【コラム】
中国単信(84)

中国茶文化紀行(21)現代中国茶で白い茶沫が得られるか?

趙 慶春

 史料に記載されている、宋代茶人の好みの「白い沫」が得られるかを検証するため、現在、中国で飲まれている茶を使って、点茶を試みた。

 中国の現代茶は緑茶、紅茶、白茶、黄茶、ウーロン茶(青茶)、黒茶など6種類があり、その製造方法も多様で、宋代にはなかった製茶法で作られる製品もある。ただし、日本の「覆下園」(茶畑に覆いをかぶせて日光を遮断する栽培方法)のような技術で作られた茶はない。
 また、種類が多く、製品茶の形状もさまざまで、珠形、勾玉形、棒形、平形、円柱形、円盤形、レンガ形、頭形、饅頭形、キノコ形、不規則形等々である。ただし、これら中国現代茶の形を集約すると、ばらけた状態の「散茶」と塊の状態の「固形茶」(古代で団餅茶と呼ばれた)の2種類である。
 ティーパック用の細かい粒状の茶もあるが、日本茶道で幅広く使われている粉状態の「抹茶」は基本的にない。つい最近、古代茶(特に宋代茶)復古意識が芽生え、試みに「末茶(粉茶)」も少量作られているが、普及には程遠い。さらに「茶道」というものが基本的にない中国には、茶道用の抹茶にする前の「碾茶」もない。

 このような中国茶の現状なのだが、中国茶で茶道のように茶を点てると、宋代に一世風靡した「白い沫」が得られるかを検証してみた。
 検証のために、まず茶を粉にする必要がある。茶を粉にする道具は、写真にあるようにすり鉢、電動茶臼(家庭用臼式お茶粉末器)、篩い及び付属道具としての受け皿、刷毛など、すべて市販品である。

画像の説明
 *)コメントは写真の位置に合わせて。必要なら改行してスペースを入れる

写真1:すり鉢で茶を磨り潰す  写真2:電動茶臼で磨り潰した茶を粉にする

画像の説明

            

写真3:電動茶臼でできた茶の粉がまだ荒い  写真4:篩でさらに細かい粉にする

 実験した茶の数が限られているが、今まで点てた現代中国茶で粉の色はおおよそ二種類である。一つは写真3の「茶色」。もう一つは写真5、6のような「深い黄緑色」である。

画像の説明

               

写真5:中国雲南文山地域「烤茶」用の緑茶の粉  写真6:黄茶である蒙頂黄芽の粉

 まだ実験件数が少なく、結論を出すには至ってないが、これまでの「中間結論」としては緑茶、白茶、黄茶、ウーロン茶の散茶は基本的に「深い黄緑色」となり、紅茶、黒茶、特に固形茶はほぼ「茶色」となる。
 ついでに記しておくと、「西湖龍井」「太平猴魁」など中国の釜炒り緑茶を粉にすると、より高い香りを放つ。この点は製品茶、茶の湯いずれよりも上を行く。上品で濃厚な、より脳細胞を刺激するような香である。点茶のためでなく、その香りを楽しむためだけでも茶を粉にする価値があると思われるほどである。
 唐代の白居易は「謝李六郎中寄新蜀茶」という有名な茶詩を残している。

  故情周匝向交親、  古い友情がゆきわたって親交たる私に向かい、
  新茗分張及病身。  新茗の寄贈が病気のわが身に及んだ。
  紅紙一封書後信、  手紙とともに、一通の紅い紙の小包があり、
  緑芽十片火前春。  十片の火前(寒食禁火の前)の緑芽餅茶が入れてある。
  湯添勺水煎魚眼、  湯には一勺の水を添えて魚眼を煎じ、
  末下刀圭撹麴塵。  茶末を刀圭で入れて麴塵をかきまわす。
  不寄他人先寄我、  他人に送らず先ず私に送るのは、
  応縁我是別茶人。  私が茶を識別できるからであろう。

 詩中の「麴塵」はまさに写真5のような茶の粉を言っているではないかと思われる。

 本題に戻るが、日本の「緑」の抹茶よりも深い色の「深い黄緑色」と「茶色」の粉で白い沫は得られるのだろうか。
 まず、日本茶道の下記の手順で点ててみた。
 (1)茶の粉を茶碗に入れる。
 (2)すこし湯を入れて、粉を練る。
 (3)さらに湯を入れてかき混ぜる。
 この点て方では「白い沫」が得られなかった。

画像の説明

写真7と8:緑茶「太平猴魁」の粉と沫

 写真7と8でわかるように、この点て方では沫が茶の粉と似ていて、「白」からは程遠い。また、茶の湯に滓が入ったようでまったく沫が立たないことが多かった。恐らく茶の粉が荒く、パウダーのような細かさに達していないせいだと思われる。
 ここで、二つの「改良」を加えた。
 一つは茶の粉をより細かくすることである。

画像の説明

写真9:二度篩に使用したフィルター

 写真9の道具の正式名称は不詳。「かご網」「フィルター イン ボトル」などの名称があるようだが。要するに冷茶を作るためにボトルの中に入った「茶漉し」である。この道具を使って、一度篩にかけた茶の粉をもう一度篩って、より細かくした。今回の「点茶実験」では許す限り市販品を使いたいので、あえてこの道具を選んだ。

 そして、もう一つは「点て方」の改良である。
 茶の粉を練った後、七回に分けてこまめに湯を注ぎ、撹拌を繰り返した。この点て方は改良というより、宋代の茶書で紹介されている点て方で、それに忠実に従った。宋代の徽宗皇帝は『大観茶論』の中でこの「七湯法」を詳しく紹介している。

画像の説明
写真10~12:「七湯法」による湯を注ぐ回数の増加に連れ、茶沫の色が変化

画像の説明

写真13:「七湯法」の一回目の色  写真14:「七湯法」の七回目の色

 写真10~12は「同慶号普洱(プーアル)生餅茶」の粉を4g、最終的に湯を400ccほど使って点てたものである。写真13と14は同じ「同慶号普洱(プーアル)生餅茶」の粉を1.5g、最終的に湯を200ccほど使って点てたものである。湯を注ぐ回数を重ねて繰り返し点てた結果、茶の沫が白くなっていくことがはっきりわかる。写真14の右側のコップに入っているのが市販の豆乳である。茶の沫と豆乳の色を比べると、「七湯法」による茶の沫は多少、黄色気味だが、宋代茶書の所謂「黄白」だと言っていいだろう。

 これまでの実験で一番「白」に近いのは上記写真10~14の「黄白」である。「純白」は得られなかったが、より細かい篩を使い、日本抹茶ほどのパウダー状の茶粉を使えば、「純白」の茶沫が得られるとの確信が得られた。
 また、宋代の北苑貢茶を始めとする良質の茶はその製茶法として、蒸した後、水をかけて搾り出すという工程を十数回繰り返すと記されている。つまり、点茶用宋代茶は茶の植物汁がかなり搾り出され、色が薄くなっていると推測され、宋代点茶は元々白くなりやすい属性を持つに至っていると言えそうである。こう考えると、この実験での「黄白」茶沫再現は宋代点茶の実証に近づいたと思われる。

 宋代茶人が挙げていた「茶粉と湯のバランス」の難しさや、七回に分けて湯を注ぐ「コツ」はいずれも沫の「形」だけではなく、「色」にも、いや、むしろ「色」により着目した結果だったのである。
 今までの実験では、まったく沫が立たない茶や、色が白くならない茶などが多数あったが、最も「白」に近い結果を得たのは、上記写真で紹介した「同慶号普洱(プーアル)生餅茶」である。プーアル茶はしばしば「黒茶」に分類されるが、「生餅」とは緑茶の経年ものであり、蒸す工程もあり、固形茶にするなどの点から、実に興味深いことに、現代中国茶の中で比較的宋代団餅茶に近い存在なのである。

 (大学教員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧