【コラム】
中国単信(82)

中国茶文化紀行(19)闘茶③ 宋代「闘茶」から見えるもの

趙 慶春

 唐の時代に茶産地同士が一堂に会して、「色、香、味」などの品質を競う闘茶については紹介したことがある。たとえば、唐代顧渚貢茶院の茶産出地である湖州と常州は毎年「闘茶」を行い、勝者の茶を皇帝に献上する慣習があった。
 前回紹介した宋代の「闘茶」も茶産地同士の「闘茶」であり、その後、全国の愛茶家、文人、僧侶、官僚、やがては皇帝にまで広まっていった。宋代の闘茶は泡の形、美しさ、持久力などが勝負の分かれ目となったが、「泡」は宋代の点茶で生まれた独特の審美感となり、宋代の茶人たちは「泡」も茶品質の一部だと考えていた。

 現代では「闘茶」という言葉は使われなくなっているが、「茶品評会」などとして茶品質を競うことは行われている。たとえば、1970年代に国際市場を失った台湾では、茶業界が「茶品評会」などのイベントを始めて喫茶ブームを起こし、台湾島内の喫茶習慣を定着させるのに成功したと言われている。現在、台湾茶産地での「茶品評会」は、恒例イベントになっている。

 「闘茶」は茶産地や喫茶文化と深く関わっていて、時代ごとに闘茶の勝負基準があり、それがその時代の茶品質の判断基準になっていたことは間違いない。現代の「茶品評会」は国、地域、産出茶の種類によって、判断方法や判断基準も多少異なるが、おおよそ、以下の5項目で茶の品質を判断することになっている。
 (1)(乾燥の)茶の外観、(2)茶の湯の色、(3)茶の湯の香、(4)茶の湯の味、(5)「葉底」、つまり淹れた後の茶葉の様態である。

 上記(1)から(5)までの順番は中国共通であり、「茶品評会」での実際の鑑定順でもある。(5)を行わない国や地域もあるが、現代の「茶品評」について、以下の4点を強調しておきたい。

 1 世界の茶は大別すると6種類である。緑茶、白茶、黄茶、青茶(ウーロン茶)、紅茶、黒茶(後発酵茶)である。茶の種類が異なると、外観も色も香も味も異なる。たとえば、日本緑茶の茶の湯の色は大体翠緑、中国緑茶の茶の湯の色は大体黄緑、紅茶の茶の湯の色は赤で、煮込んだ黒茶の色は黒っぽい。そのため、異なる品種の茶を同じ土俵に上がらせることはしない。台湾では、同じウーロン茶でも、発酵度が低い文山包種茶と、発酵度の高い東方美人茶を同じ「茶品評会」で競うことはしない。

 2 どの「茶品評会」もそうだが、茶に湯を注ぐと5分間と「長く」浸けるのが一般的である。茶の葉の「成分」を出し切って、茶の品質を見極めるためなのだが、苦み、渋みも出てしまい、茶の品質を鑑定する「茶品評会」ではあるが、茶の味は最高に美味しい状態ではないケースがほとんどである。

 3 「品評会」という勝負の世界なので、平等な戦いが求められ、出品されるすべての茶が同じ条件で扱われる。上記の「淹れる時間」も含めて、「使う茶の量」、「淹れる道具」、「淹れ方」、「淹れる手順」、「使用する水」、「お湯の温度」、さらには「現場の照明」、「室温」などの条件がすべて同じでなければならない。

 4 判定項目、淹れ方がほぼ同じであるため、それぞれが独自に開発したはずの「品評用具」が似通ったものになる。たとえば、「色」を確かめる必要から「白い」茶具が使われる。

 では、宋代の「闘茶」はどうであったろうか。

 1 宋代の点茶も闘茶も、史料によれば、基本的に茶を粉末にする。宋代では、まだ6種類の茶分類法は確立しておらず、白茶、黄茶、ウーロン茶、紅茶、黒茶などもなく、茶はすべて緑茶だと思われる。ただし、茶の形は塊の固形茶とばらばらの散茶があった。固形茶でも散茶でも粉末にすれば闘茶はできるので、確かな史料はないが、理屈上では「固形茶」と「散茶」の異質勝負はあり得た。

 2 泡、形、美しさ、持久力が競われ、それが「唯一」の基準だった。茶の品質を見極める意識は薄く、いかに「よい泡」を点てるかに視点が注がれていた。「よい泡」を点てる方法、手段はなんでもよく、同じ条件に拘る必要はなかった。歴史上の闘茶例として、最上の茶に天下第二泉とされる「恵山泉」の水を使った蔡襄が、茶自体は劣るものの「竹瀝水」を使った蘇舜元に敗れたという逸話はその論拠になるだろう。つまり、平等の条件でなくても良かったのである。

 この点、現代の「茶品評会」とは、少なくとも以下の相違点がある。

 (1)茶の使用料は一定でなく統一もない。
 『大観茶論』などの茶書によれば、茶末の量と水のバランスは点茶、あるいは闘茶での鍵になる。言い換えれば、その分量とバランスが勝負を決めることになった。そのため闘茶では、茶末の使用量を規定していなかったと思われる。

 (2)手前動作(宋代点茶は点て方、現代は淹れ方)の重要度が異なる。
 現代の「茶品評会」は同じ条件なので、「茶品評」ルールブックを調べても、手前に関する記述がないに等しい。要するに、すべての茶に対して同じ淹れ方さえすれば、手前は重要ではないと言える。しかし、宋代の闘茶が追求しているのは「泡」という結果である。

 「泡」に関わる決定的な要素は大きく分けると〈1〉茶、水、道具など物理的な要素。〈2〉「手前」という技術的な要素である。〈1〉はお金さえあれば、手に入れられるので、闘茶者にとって他力の部分と言える。しかし、〈2〉はみずからの技術力が求められ、宋代闘茶は「手前」の勝負になった。
 ただし、筆者が宋代茶詩を調べた結果、闘茶だけではなく、点茶を含めて、その「手前」に関する記述は「攪、撃、払、撥」など動詞だけで、詳細な描写や記述がない。「点茶の手前」は重要なのに、詳細な記述がないのは、恐らく勝つために自分の手前のコツなどはむしろ秘匿する必要があったのだろう。また、茶や湯の量のバランスに合わせる都合もあり、記述しにくい面もあったと思われる。

 ちなみに、明の時代(1369年~1644年)になると、散茶に湯を注ぎ、浸出液を飲む、いわゆる「撮泡法」が主流になって、手前の重要性が一気に失われ、現代「茶品評会」の「手前無視」につながったと思われる。

 (3)色・香・味の中で「色」をより重視した。
 宋代闘茶は「泡」で勝負するが、その「泡」に関する判断基準はおよそ「持久力」(先に消えるほうが負け)、「形」(張力があり茶碗の壁にくっ付くなど)と「色」(白を最上とする)である。よって、宋代には「茶色尚白」(茶の泡の色は白を尊ぶ)という審美意識が生まれた。
 「白」を重視するため、その「白」を際立たせるために黒い茶碗が好まれるようになり、宋代闘茶で「黒い茶碗」は唯一の共通項と言えるだろう。

 現代の「茶品評会」での審査ポイントは前述したように、(1)外観(2)色(3)香(4)味(5)「葉底」である。宋代闘茶では、茶を粉末にするので、(1)の外観と(5)の葉底は存在しない。そして、「色・香・味」の中で「色」を重視し、「香と味」を軽視していた。

 しかし、茶はあくまで「飲み物」である。闘茶でない場合、宋代の茶人たちは茶の「香と味」を重視していたのだろうか? そもそも宋代茶の「色・香・味」はどんなものだったのだろうか?「色・香・味」三者に関連性があるのだろうか? そして、日本茶道のように茶末を点てて白い泡が得られたのだろうか?
 これらの「疑問」については、点茶実験の結果を以て紹介したい。

 (大学教員)

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