宗教・民族から見た同時代世界 荒木 重雄
中東政治地図を変えるか、民衆革命3年目のエジプト
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国際社会の安定に中東の安定は不可欠である。中東の安定の核心はパレスチナ
問題の行方である。そのパレスチナをめぐって昨年は、暮れに向かって大きな動
きがあった。
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◆ ガザ空爆は選挙運動!?
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ことは11月半ば、イスラエル軍が、パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマ
スの軍事部門最高幹部を空からミサイル攻撃で暗殺したのを皮切りに、ガザ全域
に大規模空爆を開始したことにはじまる。イスラエルは、ガザからのロケット弾
攻撃に「教訓を与える」ためとしたが、翌年1月に総選挙を控えたネタニヤフ政
権の支持拡大の政治的意図が明白であった。選挙前のイスラエル政府の強硬姿勢
は恒例のことで、前回、2009年1月の総選挙を前にしても、ガザを空爆、侵攻
し、1400人もの市民らを殺害している。
今回の空爆も攻撃は首相府から一般民家に及んだ。365平方キロの土地に約160
万人が住むガザは、イスラエルに境界を封鎖され、市民に逃げ場はない。8日間
の空爆で死者は160人を超え負傷者は1200人以上を数えた。死傷者の7割が子ども
と女性であった。
中東和平の主導者を任じる米国は、オバマ大統領が、空爆に自制を求めながら
もイスラエルの行動を「自衛権」の行使と支持した。だが、なにからの自衛とい
うのか。ハマスがイスラエル領内に散発的に放つ、ほとんど被害をもたらすこと
もないロケット弾に対してである。
ハマスはこのロケット弾攻撃を「占領への抵抗」と位置づける。いわば象徴的
な表現行為である。イスラエルと米国がいくら彼らをテロリストよばわりし、圧
倒的な軍事力での抑え込みを「自衛のため」と正当化しても、「占領」の実態を
ぬぐうことはできない。
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◆ 中東外交の主役が交代
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ガザとの境界線に戦車と兵員を集結して地上侵攻を窺がっていたイスラエルを
止め、停戦に導いたのは、エジプトはじめ、「アラブの春」を経たアラブ諸国の
外交力であった。
とりわけエジプトのムルシ政権は、イスラエルが空爆を開始すると直ちに駐イ
スラエル大使を召還し、他方、自国の首相をガザに派遣してハマスとパレスチナ
人民への連帯を表明した。時を置かず、アラブ連盟は緊急外相会合を招集し、10
カ国以上のアラブ諸国の外相が続々とガザ入りした。
こうしてイスラエルを孤立に追い込む一方、カイロでイスラエルとハマスの間
接協議を仲介し、8日目にして、史上初のエジプト主導による停戦を実現させた
のである。
しかも、停戦覚書には、イスラエルによるガザ攻撃、暗殺作戦の停止のみなら
ず、物流と通行の封鎖で長年「巨大な監獄」とされてきたガザの境界開放まで盛
り込まれた。
ハマスおよび近隣アラブ諸国内にイスラム同胞団を通じて密接なパイプをも
ち、他方、イスラエルに対しても外交関係を維持しながら「和平条約見直し」と
いう外交カードをもつエジプト・ムルシ政権の外交手腕は巧みであった。
「新生エジプトによる大義への歴史的な役割」と胸を張るエジプトと対照的
に、この事態になすすべなく、「ムルシ大統領の指導力に感謝する」とクリント
ン国務長官が述べるにとどまった米国との、中東外交における主役の交代をも衆
目に明らかにした場面であった。
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◆ パレスチナを「国家」に
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パレスチナの外交的勝利はその数日後にも重ねて訪れることになった。こちら
はヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府が国連総会に提出した、パレスチナの国
連参加資格を「オブザーバー機構」から「オブザーバー国家」に昇格する決議案
が、イスラエルと米国、カナダなどの反対9、棄権41を除く、賛成138の多数で採
択されたのである。
日本もめずらしく米国の意に逆らって賛成に一票を投じている。民主党政権最
後の外交行為であった。
オブザーバー国家は正式加盟と異なり投票権はないが、国際社会が「国家」と
して認めた政治的、象徴的な意味合いは大きい。また、国家を加盟資格とする国
際機関にも加盟しやすくなり、たとえば、国際刑事裁判所(ICC)に加盟が認
められれば、かねて「戦争犯罪」と訴えるイスラエルによる占領地での入植活動
をICCに提訴する道も開かれる。
国内のユダヤロビーに配慮する米国の無条件に近い支援を背景に、イスラエル
はこれまで国際社会でいかに孤立しようと自国の政策を通してきた。国際法に違
反する占領地での入植活動を続け、分離壁で街を分断し、治安維持と称して理由
を告げずにパレスチナ人を拘留し、恣意的に軍事攻撃を繰り返す。そんなイスラ
エルと米国へのせめてもの国際社会のノーが、この国連総会決議である。
だが米国は決議を「和平へのさらなる障害」と非難して、議会はパレスチナへ
の援助削減など報復措置に言及し、イスラエルは対抗措置として新たにユダヤ人
入植住宅3000戸の建設を決定した。
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◆ 中東安定に期待されるエジプト
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ガザ停戦で中東域内の安定勢力として登場したエジプトではあるが、12月に入
ると、ムルシ大統領が出した権限強化の大統領令やイスラム主義者らが起草した
とされる新憲法案およびその是非を問う国民投票をめぐって、それらに反対する
世俗・リベラル派とムスリム同胞団など大統領支持派とのあいだで大規模な衝突
が続く混乱に陥った。世俗・リベラル派が結集した野党「救国共同戦線」と政権
の妥協でようやくこぎつけた国民投票で新憲法案は承認されたものの、両派の確
執は今後につづく。
イスラム主義者の起草とはいえ、新憲法案では、イスラム法(シャリア)自体
の導入は退けてその「原則」を立法の主要な法源とするに止め、女性の権利など
で若干の議論はあるものの、信教、思想、表現の自由は保障されている。
ムバラク政権打倒では協働した両派だが、ここにきて世俗・リベラル派には、
やがて同胞団がイスラム主義を押しつけるのではないかとの警戒感に加え、革命
を達成したのは自分たちなのにその成果を横取りされたとの思いが強い。
だが、中東の安定のためには、イスラムの公正や福祉の精神を市民主義の根底
に置いた穏健なイスラム社会の拡大とそれが発する主導力、たとえばトルコとエ
ジプトなどを軸に「アラブの春」で風通しのよくなったアラブ諸国の連携が力を
もつことが期待される。
とまれ、「イスラムと民主主義の共存」の実験の行方はいまだ定かでないが、
この2月、民衆革命3年目を迎えるエジプトの動向が、パレスチナ問題と中東情勢
の行方に大きな影響をもつことは確かである。
(筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)