【コラム】
1960年に青春だった!(17)

二卵性双生児のような演歌二曲にみる詩性の差異

鈴木 康之

 勝負所にさしかかって長嶋監督がベンチを出て、主審に代打を告げました。選手の名前を発したものの、応援合戦で球場騒然の中、聴きとりにくかろうと気遣った根の正直な監督は、両手でバントの「ふり」をしました。
 作戦バレバレですが、兵は指揮官に忠実であらねばなりません。相手の投手はこれ以上ないバントしやすい球を投げ、野手はそれより早く前進ダッシュしました。

 さてシャンソンに『コム・ダビチュード Comme d’habitude(いつものように)』という曲があります。クロード・アントワーヌ・マリー・フランソワ、略してクロード・フランソワ、さらに約めた愛称クロクロで人気のあった、昔のシンガー・ソング・ライターの作品です。
 ボクより2つ若い1939年生まれ、「昔の」と書くのは気がすすみませんけれど。

 まず、歌詞に目を通してください。朝倉ノニーさんの訳詞です。

(1)朝起きて
    きみの身体にぶつかる
    きみは起きない
    いつものように
    きみにふとんをかけてあげる
    きみが寒くないようにね
    いつものように

(2)きみの髪をなでる
    そんなことしたくないのにね
    いつものように
    でもきみは僕に背をむける
    いつものように

(3)それから僕はすごく急いで服を着る
    部屋を出る
    いつものように
    たった1人でコーヒーを飲む
    また遅刻だ
    いつものように
    音もたてず僕は家を出る
    外は灰色だ
    いつものように
    寒いからコートのえりを立てる
    いつものように

(4)いつものように
    1日中
    こんなふりをする
    いつものように
    ほほえみ
    いつものように
    笑いさえする
    いつものように
    生きているんだって
    いつものように

(5)そして一日が終わると
    家に帰る
    いつものように
    きみは外出先から
    まだ戻っていない
    いつものように
    たった1人でベッドに入る
    冷たく大きなベッドに
    いつものように
    涙がでるけど隠すのさ
    いつものように

(6)いつものように
    夜が来たときでさえ
    こんなふりをするんだ
    いつものように
    きみが帰ってくると
    いつものように
    きみを待っていると
    いつものように
    きみが僕にほほえんでくれると
    いつものように

(7)いつものように
    きみが服を脱いで
    いつものように
    ベッドにはいる
    いつものように
    僕たちはキスをする
    いつものように

(8)いつものように
    僕たちはふりをする
    いつものように
    愛し合っているふりをする
    いつものように
    僕たちはふりをする

 お気づきでしょうね、「いつものように(Comme d' habitude)」というモチーフを十重二十重にリフレインしながら「僕」の日常を語ります。
 はじめのうちは「僕」の日常でしたが、やがて「僕たち」の日常となります。

 その日常を「僕」と「きみ」がどのように振る舞っているか。それがこの歌のテーマです。
 1節から8節までは、マンネリ化している朝晩の所作、振る舞いを、いささか饒舌気味に語ります。燃え上がる愛や新鮮なときめきはもうない。でも優しさはあって、まだ眠りの中の「きみ」にふとんをかけてあげたり、髪をなでてあげたり。けれど「きみ」は背をむける。
 「僕」も「いつものように」「髪をなで」たりするものの、「そんなことしたくないのに」と思う。一人でコーヒーを飲んで灰色の街へ出ていく。

 その「きみ」、とある夕べには家に帰って来なくなるかも、そういう緊張感をはらんでいるようではなさそうだし、いや、はらんでいるようにも聴こえたり…。

 「いつものように」というマンネリズムのなかで、テーマはというと、4節目に一度書かれています。
 「一日中、こんなふりをする(faire semblant)」です。「ふり」という詩趣深い表現。
 最終節8節では三度繰り返します。「愛し合っているふりをする」とあからさまです。

 ところが、歌詞がきっちり聴こえるのは7節までで、8節は音量がフェードアウトしていくので、ちゃんと聴こえません。後述するようにこのアレンジは曲者です。
 聴き取りにくくなりますから、歌唱は後にして、まず歌詞に目を通してもらったわけです。
 You Tube は後ろにURLを付しておきますので聴いてください。

 地球上の各地にさまざまなジャンルの歌曲が育てられてきたなかで、パリっ子たちがシャンソンの誇りとしてきたのは歌詞の「詩趣」でしょう。私見ですが、曲の命、シャンソンの詩性と呼びたい肝の部分です。

 この曲では「ふりをする」という謎の一語がそれです。
 「ふり」とはいうまでもなく「そぶり」の「ふり」です。「仕草」「所作」「格好」などにも近い言葉でしょう。
 「ふり」にはほんとうではないというネガティブな含みがありますが、「うそ」ではないのですね。「まね」でも、「だまし」でもない。それらは作詞家の意図とは違う。
 やはり「ふり」でしかないという意固地な一語性を宿しています。

 泣いているふりをする、怒っているふりをする、といった用例からすると「ふり」には「演じる」という意味もあるかもしれません。しかし、この二人の生活状況での言葉を「演じる」といってしまうと身も蓋もなくなってしまいます。

 ではYou Tubeを聴いてください。
  https://youtu.be/XIrvuzCKnqg

 歌詞の範囲内で推しはかると、はじめのうちは「僕」だけの意図のようにも聴こえていましたが、7節で、ベッドに滑りこんできた裸の「きみ」を迎え、8節、「僕たちはキスをする」に至って、二人には「ふり」を共有する関係性があることが明らかにされます。

 で、この歌のアレンジが曲者です。

 こうした類の変哲もない日常性を歌う歌詞の場合、日本人はもっと静的で、俳句のように凝縮したしみじみ感と、場合によってはハスキーな吐息混じりに、脈拍の上がらないままの、波立たずの曲調になじみを覚え、納得します。

 それにひきかえクロクロはほぼ全節、強く歌います。とくに4節の「ほほえみ」「生きてるんだ」のあたりで声を張りあげ、6節「きみが帰ってくると」からは絶唱調のままとなります。だいじなテーマだからですね。
 ところがです、8節は「愛し合っているふりをする」ともっとも重要なメッセージ・テーマであるにもかかわらず音声はフェードインしていき、聴きとりにくくなってしまいます。

 これがパリジャンの粋な詩性表現なのでしょうか。

 この曲はその後、別な歌の道を辿りました。その生き様を比較してみましょう。

 クロクロが歌っていたヒット曲を、1960年代末、フランスを旅していた米国のポピュラー歌手ポール・アンカが耳にしました。あのロカビリー「ダイアナ」を絶唱して若い女性ファンをキャーキャーいわせた歌手です。
 ポール・アンカは英語で別な歌詞をつけ、『My Way』とタイトルを変えて、大御所のフランク・シナトラに捧げました。

 ですから『コム・ダビチュード』と『マイ・ウエイ』は、かたやフランス人の遺伝子をもち、かたや米国人の遺伝子をもった二卵性双生児のような歌なのでしょう。

 以下の邦訳『マイ・ウエイ』は岩谷時子さんの訳詞です。

(1) やがて私も この世を去るだろう
    長い年月 私は幸せに
    この旅路を 今日まで越えてきた
    いつも 私のやり方で

(2) こころ残りも 少しはあるけれど
    ひとがしなければ ならないことならば
    できる限りの 力を出してきた
    いつも 私のやり方で

(3) あなたも 見てきた
    私が したことを
    嵐もおそれず ひたすら歩いた
    いつも 私のやり方で

(4) 人を愛して 悩んだこともある
    若い頃には はげしい恋もした
    だけど私は 一度もしてはいない
    ただ卑怯な 真似だけは

(5) 人はみな いつかは
    この世を 去るだろう
    誰でも自由な 心で暮らそう
    私は 私の道を行く

 ひと昔前の結婚披露宴で新郎の男友だちに歌自慢がいると、出し物は『My Way』が定番でした。シナトラの絶唱を英語で真似て、マイ・ウエイに賭けた新郎への人生讃歌のつもりだったのでしょうが、ちょい待ちです、歌詞はどう聴いても新郎新婦の父親の人生慰労の歌、オヤジ演歌なのですね。
 岩谷時子さんファンには申し訳ないけれど、月並みな言葉ばかりで、ストーリーもどこかで何度か聞いたようなお話です。

 二卵性双生児の兄のほうは、ヒットしたとはいえ、たかだかフランス国内でのこと。
 に対して弟のほうは、シナトラの歌唱力を得てワールドワイドのミリオンセラーとなっただけでなく、世界中の歌手たちによっても愛唱され、稼ぎ出された収益総額は兄のそれをはるかに凌駕しました。

 「だからなに?(Alors quoi?)」と賢兄は、「正直に」の「ふり」をするのでした。

 (元コピーライター)
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