【コラム】中国単信(118)

中国茶文化紀行(55)宋代の添加茶(7)乳と肉も茶の世界に 

趙 慶春

 茶湯の中にほかの飲食物を加える方法の歴史は長い。添加物には各地域の飲食習慣、気候風土によって異なり、地域の特産品なども用いられて独自の喫茶文化を形成してきた。「ピーナッツ、ゴマ、生姜、炒り米、野菜ないし漢方薬草」を添加する「擂茶」を南方の代表格とすれば、モンゴル奶茶のように「各種乳製品、肉類」を添加するのは北方少数民族喫茶の特色である。

 「乳」には「牛乳、馬乳、羊乳、駱駝乳」だけではなく、各種の乳製品も含まれる。たとえば唐代の茶詩に見える「酥」も乳製品の一つである。搾った牛乳を1~2日置くと、その表面に膜状、あるいは柔らかい固体状の塊ができる。それが「奶嚼克」(nai jiao ke・ナイ ジアオ カ)、または「奶嚼口」(nai jiao kou・ナイ ジアオ コウ)と呼ばれる。「奶嚼克」を加熱して液状化・エキス化したのが「酥」であり、「黄油」(huang you・フアン ヨウ)あるいは「酥油」(su you・スーヨウ)ともいう。日本の『本草和名』、『和名抄』、『医心方』などが中国の文献を引用して「蘇」(「酥」)について、牛乳から酪、酪から蘇、蘇から醍醐が作られ、酪はニウノカユと呼ばれ、蘇は黄白色をしており、醍醐は蘇をさらに精製した液汁と説明されている。つまり「酥」は乳製品の中でも高級品で、「酥」は宋代でも茶人に愛用されていた。いくつかの例を見てみよう。

 張商英の『高光堡道中』詩に
 柳葉依墙密,  柳葉が壁に依り密になり、
 溪流刷石斜。  渓流は石を削りて斜めなり。
 土氓尊使者,  土地の者は使者を尊び、
 再拜饋酥茶。  丁寧に再拝して酥茶を供する。

 とある。

 陸游の『戯詠山家食品』詩に「牛乳抨酥瀹茗芽,蜂房分蜜漬棕花。」(牛乳を搗いて酥を精錬し出して茗芽を淹れ、蜂の巣から蜂蜜を採ってヤシの花を漬ける。)とある。
 虞俦の『以酥煎小龍団因成』詩に「蟹眼已收魚眼出,酥花翻作乳花団。」(茶を煮だすための湯が沸騰していく途中で、蟹眼のような気泡が消え、魚眼のような気泡が出ると、酥を入れて花のように引っくり返して、乳の花の一団を作り出す。)とある。

 方鴻飛の『宣妙楼』詩に

 人鎖昼房聴鳥語, 昼に部屋を閉じて鳥の鳴き声を聞く、
 僧帰晚塢放蜂衙。 僧侶が帰って夜の村は蜂を放したように賑やかになった。
 不須老遠来沽酒, 遠くから遥々酒を買いに来る必要がなく、
 只覓天酥為点茶。 ただ茶を点てるために天酥を求める。

 とある。

 茶の湯に酥をいれる作法は唐代にすでにあり、宋代はこれを受け継いだと言えるが、単に継承しただけではなく、乳製品利用の幅を広げたのである。
 虞俦の『有懐広文俞同年』詩に「客来愧乏牛心炙,茶罷空堆馬乳盤。」(客が来て火で炙った牛の心臓がないことを恥じ、茶を飲み終わると空の馬乳の皿が重なっている。)とある。
 茶に馬乳を入れていたことがわかるが、モンゴルなどの遊牧民族には、馬乳は別格の存在で、牛乳などの十倍以上の高値だった。それだけ茶を大事にしていた証拠である。
 劉攽の『王仲至使北』詩に「茗粥迩来誇湩酪,毡裘仍自愧綿繒。」(茶粥は古くから湩酪を誇りに、毡裘はやはり今でも綿繒に頼る。)とある。
 「湩」は馬乳のことである。「酪」については劉辰翁の『和答李德臣』詩などの使用例がある。「味言随時変,茗薄酪自濃。」(味と言えば随時変わるし、茶が薄ければ中に添加した酪の味は自然に濃くなる)とある。
 「酪」はすこし曖昧な概念だが、唐宋時代に恐らく「鮮乳」と「酥」以外のほぼすべての乳製品の総称として用いられていたと思われる。数日間、自然保存した液体の「陳乳」、半液体のヨーグルト類、そして中国語の「奶嚼克」、「奶皮子」、「鮮奶豆腐」、「干奶豆腐」などを含む各種のチーズ類の総称だと思われる。
画像の説明 
 (各種の「酪」はモンゴル族の喫茶に絶対欠かせないものである)
 
  宋代茶の添加物はやがて乳製品に留まらず、肉類にまで拡大していった。
 劉一止の『允迪以羊膏瀹茗飲吕景実景実有詩歎賞僕意未然輙次原韻』詩に

「精金不受釧釵辱, 精金にとって腕輪やかんざしにされるのは侮辱である、
 瑞草何曾取膏腹。 瑞草と称される茶は嘗て肉や脂肪類を取り入れたことがあるか?
 乳花粥面名已非, 乳花や粥面などの名前が残っているものの本質はもう変わり、
 薦以羊肪何太俗。 茶に羊肪をいれるとは甚だしく俗っぽい。」とある。

 「羊肪」は恐らく「羊(膏)酒」の「羊膏」と同じく、羊の脂肪を含む羊肉類のことだろう。現代のモンゴル奶茶には羊肉か牛肉いずれかが入るが、宋代からの継承だと思われる。
  これらの添加物はモンゴル族、あるいはチベット族のような北方あるいは高山遊牧民族たちの牧畜産業地域の特有な文化現象だろう。地元の特産物を茶の湯に入れることは世界各地で見られ、遊牧地域で「乳製品や肉が茶に取り入れられる」のは自然の流れだと言える。しかし、宋代ではまだ受け入れられなかったようである。
 梅尭臣の『次韻和永叔嘗新茶雑言』詩に

  造成小餅若帯銙, 北苑貢茶場の帯銙茶のような小餅茶を造成し、
  闘浮闘色傾夷華。 泡や色で闘茶を行い、中華世界も蛮夷世界も傾倒させた。
  味甘回甘竟日在, 甘い味と甘い後味が口中に長く残り、
  不比苦硬令舌窊。 舌を怯ませる苦い茶は及びもつかない。
  此等莫与北俗道, このような喫茶法を北の民族に言うべからず、
  只解白土和脂麻。 彼らの喫茶はただ白土とゴマを知っているのみである。

 とある。

 「白土」は恐らく「干奶豆腐」という乾燥チーズの粉であろう。
 また、蘇轍の『和子瞻煎茶』詩に「又不見北方俚人茗飲無不有、塩酪椒姜誇满口。」(北方人の茶を見たことがないか?塩酪椒姜など入れない物がなく、しきりに自慢している。)とある。梅尭臣と蘇轍のこの二首を見ると、北方特有の喫茶法に納得せず、軽視さえしていることが伝わってくる。
 「茶の湯になんでも入れる」ことは現在のモンゴル奶茶を見ればわかる。だが、「塩酪椒姜」の中で「塩、椒、姜」は伝統的な添加物である。つまり、梅尭臣や蘇轍の文人たちには北方少数民族特産品の乳製品の「酪」だけが受け入れがたかったのである。
 一方、「乳と肉の添加茶」はモンゴル族の世界制覇とともに現在の中央アジア、ロシア及び欧州の一部に広まったことは見逃せない。これは茶の陸上ルートの大伝播である。一方、イギリス紅茶を代表とする「紅茶に砂糖、ミルクを入れる」喫茶習慣はこの後の海上ルート大伝播によるものである。これについてまた次の機会に紹介する。
 
 大学教員

(2023.8.20)
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