【コラム】中国単信(124)

中国茶文化紀行(61)

茶と酒
趙 慶春

 中国に「煙酒不分家」(タバコと酒は分けられない)という俗語がある。二大嗜好品に同時に走ってしまう人が多くいることを揶揄している言葉である。しかも、まるで「煙酒不分家」を証明するかのように、町の売店でタバコと酒はよく隣接、あるいは同じカウンターに並んでいて、いずれも中国人のお土産の「定番」になっている。
 一方、同じ飲み物の茶は酒とは「親密」な関係にはないようだ。筆者が中国で生活していた三十年ほど前には、大酒豪はお茶を飲まず、愛茶家は酒を飲まないとよく耳にしていた(真偽のほどはわからないが)。ただ客をもてなす際、「茶派」と「酒派」は現在でもあるようで、歴史を遡れば茶と酒は同じ飲み物として「ライバル」関係にあったと言える。

 人類が最初に飲み始めたのは「茶」か「酒」か? この問いに明確に答えられる人はいないだろうが、「酒」のほうが早かったと推測される。中国の雲南省には三千数百年前の大茶樹が健在だが、食物や果実が自然発酵し、酒の発見や発明に直接つながったに違いなく、「酒」の方が早く利用され始めたと考えられる。
 では、「茶」と「酒」ではどちらが重視されたのか、という問いへの回答は、躊躇なく「酒」と言える。二千数百年ほど前に「酒」はすでに人びとの嗜好品だっただけではなく、祖先祭祀、天神などの神々を祀る際に登場し、定着した。一方、「茶」はせいぜい中国西南地域の山奥の原住民の飲料に過ぎず、時に一地方の土産として中央に献上する程度だった。
 この「酒高茶低」(「酒尊茶卑」ともいう)状況は唐代まで続いたと思われるが、では唐代での「茶と酒」の「地位」関係は? いくつかの事例を挙げてみる。

 (一)陸羽は『茶経』の「十之図」に、自分が提唱している煎茶法などを図面にし、座右に掛けて、常にその図を見ながら喫茶を行うよう呼び掛けている。これは「煎茶法」の規範化をはかるための提案であったが、同時に茶(喫茶)の地位向上のための提案でもあったと思われる。なぜなら、祭祀や飲酒の作法などはすでに定着していたが、喫茶作法の規範化は成立しておらず、茶を酒と同等にするには必要と陸羽が判断したに違いないからである。

 (二)数首の唐代の茶詩を見てみよう。
 李群玉「答友人寄新茗」
满火芳香碾麹塵, 火加減よく仕上げられた芳香の茶を麹塵のような粉にひき、
呉甌湘水緑花新。 呉地の茶碗、湘水で緑の花が新しい。
愧君千里分滋味, 君が遠くから遥々その味を分けてくるのを恐縮に思い、
寄與春風酒渴人。 ちょうど春風の季節に酒で渇いている人に送ってきたよ。
 路半千《賞春》
……
呼童遠取溪心水, 童を呼んで遠い溪心の水を取りに行かせ、
待客来煎柳眼茶。 客が来るのを待って柳眼茶を煎じる。
 鄭巢「秋日陪姚郎中登郡中南亭」
……
隔石嘗茶坐, 石を隔てて茶を味わいながら座り、
当山抱瑟吟。 山にむかい瑟を抱いて吟じる。
誰知瀟洒意, この瀟洒な意趣を誰が知っているか、
不似有朝簪。 宮廷に仕える任がある時と似ていない。
 李遠「贈潼関不下山僧」
……
窓中遥指三千界, 窓の中から遥か三千界を指し、
枕上斜看百二関。 枕の上から百二の関を斜め眺める。
香茗一甌従此别, 香茗一甌を以てこれから別れるが、
転蓬流水幾時還。 流れに任せる船はいつ戻ってくるか?

 上記の諸詩から茶は唐代ではすでに贈答品にも、客のもてなしにも、送別にも、知人との小旅行にも用いられていたことがわかる。つまり、酒と同等に生活に普及、定着していた。

 (三)唐代の建中三年(782年)に史上初めて茶税が設けられた。つまり茶はその生産と消費がかなりの規模になり、国の経済に貢献し始めたことを意味する。

 (四)唐代の郷貢進士である王敷は『茶酒論』を著した。擬人化された「茶」と「酒」が人間に重要視され、より人気があり格上なのはどちらかで言い争い、自己主張を展開していく内容である。「茶」と「酒」の論争は平行線でどちらも譲らず、最後に第三者の「水」が登場し、「水」がなければ「茶」も「酒」も成り立たないとして、「水」こそがもっとも重要と締めくくっている。
 『茶酒論』では、表面上「引き分け」となっているが、「茶」が「酒」と肩を並べたとも言える。しかし、この『茶酒論』には「茶」と「酒」の「貴賤」(値段)に関する箇所が複数出てくる。
 ……
酒乃出来:可笑詞説! 酒が出てきて言う:可笑しい説だ。
自古之今,茶賤酒貴。 昔からずっと茶は安く、酒は高い。
 ……
 酒為茶曰:     酒が茶に向かって言う、
三文一罐,何年得富? (茶は)三文で一罐も買える、何年で富が得られるか?
酒通貴人,公卿所慕。 酒は貴人に通じ、公卿が羨むところである。
……
酒為茶曰:         酒が茶に向かって言う:
豈不見古人才子,吟詩尽道: 古代の才子を見なかったか、詩を吟じて皆が言うには:
渇来一盞,能養性命。    渇いたら酒を一献、生命を養うことができる。
又道:酒是消愁薬。     また言った:酒は憂いを消す薬だと。
又道:酒能養賢。      また言った:酒は賢人を育てることができると。
古人糟粕,今乃流伝。    茶は古人の酒粕のようなもので今ようやく流行ってきた。
茶賤三文五碗,       茶は安くて三文で五碗になり、
酒賤盅半七文。       酒は安くても半盅(杯)で七文になる。
致酒謝坐,礼譲周旋。    酒を致され、座するを感謝し、謙譲礼儀を以て応対する。
国家音楽,本為酒泉。    国家音楽、もともと酒の泉により成り立った。
終朝喫你茶水,       終日お前の茶を喫して、
敢動些些管弦!       すこしでも楽器を動かせるか?
 ……
 上記の論述はすべて酒が発した言葉だが、三度も「酒貴茶賤」が言われており、唐代では茶はまだ安価で、酒は茶より高い嗜好品だったことは間違いない。
総合的に見れば、どうやら唐代になると「茶」はようやく「酒」と同じ土俵に上がったものの、あとすこし「酒」に及ばなかったようである。
2402茶 
 (写真:中国のレストランにはたいていこのような酒コーナーがある。酒は利益率のよい商品で、一方、お茶は無料で提供しているところが多い。日本も似ている状況だと言える)

(2024.2.20)
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