欲的に取り組んだが、「総論に弱い」日本という朴さんの評価を裏づけた見本のような結果になった。議論内容は同時代社から記録出版している。政権をまじかにする民主党は「強い経済」には関心はあったがグローバリズムへの対案戦略への関心は低かった。それは社民党にも共産党にもまして新左翼にもいえた。わずかに宮沢喜一元首相が「なぜ野党は社会的経済をとりあげないのか」とテレビで語っていたのを思い出す。しかし宮本太郎教授を始め識者と現場の実践家が多角的な議論を行なったし、その流れは「生活困窮者支援法」をめぐる議論に連なっていく。

◆◆ 「地域共生社会」めぐる2つの道

 今年7月、厚生労働省は「我が事、丸ごと」地域共生本部を立ち上げた。再分配による公正な社会実現を迫る野党のない中で、「高齢化の中で人口減少」が進行する2035年までの長期プランを描くものだ。それは2017年の介護保険法改正、2018年の生活困窮者支援法と報酬改定をにらんで、財政難で崩れる制度を予期し、行政主導の上から目線の福祉を一見転換する衝撃的な内容だ。小中学校区で、地域における住民主体の課題解決と市町村の包括的・総合的な相談支援体制の確立を「ニッポン一億総活躍プラン」によって実現しようとするものである。
 これは地区社協、福祉委員会の民生委員、児童委員によって地域の住民の社会資源を活用して、噴出する社会問題を「我が事、丸ごと」自らのものとする地域共生社会をつくる。地域で解決できない課題、生活困窮、雇用、高齢、児童、障害を包括的・総合的な相談支援体制の確立をうたうもので草の根保守の市民社会の描きなのである。すでにそのことを予期して生活困窮者支援法の委託は大半が社協にまわし、その予行演習が行われている。
 これはイギリスのブレア労働党政権が失業の若者をコミュニティ・ビジネスやソーシャル・ファームで仕事の場をつくったのに対し、保守回帰したキャメロン政権が、就労は市民社会に任すとして政府が再分配策をとらなかった政策の日本版の総合福祉政策体系なのである。

 日本の「社会的経済」についての不発の原因は、社会民主主義に大きな責任があろう。税による再分配による公正な社会実現は社会民主主義の大事な旗である。私のような協同組合主義にたつ者にとっては、その社民的主張よりは、自らの資金、自らの労働、自らの知恵を寄せ合って自主管理の共同自治をめざす下からの社会実践に魅力を感じ苦闘してきたが、今日のグローバリズムの席巻する時代には、対抗社会を築く上で必要だと考えた。
 イタリアで、社会的協同組合B型の「社会的に不利な立場の人々」を主体とした労働統合型で排除にあう人々に地域に就労の場をつくりだして、ヨーロッパ全域に拡がった。その社会運動の流れを韓国社会は継承した。だが、かつて清水慎三さんに好意的評価をもらった「日本的社民」は、21世紀にむかった社会民主主義の刷新に向きあうことなく基盤を今、失おうとするまでにいたった。「社会的経済」は「社会主義」ではないし、メビウスの輪のように同じところを堂々めぐりするそんな世界は移行論がないとして切り捨てた。また柄谷行人は交換様式Dに形成される魅力ある世界システム論を提案したが、分配的正義を嫌う立場から「社会的経済」論は評価しない。
 その果てが「我が事、丸ごと」地域共生の草の根保守のやわらかい翼賛社会づくりの提唱を許している。市場のグローバリズムは地域をもたないが、国家と行政は、小中学校単位の住民主体という名の支援の福祉体系で管理・監視体制の網の目を築こうとしている。

 市民社会は市民自治に基づいて「共に」「共生」を行なおうとする自発的な社会運動の世界である。しかし、市民ではなく、国家や行政がその推進者となり住民を動かす時、社会は急速に戦前の「隣組」の相互監視に似た社会に近づくだろう。
 「差別と闘う共同連全国連合」を発祥させた大阪での第33回共同連全国大会の「基調報告」で、斎藤事務局長はこのことに触れた。言葉の上ではこれまでのタテ割の福祉を見直す「我が事、丸ごと」地域共生本部の提起だが、それは地域社会において、共同連の「共に生き、共に働く」実践と取り組み、「社会的事業所」の実現こそが問われている時代と「地域共生社会」をめぐる2つの道があることを提起した。市民の下からの自発的自治か、行政主導の上からの住民誘導かが、観客席からは同じに見えるところが今の時代の怖さである。

 おわりに、地域で「共に」の市民事業にかかわる人たちが「丸ごと」国家や行政にのみこまれることなく、地球市民的立場から韓国市民社会の多様な試みと連携し、「共に生き、共に働く」個別実践を大事に繋ぎ合ってコンソーシャムを作り上げ、しっかり連携・交流を深めたい。またそのお手伝いもしたいと希望してペンを置きたい。

 (共生型経済推進フォーラム理事・参加型システム研究所客員研究員・共同連運営委員)

(写真)水原市のダボ共同体支援センターで
画像の説明


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧