【コラム】中国単信(47)

中国人の思考様式を探る 信・義

趙 慶春
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 前回、中国人の「ルール軽視」現象の要因には「家族中心主義」と「損得勘定」の二つが大きく作用していることを紹介した。この二つの「特徴」は一定の程度を超えると「ルール軽視」どころか、犯罪者にもなりかねない行動となって現れる。またたとえ法律を犯していなくても「信・義」を失うことになる。

 だからこそなのだろう、中国人は長い間、人間関係や社会を支える精神文化としての「信・義」という美徳を称え続けてきたのである。
 「義」は「理」であり、「正義」である。「心や行状が正しい」ことを意味し、そこには「平等」という概念も含まれている。そして、「義」が成り立つための条件として「信」が求められる。「信」という漢字を分解すれば、まさに「人の言」にほかならず、「偽りのない誠実」という意味にもなる。もちろん自分の言葉を違えないことは言うまでもなく、約束や取り決めなどもきちんと守ることを意味している。

 中国唐代の政治家である魏徴<ぎちょう>(580~643)は「述懐」という詩で「季布無二諾、侯嬴重一言」(季布<きふ>二諾無く、侯嬴<こうえい>一言を重んず)と詠んだことがある。漢時代の季布は子供の頃から義理堅い人物として評判であり、その物事を直言する人柄とで次第に宮廷でも重みをますようになり、「黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず」とまで言われるようなった。こうして「季布の一諾」は固く約束を守ることを意味するようになった。

 戦国時代の侯嬴は自分を厚く迎えてくれた信陵君<しんりょうくん>への恩返しのために、友国救助の軍を動かしたい信陵君へ「王の兵符」(兵を出兵させるための割り符)を盗むことを献策した。「王の兵符」を盗み出し、救助の軍も勝利を収めたものの、侯嬴は自分の首を刎ねてしまう。

 この二人の真髄は「義理堅い」と「一言九鼎<いちげんきゅうてい>」(一言は九つの鼎<かなえ>ほどの重みがある)に尽きるだろう。古代では「九鼎」は皇帝権威を表す神器であり、天下のシンボルである。つまり、人間は自分の言葉、自分の約束や承諾を守ることが天下を左右するほどの重みがあると考えているからで、「信・義」をいかに重視するかが伺えるだろう。

 ほかには世界最初の茶書を著した唐時代の陸羽はマイペースが特徴の「名士」だが、一旦約束したならば、激しい風雨であろうと、虎や狼が出没すると聞こうとも、必ず約束した地に赴くと正当な歴史書(正史)の彼の伝記には賞賛の言辞が記されている。

 「信・義」に関して、ほかの例も見てみよう。
 中国には四大小説と称される『紅楼夢』『西遊記』『三国志演義』『水滸伝』がある。中国人の思考様式の凝縮物とも言えるし、また庶民の人生哲学や価値観形成に大きく影響を与えてきたとも言える小説である。

 この中で日本人にもよく知られている『三国志』」と『水滸伝』に描かれている「信・義」について見てみよう。
 『三国志演義』の第一巻は有名な「桃園で宴を開き、劉備、関羽、張飛が義(義理の兄弟)を結ぶ」から始まる。そして三人の「義」に関わる物語は『三国志演義』の一つの軸にもなっている。関羽が曹操からの熱い思いを蹴って、関所を五つも突破し、曹操の六人の武将を切ってまで、劉備を探し続けたことは、読者の感動を呼ばずにはおかなかった。一方、劉備は国の利益、天下の帰趨を度外視して、関羽と張飛の仇をまず討つという「義」のため、諸葛公明、趙雲などのアドバイスを無視して強引に呉を討伐するのである。結果は陸遜の火攻めに遭い、大敗して白帝城で命を落としてしまう。小説とは言え、「義」が何よりも重んじられることが十二分に描かれているのである。

 その関羽は後世になると「神様」に祀り上げられ、商売人の間では「財神」(金の神様)として広く信仰を集めるようになっている。特に香港など中国南方地域ではその信仰は厚い。武将の関羽がお金の神様になった理由はやはり「義」を重視するからである。「義」を重視する人はお金一辺倒ではなく、仲間を裏切るようなことはせず、公平に物事を進めるからである。

 『水滸伝』は『三国志演義』よりあとの作品である。12世紀中国の北宋時代の末期、腐敗した政府及びその役人たちの抑圧に抵抗し、宋江を首領とする36人(小説では108人)が梁山泊に集結し、武装蜂起したという史実に基づいた小説である。実在の36人にしろ、小説の架空の設定による108人にしろ、ただ同じ運命で自然に集まったわけではなく、求心力はやはり「兄弟の義」だった。「義」のためには人殺しは許されるし、「義」のために死地に赴くこともいとわなかったのである。

 『三国志演義』は歴史小説に近く、『水滸伝』はフィクションの部分がかなり増えている。「義」を誇張したフィクション部分はむしろ庶民の価値観に合わせた結果とも言えるだろう。この「義」の強調、重視はその後、やくざ集団とも言える中国の秘密結社の基盤ともなっていった。後世の中国秘密結社の青幇、紅幇、塩幇、丐幇(乞食の組織)はいずれも大いに「義」を掲げて、「義」を以って組織をまとめていったのである。

 中国人の「信・義」の「内実」を見ると、明確なのは「自分が出した約束、自分の言った言葉は固く守る」ことにほかならない。見方を変えると、中国人は国や強権力など、所謂「外部」から押しつけられたり強制されたりする「ルール」を嫌う傾向がある。それは間違いなく社会的な「公共性」の欠如につながる性質を持っている。

 つまり、「信・義」という側面から見ると、中国人の「内・外」あるいは「自・他」を区別する意識はかなり強く働いていることがわかる。「自分、仲間、内輪」に強い「信・義」を求める一方、法律、社会規則、道徳・倫理などにはあまり重きを置かず、軽視する傾向がある。中国人が「信・義」を重んじれば重んじるほど、皮肉なことに国や政府などの公権力は「外」であり、「他」と見なしてしまい、軽んじられる結果になるのである。

 したがって中国人が国や政府に不信感を募らせていくと、公権力への反発が強まり、ますます「信・義」を重んじる社会を良しとするようになっていくのである。

 (大妻女子大学教員)

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