【コラム】
中国単信(79)
中国茶文化紀行(16) 「茶法から点茶法へ」
中国では唐時代を喫茶文化の確立期だと見なしている。その理由は、茶聖陸羽が世界最初の茶書である『茶経』を著し、喫茶文化のシステムを構築したからにほかならない。そして、陸羽が提唱し、唐代の主流となった喫茶法は「煎茶法」、あるいは「煮茶法」と呼ばれているものである。その主な手前は以下の通りである。
(1)「団茶」とも「餅茶」とも呼ばれる固形茶を粉にする。
(2)茶の粉を絶好の湯加減のときに鍋に入れる。
(3)鍋の中で茶の湯をかき混ぜる。
(4)混ぜ終わった茶の湯を茶碗に入れて飲む。
唐朝が滅びると、王権分裂状態の五代十国期を挟んで、宋朝時代を迎えた。中国では宋代を喫茶文化の最高峰と見る人が少なくない。その理由は高度な製造技術を誇る北苑貢茶より、むしろ鑑賞性にも遊芸性にも富んだ「点茶法」にあると思われる。
宋代で主流となった「点茶法」の手前は以下のとおりである。
(1)固形茶を粉にする。
(2)茶の粉を当時茶盞とも茶甌とも呼ばれていた茶碗に入れて、すこし湯を注いで、茶の粉を練る。
(3)湯瓶という湯沸かしポットで茶碗に湯を注ぎながら、茶匙あるいは茶筅で茶の湯をかき混ぜる。
(4)茶の湯の表面にできた泡を楽しんだ後、飲む。
宋代のこの「点茶法」が日本に伝えられ、日本茶道の源となり、さらに日本的な文化も加えられて、現在の日本の茶道となり、日本の伝統文化の代表格にまでなったのである。
ところで、中国の喫茶史に目を向けると、唐代の「煮茶法」から宋代の「点茶法」へという喫茶法の変化を生み出すきっかけは何であったのだろうか?
次の資料は、この疑問を解く糸口を与えてくれる。
五代十国・北宋初年の陶谷は彼の『清異録』(『茗荈録』ともいう)に、次のように記している。
「漏影春法,用縷紙貼盞,糁茶而去紙,偽為花身。别以荔肉為葉,松実、鴨脚之類珍物為蕊,沸湯点攪。」――「漏影春」という喫茶法とは、切り紙を茶盞(の内側)に貼り、茶(の粉)をその上に撒いて切り紙を取る。(茶盞の内側の壁に残った切り紙模様の茶の粉の上に)ライチの実で葉を作り、松の実や銀杏などの珍品で花蕊を作る。沸騰した湯を注いで、点てたり、かき混ぜたりする。
この記録は言葉こそ短くて簡潔だが、曖昧さがなく、再現性の高いものである。明らかにこの「漏影春」喫茶法は、渇きをいやす目的の喫茶と違い、茶の美味しさを一番大事にする現代中国茶芸の喫茶法とも、修行性を重視する日本茶道の手前とも違い、遊芸性を追求する遊び心に富むものである。この「漏影春」喫茶法のポイントとその影響を整理してみよう。
(1)遊芸性を追求するため、火の上に据えた大きめの鍋より、小さく軽くて、しかも直接加熱しないため、移動も簡単な茶碗が好都合だった。つまり、この遊び心こそが茶碗で茶を点てるきっかけになった。
そして、喫茶手前の場所、あるいは道具を鍋から茶碗に変えたことにより、立場が異なる茶を入れる主人側と茶を飲む客側の距離を縮め、一体感を生じさせただけでなく、喫茶手前の可視性だけでなく、鑑賞性も向上させた。
(2)前にも紹介したように、唐代の「煮茶法」でも茶の粉を鍋に入れた後、茶の湯をかき混ぜる手順があった。ただし、その目的は茶の粉をよく溶けさせるためであった。しかし、「漏影春」喫茶法では、茶の粉のほかに、ライチの実、松の実、銀杏などを入れるため、適度に混ぜ合わせ、よくかき混ぜる必要があった。これは日本茶道もそうだが、茶筅をよく振る(「点てる」)手前誕生のきっかけ、つまり、「点茶法」誕生のきっかけになったと考えられる。
(3)「かき混ぜる」行為、つまり「点茶」の「点」を重視するため、もっとも効果的な「泡」と「点茶」の技術が重視されることになった。
「泡」を楽しむことが宋代喫茶の主眼目となり、「茶百戯」や「分茶」など、遊芸性溢れた喫茶法につながった。そして、「点茶」技術を重視することにより、宋代の「闘茶」につながった。「点茶」を含む「茶百戯」、「闘茶」、「分茶」は宋代茶文化の四大キーワードであり、宋代茶文化の特徴でもある。中国喫茶文化の最高峰と言われるゆえんである。
それでは四大キーワードのうち、まず「茶百戯」を見てみよう。
前出の陶谷『清異録』の「茶百戯」条には、次のように記している。
「茶至唐始盛,近世有下湯運匕,别施妙訣,使湯紋水脈成物象者,禽獣虫魚花草之属,繊巧如画。但须臾即就散滅。此茶之变也,時人謂之茶百戯」――「茶は唐代に至って始めて盛んとなり、近年来、湯を注いで茶匙でかき混ぜて、さらに巧みな技巧を施して、茶の湯の水紋模様をある姿や形にする。鳥や獣、虫、魚、花、草の類なら、絵のようになるほど繊細である。しかし、これらの物の像はすぐさま崩れてしまう。これは茶の変であり、当時の人達はこれを茶百戯と呼ぶ」
文脈中の「さらに巧みな技巧」とはどんな技なのか明らかになっていないものの、筆者は宋代茶復元に挑む試みの一環として、この「茶百戯」にもチャレンジしてみた。下図はその成果の一つである。
これは茶の浸出液のみを茶筅で点てた泡の上に抹茶を湯で融かして文字を書いたものである。研究史料が少ない上、宋代当時の茶そのものの復元ができない限り、これは「茶百戯」かどうか断言できない。しかし、復元を試みた者として言えば、この喫茶法は確かに楽しくて遊芸性に富むことは疑う余地がない。
ところが、この「茶百戯」以上にさらに驚くべき技が存在していたのである。
やはり陶谷の『清異録』「生成盞」条に次のように記されている。
「饌茶而幻出物象于湯面者、茶匠通神之芸也。沙門福全生於金郷、長於茶海、能注湯幻茶成一句詩。併点四甌、共一絶句、泛乎湯表。小小物類、唾手辦耳。檀越日造門求観湯戯。全自詠曰。
生成盞里水丹青、巧画工夫学不成。
却笑当時陸鴻漸、煎茶贏得好名声」
「茶を点てて、茶の湯の表面に物の形をぼんやりと出す技があり、これは茶匠の神に通じる芸である。僧侶である福全は金郷に生まれ、茶の産地に育ち、湯を注いで茶湯の表面を絶妙に変化させ、そこに一句の詩を表すことができる。連続して四甌の茶を点てれば、合わせて一首の絶句が湯の表面に現れる。詩ではなく、ほかのちょっとした物ならばいとも簡単にできる。施主たちは毎日寺を訪れて湯戯を見たがった。福全は自ら次の詩を詠んでいる。
盞の中で水の絵を生成させる、
その絵の巧みさは学んでできるものではない。
煎茶を以って名声を得た往年の陸鴻漸を笑いとばす」。
このようなすごい腕前を見てみたいものだが、喫茶の世界の奥深さにはほとほと感心するばかりである。
(大学教員)
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