【コラム】
中国単信(85)

中国茶文化紀行(22)中国宋代茶復古点茶実験
末茶だけではなく茶湯を点てる点茶が日本に生きている

趙 慶春

 前回、製品茶(固形茶と散茶ともに)を粉にして、沫を点てる実験結果を報告した。そしてばらばらの散茶に湯を注いで、その浸出液を茶筅で点てて、どのような沫が得られるかも検証した。

 以前にも紹介したように、現在、中国には製品茶を胡麻など、他の食品と一緒に擂り潰して、湯を注いで混ぜて飲む「擂茶」や、茶を煮込んでミルクなどを入れて飲む「奶茶」(「奶」はミルクないし乳製品を指す)もある。しかし、日本のような「末茶」(茶の粉)を利用した喫茶法は存在しないと言っていいだろう。「擂茶」や「奶茶」、及びこの類の喫茶法は基本的に少数民族地域の喫茶法で、中国喫茶の主流ではない。中国ではやはり茶に湯を注いで「浸出液」を飲む方法が主流である。ただし点茶実験を試みたのは「主流」だからではなく、宋代に存在した喫茶法だったからである。

 ここで、宋代の許景衡の詩句を見てみたい。『王義夫召飯鳌山亭詩』に「麦破銀丝浄,茶烹玉蘂浮」(麦が発破し銀糸が清らかなり、茶を烹して玉蘂が浮ぶ)とある。ここの「玉蘂」とは、茶の芽を指していると思われ、「玉蘂」が茶の湯に浮かぶとあるので、この喫茶法は茶の粉を使う末茶法ではない(つまり茶の浸出液を飲む)。
 また、宋代より前の唐代にすでに「散茶」が出現していたが、唐代では、その散茶を恐らく陸羽が推奨していた「煎茶法」で、つまり鍋で煮込んでその浸出液を飲む手法が採られていたと思われる。そのため宋代では、茶を点てる「点茶法」が流行したが、茶の粉ではなく、茶の湯(浸出液)も点てようという発想に至るのはさほど不自然ではなく、茶の湯も点てたと考えたほうが妥当だろう。

 さらに、宋代の「点茶」用の茶粉は贅沢三昧の宮廷を除けば、官営の「水磨場」での大量生産であり、数千トンにも及んだと思われる。こうした大量生産、茶磨(茶臼)の品質程度、茶粉の短時間の加工などを総合的に考えれば、宋代の茶粉は恐らく日本茶道用のパウダー状の末茶ほどの細かさは得られず、現在の日本の粉茶、ないしは廉価な煎茶に近い状態だったと推測される。この点でも日本の煎茶を含めて散茶の茶湯(浸出液)で「沫を点てる」実験を行う価値がある。

 実は日本には、茶の粉を使う末茶道だけではなく、茶湯を点てて沫まで楽しむ「点茶」もあるため、先ずは現在も生きている「茶湯点茶」とその「沫志向」を紹介しておきたい。
 その代表格は富山県朝日町のバタバタ茶である。
 清原為芳の『仏教民俗―バタバタ茶』によれば、朝日町バタバタ茶の起源に関する文献はなく定かではないが、中国伝来で少なくとも2~300年の歴史を持つようだ。また、この紹介パンフレットと筆者の現地調査から、朝日町バタバタ茶はかなり数奇な運命を辿っている。

 バタバタ茶は昭和53年(1973年)に裏千家茶道誌『淡交』に取り上げられて初めて全国的にその存在が知られるようになった。当時は仏教活動のお講の一環として振舞われていたが、次第に命日など冠婚葬祭時の会合行事として、女性主体で皆が一緒に楽しむ飲み物になった。
 現在では、バタバタ茶集会の準備を敬遠する若い女性が増え、以前のような各家庭でのバタバタ茶会合が減ってしまった。そのため、伝統民俗文化を守ろうと「蛭谷バタバタ茶伝承館」で再び定期的な喫茶集会が開催され、(1)個々の家庭の日常喫茶より茶会形式の開催(2)順番制で茶の準備及び茶受けの用意を担当する、というバタバタ茶の文化的特徴を継承している。

 このバタバタ茶というのは、日本に珍しい後発酵の黒茶で、二番茶を摘んでその後に伸びた葉を使用して9月に製茶を行う。摘んできた葉を蒸して「殺青」する。揉捻後、筵や特製の発酵槽の上に20~30センチの高さに堆積し、自然後発酵させる。20日~24日後、庭で筵の上に広げて日干して、できあがる。

 朝日町で飲まれているバタバタ茶は最初、福井県三方町から買い求めていたが、1976年三方町がこの黒茶の製造を中止したため、富山県小杉町青井谷の萩原昭信氏が福井で製茶技術の伝習を受け、黒茶を復活させた。しかし、バタバタ茶用の黒茶製造はこの荻原氏のみだった。
 この状況を危惧し、また「朝日町の文化・風習として残していくためには、茶葉も自分たちの町で作っていかなければ」という一心で、朝日町の村おこし協議会は黒茶の製造に取り組み、十年ほどの試行錯誤を経てようやく成功すると、萩原昭信氏が高齢から黒茶製造をやめた。いわば、朝日町はぎりぎりのところで伝統を守ったと言える。バタバタ茶の数奇な運命に驚くと同時に伝統文化の強い生命力に感服せざるをえない。

 バタバタ茶を飲む手順はおよそ以下の通りである。

 1 茶の葉を2~30グラムほど専用の袋に入れて、鍋で煮込む。

画像の説明

 2 1時間ほど煮込んだ茶の湯を柄杓で汲んで五郎八茶碗に3分程入れる。

画像の説明

 3 以前は少量の塩を入れたが、今は入れないのが主流になっているようだ。

 4 夫婦茶筅で泡が立つように、茶を点てる。

画像の説明

 5、山菜、豆、沢庵など漬物という茶受を食べながら、バタバタ茶を飲む。

画像の説明

 日本には泡を点てる喫茶法は他地域にも見られる。例えば、朝日町に近い新潟県糸魚川市のタテ茶(別名:バタバタ茶)や島根県松江市のぼてぼて茶などで、いずれも塩以外の他の食べ物を入れる。例えば、タテ茶は大豆、麦茶、番茶、茶の花のブレンドである。ぼてぼて茶はご飯、漬物、煮物などと混ぜて飲む。その意味では、朝日町のバタバタ茶は中国宋代の点茶に一番近いと思われる。
 バタバタ茶を紹介してきたが、以下の二点が注目に値する。

 1 バタバタ茶は茶の末ではなく、茶の浸出液で泡を点てる。
 2 バタバタ茶喫茶法は茶の泡を点てるが、宋代茶人のようにその泡を鑑賞したり、弄んだり、その沫で勝負することはしない。沫を点てることで茶の味をまろやかにし、沫までの美味さを追求する審美志向である。

 つまり朝日町のバタバタ茶は茶湯(茶の浸出液)を点てる「点茶」の〝生きた化石〟に成り得る存在だと思われる。そして、朝日町の人々は沫を点てると茶の味がまろやかになると異口同音に言うが、これは中国から伝入した当初からの目的だったのか? 仏事の一環として振舞われていたバタバタ茶は中国の寺院点茶に何か関係があるのか? 宋代点茶を究明するためにはこれらの謎解きが必要になりそうである。

 (大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧