【コラム】中国単信(48)

中国人の思考様式――契約、個人、国家体制

                                                                趙 慶春


 朝起きたら、夫婦はキスをして、「愛している」と言葉を交わす。新婚夫婦はいざ知らず、日本や中国で長年こうした朝を迎えている夫婦はいったい何組いるのだろうか。生憎、このような統計データは知らないが、少なくとも筆者の周囲では日中両国人を含めて「皆無」に等しい。

 これが欧米人の生活スタイルということになると、数字はかなり違ってくるに違いない。東西文化の違いであり、内向的でシャイ、感情表現が下手な東洋人にとっては難しいのかもしれない。あるアメリカ育ちの日本人学者が言っていたことを思い出す。「アメリカは契約社会で、夫婦関係でも同じだ。つまり毎日キスをして、「I love you」と告げるのは「契約」の再確認であり、「契約」をしっかり履行しているという宣言でもある。これをきちんとやらないと、相手は疑心暗鬼となり、夫婦関係にひびが入る」と。

 欧米人の夫婦関係について、この御仁の捉え方が「正論」かどうか筆者には判断できないが、欧米の文化的背景には「契約社会」の要素が強いことは確かだろう。たとえばキリスト教の『聖書』は「新約聖書」、「旧約聖書」いずれも神と人間との「契り」、いわば「契約」がその根底にはあるように思う。

 この「契約」という面から考えると西欧の国家体制で長く維持されてきた封建主義体制も中国や日本のそれとは異なっているように筆者には思える。無論、西欧の封建主義体制といっても、一様でないことは言うまでもなく、これから述べることはあくまでも大変大雑把な捉え方である。

 欧州の場合は領主やその土地の実力者がその地域の支配を認められ、それなりの地位を与えられる代わりに、臣従(貢納・軍事奉仕等)関係を義務づけるられる、つまり土地と軍事的な奉仕を媒介とした教皇・皇帝・国王・領主・家臣の間の契約に基づく主従関係によって形成される分権的社会制度である。つまり主従関係とはいえ、絶対的な所有ではないし、絶対的な支配でもない。あくまで「契約」であり、互いに履行しなければいけない「義務」がある。

 日本の状況はどうか?
 平安時代の政治体制は有力豪族、いわゆる氏族の連盟政治体制だったと言える。天皇家はその中の一番有力な一族だが、完全支配とは言えなかった。この時代、日本はまだ完璧な「封建主義体制社会」にはなっていなかった。

 鎌倉、室町、安土桃山時代を経て江戸幕府に至って、ようやく「天皇――将軍――藩国」という構図の封建主義政治体制が確立された。将軍を頂点に親族や体制維持に功績のあった功労者に「地位や石高」を賜り、領地を与え(分封)て「藩国」を持たせ、自治権を認めた(「建国」あるいは「建制」)。

 「分封建国」が認められた藩国の領主は主君に対して負わなければならない義務があり、大まかには 1)忠誠 2)貢ぐ 3)有事での軍や人員、物質の提供か直接参戦の義務 という三つがあった。
 一方、藩には一定の自主権が認められていた。つまり主君の直接的な命令や干渉などを受けずに、領主が自己裁断で藩を支配できた。この自主権が強ければ強いほど「封建」(分封建国)の精度は高まると言えるだろう。この自主権には、おおよそ次のような四つがあったと思われる。

 1.自前の軍の保有権。中国の封建主義体制では、いずれの時代でも「分封」は実施したが、その大部分は「軍の保有権」を認めなかった。しかも、後世になればなるほど「反乱防止」策として、この制度は強まった。日本とは大きく異なる点である。
 2.財政権。これは単なる税収や賦役の徴収、管理、使用だけではなく、貿易権、土地の売買、分配権、新規農地の開拓権、水利整備インフラ整備権なども含まれていた。
 3.人事任命権。
 4.司法権。

 上記の要素を見れば分かるが、いずれも国の最も重要な部分であり、藩国はこれらの自治権を全部持っていることで、日本の幕府政治は典型的な封建社会であると言える。

 上記紹介したように、権限を与えた代わりに、義務を負ってもらった。つまり日本の封建も一種の「契約」と見受けられる。さらに言うと、天皇と将軍の関係についても、いろいろ権力闘争があり、たくさんの綱引きがあるものの、結果的に天皇は将軍を「征夷大将軍」と任命したことで「契約」が成立した。

 契約関係は天皇、将軍、大名、小藩主という上層部、中間管理層に留まることがなく、一人一人の武士まで及んだ。例えば「契約」の最も重要の部分である戦争の時、一人の武士は招集されたら付いていけば「いい」だけの話というわけではなく、石高に従い、馬周りの非戦闘人員の準備や馬、武具も自分が用意しなければいけない。ここは日本の「封建」と欧州の「封建」の通じているところだと言える。

 結ばれた契約はもちろん解約もできる。

 幕府初期にはこのようなケースは少ないだろう。罪を犯した武士を追放するくらいのレベルだろう。幕末になると大量の浪人武士が出現した。その理由はいろいろあるにしろ、中に自ずから主君との「契約」を解約した人もいるはずだ。複雑に絡んでいた各種の関係を余所にして、形だけで言えば、「大政奉還」も契約解除に相当するのではないか。

 契約を結んで働き、戦争時の戦闘にしろ、平和時の諸庶務にしろ、その働きに応じて、契約時に決められた「石高」に従い「給料」をもらう。基本的に忠誠を尽くし、一生働く。場合によって、契約を廃棄し、やめてしまう可能性は一応ある――これはどう見ても、今の会社と従業員の関係に近い。いわば日本の封建社会は今の会社の構図と似ていて、「会社型封建社会」と呼びたい。いや、日本の終身雇用型会社は封建システムから構造と思想を継承したと言ったほうが事実に近いかもしれない。

 「契約」を建前とする「封建制度」と別に、もう一つの「封建」形がある。「中央集権制」である。中国は基本的にこのタイプである。次回から中央集権制封建システムの特徴及びその影響をみてみたい。

 (女子大学教員)

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